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	<title>ex-signe &#187; naturalism/Zo-ka</title>
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		<title>コロー讃</title>
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		<pubDate>Tue, 30 Dec 2008 05:25:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[fairy/nymph]]></category>
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		<category><![CDATA[Zola]]></category>
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		<description><![CDATA[春に東京、秋に神戸で行なわれていたコロー展のカタログを手に入れた。それを読むと、彼を評価する過去の芸術家のさまざまな言葉を見つけることができる。それを紹介する文章を適当に引用してみよう。たとえば、エミール・ゾラ。 もし彼 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="post">春に東京、秋に神戸で行なわれていたコロー展のカタログを手に入れた。それを読むと、彼を評価する過去の芸術家のさまざまな言葉を見つけることができる。それを紹介する文章を適当に引用してみよう。たとえば、エミール・ゾラ。 </p>
<p class="post">
<blockquote>もし彼がよく使う霞がかった色調によって、夢想者や理想主義者のなかに分類されているようなら、その筆触の堅固さや厚み、自然から受け取った真の感情、大づかみな全体把握、とりわけヴァルールの調和の正確さによって、彼は現代の自然主義の巨匠たちの一人に数えられる。（15ページ）</p></blockquote>
<p class="post">そのゾラに対しては、ポール・セザンヌがこう言っている。</p>
<p class="post">
<blockquote>セザンヌは笑いに喉を詰まらせながら、こういった。「もしニンフたちの代わりに農婦たちが森に集っているなら、コローの絵を存分に満喫するのだ、とエミール[・ゾラ]はいっていたよ」。そして立ち上がり、そこにいるかのごとくゾラに拳を振り上げていった、「バカな奴だ！」（26ページ）</p></blockquote>
<p class="post">つまり、ゾラからすれば、ニンフが農婦であれば、もっと社会主義的な観点からも評価し得た、ということなのだろう。ゾラの正確な発言は次のとおりである。「もし彼の森に集まるニンフたちを、これを限りに殺してしまい、その代わりに農婦を置くことに、コロー氏が同意するならば、私は彼の作品をどこまでも愛するだろう」。だが、セザンヌからすれば、貧しい農婦たちこそ、ニンフとして描かれねばならないのだ。ゾラはなにもわかっちゃいないのだ。セザンヌは、マネに対しても、「君のコローだが、ちょっと個性を欠いていると思わないか」、などといって批判しているが、実際、十九世紀後半のフランスの画家たちにとって、コローはアイドルの一人だった。</p>
<p class="post">たとえば、モーリス・ドニは、一九二三年に行なわれた「最も偉大なフランス画家」についてのアンケートにおいて、こう言ったという。</p>
<p class="post">
<blockquote>ドニは、ほとんどすべての長所を併せもつドラクロワに投票しようと考える。「画家としてドラクロワに欠けているのは…コローの長所だけだ。ドラクロワはフランス絵画の知性だ。しかしコローはフランス絵画の本能だ。簡潔なるコロー、正確なるコロー、フランシスコ会士で敬虔なコロー。最終的に私はコローに投票することになるのだろうか。</p></blockquote>
<p class="post">ドニはまた、次のようにも言ったという。</p>
<p class="post">
<blockquote>ローマから、何度も描いたフランス・アカデミーの噴水を前にして、ドニはアンドレ・ジッドにこう書き送っている。「このすばらしい噴水の周辺は、いつも柔らかな影に包まれている。ヴィラ・メディチの前のコロー泉！　ああ！　そこでわれわれの印象派理論と古典的方法とが対面している。何という高揚感か！」（27ページ）</p></blockquote>
<p class="post">また、コローとその父親との関係が自分とよく似ていると感じていたゴッホは、北国の景色を眺めながら、コローの精神に気づいたといい、弟のテオにこう書き送っている。</p>
<p class="post">
<blockquote>僕たちが通りがかった寂しい小屋、痩せ細ったポプラに囲まれ、黄色い葉の落ちる音が聞こえる。ブナ垣と土壁に囲まれた小さな墓地には、ひしゃげた古い鐘楼。平らな風景、荒れ地、麦畑、何もかもがコローの最も美しい作品のモティーフそのものを目の当たりにさせる。ただコローのみが描いたかのような、沈黙、神秘、平穏……。（24ページ）</p></blockquote>
<p class="post">コローの影響を自らのうちに認めていた画家たちをあげれば、きりがないほどである。ゴーギャン、ピカソ、マティスやカンディンスキー、はてはピエト・モンドリアンまで、つまり印象派から絵画的抽象に到達した二十世紀の芸術家まで、彼らはコローから、思い思いに自分なりのコローを読みとっている。だが、ここは、印象的なルノワールの言葉を引用しておこう。</p>
<p class="post">
<blockquote>ある日、幸せなことに、私はコローの前にいました。戸外制作の難しさを彼に話すと、彼はこう答えました。「外では、自分がすることに決して確信などもてないということです。常にアトリエでやり直す必要があります」。それにもかかわらず、コローは「印象派」の誰もが到達できない現実性によって自然を表現したのです！　私は、シャルトル大聖堂の石の色調や、ラ・ロシェルの家の赤煉瓦を彼のように表そうと苦労しました！</p>
<p>コローは世紀の偉大な天才であり、これまでで最も偉大な風景画家です。彼を詩人と呼ぶ人もいますが、何という誤りでしょう！　彼は自然主義者です。私は彼を研究しましたが、彼の芸術には決して到達できませんでした。…私は彼を真似しようとしました。ラ・ロシェルの塔に、彼は石の色を与えましたが、私には決してできませんでした…。(26ページ)</p></blockquote>
<p class="post">ルノワールは、映画監督となった息子のジャン・ルノワールにこう言っている。</p>
<p class="post">
<blockquote>私はすぐさま、偉い男というのはコローのことだとわかった。彼は決して消え去ることはないだろう。デルフトのフェルメールのように、流行とは別のところにいるのだ。（15ページ）</p></blockquote>
