『人文学の正午』第2号
小路田泰直「神と心の歴史—日本史試論(上)—」
人の本質はその自立性にではなく、他者依存性にある。そして捕食さえ他者に依存するその徹底した他者依存ぶりが、分業をつくり社会を生む。捕食ということをしなくてもよくなった人の一部は、弟(アベル)殺しの罪で大地を追われた(即ち自分で捕食のできなくなった)カインの末裔が銅と鉄をつくる人々の祖になったように、その大きな大脳と二足歩行の結果自由になった手を活かして、様々な技能や産業を発展させる。それが交換と分業を生むからである。
だから社会は人(ホモサピエンス)が個体としての自立性を失った瞬間、殆ど自然発生的に生まれる。そして……
田中希生「統計から貨幣へ—近代国家の歴史的変遷について—」
では、「社会」はいかにみるべきか。実体論的にか、それとも観念論的にか。
サピア=ウォーフ流の言語相対主義、言語決定主義がしばしば非難されたように……
小林敦子「野の時間と歴史—室生犀星「虫寺抄」をめぐって—」
犀星のこの姿勢を……
石上寮一「ツェラン訳詩選」
【随筆】
嘉山範子「犬島行き」
『人文学の正午』創刊号
田中希生「近代人文学とはなにか—二つの世紀の記憶と忘却—」
近代には、明確なはじまりの日付があるように思われる。それは、王や英雄たちによって作り出された、大掛かりな事件によってではない。……
井上 治「花道思想における出生と花矩に関する試論」
表現の手段として草木を用いる花道は、常に植物の自然の姿を尊重してきた。この自然の姿は、花道において「出生」という言葉で言い表される。「出生の尊重」は、一貫して花道思想における根本原則であった。一方で花人は、草木の自然の姿とは異なる次元から「花」の形をデザインしてきた。……
古川雄嗣「九鬼周造の唯美主義哲学—時間論と芸術・文芸論—」
【翻訳】
小林敦子「イェーツ訳詩選」
【随筆】
山下航佑「アイルランドとヨットの恋人—アドルノ、ニーチェ、そして岡本太郎—」
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創刊の辞
かつても、そしていまも、学問の世界はますます多様さを深め、専門分化を高度に進めています。これからもその歩みが留まることはないでしょう。それは、今日学問の世界で主要な位置を占める、科学という形態がもっている原理的かつ必然的な要請だからです。その一方に、人文学という概念があります。人間を出発点として、あらゆるものを扱おうとする広範な内容をもった古い概念です。私たちはいま、あえてもう一度人文学という出発点を捉えなおし、その目的を見定めてみたいと思うようになりました。
近代的な分類のなかで人文学といいうるのは、せいぜい、文学・哲学・歴史くらいでしょうか。それは、これらの学問が特権的というよりは、たんに科学的ではありえない、分割できない滑らかな要素をもっていたからであり、その結果、古い概念がより多く残存したというにすぎません。したがって、私たちは、ただこうした旧来の学問領域に立ち帰ろうというのではなく、概念としての人文学が、何を求め、何を願ってきたか、その地点から再考したいと思うのです。
人文学が人間を出発点とするというなら、動機や目的はなんでしょうか。やはり、それもまた人間を知ることにほかなりません。もっとも小さな、身近な存在である自己から出発し、やはりもっとも小さな、そして身近な自己を目指す知的活動、それが人文学です。
自己とは何者であり、なにを願い、なにを実現するのか。その問いの様々な現われ方によって、人文学の概念は、文学や哲学、歴史のみならず、あらゆる領域に姿を現わします。知に携わる者が自己の問題に立ち帰るとき、かならず本来の人文学の概念が形成されるのです。科学者にとって、自己は《予測不能のDisturbance》といわれます。この予測不能さを思考するとき、私たちはすでに人文学者です。
科学の重要性があきらかなように、実学的な動機、すなわち他人の役に立ちたいという動機もまた、正当なものです。そしてたしかに、人文学はある種の外部、たとえば自然といっても、社会といっても、他者といってもいいような外部の問題を科学に明け渡しました。しかし私たちは、自己なしにはすべての他人もまた実現しないという、ありふれた逆説に、思いを馳せる必要があると考えます。
何百年にもわたって科学技術が進歩をつづけても、最近は昔のような進歩の風を感じられない。その原因が、使いこなす人間が育っていないことにあるのは、多くの人が気づいていると思います。風を受け止めていた翼がもがれ、人間の内側の空洞をただ吹き抜けていく。私たちの多くが、この空洞を感じているのではないでしょうか。しかしそのことによって、おそらく何百年かぶりに、私たちは自己に直面しているのかもしれません。社会にもっとも役に立たない、たんなる自己に最高の価値を与える努力を惜しまない。つまり人文学者となること。厳密さと明晰さとを科学者から学んだ人文学者のためのこの雑誌は、結局は、自己を真摯に追究しようとするすべてのひとに開かれているのです。





