アンチ・カンティアニズムIV――世界理性

philosophy
2006.08.02

世界は、今も、ストア派のひとたちや、カントの言った「世界共和国」に向かってまい進している。世界は可能なかぎり最善の秩序において構成されている。世界理性というものがあるとすれば――それは、すべてを《緩慢に》焼き尽くす炎だ。世界で起こることのすべてをあらかじめ知っている、あのプロメテウスが人間に与えた、《炎》こそ、人間のすべての権利の源なのだ。世界理性、それはすべてを知っている。世界で起きたあらゆる出来事を理解しているばかりか、世界理性は、むしろ真実そのもの、出来事そのものなのである。

とはいえ――世界理性、すなわち炎が焼き尽くす「すべて」とは、まさに、そうした思考(「すべて」であるとか、「つねに」であるとか、「必ず」であるとか、そういう思考)そのもののことである。もちろん、世界理性は、「すべて」をたちどころに燃やし尽くすのではない。緩慢に、ゆっくりと、である。「すべて」を緩慢に焼き尽くす炎こそが、理性の真の働きである。この緩慢さは、とにかく人々に時間と空間の観念をもたらした。炎の権利をわたしたちに与えた、すべてを事前に知っている巨人プロメテウスは、同時に、即死を猶予する時間をも与えたのである。以来、わたしたちは、この世界理性に対する受動的主体として生を受けた。世界によって、わたしたちは、動かされている。生きとし生けるもの、すべての存在が、この世界によって、動かされているのだ。人々がそれを知った時、きっと顔を見合わせてげらげら笑うだろう。それは、これ以上ないほどに民主的な真理だからだ。王であれ、貴族であれ、ブルジョワであれ、すべての人間が、この世界理性によって、動かされている。

精神とは、じつのところ、呼吸である。誰もが知っていて、そして誰もが行なっている、あの呼吸である。呼吸は、あの世界理性の緩慢な炎のように、ゆっくりと、精神そのものを燃焼させる。わたしたちが母親の胎内からこの世に生まれ出た時にはじめて吸ったあの息、それが、わたしたちの精神の正体である。そのとき、わたしたちの体内に入り込んだ小さな炎――しかし世界のすべての出来事を網羅しているこの小さな炎――は、わたしたちと混じり合い、「まず中心から始まって末端に達し、それから、それが隅々にまでいきわたってある限界に達したとき、回れ右して自己自身に帰ってくる」。この巨大な伸縮運動こそが、精神に、時間と空間の観念を与えたのである。以来、精神はささやく。伸縮運動が可能であるのは、時間と空間があるからだ、と。さらにささやく、伸縮運動は、時間と空間のつづくかぎり、可能である、と。こうして、わたしたちは、経験と呼ばれるものすべてを、理性で挟撃し、わたしたちを苛む経験の鋭い棘を抜き取った。

わたしたちは、目的なしに行動することはできない。できたとしても――すぐに疲れてしまうだろう。消耗と疲労が、この目的なしの行動によって与えられるわずかばかりの贈り物だ。シーシュポスがいまも地獄の底で味わっている、あの苦々しい「無益」の責め苦に耐えることができるのは、なにより、彼が、地獄から抜け出そうという目的をもっているからなのである。彼は「然り」とつぶやいて、唯々諾々と背中を丸めて、険しい坂を登り続けるのだ。地上の光を目指して、自分の吐き出した息を吸い続けるのだ。自分の吐き出した息を再び吸い込むこと――これが、目的と呼ばれているものの正体だ。この目的を、ひとまず、統整的(超越論的)理念と呼ぼう。

しかし、理性の炎がもたらしたはずの目的を、炎は、自ら焼き尽くしてしまうだろう。なぜなら、理性の炎は、「すべて」を焼き尽くすからである。統整的・超越論的理念は、ついに燃え尽きるのだ。最後に残るのは、希望ではない。灰が残る。あるいは、希望とは、灰である。目的を失った精神は、行き場を失って揮発してしまうだろう。彼は、このときはじめて、たんに行動する。あの、悪夢のように重く固い岩を押すのをやめて、地獄に落ちたコリントの王は、ふっと、ひと息つくのだ。彼は、かつて、はじめて吸ったあの呼吸を、ここで反復する。目的などなかった、彼はただ、呼吸したのだ。いったい、なんのために、長くこの岩を押していたのだろうか。その問いこそ無益だった。彼は、目的のことなど、もう忘れてしまっていた。目的はもはや忘却の海底に沈潜して見えなくなった。もう、彼は岩を押すのをすっかり止めてしまっていた。彼は疲労しきっていたはずの身体のことなど忘れて、ああ、なんなら、あの岩を押してみせてもいいとさえ、言うだろう。彼は、そのとき、いったい何を見たであろうか。

岩を押すのをやめたシーシュポスが地獄の底で見たものは、おそらく、「世界共和国」であった。けっしてたどりつけぬ大地を目指して、血を吐きながら飛びつづけた、あの鳥たちの悲しく高らかな歌声は、もう、やんでいたに違いない。心の底から湧き上がる美しい静寂と、歌うように笑う鳥たちの朗らかな舞踏が、彼の周囲を巡っていたに違いない。「すべて」は燃え尽きた。時間や空間は、あの、呼吸が行なう伸縮運動とひとつになった。時間や空間は、呼吸の一部であった。理性はついに、実践されたのである。

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