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	<title>ex-signe &#187; Naoya Shiga</title>
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		<title>無名のひとたちのために白樺を讃える</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Nov 2010 14:06:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[fragment]]></category>
		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>
		<category><![CDATA[Saneatsu Mushakoji]]></category>
		<category><![CDATA[白樺派]]></category>

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		<description><![CDATA[１９１０年４月、大逆事件が明るみでるひと月前、血気盛んな若者たちによって、ある文芸誌が創刊される。その名は『白樺』、資本主義市場からは一線を画した、一度も商業ベースには乗ることのなかった、しかし文壇の天窓を開いたと言われ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>１９１０年４月、大逆事件が明るみでるひと月前、血気盛んな若者たちによって、ある文芸誌が創刊される。その名は『白樺』、資本主義市場からは一線を画した、一度も商業ベースには乗ることのなかった、しかし文壇の天窓を開いたと言われた小さな雑誌である。２０１０年、関東大震災を期に廃刊になったこの雑誌が生まれてちょうど百年たった。だが、大手文芸誌はこの一事件を黙殺した。去年あたりから、どこかはとりあげるだろうと思っていたが、１１月になり、確定事項となった。この雑誌は、ジャーナリズムによる記憶の烙印から逃れ、忘却の大洋に消え去ることになるのか。白樺同人のある作家の言葉を借りれば、彼らはナイルの一滴であった。モニュメントとなることを嫌い、記念されることを拒んだ彼らは、大洋の一滴であることを自ら望んでいた。それがいま、密やかに、実現しつつあるのだと思う。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>風変わりな歴史家がいる。彼は、ひとの忘却を指摘して回ろうとは思っていない。つまり、忘れられた記憶を呼び覚まそうとは思っていない。むしろ、いかに忘却を忘却のまま扱うかに苦心している。どうすれば、忘れられた記憶は、想起から逃れて美しい忘却のままにしておくことができるのか、そればかり考えている。忘却は不思議なものだ。周囲の他人でも、明日の私でも、とにかく誰かに指摘されないことには、忘却はあらわれない。しかし、その瞬間、忘却は忘却ではいられなくなる。「想起」によって忘却は記憶として呼び覚まされてしまう。記憶と非知の境界に位置する忘却、自意識と他者のあわいに位置する忘却を、風変わりな歴史学者はもっとも重要だと決めつけていた。われわれは、いつもなにかを忘却しているにちがいない。記憶に、大切な麗しい思い出と、つきまとう不吉な思い出とがあるように、忘却にも、美しいそれと醜いそれがあろう。麗しい記憶をさらに美しく化粧する忘却を否定する必要はないし、不吉な思い出を海の底に捨てる忘却も否定する必要がない。なんと忘却は想像力豊かなのだろう。記憶と忘却の兄弟愛は、どうしてこれほどに優美なのか。その彼がもっとも気に入っていたのが、白樺派のひとたちだった。他人に認知されぬこの風変わりな歴史家は、自分の味方が増えたことを喜んでいた。これでまた、あらゆる言葉をリプレゼンテーションに変えてしまう、「想起」を逃れる革命がまた一歩、われわれに近づいたのだ、と。というか《想起》とは、忘却の別の名ではなかったのか、と。《想起》をわれわれの手のなかに奪還しようではありませんか……。</p>
<p>ひとが記憶の烙印を押さぬ小さな出来事こそ、文学者が好んで取り上げる素材である。この小さな事件のほうが、世界史とつながっていると、彼らは思いこんでいる。痕跡を残さぬ忘却の徴を、彼らはその事件に貼り付ける。公文書や新聞の大見出しになりそうな大事件ばかりにかかわる歴史を非難するために、彼らが見つけ出した方法が、《小説》である。小説は稗史である。そうであるにもかかわらず、というかそうであるがゆえにこそ、それは世界史的なのだ。白樺同人のあるひとりは、夢殿の観音像の作者の名が伝わらなかったことを、夢見るようにうらやましがっていた。すべての芸術家が、それを目指しているといって、嫉妬の目を向けたものだった。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>白樺同人のあるひとりは、言文一致体を完成させたといわれる。だが、いまやわれわれは、それを意識することがない（言文一致体をあれほど非難していた批評家たちが、彼のことを忘れて彼の言葉を使っているのは不思議なことだ）。彼はそこに《署名》するのを忘れてしまったからだ。あまりにも巧みにとけ込んでいるから、それと気づかないだけで、彼は、そして彼だけではなく、古いたくさんの仲間たちは、言葉のなかで明滅している。彼らは別に著作権を主張しないし、われわれが意識しないことをむしろ喜んでいる。彼らの先輩たちの多くもまた、そうだったことを知っているからだ。</p>
<p>忘却の徴は、なにに刻まれてわれわれはそれを知るのだろうか。彼らはそれを声だと考えた。文字はもちろん歴史とつながっている。しかし、文字をすべて否定すべきだろうか？　文字を失えば、歴史は、記憶はおろか《忘却さえ残す》ことができない。どうすれば、忘却に奉仕するために、《声を書く》ことができるのか？　逆に言えば、どうすれば文字に、生きた――すなわち消え去る――魂を込めることができるのか？　そのために小説家が取り組んだのが、言文一致体である。この技術は、忘却のための技術なのだ。ソクラテスは、パイドロスのなかで、文字とは忘却の技術だと言っていた。この言葉を逆転させるべきではない。むしろ完成させるべきなのだ。風変わりな歴史家は、古い小説家とともに、そのように考えるようになった。プラトニズムには、まだあまりにも記憶の残滓が目につきすぎる。プラトニズムを越える、もっと純粋なプラトニズムが必要なのだ。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>白樺同人のあるひとりは、鮮やかな言文一致体でこう言っていた。</p>
<blockquote><p>私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲ろうとする自分の心をひっぱたいて、出来るだけ伸び伸びした真直な明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようと藻掻いていた。それは私に取ってどれ程喜ばしい事だったろう。と同時にどれ程苦しい事だったろう。</p>
</blockquote>
<p>彼はこの「神聖」のために、彼がもっていた広大な土地を彼の小作人たちに贈与した。そして「ヴァガボンド」になれたことを自画自賛していた。多くのひとは、彼を笑った。また今日では、その神聖な努力の産物を批評家たちが「ジャンク」扱いしている。だが、彼ら以上に、小説家たちのほうが腹がよじれるほど笑いころげたものだった。その神聖な努力を笑いそして祝福した。忘却を恐れる必要はない、忘却について語るがよい、なぜなら、われわれこそ、そしてなによりあなたがたこそ、その忘却だからだ。名を売ることを恐れる必要もない、むしろ名など売り飛ばしてしまえ、出来事の神聖を保つためなら。純粋な論理と純粋な固有名のあいだにこそ、あの猥雑な無名の神聖がある。彼らが歴史家に教えたのはそのことだった。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>彼らの芸術には、無名のひとたちのために捧げる努力の跡があった。慎重に痕跡を避けて消え去る魂の震えの跡をたどろうとする努力があった。風変わりな歴史家はそのことをたいそう喜んだ。自分の仲間がいたこと、自分の孤独な道の先を行く偉大な先輩がいたことを、心強く思った。そして心の底から彼は、無名のひとたちのために白樺を讃えようと思った。</p>
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		<title>志賀直哉の墓</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Mar 2010 14:15:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[diary]]></category>
		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>

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		<description><![CDATA[最近は本当に忙しい。定職があるわけでもなく、ただただ時間を労働に浪費する。これでは本当の仕事はなかなかできない。われわれのような貧しい立場の人間は、この社会で生きていくのは難しいに違いない。「違いない」と人ごとのようにい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最近は本当に忙しい。定職があるわけでもなく、ただただ時間を労働に浪費する。これでは本当の仕事はなかなかできない。われわれのような貧しい立場の人間は、この社会で生きていくのは難しいに違いない。「違いない」と人ごとのようにいうのは、わたしの希望が、ただただ哲学ができることだからだろう。それさえあれば、わたしは生きていくことができる。だが、その一方で、読者を信用して率直にいえば、不安もある。愚痴のひとつも言いたくなる。この道は、真理か、それとも美かに、ちゃんとつながっているのだろうか。この国――国民国家は、文学を、歴史学を、哲学を、いったいどこに追い込むつもりなのか……。否、こうやって文芸ができるということ、それを善しとしなければならない。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>ようやくできた暇をみつけて、志賀直哉の墓を訪れた。別にそういう趣味があるわけではない。が、作家の墓を巡ることが多くなった。ひとが、石に銘を刻むことを覚えたのは、一体、いつのことだろう？　はるか昔、おそらくは歴史以前から、ひとは、そして多くの生命が、そうやって、自身の痕跡を――望むと望まざるとにかかわらず――遺してきた。動物としてのひとは、《音節明瞭なる者》であるにすぎない。痕跡は、あくまで、自然の偶然がときおり見せる消し忘れにすぎなかった。だが、文字が生まれ、そして必然的にそれが永遠を夢想させる石と結びついたとき、歴史は誕生した。石盤に描かれているのは、無限に続く現在である。瞼を閉じる。瞼をまた開いたとき、そこに変わらず痕跡が残っていれば、それだけで、歴史はもう生まれかかっている。歴史は、その名とは裏腹に、現在に、あるいは眼球に焼きついて消えなかった過去であって、〈歴史の見せる過去とは、本質的に現在なのだ〉。歴史家がそのことを知った時、彼は愕然とする。過去を求めていたはずのわたしはいったい、なにをやっていたのだろうか、と。</p>