<p class="post">塔の石に色彩を与えたというコロー。ジャン・ルノワールがモノクロームのフィルムに与えた色彩は、おそらくは、コローの色彩なのである。親愛なる読者たち、みなさんは、コローの色彩を見る機会に預かることができただろうか。最近のわたしの心配事といえば、これに尽きる。わたしたちは、色彩を実現せねばならない……。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>コローの偉大</title>
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		<pubDate>Sun, 30 Nov 2008 16:38:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>
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		<category><![CDATA[farbenlehre]]></category>
		<category><![CDATA[naturalism/Zo-ka]]></category>
		<category><![CDATA[私小説]]></category>

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		<description><![CDATA[いま、神戸市立博物館でコロー展が開催されている。十九世紀フランスを代表する画家であるジャン＝バティスト・カミーユ・コローといっても、知っているのは名前くらい、かの「真珠の女」でさえ、かつて教科書で見たかどうか、あるかなき [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>いま、神戸市立博物館でコロー展が開催されている。十九世紀フランスを代表する画家であるジャン＝バティスト・カミーユ・コローといっても、知っているのは名前くらい、かの「真珠の女」でさえ、かつて教科書で見たかどうか、あるかなきかのおぼろげな記憶がある程度である。彼がどういった系譜に位置するのか、また彼がどういった動機で絵画を制作していたのか、美術史の知識も端から乏しい。要するに完全な素人であることを承知で、それでも、彼の絵画をみて感じたこと、考えたことをここに記しておく。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>まず、正直に告白しておくと、わたしは「真珠の女」をみて泣いてしまった。別に悲しかったわけではない。たんに衝撃から涙が出たのである。これはちょっとすごい。展示は六章構成。イタリアの風景をモチーフとした初期の作品を中心とした第一章から、二章から四章にかけては風景画のコロー、そして五章では人物画のコローをまとめ、最後の六章で彼の「想い出（スヴニール）」を題材としたやや虚構的な風景画を中心とした晩年の作品で幕を閉じる、といったもので、非常に手際よくまとまっていたと思う。</p>
<p>まずは彼の光の表現に注目しよう。習作時代のそれは、いわば、光のイデアリズムというべきもの、ほとんどプラトニックな、理想主義的な光の表現が画面全体に広がるのを見てとることができる――かにみえる。だが、それは、あまりに皮相的な見方だろう。それは、コローの影響のもとに描かれた&#8220;コロー風&#8221;の絵画が、あまりに明るすぎる感じを与えることからもあきらかだ。コローの絵は、もっと暗い、というか、明るすぎない。影は光に従属していないし、光が影によって補完されるのでもない。光のみならず、影もまた、光のコントラストと言い切るにはあまりに深く、そして淡い。光は影であり、影は光であるといった弁証法はそこにはなく、むしろ、光から影へのグラデーションは、おたがいを差異化しながらミルフィーユ状に重なってゆく。それでいて、光は光としての、影は影としてのイデアを失わない。グラデーションといっても、科学的に単純化された光量の調節の問題に還元されていないのだ。なぜか？ なぜそれが可能なのか。それは、彼が、まさに《見るという経験》をキャンパスに描いているからだ。見るという行為が、さまざまな光の粒子に陰と陽の名と統一とを与えるのだ。</p>
<p>つまり、彼は、古い科学のように、自己をたんに否定していない。彼の目は手とひとつであり、したがって、見るという経験は即座にキャンパスに描かれる手の速度となって実現する。《自然》をことのほか愛好したという彼は、だからといって、《見るという経験》をそれに対立させなかった。そのことがその他のバルビゾン派などはるかに超えて彼を偉大にしたと思う。彼はオペラを愛したともいうが、そのことと彼の自然への深い愛情もまた、対立しない。むしろ彼は、自然のなかに、すでにオペラ的虚構の世界は織り込まれていると、そう考えている。ふつう、ひとが虚構を自然や物自体に対立させるのだとすれば、コローは虚構を自然のなかに認めたのだ。つまり、《虚構は実在する》。</p>
<p>彼の人物画もまた、そうした観点から見られねばならない。彼の描く人物は、ニンフ（妖精）であると同時に現実の人間であり、かぎりなく虚構的でありながら、現実に存在する市井のひとたちとなる。幾重にも積み重なった光のカーテンの狭間で、ふいにキャンパスに捉えられたモデルたちの色彩は、彼の《見るという経験》によってついに可能になる。潜在的な差異化を繰り広げていたモデルたちの放つ光の粒子が、コローの視線によって、色彩となる。要するに、モデルたちは、コローの色彩を得てはじめて真に実在する力を得るのだ。絵画とは、コローにとって、言葉の真の意味できわめて《実践的な》リアリズムである。かの「青い服の婦人」の奇跡のような美しさは、光と影の交錯するわずかな隙間にコローが切り開いた色彩の実在を物語っている。というか、実在とは、色彩である、そういうことを彼の絵画は感じさせる。</p>
<p>そして、五章のクライマックスが「真珠の女」である。《見るという経験》が、すでにして自然のなかに属するのであれば、もはや対象（オブジェ＝物自体）という思考は存在しなくてもよいはずだ。というのも、自己と対象を分かつ分水嶺は、もはやそこにはないからである。したがって、見る／見られるという一対の概念にも変更が加えられなければならない。それらは、結局、別々の行為ではなく、ひとつの行為だからである。見る／見られるという一対、作者と対象という思考は、あまりにも主体中心の思考なのである。だから、コローは「真珠の女」に、こちらを見させることを躊躇わなかった。彼女の視線は、自身を描くコローか、さもなければコローの手を見ている。《見るという経験》は、《見られるという経験》とひとつであり、いうなれば相互扶助的な関係なのだ。彼の言葉でいえば、それが「感情」である。彼は言う。</p>
<blockquote><p><font color="#888888">芸術における美とは、われわれが自然の外観から受けとった印象のなかに浸された真実である。どうということもない場所を見ていて私は胸を衝かれる。模倣を追及しているにもかかわらず、私は自分を捉えた感動を片時でも失うことがない。現実は芸術の一部であり、感情は芸術を完全なものとする。</font></p>
</blockquote>
