『人文学の正午』第2号

A Noon of Liberal Arts | 人文学の正午編集委員会 | 24 December, 2011 | ¥1,000(税別) | 74頁

【論文】
小路田泰直「神と心の歴史—日本史試論(上)—」
神は実在する。
人の本質はその自立性にではなく、他者依存性にある。そして捕食さえ他者に依存するその徹底した他者依存ぶりが、分業をつくり社会を生む。捕食ということをしなくてもよくなった人の一部は、弟(アベル)殺しの罪で大地を追われた(即ち自分で捕食のできなくなった)カインの末裔が銅と鉄をつくる人々の祖になったように、その大きな大脳と二足歩行の結果自由になった手を活かして、様々な技能や産業を発展させる。それが交換と分業を生むからである。
だから社会は人(ホモサピエンス)が個体としての自立性を失った瞬間、殆ど自然発生的に生まれる。そして……

田中希生「統計から貨幣へ—近代国家の歴史的変遷について—」
実証主義と構成主義とが対立していると考えるのは、もはや困難である。というか、それらの対立が深まれば深まるほど、いずれもが同じ素朴な経験的実在論と化していく。実践的には、資料から実態を見いだすのか、書き手の思想を見いだすのか、というちがいしかない。唯一の資料を出発点として、迂回の仕方に差はあれ、結局は、そのときどきの「社会」の全容あるいは一端を解明しようとするものに変わりはない。
では、「社会」はいかにみるべきか。実体論的にか、それとも観念論的にか。
サピア=ウォーフ流の言語相対主義、言語決定主義がしばしば非難されたように……

小林敦子「野の時間と歴史—室生犀星「虫寺抄」をめぐって—」
室生犀星は伊藤信吉が「避戦の作家」と呼んだように、一九四〇年代、戦争に距離を取り続けた小説家である 。犀星のアジア太平洋戦争下の作品は、「甚吉もの」と呼ばれる庭を主題にした幽遠・枯淡の趣をもつ随筆風の小説、あるいは、古典に材をとった「王朝物」が主となり、実際散文においては、戦争を描いたものは少ない。「詩をいじめて」、「小説を守った」 と評されるよう、その、現行の戦争に応じていない散文の主題の取り方は、犀星の非常に意志的な姿勢である。
犀星のこの姿勢を……

【翻訳】
石上寮一「ツェラン訳詩選」

【随筆】
嘉山範子「犬島行き」


『人文学の正午』創刊号

A Noon of Liberal Arts | 人文学の正午編集委員会 | 24 December, 2010 | ¥1,000(税別) | 94頁

【論文】
田中希生「近代人文学とはなにか—二つの世紀の記憶と忘却—」
本稿は、近代の人文学がいかなるものであったか、もっと正確にいえばどのように機能してきたのか、その歴史的な足取りをたどりながら、来たるべき人文学のための見取り図を示そうとするものである。プラトンやアリストテレスの伝統に連なる「とはなにかto ti esti」という問いを引き受けることは、当然、アカデミズムの伝統が受けてきた非難をも背負うことであろう。また伝統的アカデミズムの側からいっても、風変わりな概略を述べることの暴力と、いささか冒険的な内容を見取り図として示す無謀とが、本稿の望まぬ基調となることを、十分に承知している。
近代には、明確なはじまりの日付があるように思われる。それは、王や英雄たちによって作り出された、大掛かりな事件によってではない。……

井上 治「花道思想における出生と花矩に関する試論」
雪月花と言い花鳥風月と言うように、花は自然美を象徴するものとして語られる。それゆえ人々は、古今東西を通じてこの花と親しい関係を築いてきた。日本の伝統文化である花道は、この関係のひとつの形態である。花道は、自然の花に人為的な技巧を加えた所に成り立つ。しかし言うまでもなく人間自体もまた自然の産物である以上、自然と人為という単純な二分法は必ずしも妥当ではない。
表現の手段として草木を用いる花道は、常に植物の自然の姿を尊重してきた。この自然の姿は、花道において「出生」という言葉で言い表される。「出生の尊重」は、一貫して花道思想における根本原則であった。一方で花人は、草木の自然の姿とは異なる次元から「花」の形をデザインしてきた。……

古川雄嗣「九鬼周造の唯美主義哲学—時間論と芸術・文芸論—」
我が国の哲学者九鬼周造(一八八八〜一九四一)は、狭義の哲学研究にとどまらず、芸術や文芸についての論考も多く、また自ら詩作したことでも知られ、時に詩人哲学者と呼ばれることもある。それゆえに彼の哲学への関心は、狭義の哲学研究のみならず、文芸研究や美学研究、あるいは日本文化研究の方面からもしばしば向けられてきた。しかしながら、これらの諸研究は、各々の研究領域における文脈と関心から九鬼哲学の一側面に光を当て、さらにはそれに創造的な解釈を加えるという点ではたしかに興味深く、また意義深いものである反面、あくまでも一側面でしかない「部分」を九鬼哲学の「全体」から切り取った断片として扱おうとする傾向もまた否めない。たしかに、九鬼哲学における様々な主題—例えば時間論、偶然論、「いき」、日本詩における押韻論……

