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	<title>ex-signe &#187; Jun Takami</title>
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		<title>高見と小林の墓参り</title>
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		<pubDate>Wed, 31 Dec 2008 06:52:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
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		<description><![CDATA[一昨日、鎌倉は東慶寺を訪れたときの出来事。 まずは高見順の墓参り。相手が作家であると思うと、それも死人であればなおさら、こちらも裸にならざるを得ない。とりわけ彼の前では、隠し事はできない。自分でも思いもよらなかった言葉が [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>一昨日、鎌倉は東慶寺を訪れたときの出来事。</p>
<p>まずは高見順の墓参り。相手が作家であると思うと、それも死人であればなおさら、こちらも裸にならざるを得ない。とりわけ彼の前では、隠し事はできない。自分でも思いもよらなかった言葉が口をつく。「迷っている……」。ぼくは、歴史について思考し、そして哲学について思考し、巡り巡って文学にたどりついた。文学、この言葉は、ぼくにとって、もっとも《現実》的なものだ。本当の意味での思考、本当の意味での出来事、つまり現実は、ここにしかないということに、最近になってようやく気づくことができた。それは幸運なことだった。</p>
<p>文学が虚構であることを笑うひとびとがいる。多くは、批評家であったり、研究者であったりするひとたちだ。だが、じつは歴史が虚構であることをついに否定できないように、どのような批評も研究も、虚構なのである。大学の外にいる「実業家」たちからみれば、大学そのものが、充分に「虚業」である。だが、歴史がついに虚構を超えないということ、そのことは、突き詰めれば、大学の外でさえ、虚構の可能性を払拭できないということでもある。「実業家」と呼ばれるひとたちのことを考えてみればいい。彼らは、作家たちが虚を実にせんと欲望するその強さに引き換え、なんと虚に塗れていることか。要するに、資本主義という虚構を盲目的に信じることにおいて、実業ほど虚構的なものはないのである。</p>
<p>つまり、虚や実という区別は、ついに意味をなさない。物自体の世界と現象の世界という区別は、ついに意味をなさなくなる。世界そのものが、劇場なのだ。重要なことは、虚や実といった区別ではなく、虚を実にせんとするその実践、その意志のみである。そして、「劇場」という言葉が、もしその外部を想定した言葉であるなら、この語も不十分である。フランスの天才哲学者が言ったように、だから「工場」というべきなのかもしれない。なにかが生み出されるという、そのことを思考できるのは、もっと正確に言えば、思考そのものがなにかを生み出すような、そうした空間とは、劇場―工場のシリーズにおいてのみあらわれる。それを日本人は文学といった。ここにいたるまでにぼくはずいぶん回り道をした。それはもしかしたら、苦悩の軌跡といってよいかもしれない。</p>
<p>だが、戦前の作家たちは、さらに先を歩んでいた。彼らは、現実と文学の断絶に苦悩するようなナイーヴさはとっくの昔に克服していたし（むろんその問いにはたえず向き合わされていたとしても）、虚構にこそ深い現実が現れることを、とっくの昔に知っていた。高見順はぼくに言った。「よろしい、君は文学を発見したのだな？　文学にこそ、君が求めていた真理があること、それを発見したのだな？　なら次は、《君の》文学を発見することだ。そうしてはじめて、君は本当の意味で文学を発見したことになるのだ。そこに至らぬかぎり、文学を発見したなどとは言えぬのだ。」</p>
<p>そうかもしれない。ぼくの文学？　それはいったいなんだろうか。戦前の作家たちは、みな、自分のスタイルを見つけ出していた。文学という空間のなかで、さらにそこに驚異的な飛躍を可能にする斜線を引いて回っていたのだ。ぼくは全然甘いのだ。どうすればよいのだろう。ぼくの問いに、高見は答えた。「いいからなにか書きなさい。」</p>
<p>さて、このお寺には、たくさんの著名人の墓がある。高見順をはじめ、西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙、阿部能成、岩波茂雄、そして小林秀雄。小林秀雄の墓か。ぼくは墓の前で、こんなことを思わず考えた。「志賀直哉について、なにか書けたらと思っている……」。すると、墓のなかから顔を出して、小林はこう言った。「お前が？」　不服そうな彼の口調に、思わず立ち上がった。どうしてこんな自問自答が浮かぶのか。ぼくが喋っているのは、小林ではなく、自分なのだ。動揺と不満とがないまぜになって、ぼくは墓に尻を向けた。同行者がぼくを不審そうに見ているのを知っていたが、とりあえず小林の墓の前を去ることにした。ぼくは小林以外の批評家をまったく認めていない。つまり、小林は認めている。たが、こうした物言いは、小林には傲慢に映ったのだろう。当然だ。彼の墓の前で、まったくいい気になっている若造以外のなにものでもなかった。</p>