<p>「感情」はすでに自然に属す。したがって同時に美は自然の真理であり、現実とは芸術の一部である。美や芸術、理想や真理、そして感情、それらすべてが自然の名のもとに混在する世界。ここには、カント的な区分はいっさい必要がない。むしろ端的に、《私小説的なもの》がある。つまり、フローベールが「ボヴァリー婦人は私だ」、と言ったのと同じ意味で、「真珠の女」はカミーユ・コローなのである。われわれが「真珠の女」をみていると思っているとき、じつは、コローがわれわれを見ている。この視線の異常な強さは、イングマール・ベルイマンの『不良少女モニカ』か、あるいはゴダールの『勝手にしやがれ』のヒロインたちのカメラ目線に匹敵しよう。というよりは、美術史的にいえば、映画のヒロインたちの視線は、コローの「真珠の女」の遺伝子の遅れた開花であると考えるのが正しいにちがいない。</p>
<p>六章、すなわちコローが晩年にとりかかったのが、「想い出（スヴニール）」と称される一群の諸作品である。彼は記憶の重要性を語る。だが、それをもって、対象なき虚構の世界の知的な構築などとは考えないことだ。やはり、ここにもカント的な区分はすこしも必要がない。彼が必要としているのは、もちろん対象ではないが、かといって対象とは切り離された虚構の世界でもない。彼は、ただ次のことだけを行なえばいいことに気づいたのだ――すなわち、自然に等しい彼の感情＝経験が積み重ねてきた記憶の湖の底から湧き上がる、尽きせぬイメージを汲み上げること。なぜなら、記憶は、それが経験によって得られたものであるかぎり、すでにして芸術であり、現実であり、そして自然だからである。見るという瞬間的な経験をキャンパスに封じ込めてきた彼の絵画が、記憶に向かうのは必然的だったろう。《見る目》と《描く手》をひとつのものと考えたように、今度は《想起》と《描く手》をひとつのものと考えるのだ。記憶とは、ひとつの絵画なのである。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>あまりに急ぎすぎて、いつにもまして文章がよくまとまっていないのはよく承知している。というか、彼の絵画を語るには、わたしの文章はいかにも貧しい。いずれにせよ、近代絵画の近代的ではなかった真の出発点のひとつがここにあったことは、よくわかった。だが、そんな美術史的な観点などどうでもよくなるくらいの感動を得ることができた。どうしてこんなひとがいたのに今まで気づかなかったのだろう！</p>
<p>会期はあとわずかである。どうか、できるだけ多くのひとが、コロー展の感動に浴さんことを。&#8230;&#8230;</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>芸術について――認識論を超えて</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/philosophy/755.html</link>
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		<pubDate>Fri, 05 Sep 2008 06:27:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[philosophy]]></category>
		<category><![CDATA[Ariston of Chios]]></category>
		<category><![CDATA[Duchamp]]></category>
		<category><![CDATA[Kojin Karatani]]></category>
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		<category><![CDATA[中間のもの]]></category>

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		<description><![CDATA[古代ギリシアはキオスのストア派哲学者、禿頭のアリストンは、こう言ったという。 最良のもの（徳）と、最悪のもの（悪徳）とについてだけ関心をもち、その中間のものにはどちらでもない態度をとる。それこそ、人生の目的（テロス）であ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>古代ギリシアはキオスのストア派哲学者、禿頭のアリストンは、こう言ったという。</p>
<blockquote><p>最良のもの（徳）と、最悪のもの（悪徳）とについてだけ関心をもち、その中間のものにはどちらでもない態度をとる。それこそ、人生の目的（テロス）である<sup><a href="#n01" name="p01">(1)</a></sup>。</p>
</blockquote>
<p>「人生の目的」とは、いかにも大げさに聞こえる。しかし、この宣言はとても興味深い。というのも、最悪のものは、最良のものと同様、関心を払うに値するものということになるが、関心という点からすると、最悪のものは、最良のものと同様に、優れたものでありうるからである。ひとは、つねに、最悪を回避しようとする。最良をその手に掴む《実践》よりも、最悪を回避する《非-実践》を優先する。この《非-実践》が実践する生産こそ、《中間のもの》である。《中間のもの》について、判断しないという彼の宣言は、裏を返せば、じつは本当に回避せねばならないのは、《中間のもの》であり、そして避けるのがもっとも困難なものこそ、《中間のもの》である、ということにほかならない。《中間のもの》を避けるのが容易であるならば、それは、目的（テロス）というほどのものではなくなってしまうだろう。</p>
<p>しかし、それは不思議なことだ。本当に避けるべき最悪のものは、最悪のものではなく、むしろ、《中間のもの》である、ということになってしまうからだ。われわれが選び、そして掴まされているのは、じつは、いつも、避けるのが困難なこの《中間のもの》である、ということだろうか。アリストンのこの含蓄のある宣言は、この《中間のもの》こそ、批判に値する、最悪のものなのではないか、という疑問に、われわれを導いてゆく。《中間のもの》を自ら選ぶ《非-実践》、選択ならざる選択を避けねばならないのは、それが、ひとを、知らず本当に最悪のものに導いてゆくからなのではないだろうか。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>柄谷行人は、芸術に関して、次のようなことを言っている。すこし長くなるが、ここに引用する。</p>
<blockquote><p>ここであらためて、カントの芸術論について述べてみる。カント以前の古典主義者は、芸術性が客観的な形態にあると考えており、カント以後の浪漫主義者は芸術性が主観的感情にあると考えた。しばしば、カントはロマン主義者の先行者と見なされるが、実際には、彼はその二つの「間」で考えたのである。それは彼が経験論者と合理論者の「間」で考えたというのとまったく同じである。むろん、彼はそれらを折衷したのではない。彼は、認識を認識たらしめる根拠を問うたように、芸術を芸術たらしめる根拠を問うたのだ。ある物が芸術であるか否かは、それに対する他の関心を括弧に入れることによってのみ決まる。それが自然物であろうと、機械的複製品であろうと、日常的使用物であろうと、関係がない。それらに対する通常の諸関心を括弧に入れて見るということ、そのような態度変更が或る物を芸術たらしめるのだ。</p>
