Kant
philosophy
皮膚としての国家――独白は可能か?(カント・フロイト・デリダ)
独白とはなにか。この奇妙な言葉について考える際に重要なことは、ある観点をこの問いに紛らせないことだ。すなわち、社会である。つまり社会化されない言葉は、すべて独り言である、と考える立場である。たとえ複数の人間のあいだでかわ [...]
philosophy
新しい芸術哲学のために(上) 崇高について
自然は固定観念をもっている。たとえば太陽は東の空から昇って西の空に沈み、蝉は夏の盛りに啼く。夜の終わりに覚めて昼の終わりに眠り、赤信号で足を止め生まれそして死ぬ。 自然界は、いわば固定観念の束である。羅針盤の針が北を向き [...]
philosophy
懐疑と数学、存在についての私論
「懐疑」とはなにか――。自分のみている女性が、知っているあの女性ではないかもしれぬと考える。表象と概念の分離といっても、対象と表象の分離といっても同じことだが、とにかく一対であるべき両者が分離するということ、それが、「懐 [...]
criticism
記憶と忘却の娘としての《技術》(スティグレールによせて)
わたしの考えていることと、最近名前だけ知って多少気にかけていた、一風変わった経歴をもつベルナール・スティグレールの考えていることには、どうやら平行性があるようだ。記憶や記録、プロメテウスとエピメテウスの関係について論じて [...]
criticism
ポストモダニストたち(2)――ヴァルター・ベンヤミン
ヴァルター・ベンヤミンについて、まとまったものを書きたいと思って、ずいぶんと時が過ぎた。歴史的時間の奇妙さにもっとも近づいたのは、彼である。彼のおかげで、自分がずっとまえから抱かされていた時間感覚について、言葉を――つま [...]
fragment
生の速度、あるいは色彩についての覚書
ニーチェはいう。 すなわち貧弱な心理学者であり人間通。…徹頭徹尾の独断論者であるが、この傾向に重苦しく倦怠し、ついにはそれを圧制しようとねがったものの、懐疑にもただちに疲れてしまう。いまだ世界市民的趣味や古代の美の息吹き [...]
philosophy
哲学者と芸術家II――カントとドゥルーズの場合
ニーチェというひとりの人物が成長し、文献学者から哲学者へと変貌する姿は、ぼくたちを感動させる。そこには、なにひとつ無駄なものはない。そうした成長の物語――ひとりの独身ドイツ人の伝記作品を、ニーチェの生涯に見ることは、もち [...]
philosophy
カント読解……
わたしはいまのところ歴史学者のはしくれであって、別に哲学研究者ではなく、最新の研究動向も知らなければ、そうした能力も時間も欠いているのだが、それでもやはり、最低限カントくらいは読むし、無責任な、かつ自分なりの読解がある。 [...]
philosophy
アンチ・カンティアニズムIV――世界理性
世界は、今も、ストア派のひとたちや、カントの言った「世界共和国」に向かってまい進している。世界は可能なかぎり最善の秩序において構成されている。世界理性というものがあるとすれば――それは、すべてを《緩慢に》焼き尽くす炎だ。 [...]
philosophy
アンチ・カンティアニズムIII
カントによれば、純粋理性は次のような道のりをたどる。(1) 独断的理性、(2) 懐疑的理性、(3) 批判的理性、である。これらについて、わたしなりに解説を加えてみよう。 (1) 独断的理性 たとえば神や、あるいは自己の [...]



