コロー讃

review
2008.12.30

春に東京、秋に神戸で行なわれていたコロー展のカタログを手に入れた。それを読むと、彼を評価する過去の芸術家のさまざまな言葉を見つけることができる。それを紹介する文章を適当に引用してみよう。たとえば、エミール・ゾラ。

もし彼がよく使う霞がかった色調によって、夢想者や理想主義者のなかに分類されているようなら、その筆触の堅固さや厚み、自然から受け取った真の感情、大づかみな全体把握、とりわけヴァルールの調和の正確さによって、彼は現代の自然主義の巨匠たちの一人に数えられる。(15ページ)

そのゾラに対しては、ポール・セザンヌがこう言っている。

セザンヌは笑いに喉を詰まらせながら、こういった。「もしニンフたちの代わりに農婦たちが森に集っているなら、コローの絵を存分に満喫するのだ、とエミール[・ゾラ]はいっていたよ」。そして立ち上がり、そこにいるかのごとくゾラに拳を振り上げていった、「バカな奴だ!」(26ページ)

つまり、ゾラからすれば、ニンフが農婦であれば、もっと社会主義的な観点からも評価し得た、ということなのだろう。ゾラの正確な発言は次のとおりである。「もし彼の森に集まるニンフたちを、これを限りに殺してしまい、その代わりに農婦を置くことに、コロー氏が同意するならば、私は彼の作品をどこまでも愛するだろう」。だが、セザンヌからすれば、貧しい農婦たちこそ、ニンフとして描かれねばならないのだ。ゾラはなにもわかっちゃいないのだ。セザンヌは、マネに対しても、「君のコローだが、ちょっと個性を欠いていると思わないか」、などといって批判しているが、実際、十九世紀後半のフランスの画家たちにとって、コローはアイドルの一人だった。

たとえば、モーリス・ドニは、一九二三年に行なわれた「最も偉大なフランス画家」についてのアンケートにおいて、こう言ったという。

ドニは、ほとんどすべての長所を併せもつドラクロワに投票しようと考える。「画家としてドラクロワに欠けているのは…コローの長所だけだ。ドラクロワはフランス絵画の知性だ。しかしコローはフランス絵画の本能だ。簡潔なるコロー、正確なるコロー、フランシスコ会士で敬虔なコロー。最終的に私はコローに投票することになるのだろうか。

ドニはまた、次のようにも言ったという。

ローマから、何度も描いたフランス・アカデミーの噴水を前にして、ドニはアンドレ・ジッドにこう書き送っている。「このすばらしい噴水の周辺は、いつも柔らかな影に包まれている。ヴィラ・メディチの前のコロー泉! ああ! そこでわれわれの印象派理論と古典的方法とが対面している。何という高揚感か!」(27ページ)

また、コローとその父親との関係が自分とよく似ていると感じていたゴッホは、北国の景色を眺めながら、コローの精神に気づいたといい、弟のテオにこう書き送っている。

僕たちが通りがかった寂しい小屋、痩せ細ったポプラに囲まれ、黄色い葉の落ちる音が聞こえる。ブナ垣と土壁に囲まれた小さな墓地には、ひしゃげた古い鐘楼。平らな風景、荒れ地、麦畑、何もかもがコローの最も美しい作品のモティーフそのものを目の当たりにさせる。ただコローのみが描いたかのような、沈黙、神秘、平穏……。(24ページ)

コローの影響を自らのうちに認めていた画家たちをあげれば、きりがないほどである。ゴーギャン、ピカソ、マティスやカンディンスキー、はてはピエト・モンドリアンまで、つまり印象派から絵画的抽象に到達した二十世紀の芸術家まで、彼らはコローから、思い思いに自分なりのコローを読みとっている。だが、ここは、印象的なルノワールの言葉を引用しておこう。

ある日、幸せなことに、私はコローの前にいました。戸外制作の難しさを彼に話すと、彼はこう答えました。「外では、自分がすることに決して確信などもてないということです。常にアトリエでやり直す必要があります」。それにもかかわらず、コローは「印象派」の誰もが到達できない現実性によって自然を表現したのです! 私は、シャルトル大聖堂の石の色調や、ラ・ロシェルの家の赤煉瓦を彼のように表そうと苦労しました!

コローは世紀の偉大な天才であり、これまでで最も偉大な風景画家です。彼を詩人と呼ぶ人もいますが、何という誤りでしょう! 彼は自然主義者です。私は彼を研究しましたが、彼の芸術には決して到達できませんでした。…私は彼を真似しようとしました。ラ・ロシェルの塔に、彼は石の色を与えましたが、私には決してできませんでした…。(26ページ)

ルノワールは、映画監督となった息子のジャン・ルノワールにこう言っている。

私はすぐさま、偉い男というのはコローのことだとわかった。彼は決して消え去ることはないだろう。デルフトのフェルメールのように、流行とは別のところにいるのだ。(15ページ)

塔の石に色彩を与えたというコロー。ジャン・ルノワールがモノクロームのフィルムに与えた色彩は、おそらくは、コローの色彩なのである。親愛なる読者たち、みなさんは、コローの色彩を見る機会に預かることができただろうか。最近のわたしの心配事といえば、これに尽きる。わたしたちは、色彩を実現せねばならない……。

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