<p>&#8230;われわれは物事を判断するとき、認識的（真か偽か）、道徳的（善か悪か）、そして美的（快か不快か）という、少なくとも、三つの判断を同時にもつ。それらは混じり合っていて、截然と区別されない。その場合、科学者は、道徳的あるいは美的判断を括弧に入れて事物を見るだろう。そのときにのみ、認識の「対象」が存在する。美的判断においては、事物が虚構であるとか悪であるとかいった面が括弧に入れられる。そして、そのとき、芸術的対象が出現する。だが、それは自然になされるのではない。人はそのように括弧に入れることを「命じられる」のだ。</p>
<p>柄谷行人『トランスクリティーク』岩波書店、2004年、172-4頁。</p>
<p>たとえば、或る人殺しがいるとします。それは、法的・道徳的に非難されますが、同時に、それは趣味判断の対象です。映画や小説では、しばしば犯罪者やヤクザが主人公となります。人々は、日常では嫌悪するはずなのに、映画や小説では、彼らを支持し、自己同一化したりします。これは美的判断です。その根拠を、カントは「無-関心」性に求めました。それは、道徳的・知的関心を括弧に入れることです。人がこのような映画や小説を楽しむというのは、――あるいは時には、現実の事件に関してもそのような見方ができるということは、――実は、そのように文化的に訓練されたからです。</p>
<p>同『倫理２１』平凡社、2000年、65頁。</p>
</blockquote>
<p>&#8230;&#8230;。こうした芸術の定義は、よく聞かれる。おそらく、アカデミックな世界では、きわめて中心的なものであるだろう。もちろん、それらにもちがいはある。すなわち、柄谷のそれは、きわめて意識的に選び取られたものであり、アカデミックな世界においては、きわめて無意識的なものである。そうした差異を認めるとしても、結果的には同じものである。芸術（美）は、道徳的（善）・知的（知）関心を括弧に入れることによって、成立する。それは、一般にも受け容れやすいものだろう。裏を返せば、映画や小説であれば、殺人も、近親相姦も、つまり道徳に反することも、非政治的であることもなんでも許される、ということだし、また、一般にもそうとみなされていると思われる。《芸術の世界で殺人が許されるのは、それが、道徳的な関心とは無縁の美的世界でなされるからである》。</p>
<p>だが、芸術が具体的に実践される場面においては、そんなことは不可能である。かりにも芸術がなんらかの《実践》であるならば、括弧に入れたり外したりできるような、そんな認識論上の《関心》など、まったく歯が立たない。芸術家が現実に作品を作りあげる場面においては、同時代の道徳や政治と無縁でいることなど、絶対に不可能だからである。泉鏡花の優れた自然主義文学批判にしたがうなら、《芸術の為の芸術が、たんに芸術の為だけの行為であることはありえない》のである<sup><a href="#n02" name="p02">(2)</a></sup>。したがって、わたしなら、《芸術の世界で殺人が無条件に許された試しなど、ただの一度もない》と言うだろう。括弧のなかであればある行為が許され、括弧の外であればその同じ行為が不可能となる、という思考は、いくら認識論的に許されはしても、現実的ではない。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>柄谷の芸術論が陳腐なものに（わたしには）みえるのは、結論だけを取り出すからだ。柄谷の芸術論は、通例のアカデミズムからは一線を画している。そういう意見もあるだろう。柄谷は、ときには括弧をはずしてみること、「態度変更」が重要だと言っているではないか&#8230;&#8230;。だが、わたしには、それも含めて、もっとも洗練されてはいても――そしてだからこそわたしは論じるのだ――、アカデミズムの枠からは出てこない芸術論であるとしか、考えられない。</p>
<p>時と場合に応じて、括弧は取り外さねばならない、という。たしかに、括弧に入れられる以上、外すこともできるべきだろう。しかし、この「時と場合」が具体的にどのようなものか示されない限り、そしてどのみちこの外在的な条件に依存しているかぎり、この括弧にまつわる理論は理論としてはつねに不完全である。つまり、カントが一時そうしてしまったように、その判断を常識（共通感官）に仰がねばならなくなる。だいいち、われわれは芸術の芸術性を、たんに美的関心のみによって評価していたりするだろうか。本当にそんなことが可能なのだろうか。完璧に邪悪で、しかも嘘八百であり、なおかつ美しいものなど、存在するだろうか。一方を否定することで成立するような、そんな閉ざされた論理構造のなかに、芸術ははたして存在したことがあったのだろうか。それに「態度変更」といっても、結局、別の括弧に依存するのなら、もうひとつの同じ大学ができるだけではないのか。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>柄谷は、こうした認識論主義の芸術論を説明するとき、よく、マルセル・デュシャンの『泉』を引き合いに出す。トイレを『泉』と題して美術館に出品した、あの果敢な作品である。彼はそれを自説を補強する材料として、次のように説明している。</p>
<blockquote><p>古典主義美学〔美を客観的なものとする〕やロマン主義美学〔美を主観的なものとする〕が古くさくなっても、カントの「批判」は少しも古びていない。たとえば、デュシャンが「泉」と題して便器を美術館に提示したとき、彼は芸術を芸術たらしめるものが何であるかをあらためて問うたのだが、それはまさにカントが提起したポイントの一つであった。すなわち、物をそれに対する日常的諸関心を括弧に入れて見ること。もう一つのポイントは、美的判断には普遍性が要求されるにもかかわらずそれがありえないということ、われわれが普遍的と見なすものは歴史的に形成された「共通感覚」にもとづいているということである。</p>
<p>前掲『トランスクリティーク』、172-3頁。</p>
</blockquote>
<p>トイレが美術館に作品として提示されていることが、トイレを美的に、つまり芸術として《構成する》、というのである。要するに、芸術は、ひとがそれを「芸術」としてみる認識にかかっている。たんに既製品であるトイレが、美術館に飾られているということ、それがトイレを芸術作品として見せてしまうのだ、ということらしい。だが、本当に、そのことだけが、『泉』を芸術作品にしているだろうか。この説明であれば、別にそれがトイレである必要はなかったことになる。ティッシュでもディスプレイでも、いわゆる美術品とは見えないものであれば、何でもよいのだから。だが、そのカント的な見かたは、デュシャンの『泉』の評価として不十分である。それだけでなく、結果として、この芸術論の射程の浅さをも示してはいまいか。</p>
