《文学》のプログラムIII、否定と虚構

philosophy
2009.06.30

嘘とはなにか。そしてまた否定とはなにか。嘘と否定とは、よく似ている。実際、区別するのはむずかしい。したがって、ありきたりの仕方で両者を区別しようとは思わない。たとえば、次のような文章があるとしよう。

《私は犯人ではない。》

さて、この文章の主語である「私」は、犯人なのか? 犯人ではないのか? そもそも、「私」はいったい、なにものなのか? ふつうに考えて、つまりたんに文法どおりに受け取るかぎり、この文章は、主語を占めている書き手が、自分がなんらかの罪の主謀者ではないと考えていることを伝えるように思われる。したがって、「私」は、「犯人」以外のなにものかである、という主張を行なっているように思われる。しかるに「私」は誰だろうか? この文章が真であるとすると、「私」は、犯人以外のあらゆる可能性をもったひとりの人間である、ということになるにちがいない。ところで、「私」が犯人ではない、ということはわかったが、それだけでは、結局、なにもわからない。この文章は、「私は犯人である」という命題を、たんに否定しているだけだからである。そこで考えを進めていくと、A is not Bという命題は、おそらく、A is Bという命題をひとに仮定させるのではなかろうか。というか、この仮定なしには、A is not Bを生じさせることはできない。したがって、厳密に上記の命題を書くと、

《私は犯人である、という文章は私は犯人ではないという意味である。》

という奇怪な文章になってしまう。肯定文がその対象を外にもっているのとは異なり、ごらんのとおり否定文の対象は自身のなかに含まれている。いわゆる「自己言及」である。したがって、内在的な証明は不可能である。その点から考えるに、否定文は、実際には、肯定文の否定ではなく、むしろ真偽の問いを宙吊りにする力だというように考えられる。ヒルベルトは、無矛盾であればその数学的存在が認められる、という風に規定した。矛盾が「ない」ならば、数学概念は存在する。しかし、この規定は、ほぼ必然的に、ゲーデルの不完全性定理を導く。矛盾が「ない」、ということによって、矛盾がないことを証明できないからである。

しかしわたしは、この文章を、言語学者のようには考えない。むしろ、古文書学者のように考える。すなわち、7000年前に書かれた文章であり、しかも、同時代の同じ地域の文書としては、われわれに伝わっている唯一のものだと考える。いってみれば、この文章は、書かれた時点から今日まで、7000年間、宙吊りの状態で保たれてきた。むしろもっぱら7000年という時間だけを示し続けてきた。しかし、ともかくも、この言葉が風変わりな古文書学者の手に渡ったことによって、この文章は、不思議なやり方である内容を示し始めた。というのも、「私は犯人であるという文章は私は犯人ではないという意味である」という上記の展開された命題は、次のように圧縮できてしまうからである。

《私は犯人である、というのは嘘である。》

つまり、否定文が、嘘(虚)という一語に圧縮されたわけである。嘘とは、否と異なり、ひとつの出来事、すなわち嘘をついた、という「こと」を示している。この点にこだわるのは、わたしがいま、古文書学者だからである。古文書であるからには、言葉は、とにかくなんらかの出来事を対象として持っている。すると、統語論的には究極の矛盾を示すだけのこの文書が、いかにも多くのことをわれわれに伝える豊かなものであることがわかってくる。このときこの場所で、ある犯罪があったことが予測できる。そしてなおかつ、容易に犯人を特定できないようなやや込み入った犯罪で、彼が犯人であると疑われていた、ということを示唆している。したがって、「私は犯人ではない」は、むしろかえって、ほかならぬ彼が犯人だったのではないか、という可能性を導く。というのも、この事件の犯人の可能性は、じつは、彼がもっとも高いからである。しかるに、この点では、統語論が陥った決定不能と同じ無意味さを持っているのだが、ただし、違っているところもある。この点が、今述べたことにも増して実りの多い点なのだが、「私」が嘘をついているにせよ、「私は犯人である」というのが嘘であるにせよ、いずれも嘘をついている、という出来事が示されていることには変わりがなく、否定文のように宙吊りになったりしないのである。要するに、否定文があくまで内面にとどまるのとは異なり、言葉が、なんらかの対象を外側、つまり《現実》にもつことが、はっきりと示されている。この言葉が真であろうが偽であろうが、ともかく、誰かが嘘をついていることには変わりがない。

否定文の力が、《現実的には》、「私」とわたしをつないでいる《時間》だけを示しつづけたのに対し、嘘には、その時間を圧縮し、過去を今ここに呼び寄せる奇妙なところがある。つまり、そこで行なわれるのは、たしかに捏造ではあるものの、なにはともあれ、《現実》に参与せざるをえない捏造なのである。これを、むしろ創造と呼んでもよいようにも思われるし、だとするなら、《文学》と呼ぶことさえ、差し支えない場合があろう。虚構が、現実に参与する瞬間である。

わたしがこれを歴史学と呼ばず、また風変わりな、という注釈つきで古文書学者という言葉を使うのは、結局、通例の歴史学者は、否定文と嘘とを混同しつつ、嘘を否定文のなかに解消してしまうからである。つまり、彼らは、現実に参与する権利をもちながら、その権利を自ら放棄して統語論の世界に戻ってしまうのだ(歴史学者のこうした足取りは、カントによく似ている)。だが、ここで必要なのは、嘘に力を与える《文学》なのだ。嘘と否定のちがいを明白に意識しつつ、そのうえであえて混淆的な哲学を構築していたのは、荘子である。彼はこういっている。

荘子が恵子といっしょに濠水の渡り場のあたりで遊んだことがある。そのとき荘子はいった、「はや(魚)がのびのびと自由に泳ぎまわっている、これこそ魚の楽しみだよ。」ところが、恵子はこういった、「君は魚ではない、どうして魚の楽しみがわかろうか。」荘子「君は僕ではない、どうして僕が魚の楽しみをわかっていないとわかろうか、」恵子「僕は君ではないから、もちろん君のことはわからない。君はもちろん魚ではないのだから、君に魚の楽しみがわからないことも確実だよ。」荘子は答えた、「まあ初めにかえって考えてみよう。君は『お前にどうして魚の楽しみがわかろうか、』といったが、それはすでに、僕の知識のていどを知ったうえで、僕に問いかけたものだ。(君は僕ではなくても、僕のことをわかっているじゃないか。)僕は濠水のほとりで魚の楽しみがわかったのだ。」
金谷治訳『荘子』秋水篇、岩波文庫

一方の恵子には、嘘と偽を混同し、言葉を時空間から切り離す学者風のところがあり、他方の荘子には、言葉を、たえず現実のなかで用いようとする実践論がある。恵子はゲーデル主義的な統語論者であり、荘子は(風変わりな)古文書学者である。

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