<p>わたしは痕跡の概念を好まない。この人間的な概念は、生を蝕むほどに、強力である。痕跡がもたらす過去とは、あくまで現在の影である。これを過去とみなしてしまえば、現在は、その領域を半分失ってしまう。本当の過去は彼岸にあるのに、無数の痕跡が、現在を蝕んでしまう。現在に焼きついた痕跡は、こうしてひとの生を蝕んでいく。われわれは、消え去る権利を失ってしまう。だが、わたしは過去に汚染されていない現在というものがどこかにあることを希求しているし、またそのことを確信してもいる。</p>
<p>しかし、その一方で、生はあまりに儚い。死を前にして、ひとが痕跡を残そうとすることも、もっともな話だ。こうしてひとは、流転し流れ去る記憶の片隅に小さな、しかし不動の石柱（コラム）を立てる。どんどん立てる。かくして、墓が、死が生という狭き領土を埋め尽くし、生はますます痩せ細っていく。</p>
<p>作家はいつも、死と隣り合わせである。死が、作家の仕事の主要な動機であることは、おそらく実証できるテーマだろう。しかし、彼らは、流転する生の孤独の中で、不動の石柱を立てようとするのだろうか？</p>
<p>そうではない。真の作家は、不動の概念など、うちたてようなどと思っていない。真の作家とは、むしろ消え去ることを知っているひとのことをいう。〈ゆっくりと〉消え去ることを知っているのだ。死は、生よりももっと儚い。死は、生よりも猛スピードである。生きるとは、遅さを実現することなのである。</p>
<p>厳密に考えれば、すぐにわかることがある。文字は消え去らないのではない。ゆっくりと消え去るのだ。《声》との違いはそこにある。そのことを知っているひとたちだけが、真の作家なのであり、死と隣り合わせである彼らは、生きているときよりももっと遅い言葉を必要としている。だから、彼らは書く。死に対する遅延、これが生であるなら、死の言葉である文字もまた、死の遅延を実現する。つまり、文学は遅延に、したがって生に奉仕する。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>豪壮な墓が多く並ぶ霊園の片隅で、祖父母や父たちと並んで、彼らの墓よりは頭一つ低い位置に立つ志賀直哉の墓は、消え去ることを知っているひとの墓であった。わたしはそんな風に思った。わたしは思わず聞いた、「芸術とは、一体なんなのでしょうか？」</p>
<p>彼はなにも答えなかった。答えてくれるはずもなかった。わたしはむずかしく考えすぎている。世界はいたってシンプルだ。彼はひとこと、「今日は寒いねえ」と言っただけだった。</p>
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		<title>言文一致論（「精神の歴史」のためのプロレゴメナ）</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Dec 2009 13:20:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
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		<description><![CDATA[ハイゼンベルク(1)の不確定性原理Uncertainty principleは奇妙なものである。この原理を生活レベルに（つまりあえてマクロレベルに）翻訳すればこうなる。われわれがグラスなどの対象をみるとき、目から発せられ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ハイゼンベルク<sup><a name="p01" href="#n01">(1)</a></sup>の不確定性原理Uncertainty principleは奇妙なものである。この原理を生活レベルに（つまりあえてマクロレベルに）翻訳すればこうなる。われわれがグラスなどの対象をみるとき、目から発せられる光がすでに対象を変化させている。厳密にみようとすればするほど、目から発せられる光は強くなり、変化はより大きくなる。したがって、ひとは、根本的に対象を正確に測定することはできない。……</p>
<p>この原理の奇妙さはうえの説明にはない。おそらく大抵は認識論的な話で早合点されてしまう。物事を一種の《虚構》に変えてしまう、こうした観測上の人間的かつ不可避的条件が、《現実に》対象を変化させてしまうとしよう。この論理を突き詰めていくと、どうなるか。たとえば、零点振動と呼ばれるものがある。物質のもっている「温度」は、熱振動によって規定されている。したがって、この振動がなくなるところが、温度の下限となる（-273.15℃とされる）。しかし、ヘリウムなどの原子は、《ハイゼンベルクの不確定性原理のために》、絶対零度というエネルギーが最低の状態でも、実際に振動してしまう（わたしはこういう記述に、ニールス・ボーアを中心としたコペンハーゲン解釈のセンスのよさを感じる）。この地点では、もはや対象に対する人間の《認識》を云々することはできなくなるし、物自体も考えられなくなる。この振動は観測という客観的行為が暗黙に内包している認識論レベルの誤差ではなく、誤差そのものが原子のふるまいだからである。つまり、通常の《学》ならば抹消すべきはずのこの誤差は、積極的な記述なのである。したがって、われわれは、誤差においてむしろ原子を正しく見ているのであり、正しく見ている分だけ、誤差を積極的なもの、つまり《差異》（ドゥルーズ）として、かえって精確に観測しているのである。真の意味での近代合理主義がおこなう観測とは、対象の同定ではなく、むしろ《差異化》である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>議論はあいまいにはなるが、これを実生活のレベルで実感することはたやすい。たとえば免許証や履歴書などで撮影される証明写真。カメラが捉えるのは、《素顔》ではない。カメラのレンズを前にしてひとがどうしてもつくってしまう《表情》であり、いってみれば、ひとが無数につくっている仮面のひとつであるにすぎない。このひとつの仮面にすぎない表情を特権的に《素顔》とみなすこと（そしてカメラの前でする表情以外の表情を表情として《学》からは排他的に規定すること）が、ありもしない国民や国家を仮構する、そして実際に国家はこうした仮定を経て実在してしまう――したがって、国家は認識論のレベルを超えて現実に存在してしまう。</p>
<p>その一方で、アートとしてのカメラがある。この術（アルス）は、まさにレンズの前でひとやものがわれ知らずおこなう《自然》な振動を撮（つか）む術である。そうであるかぎりにおいて、カメラは芸術の手段たりうる。つまり、誤差は、《学》がおこなう同定によって排除され、埋められるべき（なおかつ弁証法的には必要な）エラーではなく、人間が自然界でおこなう差異として、レンズと被写体のあいだで積極的に把握される。簡略化していえば、国民国家が欲しがる《素顔》は、変化のなかに不動のものを見つけ出すことであり、アートの欲望する《表情》は、変化に継ぐ変化という、一種の振動である。アートは、ひとが《素顔》だと思っているものさえ、次の変化を期待＝欲望させる《表情》に変えてしまうのだ。</p>
<p>これは、知と美、そして自然とが結合する、このうえなくプラトン的な世界である。ここでは、差異の大きさや小ささは問題ではない。この大きさをめぐって、モダンとポストモダンのあいだで不毛な議論が交わされたが、問題は、差異（あるいはエノンセ）の希少性である。差異（あるいはエノンセ）は、《希少なもの》ほど知的であり、美しく、かつ自然である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>わたしがハイゼンベルクの議論をアナロジーとしてとりあげたのは、自著『精神の歴史』で論じた言文一致論をできるだけ直観的に説明するためである。この問題をあつかったのは主に三章だが、この章は、おそらくやや難解だろう。この議論を丹念に追うかぎり、柄谷行人やジャック・デリダの議論、あるいは国民国家論を突破する理論的可能性が含まれている。</p>
<p>柄谷によって、近代文学者がおこなった言文一致運動は、国民国家の確立にかかわるネガティヴなものとして評価されることになった。デリダの議論（すなわち、過去に汚染されていないピュアな現在という、現実から乖離した形而上学を形成する、《自分の語る声を聞く》音声中心主義に対する批判）を借りつつ、彼は、話し言葉と書き言葉を一致させようとする言文一致運動が、閉じた現前の共同体を作りだす論理的前提をなしたと考えたのである。彼らの議論にしたがうなら、声と文字とを同一のものとしてあつかうことはできない。本来は維持されるべき、声と文字の存在論的・時間的差異（＝差延）を、等閑視することによって、言文一致という虚構は可能になるのだ。すなわち、真でもなく、偽でもなく、真らしくみえるもの<sup><a name="p02" href="#n02">(2)</a></sup>を作り出す言文一致運動は、あるかなきかの内面や《素顔》を、そしてついには国民Nationを仮構してしまうと考えられたのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>だが、この議論そのものがおかしいと、わたしは感じるようになった。本当に芸術はそのようなことをおこなうだろうか（わたしのスタイルとして、歴史上の出来事を批判するために史料を読むようなことはしない。肯定したいからだ）。だからもう一度、彼らの論理を追っていかねばならない。</p>