<p>デュシャンの『泉』からわれわれが受ける印象の強さは、たんに日常的に使用される既製品が美的に隔離される、ということだけに存していない。どう考えても、《ほかならぬトイレである》という点から発生している。この倫理的・自然的必然性が、デュシャンの『泉』を芸術作品にしていると考えるほうが、わたしには説得的に思える。柄谷の用語でいうなら、美術館に置かれている、という事態によって発生する美的関心のみならず、普段の生活で、ひとがあるやり方で使用する「トイレ」であるという日常的諸関心も含めて、芸術として成立しているのである。はたして、既製品であればなんでもよい、というようなコンセプチュアルな「批評」的論理だけで芸術が成立するものなのだろうか（実際、柄谷のような論理で、今日では「芸術」が大量生産されているのだが）。私見によるなら、デュシャンの『泉』がかろうじて芸術作品として成立しているのは、人の手に塗れたこの既製品が、にもかかわらず、トイレであるという点によって、もっとも《自然》な領域に接続しているからである。たとえば絵画という人間的なものが、にもかかわらず《自然》の一端にじかに触れることによって、芸術作品になるように。繰り返せば、トイレは、人工物であるにもかかわらず、言葉の真の意味で、《自然》と接触するのである（この作品は、ある点において田山花袋の『蒲団』と肩を並べるものだろう）。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>一方には、美が、客観的な実在として存在する、という芸術家（１）がいる。また、他方には、美は主観的な精神として存在する、という芸術家（２）もいる。カントは、その両者のあいだで思考した。といっても、カントは、ヘーゲルのように両者を折衷した（３）のではない。ただ、条件に応じてどちらをも批判した（４）。&#8230;&#8230;</p>
<p>そもそも、美が客観的実在であるなどといっている芸術家も、徹頭徹尾主観的なものだといっている芸術家も、わたしには探すのが困難である。具体的に誰のことを言っているのかはっきりしない。だが、こうした意見が（特に分類好きの批評家や芸術史家のなかで）あるのはわかる。哲学史的にいえば、一方はヒュームであり、他方はデカルトであろう。そしてヘーゲル的にそれらを弁証法的に折衷したわけではなく、両者を臨機応変に批判したカントが、賞賛される。あるときには美的な関心を括弧に入れて、道徳的な関心から法的に「審判」し、またあるときには、道徳的な関心を括弧に入れて、美的な関心から芸術的に「批評」する。これをトランスクリティークという。こうした関心と括弧と判断の外側には、《自然》の世界が広がっている。だが、それはわれわれには不可知の、《物自体》の世界である。こうした態度変更を促すのは、この《物自体》をなんらかの形で（つまり「仮象」として）表象させる、感官（感性）と接続した想像力である、というのだが、とはいえ、われわれの感官は、《物自体》とは隔離されている、ともいう。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>柄谷の意見がまちがっているとはいわない。そもそも、議論としてはあまりに不十分であるから。ただし、彼は、そしてもし彼の意見がカントから出ているのだとすれば、二人とも、「芸術」という用語を使いながら、ただの一度も芸術については論じていないと、わたしは思う（ただし、わたしはカントを柄谷のようには読まない）。大学という括弧のなかでだけ通用する、おしゃべりであるように聞こえる。</p>
<p>かりに芸術の世界では人殺しが許されているとして（美的括弧のなかの世界）、また《現実》には人殺しは許されていない（美的括弧を取り除いた道徳的括弧の世界）として、ならばいったい、芸術は、《現実》にはなにを行なっているのだろうか。芸術が《実践》することなく実践している非現実的認識論の世界は、いったいどこに《ある》のだろうか。そもそも、芸術家は、殺しているようにみせかけているだけで、《現実》にはなにも行なっていないのだろうか。芸術は、「まやかし」の世界にだけ棲息しているのだろうか。</p>
<p>そんなはずはない。なぜなら、芸術作品は、誰がなんと言おうと、《現実》に生産されているからだ。われわれをときに涙させ、ときに笑わせ、そしてときに声も出ないほどに感嘆させる、ちゃんとした実感と重み（たとえ粒子のように軽いものであったとしても）をともなった物質として、この世に存在している／していたからだ。それらが、嘘であるとは、どうしても思えない。『イリアス』がこの世に生まれ出でて以来、この作品がホメロスの認識のなかにだけあったことなど、ただの一度もない。坪内逍遥は、シェークスピアの『マクベス』を、《自然（「造化」）》であると言った<sup><a href="#n03" name="p03">(3)</a></sup>。シェークスピアは存在せず、ただ、雨に濡れる森の木々や、湖に小波をつくる風と同じように、『マクベス』が存在するのだ、と言った。それで正しい。彼はちゃんと芸術について論じている。芸術は、古代からいままで、ずっと、認識の側にではなく、自然の側にあったからである。風が木々を揺らすのとまったく同じように、よい音楽は、ひとを踊りに誘う。隣人の死がひとを涙に暮れさせるのとまったく同じように、よい文学はひとを涙へと誘う。それらは、けっして、嘘ではない。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>柄谷のカント読解に、批判的に即して言えば、こうだ。美は客観的な実在としてある、という定義と、主観的な精神としてある、という定義は、この定義が主張しようとしている内容に限定してその前提を問わないでおけば、《現実的に同時に成立する》。つまり態度や関心に応じた選択の問題ではなく、どちらともが真であるか、どちらともが偽であるか、というパターンしか存在しない（アンチノミーはすべてそうであるし、またそうでなければ、《ヒュームとデカルトの両者がともに実在であったことが説明できなくなる》）。主観的であろうが客観的であろうが、美は、存在するかしないか、のいずれしかありえないからだ（そして、その場合、美を論じている以上、美は存在する、という、両者ともに肯定する立場しか取りようがない）。美はわたしの頭のなかだけにあって、客観的にはない、といっても、まったく無駄である。それはないのと同じなのだ。美が客観的にあるならば、主観的にもあるし、主観的にないのならば、客観的にもない、ということにしかならない。どちらか一方だけが正しいというパターンは、じつは《実践的には》存在せず、したがって、すくなくとも芸術に関するかぎり、最終的には両者とも否定することで閉じるトランスクリティークは実践不能である。美を奪い合っている主観と客観の両者は、弁証法的に統合されるより以前に最初からひとつであり、また、時と場合に応じてどちらかを批判するもなにも、その分割がそもそも成立しない多様体である。客観的な肉体と主観的な精神という言い方があるとしても、肉体と精神とが別々であったためしなど、ただの一度もない。つまり、精神とは、通例の肉体とは認識論的に区別されるとしても、別種の連続する同じ身体の謂いなのである。いずれにしても、分割を証明しえぬ「アンチノミー」を根拠に議論をしても、仕方がない。《美が客観的な実在なのか、それとも主観的な精神なのか、そんなことは、芸術の実践においては、どうでもいい》。主観的か、客観的かを区別しながら美を作り出せるような芸術家は、存在しない。彼らは、主客の別とは無関係に、たんに、美と信じるものを作り出しているだけである。要するに、本当に芸術を論じたいのであれば、われわれは、そんなカント読解から、もう一歩進んで――あるいは後ろ向きに跳躍して――もっとシンプルな、それでいてケイオティックなゼロに戻らねばならない。</p>