<p>小林の墓を後にすると、石段の底で、カメラを持った六、七人の集団がぼくの横を通り過ぎた。ひとりは、かつて小林秀雄賞を受賞された方だと記憶するが、間違っているかもしれない。彼らも、小林の墓参りらしい。同行者は彼らより先に小林の墓参りができてよかったと言った。ぼくはなんの感想もなかったが、小林とはもっと長く喋っておけばよかったかもしれないと思った。</p>
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		<title>もっと多くの孤独なダンサーたちへ</title>
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		<pubDate>Thu, 20 Mar 2008 15:27:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[Cézanne]]></category>
		<category><![CDATA[Jun Takami]]></category>
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		<description><![CDATA[長年、ほとんどまともにひとから認められたことのなかったセザンヌは、南仏エクスに隠棲し、孤独な生活を営んでいた。そんな彼も、五十五歳になった。ある日、いくらか気分がよかったのか、不意にかつて親しかったモネの家を訪れた。そこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>長年、ほとんどまともにひとから認められたことのなかったセザンヌは、南仏エクスに隠棲し、孤独な生活を営んでいた。そんな彼も、五十五歳になった。ある日、いくらか気分がよかったのか、不意にかつて親しかったモネの家を訪れた。そこには、ルノワールやシスレーもいて、誰もが、その訪問に、思いがけない喜びと、そしてわずかな興奮さえ感じて、手を広げてそこに彼を迎え入れた。セザンヌに向かって、主人のモネは、こう言ったという。「この機会に、ぼくらがいかにあなたを愛し、あなたの芸術を尊敬しているかを伝えることができるのはうれしい」と。セザンヌは、それを聞くと、自身の顔をにわかに驚きと非難の表情で曇らせた。「きみもぼくをやっぱり馬鹿にするのか」。彼はこう叫んで、モネの家を飛び出していった。……</p>
<p>この有名な話を、わたしは、昔読んだ高見順の絵画論によって知った。高見順は、それに対して、こういっていた。「この挿話はいたましい。心の友ともいふべきモネの言葉でさへ素直に受けとることができないほど、どんなに賞賛や尊敬から無縁のセザンヌだつたかを、この挿話は告げるのである。…ながいその不遇は、親しい仲間にまで猜疑の眼をむけさせるかれにしてゐた」（「四人の画家　その人生と芸術」一九五九年）。</p>
<p>セザンヌほど、絵画に真正面からぶつかっていった画家も、めずらしい。彼は、絵画とは何か、とは問わなかった。そうした問いはありふれているし、どんな絵画であろうと、ただそれが絵画であるというだけで、「とは何か」というクエスチョンマークを撒き散らしているのである。だが、彼は、十九世紀後半のある時期に、なにが絵画でありうるのか、ということを、そして絵画が本当はなにを行なっているのかを、真剣に、知的に考えていた、ほとんどただひとりの画家であった。こうした問いがありうること、そしてこうした問いが必要であることを、彼以前のひとたちは、ほとんど知らなかったのである。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>ニーチェは、セザンヌと同様、歴史とは何か、とは、問わなかった。彼は、歴史は、なにを行なわねばならないのかを、問うた。そして、人間の歴史は、ひとに何を行なわせねばならないのかと、問うた。こうした問いもまた、それまでは、必要と思われていなかったし、また、そうした問いを問おうとしたひとさえ、なかったのである。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>ベンヤミンは、パウル・クレーの絵画を愛した。たしかに、クレーの絵画には、人間の歴史は、ひとに何を行なわせねばならないのかという、ニーチェの問うた問いに答えようとする、ひとつのある努力のようなものを、見つけることができる。クレーは、いつも、ある種の案内図を書いていたからだ。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>わたしたちは、彼らの孤独な努力を知るまで、問いとは、立てられねばならないものだということさえ、知りはしなかった。絵画は、歴史は、そして問いは、いつだって目の前にある、などと自分勝手な勘違いさえ犯していたのだ。賞賛とは無縁の生を歩んだ、そして、誰よりも賞賛を欲していた、優しきセザンヌやニーチェたち。彼らはいつも、画家全体の、そして人類全体の運命について心配し、気にかけていたから、人類からほんの少しばかりの賞賛を受けとる権利くらいはもっていたのだ。パルナシアンを気取るつもりなどさらさらなかった、優しき男たちは、いつしか、賞賛されないということを糧にして、生きるようになっていた。だから、ひねくれ者の彼らは、過去の死人と、そして未来の子供たちのためだけに、絵を描き、そして歴史を説いた。というのも、過去の死人や未来の子供たちは、ふつう、ひとが他人を賞賛するために用いているような、意味に満ちていて、それでいてやけに高くつく声を、もっていなかったからである。死人や子供たちの声は、言葉というよりは、音楽のようだった。そういう音楽を聞くことだけで、満足できるように、彼らは自分の耳を鍛え上げたのである。彼らを祭り上げ、そのくせ日々の祈りの見返りをほしがっているそんな賞賛よりも、ただ音楽のような賞賛が聞きたいと思うようになったのである。だから、セザンヌたちの死後、未来のひとたちは、彼らを誉めるとき、音楽を奏でるように、歌うように、誉めるようになった。</p>