<p>もしかりに、柄谷らがいうように、言文一致運動が国民国家を作りだしたというのなら、本来なら不可能である声と文字の完全な一致が、まがりなりにも実現したということを意味する。しかし、もちろん、それは背理である。だとするなら、どこかに嘘があったことになる。言文一致などそもそも可能ではないのだから、言文一致運動が嘘をついたとしか考えられない。本当は話し言葉そのままの記述などありえないし実用的でも実際的でも実践的でもないのだから、完成していないものを完成したと言っているだけなのである。つまり、虚構であり、もっとオブラートに包んだ言い方をすれば、想像上の出来事である。だとするなら、国民国家など実現していない、ということだろうか？　そうではない。国民国家ができあがるのは、まさにここ、すなわち「想像」においてなのである。虚構として、想像力の産物として、国民国家は規定される。</p>
<p>しかし、《言文一致が実現した》という嘘が嘘である限りは、すくなくともその時点では「言説」、それも対象なき言説だったはずである。つまり、《言文一致の完成》は、いったい誰が言い出したのか、ということが問題になる。この完成を言説として実現した主体が、国民国家を仮構したと考えていいはずである。本来あるべきでない、そうした虚構が成立しているとするなら、そもそも、この運動を終わらせたのは誰なのか、という問いが次にあるべきなのである。言文一致運動の担い手が文学者だったというのは確かであり、彼らはその唱道者である。だが、そのことと、《言文一致運動を終わらせた人物》が同じであるという保証はまったくない。柄谷は、この主体の差異を完全に無視している。その点では、柄谷は、結果から物事をみることに疑問を抱かない歴史主義者と同断である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>19世紀末の言文一致運動がどのようなものであったか、材料（資料）は二つで充分である。ひとつは、当時の文学が《写実主義》であったこと。そしてもうひとつは、山田美妙の以下の発言である。</p>
<blockquote>
<p>今日の俗語ハ明日の古語となる。</p>
<p class="post-r">「言文一致論概略」『学海之指針』1888年2-3月</p>
</blockquote>
<p>この発言を、厳密に読めば、すぐにわかることがある。言文一致運動が写実主義の運動である限り、これは終わりのない運動なのである。なぜなら、作家が今日の俗語とみなし、写実したものは、明日には古語となっているからである。作家が作家であるかぎり、彼はこの無限の運動に与している。作家は、《自然》同様、たえず変化する言葉によりそうことは考えていたとしても、その《素顔》を仮構しようなどとは考えていない。彼らが捉えようとしていたのは、《素顔》ではなく、《表情》である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>テープやＣＤなどに録音された声は、もちろん、自分の考える「自分の声」とは違っている。だが、だからといって、即座にそれを自分の真の（客観的な）声だとみなす必然性はないし、また、逆に自分が自分の声だと思っていたものを主観的なものとして排除する必然性もない。たんに、それは、記録媒体を前にして（無意識だったとしても）、自分が選び選ばされた声色のひとつであるにすぎない。自分の耳とマイクが拾う声が違うのは当然であって、それぞれが、質的でも量的でもない、たんなる差異として現実化しているだけである。われわれは、どんなに「自分の声」をその中心において出したとしても、結局は《振動している》。そして、われわれは、この変化のただなかにおいて、自分の声を自身の所有物としているのである。カント風にいえば、これが超越論的統覚というもののはたらきである。</p>
<p>作家もまた同じである。作家が、言文一致を実現しようとしているとしても、それは、柄谷が思うようにではない。もっとファジーな集合であって、むしろ、変化する言葉に寄り添い、その変化を予測し、そしてときにはその変化を追い越しさえしようとしている（明日の古語とならないために<sup><a name="p03" href="#n03">(3)</a></sup>）。これが「一致」の真の意味である。要するに、作家が目ざす言文一致とは、完全な一致ではなくて（そんなものは馬鹿げている）、《差分》を実現することなのである。「今日」と「明日」、「俗語」と「古語」の差異、ハイデガー的にいえば（デリダの差延とは区別して）存在論的・時間的差異を、作家は、原理的に拒絶することはできないし、しようとも思ってもいない。むしろこれを把持したまま表現することが、高次の言文一致の目ざすところである。作家の言文一致そのものが、書き言葉の《振動》を実現するのであり、またそのことによって、《素顔》となりかけたそれを《表情》に変えるのである。批評家は、こうした《差分》を虚構だというのだが、それは、ピカソやクレーの絵画を虚構というに似て、なんの意味ももたない。また、作家が他人と同じ文体をとることもまずありえない。基本的には、彼ら自身の文体を《未来の言文一致体》として実現することを欲している。言文一致運動は、その主体が作家であるかぎり、本質的に終わりのない運動なのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>戦前の公文書で、言文一致体が使われていることは稀である。なぜなら、言文一致体は、その理論からして当然のことだが、時期に応じて変化してしまうからである。現在から過去がクロノロジカルに見渡せなければならない公文書において、変化そのものを《法ノモス》とする、異様な言語体系は適さない。テンス（時制）が機能しないのである。したがって、学問上の課題として言文一致を目指した学者は、物集高見が好例であるように、挫折し、転向している。また、積極的に唱導した学者も、結局は譲歩を余儀なくされている。彼らが排除しようと願った漢字は残ったし、仮名の改良もかなわなかった。教科書問題やジャーナリズムの要請に譲歩を重ねた結果、暫定的な代物を公定の言文一致体とせざるをえなかったのである。</p>
<p>だが、それでも19世紀の学者は諦めたわけではなかったし、現実問題として、公文書ではあまり使用されることもなかった。逆に言えば、戦前の政府ほど言文一致体を使用していなかった領域はないのであって、柄谷の議論を適用すれば、ナショナリズムと政府は現実には無関係だという議論に帰着しかねない。言文一致体に対する抵抗を柄谷は評価するが、だとするなら、政府官僚こそ、もっとも評価すべきだ、という転倒した議論がまかりとおってしまう。繰り返すが、戦前の政府は言文一致体を使用していない。このことは、言文一致体を完成されたものとして（終わりにおいて）規定しようとする《学》や国家の論理が、言文一致の本質そのものと相容れないことを意味する。言文一致体は、それを厳密に規定しようとすればするほど、《振動してしまう》。なぜなら、その規定自体が、言文一致体で行なわれねばならず、結果的にありうべき言文一致体を変化させてしまうからである。言文一致運動ほど、国家の論理に反しているものはないのである。ともあれ、それが一変する事態が訪れる。敗戦期である。この時期から、公文書においても、「言文一致体」が使用され始める。</p>
<p>いつのまにか、暗黙のうちに《言文一致体》という同意が形成されていたのである。国家が言文一致体を用いるということ、それは裏を返せば、言文一致体が、本来あるべき変化をやめてしまったことを意味する。同意を形成したのは、いったい誰か。作家ではない。なぜなら、作家は、他人のつくった《言文一致体》など究極的には認めないからだ。とすると、あとは一人しかいない。すなわち、《読者》である。作家の言葉を模倣した読者であり（それはプラトン的にいえば模倣の模倣であろう）、彼こそが、《言文一致が実現した》と見なした者なのである。ならば《読者》とは誰か。《純粋な》読者とは、小説を書かなかった書き手たち――批評家である。ならば、国民国家を作ったのは、はたして誰か……？　もはや語る必要はあるまい。</p>
<p>結局、国民国家は、作家に、次の条件を示した。《わかった、言文一致体を採用しよう、ただし、それは作家たちがその運動をやめるかぎりにおいてだ》。もちろん、戦後の作家たちがこの条件に同意したかは不明である。だが、結果的に、この運動は、終わりを遂げたと考えて、間違いないだろう。作家は、「言文一致体」の採用を餌に、国民国家によって息の根を止められたのである。要するに、言文一致運動は、終わることによって、ただひとつの、そして千の仮面である《表情》を、《素顔》にしてしまうのだ。</p>
<p>ここには、生気を欠いた暴力、すなわち権力がある。この権力がもたらす重力圏から、戦後の作家は逃れられなくなってしまった（というか、自らの文体を追求することでそこから逃れる、という主題をもっていない）。言葉は、いつも、教科書やアカデミズム、ジャーナリズムといった重力の中心に収束する――といっても、それは国家がつくる見かけだけのことである。言葉は本当は変化することをやめたりはしない。作家による導き手を失った言葉は、たんに堕落し衰弱していくのだ。そして偽の問題構成が形成される。堕落した若者の言葉づかいか、それとも古い「常識的な」言葉づかいか。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>柄谷をはじめ、多くの批評家や学者は、《言文一致体》の完成者を、志賀直哉や武者小路実篤らに代表される白樺派にみている。『白樺』で用いられた文体を、今日われわれが書く「話し言葉」の典型とみなしている。とはいえ、当時彼らが言文一致運動の尖端にいたことが確かだとしても、それを終わらせたと考える必然性は、むろんどこにもない。たんに、彼らを超える作家が出なかったというにすぎない。武者小路はこう言っている。</p>
<blockquote>
<p>自分は俗衆に理解された時、芸術は使命を果し、同時に価値を失なうものと思つてゐる。</p>
<p class="post-r">「六号雑感」（「自己の為の芸術」）『白樺』第2巻第11号、1911年11月</p>
</blockquote>
<p>この武者小路の発言は、さきの美妙の発言と共鳴している（というか、それを芸術全般に拡張したものだ）。かくして100年前に始まった白樺は、戦後、芸術としての生命を終えた。だが、彼らはそのことによって、別の始まりを促していたのである。なぜなら、掴んだと思った芸術は、原子の振動に似て、ひとの手を離れて飛び退ってしまうからだ。したがって、問題は、彼らの放った曲がった矢をみて、嘲笑を浴びせはしても、誰も拾わなかったことである。</p>