【翻訳】
小林敦子「イェーツ訳詩選」

【随筆】
山下航佑「アイルランドとヨットの恋人—アドルノ、ニーチェ、そして岡本太郎—」

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投稿規定

(1)
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投稿は随時受け付ける。締め切りは設けない。投稿前に以下のメール・アドレス宛にその旨を連絡すること。shogo@fragment-group.com

(3)
論文の枚数は、論題、注、図表、写真などを含め、四〇〇字詰め原稿用紙で八〇枚程度。下限は設けない。研究ノート、研究動向、調査報告、資料報告は六〇枚以内、書評二〇枚以内、新刊紹介一〇枚以内。書評・新刊紹介以外は英文タイトル、論文には八〇〇字以内の要約を添付願います。外国語論文は英語のみ受け付けますが、翻訳を添付、ネイティヴ・チェックは執筆者の責任で行なってください。

(4)
論文はワープロ原稿にて二部提出すること。また、電子データを保存したメディア(CD – ROM)を添付してください。

(5)
投稿者は、別に、執筆者名(ふりがな)、メール・アドレス、執筆者の専門領域(なるべく簡潔に)、主な著書や掲載論文(および掲載誌)の タイトルを明記した文書を添付してください。

(6)
二重投稿は認めません。

(7)
論文の採否は編集委員会が委嘱する審査員の所見に基づき、編集委員会において決定します。

(8)
『人文学の正午』に掲載された論文は、著者の許諾を得た上で、ウェブ等に掲載される場合がある。著者による論文の転載等は制限しない。


創刊の辞

人文学の正午編集委員会

かつても、そしていまも、学問の世界はますます多様さを深め、専門分化を高度に進めています。これからもその歩みが留まることはないでしょう。それは、今日学問の世界で主要な位置を占める、科学という形態がもっている原理的かつ必然的な要請だからです。その一方に、人文学という概念があります。人間を出発点として、あらゆるものを扱おうとする広範な内容をもった古い概念です。私たちはいま、あえてもう一度人文学という出発点を捉えなおし、その目的を見定めてみたいと思うようになりました。

近代的な分類のなかで人文学といいうるのは、せいぜい、文学・哲学・歴史くらいでしょうか。それは、これらの学問が特権的というよりは、たんに科学的ではありえない、分割できない滑らかな要素をもっていたからであり、その結果、古い概念がより多く残存したというにすぎません。したがって、私たちは、ただこうした旧来の学問領域に立ち帰ろうというのではなく、概念としての人文学が、何を求め、何を願ってきたか、その地点から再考したいと思うのです。

人文学が人間を出発点とするというなら、動機や目的はなんでしょうか。やはり、それもまた人間を知ることにほかなりません。もっとも小さな、身近な存在である自己から出発し、やはりもっとも小さな、そして身近な自己を目指す知的活動、それが人文学です。

自己とは何者であり、なにを願い、なにを実現するのか。その問いの様々な現われ方によって、人文学の概念は、文学や哲学、歴史のみならず、あらゆる領域に姿を現わします。知に携わる者が自己の問題に立ち帰るとき、かならず本来の人文学の概念が形成されるのです。科学者にとって、自己は《予測不能のDisturbance》といわれます。この予測不能さを思考するとき、私たちはすでに人文学者です。

科学の重要性があきらかなように、実学的な動機、すなわち他人の役に立ちたいという動機もまた、正当なものです。そしてたしかに、人文学はある種の外部、たとえば自然といっても、社会といっても、他者といってもいいような外部の問題を科学に明け渡しました。しかし私たちは、自己なしにはすべての他人もまた実現しないという、ありふれた逆説に、思いを馳せる必要があると考えます。

何百年にもわたって科学技術が進歩をつづけても、最近は昔のような進歩の風を感じられない。その原因が、使いこなす人間が育っていないことにあるのは、多くの人が気づいていると思います。風を受け止めていた翼がもがれ、人間の内側の空洞をただ吹き抜けていく。私たちの多くが、この空洞を感じているのではないでしょうか。しかしそのことによって、おそらく何百年かぶりに、私たちは自己に直面しているのかもしれません。社会にもっとも役に立たない、たんなる自己に最高の価値を与える努力を惜しまない。つまり人文学者となること。厳密さと明晰さとを科学者から学んだ人文学者のためのこの雑誌は、結局は、自己を真摯に追究しようとするすべてのひとに開かれているのです。

© 人文学の正午研究会, 2010-2012.