コロナと人間

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2020.07.08

さて、疫病がふたたび力を揮っているのか。ニーチェは疫病の解決策は「悲劇」と言った。自然、あるいは歴史がもたらす災厄を運命として受け入れる態度のことだ。われわれ現代人はこれを統計学的に理解する。疫病の問題は、ウイルスや細菌ではなく人間の問題であり、究極的には人口密度に収斂していく。

時間の経過につれて、結論を混ぜ返す数多の例外を生み出しながら、しかしついには人口密度にしか収斂しない。たくさんの人間がいるということが、疫病の本質であり、社会はひとをまばらにすることを求める。それでも、肩を組み、手を繋いで歩くのが人間だ。人間は、友愛をひとつの原理としている。

ぼくの対策はこうだ。人口密度の奇妙に高いところにはいかない。だが、人間は愛する者と手を繋ぎ、肩を組み、酒を酌み交わす生き物だ。匿名の、つまり不特定多数なる者を避ければよく、それ以外は運命として受け入れる覚悟をもつ。つまりニーチェが言ったように、同情と憎悪を避け、運命を愛すること。

ナショナルな、あるいは人種論的な、さもなければ資本主義的な共同体は、同情を根底に置く。別の共同体に憎悪を抱くことでさらに同情を強化するような、この種の人口密度は徹底的に避ける。ひとりでいること、そんなひとりひとりを愛すること、それはもう運命だから、受け入れよう、と考える。

他の集団に対する憎悪を掻き立て、異分子の排除を喚いて同質の者でより集まろうとする傾向は、人生の不安を集団に託して解消しようとする人間のほとんど不可避の衝動だ。疫病はそうした人間の弱点がもたらすといっていい。同情と憎悪とを避けて、愛と孤独とを信じるのが、疫病の一番の解決策だ。

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