<p>ひとは批評家で終わってはならない、という論理は、このことから帰着する必然的なものである。われわれもまた、矢を拾い、番え、そして放たねばならない。犬のディオゲネスのいった「言いたいことを言う」自由は、自分の文体＝生のモードを実現するというそのことによってのみ、可能になる。</p>
<p><a name="n01"></a></p>
<h2>【註】</h2>
<ul>
<li class="note"><a href="#p01">(1)</a> かつては、西のハイゼンベルク、東の湯川秀樹といわれた。わたしは前者の書物からゲーテを、後者の書物から荘子を学んだ。</li>
<li class="note"><a href="#p02" name="n02">(2)</a> 「真らしくみえるもの」については、『パイドロス』のなかでソクラテスがよきものに分類していた点に注意されたい。ここでは論理の展開上、デリダ主義的な議論（可能性であるが不可能性でもある）に従う用法をおこなっているが、わたし自身は「真らしくみえるもの」について、ソクラテスの意見に同意している。イデアの追究とは、つまるところ「真らしくみえるもの」の追究でもある。</li>
<li class="note"><a href="#p03" name="n03">(3)</a> 作家の言文一致運動はカント風の統整的理念にもとづいているのではない。むしろ、言文一致はたえず、しかもいたるところで実現している。ただ、実現した瞬間に、対象のほうが遠ざかってしまうのである。</li>
</ul>
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		<title>もうひとつの近代、あるいは出来事の学についての覚書</title>
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		<pubDate>Thu, 19 Nov 2009 15:48:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[Althusser]]></category>
		<category><![CDATA[cogito]]></category>
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		<category><![CDATA[Descartes]]></category>
		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>
		<category><![CDATA[phonogram]]></category>
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		<category><![CDATA[Science of Incidents]]></category>
		<category><![CDATA[Spinoza]]></category>
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		<description><![CDATA[1619年11月10日、ドナウ河畔ウルム冬営の夜、デカルトは《われ》を発見した。その時、彼に一体なにが起こったのだろうか。われわれは、これを近代の始まりとみることに慣れている。近代とは、神のものでもなく、王のものでもない [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>1619年11月10日、ドナウ河畔ウルム冬営の夜、デカルトは《われ》を発見した。その時、彼に一体なにが起こったのだろうか。われわれは、これを近代の始まりとみることに慣れている。近代とは、神のものでもなく、王のものでもない、《主観を中心とした合理主義》の世界の始まりである。それはカントの《純粋悟性》に、そしてヘーゲルの《概念》に変奏され、資本主義および戦争という二つの車輪をもって猛烈なスピードで回転する車軸となった。</p>
<p>あの夜のデカルトの発見を近代の始まりとみるその視線は、すでに反省的なものである。彼の発見は、どう考えても、近代とも、近代文学とも無関係のはずである。彼の発見を近代と結びつけているのは、端的に後世のわれわれである。だが、そのことを見えにくくしてしまうのは、彼の発見に、「ゆえにergo」が含まれていたせいである。われわれが近代の「原因」をコギトに見いだすその所作が、彼のいった「ゆえに」に転嫁されてしまうのだ。</p>
<p>だが、「ゆえにergo」を因果律として捉えているのは、われわれであって、彼ではない。そうした読解は、歴史主義でありすぎるし、また同時にテクスト主義でありすぎる。「ゆえに」は、彼のコギト（Cogito）の単独性を、屈折を孕んだ個別的な認識（Cognitio）に変えてしまう。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>われわれは、彼のコギトに、《出来事》をみる。「ゆえに」は、次の表象を導く《とand》であって、彼の「われあり」の《実感》を主体に折り返す屈折は必要がない。つまり、彼はあの夜、たしかに、出来事として存在していた（だから存在などという用語はふさわしくないし、現在を起点とする過去形もふさわしくない）。彼の猜疑心は、あの夜、ついに頂点に達した。彼の抜け目ない猜疑は、最後まで見落としていた蒙（くら）い中心、すなわち己に達したのである。彼は、消え去り、口だけの怪物になって、こう言ったのだった。</p>
<p class="post-c">「われありとは、われ思うのなかに消え去ることだ！」</p>
<p>コギトとは、懐疑の完成であり、虚無（ニヒル）ではなく、真空を実現することである。ヘーゲル弁証法が頭で立っていることを発見したマルクスに習っていえば、カントのデカルト読解はさかさまである（マルクスを賞賛する多くの人が、カントの読解がさかさまであることに気づかないのはどうしたわけか）。しかし、カントのおかげで、じつは、懐疑を完遂するためには、「われ」を疑うだけでは不十分であることがわかる。「われ」は、その他の表象のように、疑うだけでは消え去ったりはしないからだ――というのも、「疑うわれ」がどうしても存在してしまう。むしろ、「われあり」を「われ思う」のなかに取り込み、存在ごと思惟のなかに抹消しなければならない（デカルトが、「われ疑う」ではなく、「われ思う」といっている点に注意しよう）。</p>
<p>こうした思考は、むろん、《主体＝Je》ともかけ離れているし、《存在＝suis》ともかけ離れている。歴史がついにたどりつくことのできないものが、すでに消え去った過去なのだとすれば、コギトは歴史とも無関係である。なぜなら、コギトとは、自ら消え去る《出来事》の謂いだからだ。痕跡を欠いた彼のコギトの真の《意味》は、歴史のなかに消え去ったのである。彼は消え去ることで、《近代》とは別のパラレルワールドを切り開いた。すなわち、《文学》の世界である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>批評家や学者には、この出来事の響きは聞こえない。なぜなら、彼らは、コギトを、《読んでしまう》からだ。消え去ることのない、痕跡（あるいはエクリチュール）としてのコギトは、再認、つまりCognitioを可能にしてしまう。だが、ついにインコグニートに終わるデカルトのコギトは、消えていく声、波動の世界のなかに存在している。だからニュートンが見出した光がデカルトには見えなかった。デカルトの懐疑は、とりわけ光に向けられている。彼の猜疑が実践していたこと、それは光を色彩に変えることだった（つまり闇に色彩を見いだすことだった）。</p>
<p>しかし、批評家や学者、すなわち読むひとたちは、色彩を光とその影に変えてしまう。彼らは色彩に分割線を引き、認識のうちに色彩を奪取する。これがカントである。色彩は、光と影の両極に結わえられた弁証法の運動と重なる。これがヘーゲルである。結局のところ、合理主義が行なうことは、闇を影に変えることであり、光から色彩を抜き取ってしまうことであり、声を刻印されたものに換装することである。むろん、それはデカルトから始まるのではない。むしろ、デカルトのコギトを《テクストとして読んだ》者たちから始まるのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>天才スピノザ。“Ego sum cogitans”という読解が示すように、彼は、デカルトのコギトを、テクストとして読まなかった（わたしの読解とは多少異なるが）。彼は「ゆえに」を忠実に読むことを遠ざけた。なにより、デカルトに対して忠実であるために。「われ思うゆえにわれあり」が証明ではないとすれば、それはデカルトの《実感》以外のものではないし、合理的なものではありえないだろう。むしろ、「われ」に対する信仰に似通ったなにかである。デカルトを肯定し続けたスピノザが見いだしたのは、《実感の論理学》（ドゥルーズの言い方でいえば、「感覚の論理学」）、すなわち、非合理的なものの合理性である。</p>
<p>われわれは、非合理的なものの合理性を追究すること、こちらを《西欧合理主義》と呼ぶべきだと考える。それは、非合理的なものと合理的なものとを裁断することではないし、そんな思考は、近代西欧以外のどこにでもありふれたもので、堕落したものである。《西欧合理主義》の驚異は、むしろ、非合理的なものと合理性を完全に接合してしまったことにある。《魔法とは、科学のことだ！》　彼らは、要するに、闇に色彩を見いだしたのである。それは粒子のなかに波をみつけることであり、この別種の合理主義は、おそらく色彩と音楽とに関わっている。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>われわれが目ざす《出来事の学》もまた、ここにある。たとえばアルチュセールは、スピノザに非科学的なものの科学を見出した。つまり、科学的ではありえない歴史を科学する可能性を、彼に求めた。だが、われわれは、それは端的に、《文学》のことだと考える。スタイルとは、まさに感性において作動するものであり、反省的な視座から生まれる歴史とは、ついにかかわりを持たない。そのことによる利点もある。それは、主観やイデオロギーにまでは至らない、独特なものの見方、すなわち《方法》を提供することである。</p>
