énoncé
Haec cum ita sint a Chrysippo explicata, si illi, qui negant adsensiones fato fieri, fateantur tamen eas sine viso antecedente fieri, alia ratio est; sed, si concedunt anteire visa, nec tamen fato fieri adsensiones, quod proxima illa et continens causa non moveat adsensionem, vide, ne idem dicant. Neque enim Chrysippus, concedens adsensionis proximam et continentem causam esse in viso positam, eam causam esse ad adsentiendum necessariam concedet, ut, si omnia fato fiant, omnia causis fiant antecedentibus et necessariis; itemque illi, qui ab hoc dissentiunt confitentes non fieri adsensiones sine praecursione visorum, dicent, si omnia fato fierent eius modi, ut nihil fieret nisi praegressione causae, confitendum esse fato fieri omnia; ex quo facile intellectu est, quoniam utrique patefacta atque explicata sententia sua ad eundem exitum veniant, verbis eos, non re dissidere.

philosophy

懐疑と数学、存在についての私論

2010.05.15 | Dilect Link | Comment?

「懐疑」とはなにか――。自分のみている女性が、知っているあの女性ではないかもしれぬと考える。表象と概念の分離といっても、対象と表象の分離といっても同じことだが、とにかく一対であるべき両者が分離するということ、それが、「懐 [...]

criticism

ポストモダニストたち(1)――ミシェル・フーコー

2010.01.18 | Dilect Link | Comment?

わたしの愛するポストモダニストたちがいる(この言葉を、あえてよい意味で使おう)。年齢順にいえば、ニーチェ、ベンヤミン、ドゥルーズ、そしてフーコーである。ホメロスやプラトン、デカルトやゲーテも愛しているが、彼らには途方もな [...]

philosophy

哲学者と芸術家III――フーコーとエノンセ

2008.10.10 | Dilect Link | Comment?

五月革命以降、一九七〇年代を前後するわずかな期間に、フランスには哲学の帝王が君臨していた。ミシェル・フーコーである。もちろん、帝王という用語には注意せねばならない。というのも、後世の歴史家に誤解を与えてはならないからだ。 [...]

criticism

言葉という出来事(ラフ)

2007.11.07 | Dilect Link | Comment?

「わたしは理論的に小説を書こうと思っているし、君もそうすべきだよ」といったのは夏目漱石で、彼はわたしの胸の上に乗って、両腕を押さえつけた。わたしはもがきながら、「それでは自由がないじゃないか!」と言ったかと思うと、それで [...]

criticism

テクストとしての憲法/声としての憲法

2007.05.04 | Dilect Link | Comment?

憲法というテクストがある。これはわたしたちの外部にあり、国民投票という改変を経なければ、どうにもならない《もの》である。カント風にいうと、かの憲法は、一種の《物自体》である。もちろん、改変できる以上、「どうにもならない」 [...]

criticism

名前について/固有名と匿名の二項対立を越えて

2005.10.30 | Dilect Link | Comment?

他人について知りたい、という欲望は、ごく自然なものだろう。ひとが、他人の何に興味を持つかはさまざまであろうが、やはり、気になるのがプロフィールではないか。そこには、名前や出身、血縁や地縁、生没年のみならず、場合によっては [...]

philosophy

エノンセ

2005.09.15 | Dilect Link | Comment?

文字の方がひとりでに話し出す。だから、それを代弁してやるナレーター=歴史家の必要はないという。本当にそんなことがありえるのだろうか。然り、それがミシェル・フーコーの言表(エノンセ)である(1)。じつは、言表は、デリダの言 [...]

history

解釈と変えること(一)

2000.10.03 | Dilect Link | Comment?

似ていることを云々することは、似ていないことを際立たせることであって、実際にはそちらの方が重要であり、それはヘーゲルが反面教師的に教えてくれたことでもある。似ている、と言うことは、似ていないと言うことに等しい。…… 歴史 [...]