<p>真の芸術空間は、ここにある。現実を変える力を持った最良の芸術家も、やはり同じく現実を変える力を持った最悪の芸術家も、ここにいる。アリストンにしたがうならば、そうでない、中間の、現実とは隔離された認識論的似非芸術家など、どうして芸術として論じる必要があるのだろうか。美は主観的なものなのか、それとも客観的なものなのか。どちらであろうと、最良でも最悪でもありはしない。そんなことは、どうでもいい問題なのだ。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>柄谷はいう。</p>
<blockquote><p>&#8230;彼〔カント〕は一方で、芸術性が客観的な対象にあることを疑い、他方でそれが主観性（感情）にあることを疑っている。彼がもたらす主観性は、むしろこの疑いにあり、それはたえず規範化される芸術を、芸術を芸術たらしめる原初の場にもどすのだ。カントが認めないのは、美的領域が、客観的であれ主観的であれ、それ自体で存在するという考えである。</p>
<p>前掲『トランスクリティーク』、173頁。</p>
</blockquote>
<p>特定の美を否定したとしても、それは「原初」ではない。たんに別の括弧のなかに隠遁しただけである。たしかに、美が主観的に存在すると語ることも、美が客観的実在であると語ることも、いずれも、美がそれ自体で独立に存在すると主張する、独断論であるにはちがいない。だが、それらをたんに折衷したり、批判したりしているだけでは、それは結局、懐疑論、またの名「判断保留者」の言であることを越えられない。わたしは、判断保留者よりも、独断論者の方を推す。たんに世界を懐疑してそこにとどまっていたデカルトよりも、ただの数値を幾何と信じたデカルトを推す。そしてヒュームは懐疑論者ではない。あらゆる経験を肯定するために、それを否定しようとする&#8220;主体&#8221;を《屈折》とみなしただけである。</p>
<p>かつて、ソクラテスは、自身を、「産婆」であると語った。ひとびとが生み出す赤子＝作品、それは、《自然》において、すべて肯定される。ひとが作り出すにもかかわらず、赤子は《自然》の世界にある。それは、ひとつの芸術作品と同然であり、また逆に芸術作品は、赤子同然でなければならない。それは、独断論（自説を主張すること）であると同時に、独断論ではない。なぜなら、この地点において、良きにつけ悪しきにつけ、世界は不可避的な変化を被るからだ。世界が変化する以上、それは、たんなる独断でも、判断保留でもない。ソクラテスは、この地点ではじめて、倫理を語った。人間はいかに行動すべきなのか、と。それは、徹頭徹尾、懐疑論者が付与した括弧の外側である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>最悪のものを自ら選ぶ人間などいない。むしろ、最悪のもの、それは選ぶのではなく、選んでしまうものである。結局のところ、客観的実在であろうと主観的精神であろうと、自らどちらをこれと選ぶわけでもなく選べているあいだは、最良のものとも最悪のものとも無縁に、ただ中間のものを選ぶことなく選んでいるにすぎない（そして媒介的に最悪のものへと進んでいく）。そんな、ありとあらゆる《中間のもの》を遠ざける実践こそが、芸術であり、それは、《中間のもの》を選ぶことなく選んでいればいい、括弧つきの「大学」や「政治」の世界とは異なる、徹頭徹尾《実践》そのものであるような、本当の世界の実践なのである。</p>
<p>認識論者がどのように括弧を張り巡らせようと、人殺しが常態であるような世界を描いた作品ばかりを子供が読んでいれば（そしてそれが芸術の一端に触れていれば）、子供は本当に人を殺すようになる。子供のころから聴いていた音楽のために、身体はそのリズムに即して本当に形成されてしまう（だから子供はケージとグールドを両方聴かねばならない）。それを、例外的な、保持すべき認識論の境界を逸脱した現実界の侵犯、括弧からの水漏れとみなして非難すべきなのだろうか。そうではない。現実にそれが起こっている以上、非難の論拠はすでに破綻しているのである。大学的知性がつくる括弧は、多様な可能性に満ちた水流の変化を、排除すべき水漏れとみなし、なおかつそれを黙殺させるという、二重に性質の悪い役目しか果たしはしない。だが、芸術は、実際には現実の世界で、すなわち身体的に《作動している》のだ。</p>
<p>芸術がそこにすべてを賭けている《表現の自由》は、そういう《現実》の世界においてこそ、発揮されなければならない、とわたしは思う。そして、おそらく、真の芸術家による美と善の倫理的共鳴は、そんな真の世界でだけ、実現してきた。芸術が、《人を殺すなかれ》という命令を聞くのは、この場所なのだ。現実には、つねに作動しているそれを、いかに《意志する》か。真や善や美が本当の意味で、つまりニーチェ的に問われるのは、暗黙のカント主義者が作りあげた括弧をかなぐり捨てた場所、すなわち括弧などおかまいなしに浸入する《自然》の世界だけだったと、わたしは確信する<sup><a href="#n04" name="p04">(4)</a></sup>。</p>
<p>&#160;</p>
<h2>【註】</h2>
<ul>
<li class="note"><a href="#p01" name="n01">(1)</a> ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第7巻第2章。岩波文庫では「キオスの人で禿頭のアリストンは、&#8230;徳と悪徳との中間にあるものに対しては無関心な態度で生きることが（人生の）目的（テロス）であると主張したのであった」（330頁）。ディオゲネスによると、「セイレーン」と呼ばれるほど美声の持ち主だったアリストンは、しかし禿頭だったため、太陽に頭を焼かれて死んだという。 ディオゲネスは彼を揶揄してこういう詩を拵えている。「いったいなぜ、アリストンよ、あなたは年を老い、頭は禿げているのに、額を太陽に焼かせるようなことをしたのか。だからこそ、あなたは、必要以上に暖かいものを求めながら、心ならずも、ハデスという、ほんとうに冷たいものを見つけてしまったのだ」。 </li>
<li class="note"><a href="#p02" name="n02">(2)</a> 一般にロマン主義の代表格とみなされていた泉鏡花は、ロマン主義を「芸術の為の芸術」であるとする自然主義からの批判について、まず「私は自然主義でも何でも関はぬ。作をする時に何主義に依つて描かうと思つた事は無い」と断ったうえで、「要は好く描けさえすれば好い、自分の芸術的良心に恥ぢない作を示せば好いのだ」と言っている。また、こうも言っている。「肉の力を一に対して、美の力を九としても、それでも人を動かす力は、美の力が肉の力に及ばぬ」。しかし、彼は美に十倍する肉に対して、美によって戦いを挑むというのである。要するに、作品の優劣とは、「人を動かす力」によって決まるのであり、彼のいう「芸術的良心」がこの「力」に結びついている以上、「芸術の為の芸術」は成立しない、ということになる。「ロマンチツクと自然主義」1908年4月。&#160; </li>