<p>わたしもまた、彼らに、そして彼らだけでない、もっと多くの孤独なダンサーたちに、音楽としての賞賛を贈ろう。友愛を込めた手を差し延べよう。……</p>
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		<title>川端康成と東山魁夷</title>
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		<pubDate>Wed, 13 Feb 2008 15:28:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>
		<category><![CDATA[Jun Takami]]></category>
		<category><![CDATA[Yasunari Kawabata]]></category>
		<category><![CDATA[草間彌生]]></category>
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		<description><![CDATA[京都文化博物館で、「川端康成と東山魁夷」と題する展覧会が催されている。わたしは、絵を描くのはきらいではないが、音楽に比しても余計に素人である。とりわけ日本画についてはほとんど知識に乏しいし、美術史的な観点ももっていない。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>京都文化博物館で、「川端康成と東山魁夷」と題する展覧会が催されている。わたしは、絵を描くのはきらいではないが、音楽に比しても余計に素人である。とりわけ日本画についてはほとんど知識に乏しいし、美術史的な観点ももっていない。だが、この展覧会を訪れて、東山魁夷について、そして川端康成について、感じたところを、すこし書いておくことにする。すでに専門家が言っていることと同じことを言っている可能性もあるし、印象批評にならざるをえないところもあるが、そこははじめに断っておく。</p>
<p>率直にいえば、よかったということにつきる。とても真面目な気持ちにさせられた。平山郁夫のおかげで、戦後の日本画というだけで、食わず嫌いを起こし、それほど興味がもてなかったのだが、戦後にも、こういう本物がいたと思うと、すこしほっとさせられる（といっても、彼は戦前から描いているが）。ある種の時間を、キャンパスのなかに封じ込めたような、こうした絵画は、たしかに、川端の小説に似ていると思った。川端の小説は、わたしの好みからはすこしはずれるが、それでも、わたしの観点からいえば、小説における、王道中の王道である。「定点観測」という魅力のない表現を用いるのは、すこし憚られるが、「三人称客観」という、今日では、いくらか特異な意味を有した文学批評用語よりは、いくらかましかもしれない。川端の小説は、一種の「定点観測」である。といっても、安易なそれではない。誰の手も届かないような、そうした反り返る絶巓こそが、彼の定点であり――それを「末期の眼」という――、そのような高みにいたる、孤独を恐れない勇気への賛辞が、このつまらない「定点観測」という用語には込められている。すべてを見渡す孤立した絶巓を作りあげたからこそ、この作家は、駄作の少ない真のアヴェレージ・ヒッターでありえたのであり、また、通り一遍のそれではもちろんないにせよ、わたしには、彼の小説こそが、王道的リアリズムであると感じられるのである。</p>
<p>川端は、足場が、動くものだということを知っている。それに対する彼の解決方法は、にもかかわらず、そこに、どのような強風にも倒れないような、強固な足場を組み上げることであったと思う。それはもちろん、個人的なものにならざるをえないし、また、当然、それは同じように孤立したものである。だが、そのことが、ひとが普段曖昧に受け容れている遠近法を、人を貫きかねない、彼だけの鋭利な刃物に変えてしまう。こうした鋭鋒こそが、川端の遠近法であり、この遠近法の切れ味を感じることが、彼の小説を読むということでもある。川端の神経質で清潔な抽象性は、具体性からはいかにも遠い。だが、にもかかわらず、この抽象性は、リアリティを含んでいる。べつに彼の小説にかぎった話ではないが、文学は、具体的なものを追究するというそのことにおいて、抽象的な地点に到達することがある。それは、ひとがふだん、やすく用いている抽象性や具体性とは、まったく意味がちがう。</p>
<p>ところで、遠近法ということで言えば、足場が動くというそのことにおいて、小説を書こうとした高見順は、川端とは正反対である。つまり、描写のための足場が成立しない、いいかえれば、遠近法がそもそも成立しないような、そうした世界こそが、高見の小説空間である。当然、その分、駄作が多くなるのは仕方がない。だが、彼のホームランは、それこそ奇跡的な飛距離をもっていると思うし、また、彼の小説は、遠近法から遠ざかるというそのことにおいて、逆説的な具体性を帯びて輝いている。</p>