<p>スタイルにとって、歴史観やイデオロギー、そして主体は、あまりに屈折したものである。よくある誤解は、堕落した合理主義から見られたものだ。つまり、イデオロギーや主観を批判するあまり、方法まで捨て去ってしまうことである。文学的な用語でいえば、作者や主体を非難するあまり、文体まで捨て去ってしまうことである。事実を過信する、あまりに粗雑な合理主義は、たしかに最後に主体（主観）を攻撃し始める。だが、そうした攻撃は、本来味方であったはずの方法や文体まで消し去ってしまうのである（今日、「デカルト」は、こうした粗雑な堕落した合理主義の別名となっている）。その結果が今日の実証主義であり、また今日の虚構＝私小説である。そこでは、真理ならぬ事実だけが散乱し、結果として、事実が真理に偽装され、巨大で不可視のイデオロギーと化してしまう。そこでは、事実を照らす報道だけがあるのだし、その反対側に、徹頭徹尾の影としての虚構がある。</p>
<p>しかし、歴史観やイデオロギーを非難するためとはいえ、方法まで捨て去ってはいけないし、主体や技巧を非難するためとはいえ、文体まで捨て去ってはいけないのだ。文体は、悟性や理性にまでは到達しない、感性的な刺激のうちに存在している。感覚が織りなす複雑な角度が、感情＝文体を実現する。感情といっても、身体の奥深くに蓄えられたルサンチマンとは無関係である。それはいわばテニスのラケットであり、知的に研ぎ澄まされたさまざまな角度や早さが、多様な感情を実現していく。だから、感情は、感官に与えられた刺激を純粋悟性で解釈することとは無関係である。もっとすばやい。たとえば、高貴なひとは、怒りをこらえたりはしない。避けるべき怒りであれば、それをいなすのだし、仮にこらえることがあったとしても、それはあくまで、来るべき怒りを増幅させるために、敢えて行なっているのだ――たとえば、オデュッセウスのように（ニーチェがいうように、カントとは、そうした怒りをいったん悟性に蓄積し遅延させる効果のことである。また、その点からすれば、無意識とは、要するに、大脳皮質の外側にある人間の皮膚感覚のことである）。だから文体は方法同様に、主体よりもむしろ実践と結びついている（志賀直哉はいっていた、「歴史など書き換えてしまえ！」）。文体が実現するのは、言葉の色彩であり、言葉の音楽である。</p>
<p>文学が文体に関わるものであるかぎり、さまざまな生の技法を実現する。そしておそらく、そこにのみ意志をもつのが、純文学である。この学は、歴史とはついにかかわらないし、主体（人称）とも無関係である。むしろ、端的に、出来事の学であることを欲している。フランス語で書かれたJe penseとは、まさに、「われ」すなわち主体を抹消するための、デカルトのスタイルだったのである。</p>
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</div>
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		<title>歴史のエチカ</title>
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		<pubDate>Mon, 07 Sep 2009 01:23:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[history]]></category>
		<category><![CDATA[Carr]]></category>
		<category><![CDATA[Ginzburg]]></category>
		<category><![CDATA[Historical Pyrrhonism]]></category>
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		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>
		<category><![CDATA[text]]></category>
		<category><![CDATA[白樺派]]></category>
		<category><![CDATA[批判]]></category>

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		<description><![CDATA[歴史を生業にする者にとり、過去は偉大である。ときに圧倒的な尊敬の対象である。だから、史料を読むとき、批判から始めることはない。歴史家の前に、過去は問答無用の確信を迫って現れる。《常識》が遠ざけたがる奇妙な記載は、本当に不 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>歴史を生業にする者にとり、過去は偉大である。ときに圧倒的な尊敬の対象である。だから、史料を読むとき、批判から始めることはない。歴史家の前に、過去は問答無用の確信を迫って現れる。《常識》が遠ざけたがる奇妙な記載は、本当に不思議なことだが、かえってそうであればあるほど、事実であることを強く主張する。たとえば、箸墓古墳は卑弥呼の墓であるし、秀吉の一夜城はどう考えても事実である。こうした記載を現在の歴史家が非難しているのをみると、軽い眩暈を覚える。やや強い表現を許してもらえるなら、「君は歴史家としてのセンスを欠いている」、と言いたくなる。厳密に考えれば、歴史家の仕事とは、ありそうもなかったことを証明することである。ありそうもない奇想天外なことを、暗黙のうちに現在の常識に照らして「なかった」などということは、間違っても歴史家の仕事ではない。しかし、多くの場合に当てはまることだが、学者と名の付く連中とは、まずもって疑う種族である。彼らは、若きデカルトよろしく、懐疑という、行為なき行為しか知らない。</p>
<p>どうしても歴史上の登場人物や事件を非難したいなら、自己批判を含む形に限定されなければならない。なぜなら、われわれは、非難すべき記載に結実した他人の事情を、本来的に知りえないからである。また、テクストから実態を引き出すことが許されるとしても、そうして構成された実態は、因果律の原則からいって、テクストに結実した事情を《やむをえないもの》としてしか提示しないからである。そして、歴史とは、その総体が《やむをえないもの》、つまり運命である。ひとはこの運命から逃れることができないし、過去の非難は無意味である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>自己批判ならざる批判は、多くの場合、世代論に収束する。歴史の対象を非難するにせよ、あるいは先行研究を非難するにせよ、いずれもが世代論である。自己批判を含まない、歴史（学）の対象への非難は、多くの場合、子の親に対する非難（あるいは賞賛）と変わらない代物であって、いっときの慰めにはなったとしても、社会的な価値はほとんどない。世代論は、子の親に対する甘え以外のものではない。その点では、わたしはギンズブルクやカーに反対する。歴史は裁判ではない。歴史は過去を断罪できないし、対話を実現するような異議申し立てもしない。《批判》が密輸入されないかぎり、そこには弁証法の余地はない。歴史が行なうのは、事実上、賞賛と沈黙だけである（しかし、ひとはその状態に満足できないし、歴史は必ず《批判》を密輸入する……）。</p>
<p>批判の対象がたえず自己であるとは、どういうことか。こうだ。戦争中毒からなかなか抜け出せない人類の一員として自らを認め、そのうえで過去の戦争を非難する、ということである。これは、当然推奨される。しかし、このことから、次のことが帰結する。すなわち、その対象は、過去にではなく、現在に所属している、ということである（ここから次の命題が成立する――現在の常識に照らして容認できる記載ほど疑うべきである）。そのため、対象が現在にあるのか、過去にあるのか、という分類にたえず気を配っていなければならない。多くの場合、われわれが過去だと思っているものは、現在である。また、そこから、現在と過去の分岐がどのように行なわれるのか、という哲学的な要素にも、意を注ぐべきだ。現在はどのような時代なのか、というジャーナリスティックな問いにも敏感たらざるをえない。そうした配慮は、結局、われわれを歴史学から遠ざける。批判は、本物の歴史家（たとえばニーチェやフーコーのような）の行為リストのなかに、入っていない。</p>
<p>（ところで、哲学は、歴史と違ってなにを行なうのか、と問われれば、ひとつには、批判を行為に変えること――別の言い方をすると、批判を臨界に立つことにかえること、と答えよう。歴史は、本質的に実験＝実践不能の概念である。自然科学と異なり、対象を実験によって証明することはできない。したがって、歴史を現実に適用するためには、どうしても歴史から離れた哲学が必要である。）</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>そして、政権交代があった。この事件には、多くのひとが、《戦後》の終わりを強く感じているはずである。もはや戦争は、歴史となった。かくて、戦後の終焉とは、歴史学としては、次のことを意味する。戦争協力の名の下に、即座に対象を非難し、断罪することは、もはや許されない。そうした行為が、まがりなりにも自己批判でありえた時代は終わった。逆にいえば、戦争に協力した知識人を非難することが価値をもった時代、それが戦後であった。</p>
<p>たとえば丸山真男や吉本隆明、江藤淳は、そうした時代の中心に位置する人物である。このような時代において、戦争協力を行なった、という事実（その内容がいかなるものであれ）をもとに、対象を規定していく三段論法（循環論法）が容認された。すなわち、こうだ。彼は戦争に協力した。それゆえに彼の思想には戦争に協力してしまうような悪しき要素があったことが仮定できる。したがって、彼のような思想は、ひとが選択すべきではない、悪しきものと判断すべきである（ましてや、彼は高い地位にあった）。そうした思想を抱いていたからこそ、潜在的にも顕在的にも彼が戦争に協力していたことが認定できる。……</p>
<p>もっとひどいものでは、思想のなかから、どのような形であれ戦争協力（あるいは帝国主義やロマン主義）の痕跡を探し当てさえすれば、充分に批判として許容された。そしてあろうことか、近代の歴史は、すべてこうした戦争協力の下準備として解釈される傾向さえ、有した。いずれにしても、当の思想や行為がどれほど謎めいていたとしても、その背後に植民地であるとか戦況であるとか、ともかく実態を持ち出しさえすれば、ひとは胸をなでおろしたものである。ああ、やはり彼も戦争に協力していたのだ、これはそうした狂気に属するのだから、われわれの選ぶべき思想・行為のコーパスから取り除いておけばよい、と。戦前の思想には、異常に複雑な強度があるが、これを神秘主義の名の下に片付け、神秘主義だから狂気であり戦争協力の一端を担ったとする規定は、あまりにたやすく受け容れられた。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>今日では急速に意義を失いつつあるこうした論法は、どのような時代であろうと、本来は許されないはずである。やや物騒な言い方になるが、わかりやすくいえば、こうだ。彼はひとを殴った。つまり彼は悪人であると仮定できる。したがって彼は悪人である（ましてや、彼は高い地位にあった）……。繰り返すが、もし、こうした論法に価値を認めるとするなら、自己批判が含まれていなければならない。その点では、兵士として戦争に参加した丸山真男らは微妙な世代であるが、それよりも重大なことは、当時が、そうした世代論を容認する状況だったことである。というのも、たとえば志賀直哉が公用語をフランス語に変えようとしていたように、上の世代の多くが、新しい世代が日本を根本的に作り変えてくれることを願ったからである。公平な目で多くの事例を紐解くと、少々浅い批判だろうが、戦前の世代はそれを許したようにみえる。</p>