<li class="note"><a href="#p03" name="n03">(3)</a> 坪内逍遥「『マクベス評釈』の緒言」『早稲田文学』1891年10月。「予がシェークスピヤの作を甚だ自然に似たりといふは、彼れが描ける事件、人物が、実際のに同じとにはあらず。彼れが作は読む者の心々にて、如何やうにも解釈せらるゝことの酷だ造化に肖たるをいふなり」。なお、柄谷行人はこれを「テクスト・クリティーク」だと言っている（『日本近代文学の起源』岩波書店）。この議論は、たとえばデリダとフーコーという二人のポストモダニストの差異を論じるほどに込み入るため、紙幅の都合上ここでは深く言及しないが、すくなくとも逍遥は一言も『マクベス』をテクストだとは言っていない以上（また、テクストが許す自由な解釈（「評釈」）の可能性を、結局は後段で排除している以上）、わざわざ「テクスト・クリティーク」と呼ぶ根拠はきわめて薄い。ここは、たんに『マクベス』＝「自然」＝「造化（非人称の生成）」と言っていると取るべきである。 </li>
<li class="note"><a href="#p04" name="n04">(4)</a> 鏡花は、「小説に用ふる天然」（『国民新聞』1909年1月）において、「小説を作る上では――如何しても天然を用ゐぬ譯には行かないやうですね」といっている。その一方で、同じ『国民新聞』において、夏目漱石は同じ主題でこのように言っている。「天然を小説の背景に用ふるのは、作者の心持ち、手心一つでせう。&#8230;其の時と、場合と、事柄とを考へて、適宜に用ふるの他はありますまい」。「天然〔＝自然〕」について、小説がどうしてもそこから逃れられぬもの、とする鏡花と、小説にとっては選択の問題にすぎぬという漱石、こうした二人の自然認識の差異を、今日の数多の文芸批評家がみているとは思えない。&#8230;&#8230; </li>
</ul>
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		<title>音楽の秘密、あるいはケージの外</title>
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		<pubDate>Thu, 28 Aug 2008 14:02:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<description><![CDATA[子供のころ、雨が降ると、いつもショパンの『雨だれ』を思い出した。雨の日の気だるい午後、ピアノに頭をあずけながら、雨の音にあわせて鍵盤を叩くショパンを想像した。自分も、雨が降ると、ピアノの鍵盤にゆっくりと指を乗せ、同じ音を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>子供のころ、雨が降ると、いつもショパンの『雨だれ』を思い出した。雨の日の気だるい午後、ピアノに頭をあずけながら、雨の音にあわせて鍵盤を叩くショパンを想像した。自分も、雨が降ると、ピアノの鍵盤にゆっくりと指を乗せ、同じ音を何度も何度も鳴らしつづけて、親を訝しがらせた。また、スティーヴィー・ワンダーという盲目の歌手が、雨が降るとなにを思うかと聞かれて、母の作るポップコーンの音だと言ったのが、少年のわたしに非常に強い印象を残した。それでかは知らないが、わたしは、雨の音は、すでに音楽なのだと考えるようになった。雨が地面や屋根を叩く意外なほど軽快で楽しげなリズム、雨が森を抜ける淑やかなメロディ、それらは、たしかに、よく耳を澄まして聴けば聴くほど、音楽だった。だから、もちろん、子供心に雨は好きではないと思い込んでいたが、だからといって、雨の音まで嫌いになることはなかった。</p>
<p>ジョン・ケージというひとがいる。ピアノの鍵盤の上を猫に歩かせて作曲してみたり、ピアノをおもむろにハンマーで叩き壊して音楽だと言い張ってみたり、サティの『ヴェクサシオン』という曲の８４０回リピートという指示をまじめに実践してギネス・ブックに載ってみたりしたひとのことである（彼の思想については、インタヴュー集である『小鳥たちのために』（青土社）を見るといいだろう）。わたしが彼のことを知ったのは高校のころで、大学に入り、なんとなく、知的な好奇心で、つまり教養として、聞くようになった。彼の音楽というよりは、パフォーマンスが、アナーキーな印象を与えてわたしに好感を持たせたが、音楽そのものについては、ワーグナーで頂点に達した西洋音楽の、理論的な飽和と崩壊の最終局面という実感を拭い去ることができなかったように思う。</p>
<p>とはいえ、初期のプリペアド・ピアノの作品は、とくに好んで聴いた。これらの曲は、そうした一連の理解やちょっとした反発とは隔離されて、感覚的にぴったりきたからである。だから、それを演奏した高橋悠治のディスクを、尊敬する知人から借りて以来、一時期はあの器楽曲が、自宅でも車でも、ヘヴィ・ローテーションでかかっていた。わたしは、あの曲を、歌いながら聴く。つまり、非常にメロディアスだと感じるのだ。高橋悠治の明晰な演奏――すべてが装飾音であるがゆえに、逆にすべてが主旋律に聴こえる瞬間がある――も手伝って、あのディスクは、わたしを古代ギリシアに運ぶ。彼の演奏は、数、そしとくに音楽に、神秘的な要素を認めていたピタゴラスのことを想起させた。3.14159265358979&#8230;&#8230;円周率を暗誦したくなった。</p>
<p>しかし、いつしかケージも聴かなくなった。むしろ、鳥が囀り、蛙が鳴き、蝉や蟋蟀が集くのを聴いた。近くの雑木林や空き地の雑草が、沈黙のなかで歌うのを、孤独な夜の静けさの底で、たしかに聴いた。そうしてケージの評価は一変した。ケージの音楽を聴かなくなってはじめて、いたるところで音楽が鳴り響いているのだ、というケージの主張が理解できるようになった。彼は、わたしが子供のころに知っていて一度は失ってしまったものを、終生つかみ続け、失わなかったひとだった。音楽は、はじめからおわりまで、自然の側に属していたのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>江藤淳は、サルトルが、音楽を、人間の外側にある&#8220;事物substance&#8221;であるかのように語ったことを批判して、このように言っている。</p>
<blockquote><p>遺憾ながら、この考え方はまったくあやまっている。おそらくこの高等師範学校出身の秀才哲学者は、自らピアノをひき、トランペットを吹き、ギターを奏でたことがないに相違ない。すでに第二章で指摘したように、音楽をまったく外在的な「事物」と考えることが根本的な誤解である。それは「持続するなにものか」ではあるものの、「事物」ではなく、「私の前」にもありはしない。逆に、それは「過程」であり、私が「そのなかに」参加して――直接演奏しないときでさえも――ともにつくりだしていくものである。（江藤淳『作家は行動する』） </p>
</blockquote>
<p>音楽とは、楽器を演奏し、そしてそれを聴く者とのあいだに構成される、「過程」である<sup><a href="#n01" name="p01">(1)</a></sup>。こうした考えには、ソシュール的な構造主義言語学や、あるいは時枝誠記風の「言語過程説」への回帰がある。時枝は、言語が音声であり、したがって自然科学の側にある、という発想を強く非難したひとである。江藤もまた、言語や音楽を、人文学の方に振り向けたくて、仕方がないのだ。彼のようにいうなら、音楽は、ソシュールのいう「ラング」に非常に似通ったものになるだろう。そして、もしかしたら、そうした定義は、音楽を、演奏する者と聴く者、言葉を語る者とそれに意味を与える者とのあいだで構成される文化的な差異を越えられない、ナショナルなものにしてしまうかもしれない。</p>