<p>ともあれ、川端の小説は、ゆるぎない、強固な美学によって貫かれており、その真摯な、そしてひとを寄せ付けない態度が、こちらに、彼の場を乱さないようにする、息の詰まるような集中力を要求する。東山魁夷の絵画もまた、そうした美学に貫かれている。むしろ、彼の絵画が、川端の美学を再認識させてくれた。こういう真面目な気分を味わうのも、ふだん不真面目な自分からすれば、なかなか得難い経験であると思う。まだやっているようなので、興味がおありなら、訪れてみてはいかがか。</p>
<p>追記――川端のコレクションのなかには、初期の草間彌生も含まれており、それが合わせて展示されていたが、やはり、彼女にも並々ならぬ才能があったことを、ひさびさに再確認させてくれた。というか、これはわたしのような若造がいうことではないが――別に悪くなっているというのではないが、このときから、ちゃんと成長していない気がするのは、わたしのまちがいだろうか――？</p>
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		<title>小林秀雄の孤独</title>
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		<pubDate>Thu, 07 Feb 2008 14:36:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
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		<description><![CDATA[小林秀雄について、なにか書いておこう。彼は、一九八三年まで生きた。その意味では、彼は孤独だっただろう。自分より若かった高見順も早世し、川端康成も自殺し、そして志賀直哉も死に、そのなかで、戦前のひとたちがもっていた、ある種 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>小林秀雄について、なにか書いておこう。彼は、一九八三年まで生きた。その意味では、彼は孤独だっただろう。自分より若かった高見順も早世し、川端康成も自殺し、そして志賀直哉も死に、そのなかで、戦前のひとたちがもっていた、ある種の《文学》への共通理解のようなものは、もう失せていたからだ。彼の孤独がとりたてて不幸だとは思わないが（天才はみな孤独なものだ）、ともあれ、戦後の多くのひとたちは、文学――というか文壇に、一種の権力を感じていたし、それを攻撃することが、また戦後独特の一種の共通理解を築いていたようである。日本は、哲学する国ではない。文学の国である。近代以降、これほど、文学が、権力の中枢に食い込んでいた国も、そうはないだろう（前近代とは議論の中心が異なる）。戦前、多くの優秀な知識人が、むしろ在野にあって、官僚的な学問よりも、文学を選び、身も細る思いで文学作品を作りあげたのである。そしてそのことは、戦前の日本の社会のあらゆる美点をつくりあげた。その一方で、戦後は、それを消費した時代である。文学者を批判し、ときに非難し、文学者が作りあげた、アカデミズムのでっぷりとよく肥えた象牙の塔とは異なる、奇怪な文壇という玲瓏たる尖塔をその土台から破壊したのである（結果として、競争の対象を失って形骸化したアカデミズムだけが、荒野に醜い札束の塔を拵えている）。</p>
<p>高見順は、批評には、文学への愛がなければならないといった（高見は、サルトルやメルロ・ポンティよりもホワイトヘッドの方に賛意を表明した作家である）。それは、けっして間違いではない――というか、全面的に正しいと思う。この言葉は、感情的にではなく、理論的に読まれなければならない。偏愛はどうしようもないが、それはそもそも論外なのであって、文学批評が、文学を破壊してしまっては、なんの意味もないのである。知識人と大衆との関係を、アメリカのような形にしたいひとたちがそこらじゅうにいるが、それは誤りである。日本ほど、文学が政治権力の中枢に楔を打っていた国はないといった。それは、とくに戦前はそうである。だが、また同時に、戦後の日本ほど、文学者そのものを圧殺するような批評言語を好んだ国もないだろう。彼らは、かつての文学者が、やや自虐的に自身の生業を語る言葉を嬉々として、そしてやすやすと聞いた。そうだ、文学などつまらないものだ。もっと、現実を、もっと現実を……。彼ら戦後の批評家は、そうすることで、言葉と現実とを分割し、逆説的に、言葉のために、あらゆる現実から疎外すると同時に保護する、なにか奇怪な領域を作りあげたのである。文学は無力なのだ――そう主張することで、戦後の文学者は権力を放棄したが、同時に知であることも放棄し、その結果、一番得をしたのは、既存の政治家たちなのである。</p>
<p>そんななまぬるい「無力な」言葉の領域をつくるくらいなら、文壇のほうがずいぶんましだったと思う。文学は、およそあらゆる権力に反対せねばならない。したがって、力でなければならない（わたしがここでいう力とは、たとえば重力や電磁気力のように、現実になにか《具体的な》作用を及ぼすもののことだ）。また、言葉が現実の頂に登りつめるまで、それこそ玲瓏レンズのように磨き上げねばならない。だからこそ、おいそれとそう簡単には文学者の列にひとを加えるわけにはいかないし、また逆に、文学者を育てねばならない。したがって、文壇のような特異な領域が生じてしまうのは仕方がないのである。ことばは力であるし、反権力という権力もまた存在する以上、力が権力になってしまうことも、完全に避けることはできない。だが、そんなものを恐れていてはなにもできない。権力など、かつての可能性の残滓にすぎない。反権力に向けてことばを磨けばいいだけのことだ。戦後、降って沸いたように、権力の玉座が大衆の元に忽然と姿をあらわしたとき、当然のような顔で大衆が権力の中枢に座ったが、そのとき、真の文学者だけが、大衆から離れた。吉本隆明や、花田清輝（もう彼については自分からは語ることはないだろう）のような議論の中心とは、完全に縁を切ったのである。当然、文壇は、大衆からさえ攻撃を受けたが、文学者とは、権力に反対するためなら、むしろかえって天皇のために死ぬことさえ厭わないひとたちである（わたしのいっていることが正確に理解されるだろうか）。</p>