<p>京都学派や白樺派のひとびと、あるいは小林秀雄らを、戦争協力の名の下に一刀両断にした戦中派や戦後派には、今日からみると、どうしても理論的な浅さを感じざるをえない。たとえば、作家としての死を賭けて志賀直哉を批判したような、戦前デビュー組（相当に大雑把な分類だが）である織田作之助や太宰治、あるいは川端康成のような覚悟は、戦後デビュー組にはまったく感じられない。</p>
<p>ここには、思考の空洞というべきものが広がっている。この空洞こそ、戦後である。だが、それは、戦後がもった悲劇でもある。わたしはその意味では、彼らを批判しない。ただし、こうした古い思考が無条件に賞賛される《現在》があるとしたなら、それは強く非難されねばならない。というのも、そうした賞賛（裏返しの、安易な戦争協力批判）は、世代論に回収されるような、より遠い過去を見る際の怠慢しか生まないからである。しかし、あろうことか、今日では、こうした空洞になんらかの意味を見つけて空洞を広げ続けるような、滑稽な悲劇が瀰漫しているのを見るばかりである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>P.S. ありうべき誤解を避けるために一言しておく。わたしはアナキストであって、左翼ではない。しかし、左翼に同情的である。だからこれを書いている。どうか、彼らが、こうした時代感覚を持たんことを……。</p>
</p>
<div class="post-rl">
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</div>
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		<title>小林多喜二讃</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Jun 2009 09:12:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[empirisme transcendental]]></category>
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		<category><![CDATA[プロレタリア文学]]></category>
		<category><![CDATA[マルクス主義]]></category>

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		<description><![CDATA[小林多喜二を読んでいると、いかに《文学》が神聖なものだったかを、強く感じさせられる。共産党の活動の奥深くに食い込んで非合法生活をつづけるなかで、それでも彼は最後まで筆を手放さず、自分の目と耳と指とを信じ続けた。だから、自 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="post">
小林多喜二を読んでいると、いかに《文学》が神聖なものだったかを、強く感じさせられる。共産党の活動の奥深くに食い込んで非合法生活をつづけるなかで、それでも彼は最後まで筆を手放さず、自分の目と耳と指とを信じ続けた。だから、自分の仕事を神聖なものにしたいと思うときにめくる本のページのひとつが、彼のいくつかの小説である。<br />　久しぶりに読んだ「党生活者」が心を打つ。わたしの両親が、自分の仕事の価値を理解していないことはあきらかだが（べつにわかってもらおうとも思わないが）、そういうことも相俟って、彼と母親とのやりとりが、胸に響いてくる。虐殺されたとき、たった２９歳だった。もう彼よりも年嵩になった。いまのわたしよりも４年も先に逝った彼には、約束された広大な未来が広がっていたのに。彼のことを思うと、たまらなくなる。戦後、非転向組はほとんど神格化されていたし、そういうひとたちにうんざりしていた気分もわからなくはない。が、いまとなっては、転向か、非転向か、というような戦後の政治主義的な問題構成はもう気にする必要はないだろう。そうした政治主義的問題構成の影で忘れられてしまった、彼の文学の中心に思いを馳せる方が、ずっと重要なことである。マルクス主義でさえ、この際、どうだってよかった。たしかに、彼は思想に殉じた男だ。といっても、その思想は、マルクス主義ではなかった。むろん、戸坂潤がいうような、「思想文学」でさえない。彼はただ、《文学》そのものであるような思想に殉じたのである。
</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p class="post">
言葉があってはじめて、嘘が生まれる。言葉のないところには、嘘は発生しない。イヴが食べた林檎に、なにか特別な魔法があったわけではない。禁を犯したことを隠して嘘をつく、当のそのことが、ひとに、知恵と同時に悪を授けた――要するに、ひとはこのときはじめて、言葉を喋ったのである。ひとが喋った最初の言葉は、「嘘」だった。ひとが背負った原罪の引き金になった林檎とは、とどのつまり、言葉のことだった。だが、不思議なことだが、嘘が嘘であるためには、ひとは、言葉が実在することを、一度は本気で信じなければならない。そうでなければ、ひとに嘘を吐くことはできない。そして自分で自分を信じるこの強い欲望がなければ、ついに言葉は、最後まで嘘のままなのである。これは、不思議なことではないだろうか。嘘とは、いったいなんなのだろうか。そして、もっと不思議なことだが、「本当のことを言う」とは、いったいなんなのだろうか。……それでよくよく考えていくと、おそらく、ひとは、本当のことが言えるし、じつは、本当のことしか言わないのではないだろうか……。<br />　初期のヴィトゲンシュタインは、不可知なものに対する絶対的な沈黙を説いた。だが、ひとは、にもかかわらず、沈黙を破ろうとするだろう。それが不可知である以上、それに対する言葉はいつも嘘となるに決まっている。それでも、ひとは、その嘘が真理であることを願うのだ。はるかな未来に、人類が認識を拡張することを願うのだ。言葉に対する疑惑の目を、つまり懐疑を、言葉はきっと乗り越える。ひとはひとを超えてゆく。ひとはそれを、革命と呼ぶ……。
</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p class="post">
まだ２６かそこらの若者が書いた「蟹工船」は、たしかに、若い、という感じを抱かせる部分が多くある。ナラティヴのなかに北海道弁が唐突に出てくるところも愛嬌とはいえ不用意であろう。リアリスティックな視線の透徹に感心した矢先に、（よく指摘されていることだが）きわめて図式的なマルクス主義的ドクマがやや辟易するような単純さで現れたりもする。本来小説が排すべき勧善懲悪が目に付くのもよくない。「蟹工船」だけではない、遺作である「党生活者」に至るまで、彼の《文学》を濁しているのは、まさに、このマルクス主義といってもいいすぎではない（むろん、前途有望な若者に直接手を下したのは国家だが、共産党は無自覚の共犯者のようなものである――といっても、こういう言い方を多喜二は喜ばないだろう）。だが、そのことは、べつに彼の小説の価値を下げはしない。というか、上記の非難はそうとうに野暮なものである。むしろこの若さは、非常に好感を抱かせるものだ。それが弱点になっていないところが、この小説の最大の魅力であろう。この若さは、狂熱的だけれども、どこか清々しい。深刻なことを書いていても、彼の作家的無意識（＝破砕された自意識の欠片のようなもの）が軽快さを失わない。やや浅薄な図式を本当に受け容れる彼の果断さは、むしろ《文学》的だといってもいい。だから、彼は、表現がやや稚拙になろうが、仲間が葬られた冷たい海の向こうの「カムサツカ」半島に、労働者たちを渡らせるのを躊躇わなかった。けっして、ロシアや中国は、《こちら側》から想像するだけの世界だったのではない。自身が積み上げてきたリアリズムが犠牲になるのもおかまいなしに、彼は勇気をもって、しっかりと《向こう側》も書いた。だからこそ、わたしは「蟹工船」を讃えるのを惜しまない。彼は、「カムサツカ」という彼岸に渡ったのだ。</p>
<p class="post">
彼は、幸か不幸か、マルクス主義に生涯を捧げることに《文学》を見てしまったひとである。先輩プロレタリア作家である葉山嘉樹（多喜二をすでに読んだひとには、葉山の「海に生くる人々」もお薦めする）と同時に、志賀直哉からの影響も隠さない彼は、おそらく、マルクス主義運動のなかに、もはやマルクスの名を借りる必要などなかった微細な一部分に、志賀直哉を発見してしまったのだろう。かくして、政治と文学は、多喜二のなかで、ひとつになった。よしきた、あとは書くだけだ！　彼は、マルクス主義よりもなによりも、言葉の力を信じた男だ。ひとを社会人にみせかけるくだらない弁証法は、もはや必要がない。弁証法を弄する奴は、結局なにもしない！</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p class="post">
「党生活者」において、多喜二のナラティヴは、もはや主観描写とも客観描写ともいいがたい、きわめて異様な人称に到達している（ドゥルーズのいう超越論的経験論がこれに当たる）。これを書いているのはいったい誰なのだろうか。きわめて不思議な感覚が読者を訪れる。たしかに彼は、マルクス主義を信じている。運動が成功することも信じている。だが、同時に、この運動がかならず失敗することも知っている。マルクス主義の理論を疑わない彼は、そうすることで、この運動の欠陥を指摘して回る。といって、もはやこの欠陥を自覚なき（？）彼に指摘するのは野暮なことだという気も起こさせる。また彼は、もはや監獄と拷問、死と恐怖が目前に迫っていることさえ、知っている。しきりに「私はつかまってはならない」と書く多喜二は、しかしそう書くことによって、本当に近い将来、自分がつかまることを知っている。ここに《文学》がある。つまり、ほんものの生がある。これこそが、《文学》者にかならず訪れる狂気である。《文学》、それは言葉であり、それゆえに嘘であるにもかかわらず、一種の予言として、現実の世界にはみ出し、現実そのものに触れる。こうした《狂気》こそが、《文学》の中心であり、《文学》者は、こうした狂気を伴侶として、歴史を超えてゆく。
