コローの偉大

review
2008.12.01

いま、神戸市立博物館でコロー展が開催されている。十九世紀フランスを代表する画家であるジャン=バティスト・カミーユ・コローといっても、知っているのは名前くらい、かの「真珠の女」でさえ、かつて教科書で見たかどうか、あるかなきかのおぼろげな記憶がある程度である。彼がどういった系譜に位置するのか、また彼がどういった動機で絵画を制作していたのか、美術史の知識も端から乏しい。要するに完全な素人であることを承知で、それでも、彼の絵画をみて感じたこと、考えたことをここに記しておく。

まず、正直に告白しておくと、わたしは「真珠の女」をみて泣いてしまった。別に悲しかったわけではない。たんに衝撃から涙が出たのである。これはちょっとすごい。展示は六章構成。イタリアの風景をモチーフとした初期の作品を中心とした第一章から、二章から四章にかけては風景画のコロー、そして五章では人物画のコローをまとめ、最後の六章で彼の「想い出(スヴニール)」を題材としたやや虚構的な風景画を中心とした晩年の作品で幕を閉じる、といったもので、非常に手際よくまとまっていたと思う。

まずは彼の光の表現に注目しよう。習作時代のそれは、いわば、光のイデアリズムというべきもの、ほとんどプラトニックな、理想主義的な光の表現が画面全体に広がるのを見てとることができる――かにみえる。だが、それは、あまりに皮相的な見方だろう。それは、コローの影響のもとに描かれた“コロー風”の絵画が、あまりに明るすぎる感じを与えることからもあきらかだ。コローの絵は、もっと暗い、というか、明るすぎない。影は光に従属していないし、光が影によって補完されるのでもない。光のみならず、影もまた、光のコントラストと言い切るにはあまりに深く、そして淡い。光は影であり、影は光であるといった弁証法はそこにはなく、むしろ、光から影へのグラデーションは、おたがいを差異化しながらミルフィーユ状に重なってゆく。それでいて、光は光としての、影は影としてのイデアを失わない。グラデーションといっても、科学的に単純化された光量の調節の問題に還元されていないのだ。なぜか? なぜそれが可能なのか。それは、彼が、まさに《見るという経験》をキャンパスに描いているからだ。見るという行為が、さまざまな光の粒子に陰と陽の名と統一とを与えるのだ。

つまり、彼は、古い科学のように、自己をたんに否定していない。彼の目は手とひとつであり、したがって、見るという経験は即座にキャンパスに描かれる手の速度となって実現する。《自然》をことのほか愛好したという彼は、だからといって、《見るという経験》をそれに対立させなかった。そのことがその他のバルビゾン派などはるかに超えて彼を偉大にしたと思う。彼はオペラを愛したともいうが、そのことと彼の自然への深い愛情もまた、対立しない。むしろ彼は、自然のなかに、すでにオペラ的虚構の世界は織り込まれていると、そう考えている。ふつう、ひとが虚構を自然や物自体に対立させるのだとすれば、コローは虚構を自然のなかに認めたのだ。つまり、《虚構は実在する》。

彼の人物画もまた、そうした観点から見られねばならない。彼の描く人物は、ニンフ(妖精)であると同時に現実の人間であり、かぎりなく虚構的でありながら、現実に存在する市井のひとたちとなる。幾重にも積み重なった光のカーテンの狭間で、ふいにキャンパスに捉えられたモデルたちの色彩は、彼の《見るという経験》によってついに可能になる。潜在的な差異化を繰り広げていたモデルたちの放つ光の粒子が、コローの視線によって、色彩となる。要するに、モデルたちは、コローの色彩を得てはじめて真に実在する力を得るのだ。絵画とは、コローにとって、言葉の真の意味できわめて《実践的な》リアリズムである。かの「青い服の婦人」の奇跡のような美しさは、光と影の交錯するわずかな隙間にコローが切り開いた色彩の実在を物語っている。というか、実在とは、色彩である、そういうことを彼の絵画は感じさせる。

そして、五章のクライマックスが「真珠の女」である。《見るという経験》が、すでにして自然のなかに属するのであれば、もはや対象(オブジェ=物自体)という思考は存在しなくてもよいはずだ。というのも、自己と対象を分かつ分水嶺は、もはやそこにはないからである。したがって、見る/見られるという一対の概念にも変更が加えられなければならない。それらは、結局、別々の行為ではなく、ひとつの行為だからである。見る/見られるという一対、作者と対象という思考は、あまりにも主体中心の思考なのである。だから、コローは「真珠の女」に、こちらを見させることを躊躇わなかった。彼女の視線は、自身を描くコローか、さもなければコローの手を見ている。《見るという経験》は、《見られるという経験》とひとつであり、いうなれば相互扶助的な関係なのだ。彼の言葉でいえば、それが「感情」である。彼は言う。

芸術における美とは、われわれが自然の外観から受けとった印象のなかに浸された真実である。どうということもない場所を見ていて私は胸を衝かれる。模倣を追求しているにもかかわらず、私は自分を捉えた感動を片時でも失うことがない。現実は芸術の一部であり、感情は芸術を完全なものとする。

「感情」はすでに自然に属す。したがって同時に美は自然の真理であり、現実とは芸術の一部である。美や芸術、理想や真理、そして感情、それらすべてが自然の名のもとに混在する世界。ここには、カント的な区分はいっさい必要がない。むしろ端的に、《私小説的なもの》がある。つまり、フローベールが「ボヴァリー婦人は私だ」、と言ったのと同じ意味で、「真珠の女」はカミーユ・コローなのである。われわれが「真珠の女」をみていると思っているとき、じつは、コローがわれわれを見ている。この視線の異常な強さは、イングマール・ベルイマンの『不良少女モニカ』か、あるいはゴダールの『勝手にしやがれ』のヒロインたちのカメラ目線に匹敵しよう。というよりは、美術史的にいえば、映画のヒロインたちの視線は、コローの「真珠の女」の遺伝子の遅れた開花であると考えるのが正しいにちがいない。

六章、すなわちコローが晩年にとりかかったのが、「想い出(スヴニール)」と称される一群の諸作品である。彼は記憶の重要性を語る。だが、それをもって、対象なき虚構の世界の知的な構築などとは考えないことだ。やはり、ここにもカント的な区分はすこしも必要がない。彼が必要としているのは、もちろん対象ではないが、かといって対象とは切り離された虚構の世界でもない。彼は、ただ次のことだけを行なえばいいことに気づいたのだ――すなわち、自然に等しい彼の感情=経験が積み重ねてきた記憶の湖の底から湧き上がる、尽きせぬイメージを汲み上げること。なぜなら、記憶は、それが経験によって得られたものであるかぎり、すでにして芸術であり、現実であり、そして自然だからである。見るという瞬間的な経験をキャンパスに封じ込めてきた彼の絵画が、記憶に向かうのは必然的だったろう。《見る目》と《描く手》をひとつのものと考えたように、今度は《想起》と《描く手》をひとつのものと考えるのだ。記憶とは、ひとつの絵画なのである。

あまりに急ぎすぎて、いつにもまして文章がよくまとまっていないのはよく承知している。というか、彼の絵画を語るには、わたしの文章はいかにも貧しい。いずれにせよ、近代絵画の近代的ではなかった真の出発点のひとつがここにあったことは、よくわかった。だが、そんな美術史的な観点などどうでもよくなるくらいの感動を得ることができた。どうしてこんなひとがいたのに今まで気づかなかったのだろう!

会期はあとわずかである。どうか、できるだけ多くのひとが、コロー展の感動に浴さんことを。……

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