<p>誤解のないようにいっておくと、わたしはだいたいにおいて天皇制に反対だが、それは別として、話を小林に戻そう。彼はこういっている。</p>
<blockquote><p>整理することと解決することとは違う。整理された世界とは現実の世界にうまく対応するように作り上げられたもう一つの世界にすぎぬ。おれはこの世界の存在をあるいは価値をいささかも疑ってはいない、というのはこの世界を信じたほうがいいのか、疑ったほうがいいのか、そんな場所にはてしなく重ね上げられる人間認識上の論議になんの興味もわかないからだ。…</p>
<p>ニイチェだけにかぎらない、おれはすべての強力な思想家の表現のうちに、しばしば、人の思索はもうこれ以上登ることができまいと思われるような頂をみつける。この頂を持っていない思想家はおれには読むに堪えない。頂まで登りつめたことばは、そこでほとんど意味を失うかと思われるほど慄えている。絶望の表現ではないが絶望的に緊迫している。無意味ではないが絶えず動揺して意味を固定し難い。おれはこういう極限をさまようていのことばに出会うごとに、たとえようのない感動を受けるのだが、おれにはこの感動の内容を説明することができない。だがこの感動がおれのかってな夢だとはまたどうしても思えない。</p>
<p>正確を目ざしてついに言語表現の危機に面接するとは、あらゆる執拗な理論家の歩む道ではないのか。どうやらおれにはこれは動かしがたいことのように思われる。…この世に思想というものはない。人々がこれに食い入る度合いだけがあるのだ。だからこそ、ことばと結婚しなければこの世に出ることのできない思想というものには、危機をはらんだその精髄というものが存するのだ。<br />（「Ｘへの手紙」『様々なる意匠・Ｘへの手紙』角川文庫、195-7頁）</p>
</blockquote>
<p>言葉は、力である――彼は、そういっている。小林は、もはや完全に認識論とは手を切っているのだ。先日の丸山真男と好対照をなしているので、ここを引いたが、有名な「２×２＝４」と「文体」について論じた箇所を引いてもよかったかもしれない（江藤淳や、柄谷行人が、どう考えても誤解して読んだとしか思えない箇所でもある）。ともあれ、小林の強い確信によれば、言葉は、意味を失うか失わないか、その臨界において、ついに現実の世界に接するのである。「おれにはこの感動の内容を説明することができない」。もちろん、わたしにおいてもそうだ。彼はつづけてこういっている。</p>
<blockquote>
<p>…われわれの伝統は、西洋の伝統に較べて、この言語上の危機に面接してただこの危機だけを表現して他を顧みない思索家を、なんと豊富に持っているかとおれはいまさらのように驚くのだ。卓抜な思想ほど消えやすい、この不幸な逆説は真実である。消えやすい部分だけが、思想が幾度となく生まれ変わるゆえんを秘めている。おれはしばしば思想の精髄というものを考えざるをえない。（同前、197ページ）</p>
</blockquote>
<p>本当の思想は、書かれていない。それは、《声》なのだ。だから、たちどころに消える。もちろん、この小林の「手紙」にも、それは《書かれていない》。戦前のひとびとがもっている音声中心主義を、わたしも共有する。痕跡も残さず消え去ってしまった声、歴史家に求められているのは、この徹頭徹尾認識論上の問題である「痕跡」――世界を信じたほうがいいのか、疑ったほうがいいのかという、くだらない問いと同じものである――を残さない声を、わたしたちのもとに手繰り寄せることなのだ。小林は、歴史に向かう。しかしそれは、認識論的な思想家が、歴史に向かったのとは、およそ反対の方向を向いてである。</p>
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		<title>歴史と従軍慰安婦の在り</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/history/29.html</link>
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		<pubDate>Thu, 14 Jul 2005 17:17:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[history]]></category>
		<category><![CDATA[empirisme transcendental]]></category>
		<category><![CDATA[Foucault]]></category>
		<category><![CDATA[Historical Pyrrhonism]]></category>
		<category><![CDATA[Jun Takami]]></category>