</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p class="post">
ここからは想像で書く。といっても、言ったことに責任はもとう。自分は、これがまったく根拠のない想像だとは思っていない。願わくば、これが多喜二の名を傷つけることがなければよいが、こうした蛮勇を、むしろ多喜二は喜んでくれるだろう……。<br />　さて、監獄で激烈な拷問を受けた多喜二は、にもかかわらず、すこしも動揺しなかったにちがいない。いや、動揺していただろう、何度も母親に助けを求めたはずだ。しかし、目はずっと輝きを失わず、拷問をつづける特高たちをじっと見据えている。《文学》者にとって、事実が小説より奇であるなどということはない。なぜなら、小説もまた、現実だからだ。だから、彼は、こんな結末は、もうとっくの昔に知っていた。これからなにが起こるかなどと、思い悩む必要はなかった。指を折られたときだけ、これから書こうと思っていた小説のことを考えてすこし不安になったが、すぐに別のやり方を思いついた。彼なら、指を折られても、目を潰されても、声を奪われても、《文学》を書く方法を見つけ出しただろう。文字を知らなかった母親が彼に勇気をくれていた。ひとから言葉を奪うことはできないのだ。彼は仲間の居場所を割らせようとする拷問吏に反して、沈黙の言葉を吐き続けた。彼なら、若いヴィトゲンシュタインの沈黙を一笑に附したことだろう。あなたは、沈黙でさえも、言葉であることを知らないのか。おびえていたのは、むしろ、拷問吏どもである。彼は、一言も口を割らなかったかわりに、身体中のいたるところから、声なき声をあげた。それが《文学》である。拷問吏は、もはや魅入られたように拷問をつづけた。口を割らせるためにではない。言葉を発するのを止めさせるためにである。もはや、そのためには命を奪うほかない、と考えた。そうだ、はじめから殺すつもりで拷問していたのだと、自分を納得させるように、そう考えた。そしてついに彼から命を奪った後も、彼らはまだなおおびえていただろう。その死が、なにかを語ってやまなかったからである。国家は、名もなき人びとを、もっとも単純な論理にしたがって、無慈悲な死に至らしめる。だがそのはじまりから国家的なものに反対することで生まれた《文学》は、そうした死を救い、その死にふたたび生を与える。彼の《文学》は、わたしたち以上に、彼自身を救う。</p>
<p class="post">
わたしたちは、彼ほどに、自分たち自身を救えるだろうか？</p>
<div class="post-rl">
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</div>
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		<title>世界を語るということ</title>
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		<pubDate>Mon, 05 Jan 2009 17:23:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[philosophy]]></category>
		<category><![CDATA[Anima Mundi/Weltgeist]]></category>
		<category><![CDATA[Cézanne]]></category>
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		<category><![CDATA[rhythm]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[平行線公理]]></category>

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		<description><![CDATA[平行線の定理が世界を論じる際に必要ないことに勘付いた近代の科学者たちは、そのとき、すでにその手に絵筆を握っていた。世界は、線分でできているのではない。色彩によって実現されているのだ。彼らはそのことに気づいた。だが、今日、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="post">平行線の定理が世界を論じる際に必要ないことに勘付いた近代の科学者たちは、そのとき、すでにその手に絵筆を握っていた。世界は、線分でできているのではない。色彩によって実現されているのだ。彼らはそのことに気づいた。だが、今日、別種の平行線の定理が復活している。すなわち、カント主義の主張する現象-物自体の一対である。これらは、弁証法的に統合されることさえなく、ついに平行線を描き上げる。</p>
<p class="post">とはいえ、私見によるなら、この平行線を弁証法的に統合したりしなかったり、つまりは脱構築したりしなかったりするということは、じつは、まったく問題ではなかった。たんに、この平行線は、必要ないのである。</p>
<p class="post">近代の画家にとって、絵画とは、ひとつの世界論だった。世界とは、こうなっている。これが、彼らの絵画であった。もちろん、それは美でもあるだろう。真理でもあるだろう。だが、なにより、《わたし》が語るというそのことにおいて、絵画とは、一個の世界論なのである。</p>
<p class="post">セザンヌは「自然を円筒形、球形、円錐形として扱いなさい」といった。それは、世界がこれらの図形でできているという意味である。彼が自然をそのように認識するということではない。画家にとって、色彩は言葉であり、絵筆はそれを操る咽喉であり気息である。そしてもっと重要なことは、色彩は、言葉であると同時に、世界そのものである、ということである。</p>
<p class="post">ある小説家―もったいぶることはない、志賀直哉にとって、言葉とはリズムであった。そのことは、同時に、世界そのものが、リズムを持っているということである。すなわち、リズムであるような言葉とは、世界そのもののことである。言葉は、世界が奏でているリズムによりそい、それとひとつになる。自然にできた木立は、適当な間隔で、すなわちリズムを刻んでいる。空に群がる鳥たちは、おたがいに適当な距離を保ちながら、すなわちリズムを空に刻印している。雲もまたそうである。波もまたそうである。ついには人間もまたそうである。ひるがえって、人間と切り離されたものとして人間の言葉を眺める時、そこにリズムがあることは、誰もが思い知ることだろう。言葉もまた、言葉でできているのである。小説家は、リズムを刻む。それも、世界そのものであるようなリズムを刻む。近代のある種の小説家にとって、小説とは、ひとつの世界論でなければならなかった。</p>
<p class="post">わたしが、わたしに語らせるのではない。世界は、いつもわたしたちに世界を語らせている。鳥が囀るように、わたしたちは世界を語る。それは、わたしがわたしに語らせるということにほかならない。そうした非‐思考を超えて、思考そのものであるためには、言い換えれば、言葉が、世界論であるためには、なによりわたしが語るのでなければならない。それが、絵を描くということであり、小説を書くということである。則天去私を語る必要はどこにもない。</p>
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		<title>城之崎にて</title>
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		<pubDate>Sun, 24 Aug 2008 15:32:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[diary]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
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		<description><![CDATA[この夏、一番の思い出といえば、城之崎に行ったことである。家賃を納める際、毎月２０００円余分に預ける、ということを続けていたら、それなりにお金が貯まっていたから、それで行った。城之崎行きを、印象深いものに変えたのは、やはり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この夏、一番の思い出といえば、城之崎に行ったことである。家賃を納める際、毎月２０００円余分に預ける、ということを続けていたら、それなりにお金が貯まっていたから、それで行った。城之崎行きを、印象深いものに変えたのは、やはり、当地で読んだ、「城の崎にて」である。</p>
<p>三木屋という旅館で、当然のように志賀直哉の同作を読みふけった。そして、志賀の天才に打たれた。若い頃には気づかなかった彼の天才が、わたしの心を打った。数々の優れた小品のなかでは、わたしが最も評価する部類には入っていなかったそれが、たちまち、姿を変えてわたしの前に現れた。</p>
<p>この作品について、ここで論じる気はない。が、もし文学史に興味があるなら、漱石に薦められた新聞小説の執筆を断ったあと、四年の沈黙を経て書かれたのがこの作品であるということ、それは、すこし念頭に置いておいてよいかもしれない。新聞に連載する小説である以上、「豆腐のぶつ切りでは困る」と漱石に言われ（要するに、連載のたびに、いちいち盛り上がりを付けろ、という意味だ）、それならと、志賀はただちに執筆を断っている。わたしは、志賀のこの態度に、きわめて清々しいものを感じていたのだが、「城の崎にて」にあったのは、むしろ、意外なほどの《痛み》だった。小説とはなにか、そうした問いについての、きわめて深い、そして痛切な哲学的考察を含んだこの作品は、同時に、漱石への静かな批判に溢れている。</p>
