インテンシヴであること

criticism
2026.01.29

日本も火元のひとつだから他人のことはいえないのだが、国際社会が荒れている。だが、すこし冷静になって考えてみれば、思っているほど世界は動揺していない。もともと脆弱だったものがそれを露わにしているだけである。この世界に、美しいものを感じようとする余地はまだまだある。自分の想像力は、「あなた」の美しさに向かう。こんな気の滅入るときでも——だからこそ?——美しいものに触れたいと感じるのは、この世界の謎だ。

絵画は目で「触れる」ものだ。数学的とはいえないにもかかわらず、よく練り上げられた曲線を目で追うことの気持ちよさは、触覚的なものといっていい。最悪の戦火のそばでもきっと恋があり、生まれる子がいる。ひととひととを触れ合わせるあの美のはたらきは、きっとどこにでも存在しているだろう。

外側から規定された、つまり法的に規定された数多のカップルが存在しているのだろうが、もっと内側から、つまり愛によって二人でいるべきなので、そうはせずにひそかに国家に頼るから、裏切られたと感じ、過剰に動揺するだけなのだ。主権国家はひととひととのあいだの交流を遮断する線を引きたがるが、そこに住む住民にとっては、むしろ「あなた」に触れるための曲線である。固有の曲線に指を這わせる、それ以外にはなにもいらなかった。

右翼は内包的にみえる。だから左翼はそれに対して外延を持ち出す。たとえば憲法や国際法だ。ところが、内包的にみえる右翼はいつも外延を密輸入している。家とか天皇とか、そういったもの。つまり右翼も十分に内包的でないのだ。それに対して自分はこうだ。「あなた」がいれば十分だ、と。

名画が表現する美しい曲線に目が自然に吸い寄せられるように、われわれにはもっとインテンシヴな結合が可能だ。自分はアナキスト的だからか、そういう曲線と曲線の結合だけで、じつは世界はいまも成り立っていると考える人間である。憲法でさえ、そこでは約束でも器でもなく、触れたくなるようないくつかの曲線のひとつにすぎない。

もとあった形が砕け、複雑な曲線を描くいくつかの瓦礫になるとして、それがうまく組み合わさる動画が流れてくることがある。たしかに目に心地いい。それは瓦礫同士、たがいに愛による——インテンシヴな結合だ。自分の学問も、生きることも、そうあらねばならない。

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