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		<description><![CDATA[何かを語ること、何かを書くことは、それがどのような内容であろうと、それについて肯定することを意味し、またそうであるがゆえに、同時に、語った内容とは別の何かについて沈黙すること、ないしは拒絶することを意味する。つまり、一言 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>何かを語ること、何かを書くことは、それがどのような内容であろうと、それについて肯定することを意味し、またそうであるがゆえに、同時に、語った内容とは別の何かについて沈黙すること、ないしは拒絶することを意味する。つまり、一言でいえば、語る、ということは、別の何かについて沈黙することである。さらに言えば、語るということは、聞き手が持っているかもしれない言葉を聞かない、ということも意味している。</p>
<p>だから、わたしが未来について語るとき、それは逆に、過去について、目や耳を閉ざすことを意味するし、また、逆もそうである。過去について語る者が、同時に未来を語ることはできない。ひとは、ヤヌスではない。もともと語るとはそういうものであり、だからそれについて嘆いても仕方がない。</p>
<p>そこから帰結するさらに重要なことがある。「わたしのいる現在」が過去と未来を分かち、あるいは作り出し、どちらか一方にだけ目を開くのだとしても、だからといって、「わたしのいる現在」は取り立てて重要なわけではない。それは、ただ必要な任意の点にすぎないのであり、だから、「現在」を否定するべきでもなければ、また、取り立てて肯定する必要もない。「わたしが語る」とき、わたしは重要ではなく、むしろ、何を語り、そして同時に何を語らないかが重要である。「わたし」は、そのことによって生じる結果にすぎない。だから、“則天去私”と語るのはあまり適当とはいえず、むしろ、たんに「わたし」と言えばよい。あるいは、言わなくてもよい。ところで、これが、超越論的経験論と言われるものである。</p>
<p style="text-align: center;">◇</p>
<p>さて、わたしが好きな作家に高見順がある。彼の作品に表れる、歴史的限界以上の個人的資質に負う限界からくる、奇妙な迷走に、わたしは共感するのである。この迷走には、書かれている内容以上の、真実があり、そして、なおかつ、そのこと――自分が語った内容以上のことを自分が語っていること――にこの作者は相当程度自覚的である。それがこの作家の評価に値する点である。彼を好意的に、しかし盲目的に批評した平野謙のおかげで、この作家は随分割りを食っている。戦中はビルマに従軍し、中国にも赴いた彼は、浩瀚な日記を残したことでも著名であり、言うまでもないことだが、日本の近代史を学ぼうとする者にとって、戦中、戦後の日記は、必読書のひとつである。もし未読の読者がいれば、読んで欲しい。『敗戦日記』などは、まだ手に入りやすいものと思われる。そこに、一九四五年十一月十四日の日付のついた、次のような記事がある。</p>
<blockquote><p>　 　十一月十四日<br />
　…略…<br />
松坂屋の横にOasis of Ginzaと書いた派手な大看板が出ている。下にR・A・Aとある。Recreation &amp; Amusement Associationの略である。松坂屋の横の地下室に特殊慰安施設協会のキャバレーがあるのだ。<br />
「覗いて見たいが、入れないんだね」というと、伊東〔引用者註―栄之助〕君が、<br />
「地下二階までは行けるんですよ」<br />
地下二階で「浮世絵展覧会」をやっている。その下の三階がキャバレーで、アメリカ兵と一緒に降りて行くと、三階への降り口に、「連合国軍隊に限る」と貼り紙があった。「支那人と犬入るべからず」という上海の公園の文字に憤激した日本人が、今や銀座の真中で、日本人入るべからずの貼紙を見ねばならぬことになった。<br />
しかし占領下の日本であってみれば、致し方ないことである。ただ、この禁札が日本人の手によって出されたものであるということ、日本人入るべからずのキャバレーが日本人自らの手によって作られたものであるということは、特記に値する。さらにその企画経営者が終戦前は、「尊皇攘夷」を唱えていた右翼結社であるということも特記に値する。<br />
世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいち早く婦女子を集めて淫売屋を作るというような例が――。支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされている支那人も、自ら支那の女性を駆り立て、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かゝる恥しい真似は支那国民はしなかった。日本人だけがなし得ることではないか。<br />
日本軍は前線に淫売婦を必らず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いといって、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどはだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと「慰安所」の女になれと脅迫する。おどろいて自殺したものもあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかゝる残虐が行なわれていた。<br />