<p>以後、志賀は、この《痛み》を抱えたまま、小説を書くだろう。以前にもまして、志賀は、ありふれたテーマばかりを選んでものを書くようになる。しかし、そのことは、彼が、つねに危機に一歩足を踏み入れながら小説を書いたということを意味する。彼の静かで孤独な戦いは、少なくとも小林秀雄を感動させた。あの気障でおしゃべりな彼が、志賀の前では、凡庸な言葉しか吐けなかった。小林は言った。「おれにはこの感動の内容を説明することができない」……。</p>
<p>さて、わたしは、なんと言ったものか？</p>
<div class="post-rl">
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<span style="text-indent: 0em;">志賀 直哉『小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)』<br />Powered by <a href="http://blog.yoshitomo.org/amazonlink">AmazonLink</a> 2.0.0 beta4.<br style="clear: both;" /></span>
</div>
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		<title>小林秀雄の孤独</title>
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		<pubDate>Thu, 07 Feb 2008 14:36:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[Jun Takami]]></category>
		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>
		<category><![CDATA[phonogram]]></category>
		<category><![CDATA[Whitehead]]></category>
		<category><![CDATA[Yasunari Kawabata]]></category>

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		<description><![CDATA[小林秀雄について、なにか書いておこう。彼は、一九八三年まで生きた。その意味では、彼は孤独だっただろう。自分より若かった高見順も早世し、川端康成も自殺し、そして志賀直哉も死に、そのなかで、戦前のひとたちがもっていた、ある種 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>小林秀雄について、なにか書いておこう。彼は、一九八三年まで生きた。その意味では、彼は孤独だっただろう。自分より若かった高見順も早世し、川端康成も自殺し、そして志賀直哉も死に、そのなかで、戦前のひとたちがもっていた、ある種の《文学》への共通理解のようなものは、もう失せていたからだ。彼の孤独がとりたてて不幸だとは思わないが（天才はみな孤独なものだ）、ともあれ、戦後の多くのひとたちは、文学――というか文壇に、一種の権力を感じていたし、それを攻撃することが、また戦後独特の一種の共通理解を築いていたようである。日本は、哲学する国ではない。文学の国である。近代以降、これほど、文学が、権力の中枢に食い込んでいた国も、そうはないだろう（前近代とは議論の中心が異なる）。戦前、多くの優秀な知識人が、むしろ在野にあって、官僚的な学問よりも、文学を選び、身も細る思いで文学作品を作りあげたのである。そしてそのことは、戦前の日本の社会のあらゆる美点をつくりあげた。その一方で、戦後は、それを消費した時代である。文学者を批判し、ときに非難し、文学者が作りあげた、アカデミズムのでっぷりとよく肥えた象牙の塔とは異なる、奇怪な文壇という玲瓏たる尖塔をその土台から破壊したのである（結果として、競争の対象を失って形骸化したアカデミズムだけが、荒野に醜い札束の塔を拵えている）。</p>
<p>高見順は、批評には、文学への愛がなければならないといった（高見は、サルトルやメルロ・ポンティよりもホワイトヘッドの方に賛意を表明した作家である）。それは、けっして間違いではない――というか、全面的に正しいと思う。この言葉は、感情的にではなく、理論的に読まれなければならない。偏愛はどうしようもないが、それはそもそも論外なのであって、文学批評が、文学を破壊してしまっては、なんの意味もないのである。知識人と大衆との関係を、アメリカのような形にしたいひとたちがそこらじゅうにいるが、それは誤りである。日本ほど、文学が政治権力の中枢に楔を打っていた国はないといった。それは、とくに戦前はそうである。だが、また同時に、戦後の日本ほど、文学者そのものを圧殺するような批評言語を好んだ国もないだろう。彼らは、かつての文学者が、やや自虐的に自身の生業を語る言葉を嬉々として、そしてやすやすと聞いた。そうだ、文学などつまらないものだ。もっと、現実を、もっと現実を……。彼ら戦後の批評家は、そうすることで、言葉と現実とを分割し、逆説的に、言葉のために、あらゆる現実から疎外すると同時に保護する、なにか奇怪な領域を作りあげたのである。文学は無力なのだ――そう主張することで、戦後の文学者は権力を放棄したが、同時に知であることも放棄し、その結果、一番得をしたのは、既存の政治家たちなのである。</p>
<p>そんななまぬるい「無力な」言葉の領域をつくるくらいなら、文壇のほうがずいぶんましだったと思う。文学は、およそあらゆる権力に反対せねばならない。したがって、力でなければならない（わたしがここでいう力とは、たとえば重力や電磁気力のように、現実になにか《具体的な》作用を及ぼすもののことだ）。また、言葉が現実の頂に登りつめるまで、それこそ玲瓏レンズのように磨き上げねばならない。だからこそ、おいそれとそう簡単には文学者の列にひとを加えるわけにはいかないし、また逆に、文学者を育てねばならない。したがって、文壇のような特異な領域が生じてしまうのは仕方がないのである。ことばは力であるし、反権力という権力もまた存在する以上、力が権力になってしまうことも、完全に避けることはできない。だが、そんなものを恐れていてはなにもできない。権力など、かつての可能性の残滓にすぎない。反権力に向けてことばを磨けばいいだけのことだ。戦後、降って沸いたように、権力の玉座が大衆の元に忽然と姿をあらわしたとき、当然のような顔で大衆が権力の中枢に座ったが、そのとき、真の文学者だけが、大衆から離れた。吉本隆明や、花田清輝（もう彼については自分からは語ることはないだろう）のような議論の中心とは、完全に縁を切ったのである。当然、文壇は、大衆からさえ攻撃を受けたが、文学者とは、権力に反対するためなら、むしろかえって天皇のために死ぬことさえ厭わないひとたちである（わたしのいっていることが正確に理解されるだろうか）。</p>
<p>誤解のないようにいっておくと、わたしはだいたいにおいて天皇制に反対だが、それは別として、話を小林に戻そう。彼はこういっている。</p>
<blockquote><p>整理することと解決することとは違う。整理された世界とは現実の世界にうまく対応するように作り上げられたもう一つの世界にすぎぬ。おれはこの世界の存在をあるいは価値をいささかも疑ってはいない、というのはこの世界を信じたほうがいいのか、疑ったほうがいいのか、そんな場所にはてしなく重ね上げられる人間認識上の論議になんの興味もわかないからだ。…</p>
<p>ニイチェだけにかぎらない、おれはすべての強力な思想家の表現のうちに、しばしば、人の思索はもうこれ以上登ることができまいと思われるような頂をみつける。この頂を持っていない思想家はおれには読むに堪えない。頂まで登りつめたことばは、そこでほとんど意味を失うかと思われるほど慄えている。絶望の表現ではないが絶望的に緊迫している。無意味ではないが絶えず動揺して意味を固定し難い。おれはこういう極限をさまようていのことばに出会うごとに、たとえようのない感動を受けるのだが、おれにはこの感動の内容を説明することができない。だがこの感動がおれのかってな夢だとはまたどうしても思えない。</p>
<p>正確を目ざしてついに言語表現の危機に面接するとは、あらゆる執拗な理論家の歩む道ではないのか。どうやらおれにはこれは動かしがたいことのように思われる。…この世に思想というものはない。人々がこれに食い入る度合いだけがあるのだ。だからこそ、ことばと結婚しなければこの世に出ることのできない思想というものには、危機をはらんだその精髄というものが存するのだ。<br />（「Ｘへの手紙」『様々なる意匠・Ｘへの手紙』角川文庫、195-7頁）</p>
</blockquote>
<p>言葉は、力である――彼は、そういっている。小林は、もはや完全に認識論とは手を切っているのだ。先日の丸山真男と好対照をなしているので、ここを引いたが、有名な「２×２＝４」と「文体」について論じた箇所を引いてもよかったかもしれない（江藤淳や、柄谷行人が、どう考えても誤解して読んだとしか思えない箇所でもある）。ともあれ、小林の強い確信によれば、言葉は、意味を失うか失わないか、その臨界において、ついに現実の世界に接するのである。「おれにはこの感動の内容を説明することができない」。もちろん、わたしにおいてもそうだ。彼はつづけてこういっている。</p>
<blockquote>
<p>…われわれの伝統は、西洋の伝統に較べて、この言語上の危機に面接してただこの危機だけを表現して他を顧みない思索家を、なんと豊富に持っているかとおれはいまさらのように驚くのだ。卓抜な思想ほど消えやすい、この不幸な逆説は真実である。消えやすい部分だけが、思想が幾度となく生まれ変わるゆえんを秘めている。おれはしばしば思想の精髄というものを考えざるをえない。（同前、197ページ）</p>
</blockquote>
<p>本当の思想は、書かれていない。それは、《声》なのだ。だから、たちどころに消える。もちろん、この小林の「手紙」にも、それは《書かれていない》。戦前のひとびとがもっている音声中心主義を、わたしも共有する。痕跡も残さず消え去ってしまった声、歴史家に求められているのは、この徹頭徹尾認識論上の問題である「痕跡」――世界を信じたほうがいいのか、疑ったほうがいいのかという、くだらない問いと同じものである――を残さない声を、わたしたちのもとに手繰り寄せることなのだ。小林は、歴史に向かう。しかしそれは、認識論的な思想家が、歴史に向かったのとは、およそ反対の方向を向いてである。</p>
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