戦争は終った。しかしやはり「愛国」の名の下に婦女子を駆り立て、進駐兵御用の淫売婦にしたてている。無垢の処女をだまして戦線へ連れ出し、淫売を強いたその残虐が、今日、形を変えて特殊慰安云々となっている。<br />
　『高見順日記』第六巻、勁草書房、一九六五年、161-2頁</p></blockquote>
<p>彼がここで語っている主題は、ナショナリズムであって、いわゆる「従軍慰安婦」の問題ではない。すなわち、「愛国」を口にしながら、外国人のみならず日本人をも戦地で慰安婦として働かせ、結果的には自国民をも貶めてしまうような人々（出来事）に対する、しかも「だまして連れ出した」かもしれないことに対する憤慨なのであり、すなわち、彼なりのナショナリズム（愛国心）とヒューマニズムが書かれているのである。だから、慰安婦という現象に対する批判は主ではなく、また、ナショナリズムが根本的に批判されているわけでもない。</p>
<p>だが、そのゆえにこそ、従軍慰安婦の問題について、この文章は一級の史料的価値をもつ。語らなかったとはいえないまでも、彼の主張のために通りがかりに触れた「前線に淫売婦を必らず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いといって、朝鮮の淫売婦が多かった」という記述には、彼の主観的意図が少ないと考えて差し支えないからである。彼の論点は「「愛国」の名の下に婦女子を駆り立て」、結果的に愛国的でない振る舞いをしてしまうという矛盾にこそ、向けられている。逆に言えば、彼にとっては、自分の主張に対する異論の余地は、ここにしかないのである。あくまで、「前線に淫売婦を必らず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いといって、朝鮮の淫売婦が多かった」という記述は、当時の人々の共通理解であり、異論の余地の少ない議論の前提として受け容れられているものなのである。つまり、この史料からだけでも、当時、従軍慰安婦の存在に異論を挟む者などほとんどいなかったということだけは、少なくとも確実に見てとれるわけである。</p>
<p>ところで、今日、国家責任を問われている従軍慰安婦の問題は、高見順が触れているような、「だまし」たことにあるのではない。それは、この問題とはあまり関係がない。慰安所で働いたことが、当時慰安所の設置と並ぶ、陸軍将校の作戦給養業務のひとつであった酒保施設の事務員だといってだまされた上でのことなのか、それとも、みずからの意志なのか、ということは、この場合、証明不能である（酒保の女給と慰安所の淫売との区別は戦地でなくても付きがたい以上、だましたともだましていないとも言いがたかろう）。誤解を恐れずに言えば、そもそも、歴史は、そうした個々人の意図を超えた何ものかにこそある。すすんでなのか、嫌々なのか、という個人的な意図は、あまり重要ではない。歴史的に言って、“自らすすんで行なうようにさせられる”、ということはいくらでも考えられるからである。たとえば、こういうことだ。あなたは、自ら、朝七時に起床し、そして会社なり学校に行く。もちろん、それはあなたの意志でだ。だが、歴史は、個人というよりは社会に重きを置いている。もっと正確にいえば、個人、あるいは集団の中の、ある社会的な部分に重きを置いている。だから、一人ではなく、なるべく多くの人間の集まった状態を考えねばならない。そこで、数人、数千人、数十万人規模を考えてみる。ある種の社会では、数千万人規模で、誰もが、自らすすんでほぼ同じ時刻に起床し、会社なり学校へ行く。それは、はたして本当に自分の意志なのだろうか。もしかしたら、“自らすすんで行なうようにさせられている”とは言えないだろうか…。そういうことである。仮に、誰もが同じ時刻に登校し、通勤する社会だけしか世界に存在しないという想定をしたとしても、本人の意志か、それとも強制なのか、という問題は、究極的に“わからない”というところに落ち着くはずである。そして、そうでない別の社会も存在しうると仮定すれば、そうした別の社会の人々から見れば、誰もが同じ時刻に起床し、通学・通勤しているのは、ほとんど強制に近いか、何か宗教でも機能しているのかと考えるだろう。したがって、それが個人の内面にかかわるかぎりにおいて、歴史においては、“自らすすんで行なうようにさせられている”か、もしくは、“わからない”か、このいずれかの立場しか取りようがない。すくなくとも、それが自発的な意志に基づくものだから、ということで、問題を解決することはできない。</p>
<p>さて、従軍慰安婦の問題に戻ろう。強制的な徴用は、民間のブローカーが行なったことで、国家は無関係であるという論法も、とることができない。従軍慰安婦は戦争にまつわる問題であり、また、戦争は国家が行なうものだからである。仮に従軍慰安婦という現象と戦争とが無関係である、というような荒唐無稽な立場をとることができたとしても、そもそも、この時期、国家と無関係な民間業者なるものは存在しない。高見順もほのめかしているように、この時期、民間のブローカーのように見える団体は、ほぼ確実に、右翼団体である。当時、すべてが国家の統制下に置かれ、したがってより明確に国家が責任を負う立場にあったにもかかわらず、国家とは無関係な集団が戦争に関与していたということがありえたとしたら、どのみちそれは国家の失策であって、国家が責任を問われないわけにはいかないはずである。</p>
<p>だまされたとかだましていないとか、従軍慰安婦と国家とは関係あるとかないとか、そういう類のことで従軍慰安婦の存在の可能性を疑うといういささか的外れの議論があるとすれば、そんなものは別に史料を紐解く必要も本当はありはしない。ある種の論理的な思考能力さえあればわかることであり、あるいは歴史を学として行なっている者にとっては、問題にすらならないおそろしく非生産的な問いである。こういう議論に親切にも付き合っている歴史学者が何人もいるのを知っているが、いったい、彼らは何をやっているのかという気にさせられる。このことは、歴史が存在していることを露とも疑ったことのない多くの歴史学者――だってそうだろう、歴史が存在しなければ彼らは商売のタネを失うのだから――が、じつは存在に対する形而上学的な問いにおそろしく不向きだということに起因している。結局、歴史学者はしょっちゅう形而上学的な問いにひっかかってしまう、そして悪いことにはそのことに気づかない厄介な種族なのだ。従軍慰安婦がなかったと言っているような歴史学者がいるとすれば、それはべつに歴史学とは無関係にただ幼稚な形而上学的駄々をこねているにすぎないのだから、それに対して分野の違う歴史学的な回答を与えたところで議論がかみ合うわけがないのである。だがひとまずそれは措くとして、この問題において重要なことは、個々人の意図とは無関係に、被占領地の女性が生地を遠く離れて前線で兵士の性欲処理をしていたという事実であり、彼女たちの生地を占領していた国家が、暗黙か公かにかかわらず、それを事実上認めていたということである。もし仮に、だましたとかだましていないとか、そういう水準の二者択一を手がかりに、従軍慰安婦があったかなかったかを問うような議論が横行しているとしても、それは、歴史学者が答えるべき問いではない。歴史学者である前にひとりの人間として、一知識人として、問われているのであり、だからたんに「わたし」は言う、従軍慰安婦は在った、と。</p>
<p style="text-align: center;">◇</p>
<p>歴史は、それが学であるかぎり、たったひとつだけしかない真実を語らねばならないにもかかわらず、そんなひとつの真実を語ることができない。歴史学が単数の真実を語っているようにみえるとき、それは、ほぼすべて、イデオロギーと見做して差し支えない。歴史学は、いつも、ひとつの真実を語ろうとして、複数の真実の存在を洩らしてしまう、したがって、いままさに語っていた真実とは別の真実の存在を無言のうちに語ってしまう、たがの外れた装置である。そして、このたがの外れた音響装置が望むと望まざるとにかかわらず生み出してしまう、複数の真実、ということに満足するわけにもいかない。なぜなら、真実は権力を不可避的に作り出すのであり、したがって、複数の真実が作り出すのは、結局のところ、複数の国家でしかないからである。それでは、歴史学の欠陥の上であぐらをかいているだけなのである。だが、だからといって、そうした装置を捨ててしまうことはできない。ただひとつの真実を知るための方法がその装置にしか残されていないときに、それが不良品だといって捨ててしまうのはおろかである。</p>
<p>この装置の欠陥を最初に指摘したのは一九世紀のニーチェである。そして、この壊れた装置をなんとか利用できる形にしたのが、二〇世紀のミシェル・フーコーである。だから、われわれは、フーコーの仕事以来、上のような、一八世紀以降、とりわけ二〇世紀初頭には社会科学的裏づけを得てすでに出来上がっていた、調子の外れた歴史学という音響装置の、まさにその欠陥を利用する形で、なんとか、希少な真実を取り出し、音色を響かせようと努力してきた。すなわち、高見順がそれと意識して語らなかった、通りがかりに触れた、取るに足らないような言葉、つまり、彼が語ろうとして語ったのではない言葉の中にこそ、真実を見出すのである……。</p>
<p style="text-align: center;">◇</p>
<p>さて、歴史学が語ろうとする真実とは逆の真実がありうることを、それが自身の欠陥としてであれ歴史学自体が認めているのであれば、“従軍慰安婦は存在しない”と言ってしまうこともまたできるのではないか。この質問の答えは、然りであり、また、否、である。もちろん、それは可能である。ただし、それを歴史学の言葉として語りたいのならば、次の条件をクリアしたかぎりでのことである。つまり、今日、すでに無数に確認されている、それも複数の陣営において確認されているすべての従軍慰安婦の存在についての言説がデタラメである場合である。というのも、残念ながら、“従軍慰安婦が存在しない”という命題を裏付ける積極的な一次史料はただのひとつも存在しないからである。だから、もし、“従軍慰安婦は存在しない”と語る歴史学者がいるとすれば、それは、地球上に存在するすべての史料をしらみ潰しに当たったのでないとすれば（そんなことは不可能である）、たんに、すべての言葉は現実と対応していないというテーゼを不当に拡大解釈しているだけに過ぎないし、さらに言えば、その行為は、たったひとつしかない、歴史という装置の欠陥をただ非難するだけで、仕舞いにはそれを捨て去ってしまった非―歴史学である。すなわち、じつは本人が気づいていないうちに、愛すべき彼らはこう言っているのである。従軍慰安婦は存在しない、南京大虐殺は存在しない、太平洋戦争は存在しない、昭和天皇は、東条英機は、大日本帝国は存在しない、歴史は存在しない、そして、わたしは存在していない、と。</p>
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