<p>認識論者は、音を音楽であると認定する精神の存在を高唱する。そして、音楽は、自然にあるのではなく、われわれ人類の脳のなかに、つまり認識が拵え上げるもの――虚構の一種だと主張する。したがって、音楽は、人間の存在なしには、鳴り響かない、徹頭徹尾、「過程」的な、なにかなのだということになる。そうして、音楽は認識の産物となり、文化の産物となる。音は、それを聴く認識によって「音楽」と雑音とに振り分けられ、世の中には、「音楽」と雑音の両方があふれることになる。人間の認識を漏れたというだけで、ある音は雑音となり、それゆえ、「音楽」が巷に溢れれば溢れるだけ、雑音もまた生み出されるということになる。なぜなら、「音楽」とは、結局、音を選別し、一方を排除することによってしか成立しえないからである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>江藤がまちがっているとは言わない。だが、わたしの考えに近いのは、サルトルである。ただし、わたしなら、「事物substance」という言い方はしない（この言い方は、たいへんサルトルらしい）。そんな大それたものではなく、もっと素朴に、「自然」と、いうだろう。われわれの知っている、そしてわれわれの知らないあらゆる物理法則を引き連れて、ピアノの鍵盤を指が叩くとき、それは、おそらく、すでに音楽であり、また音楽でなければならないのである。ショパンが、雨の音と戯れながら、たったひとりで恍惚とピアノの鍵盤を鳴らしていたあの瞬間、音楽がまだ鳴り響いてはいなかったと考えることが、わたしにはできない。ほとんどの人間が聴くことのできない、運命の扉を叩くあの音を孤独のうちに聴いたベートーヴェンが、音楽に触れることができなかったと考えることが、わたしにはできない。</p>
<p>音楽は、人間の外にある「事物」や「実体」ではない、というのは本当かもしれない。だが、だからといって、人間の内部にある「過程」や「認識」だ、というのがただちに本当だということにはならない。西洋の十八・十九世紀の音楽家や文学者、あるいは二十世紀はじめの日本の文学者たちは、どうしてあれほど屈託なしに《自然》を賛美できるのだろうか。音楽をこれほどすばらしいものにした古代ギリシアのひとたちは、なぜ、「自然に従って（カタ・ピュシン）」生きることを、あれほど強く推奨したのだろうか。なぜ、自らの「理性＝言葉（ロゴス）」を、「自然（ピュシス）」にまで高めようと、あれほどの努力と時間とを費やしたのだろうか<sup><a href="#n02" name="p02">(2)</a></sup>。そしてまた、どうして、自然を賛美する者たちばかりが、本当の《作品》を作りあげることができたのだろうか。</p>
<p>あらゆる音をなんらかの括弧に入れることによって、音は「音楽」になる、というテーゼがある<sup><a href="#n03" name="p03">(3)</a></sup>。それが正しいとしよう。そして、人間認識が拵え上げるそうした認識が、《自然》からは隔離されている、というテーゼがある<sup><a href="#n04" name="p04">(4)</a></sup>。それも正しいとしよう。実際、わたしもそう思うことがある。だが、音楽を高めた古代ギリシアのひとたちや、十九世紀を前後する世紀の音楽家たちの、あの屈託のない、直裁な《自然》崇拝は、わたしを戸惑わせる。そうした《自然》礼賛の直線性は、認識によって「屈折」させられた音こそが音楽であるという思考とは、あまりにもかけ離れているようにみえるのだ。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>今一度、ケージの音楽を思い出そう。それは、わたしが誤解していたような到達点ではなかった。徹頭徹尾、音楽のはじまりだった。それも、万人に開け放たれた門であり、いまここにある、起源なき起源だった。ケージは、演奏の周囲で鳴る「雑音」も、音楽として聴くことを、ひとびとに強いた。ケージは好んで休符を演奏したが、この休符のあいだ、音楽が鳴り止むことなどありえない。ケージは、生涯をかけて、そのことだけをわれわれに教えようとした。それは、むしろ、ひとが「音楽」だと思い込んでいるものを疑い、そんな括弧など外してしまったところにこそ、本当の音楽がある、ということではなかったのか。</p>
<p>おそらく、本当の音楽家は、拵えるひとなのではなく、より聴くひとたちである。耳を澄まして自然の音を聴こうとするひとたちだけが、音楽の秘密をすこしだけ知ることができるのだ。彼らは、作ったのではない。ただ、伝える者たちだ。差異につぐ差異を折り重ねてきた自然の奏でる音楽に、さらなる音を加え差し引いて、われわれ音楽に疎い者たちにも聴けるようにしているのだ。たとえば、グレン・グールドの演奏が、あれほど創造的に聴こえるのは、彼が、楽譜という痕跡にこだわるよりも、自然に等しいバッハたちの痕跡なしの音楽を、もっと聴こうとしているからだと、わたしは思う。彼はバッハの声を聴き、そして歌いながら演奏する。彼のハミングのあいだから漏れ聴こえる演奏は、創造的でありながら、それでいて、もっともバッハに近いと思わせてしまう。「実証」とは無縁の彼の演奏は、にもかかわらず、きわめて真理に似通っているようにみえる（もっとも、「実証」は、痕跡の周りをめぐって、正確な痕跡を再生産するばかりなのだから、真理と関係しないのは当然なのだが）。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>江藤の言うように、音楽は、たしかに「実体substance」ではないかもしれない。しかし、そうした問いは、たとえばイェルムスレウにしたがって<sup><a href="#n05" name="p05">(5)</a></sup>、われわれには、そんなことは問題ではないのだ、と指摘して済ますことにしよう。あるいは、小林秀雄にしたがって、「事物」であるとか、「過程」であるとか、言い換えれば、世界が存在しているとか、存在していないとか、そんなことは、どうでもいい問題だと言って、済ませてしまおう<sup><a href="#n06" name="p06">(6)</a></sup>。音楽は、われわれの外にあっていつも静かに、とてつもなく静かに鳴り響いている。人間のつくるそれがあるとすれば、「実体」というほど大それたものではない。せいぜい粒子のようなものだ。自然の奏でる音楽に、さらなる音を付け足したり、差し引いたりしながら、自然の音楽をわれわれに伝えているものこそが、それなのである。ひとのつくるそれは、いつも、自然への賛歌であり、《音楽とは、そのはじまりから、（つねになにものかの）装飾音なのだ》。</p>
<p>われわれは、すばらしい音楽に対して、喝采や歓声を抑えることができない。だが、それもまた、すでにして音楽である。その点では、罵倒でさえ、音楽でありうる。音楽は、そのはじまりがはじまりではなく、その終わりが終わりではない。江藤の見解に反して、はじまりよりも早く、すでに音楽は始まっている。つまり、「私の前」に、音楽はある。そしてもちろん、音楽の終わりの、さらにあとには、喝采や、すべての声を秘めた黄金のような沈黙がある。ライヴの熱狂それ自体が音楽であるのは、演奏家と聴衆とのあいだに、ただ「持続」する閉じた共同体ができるからではない。演奏家や聴衆といった主体など越えて、彼ら自体が、すでにある音楽の一部をなすからである。</p>
<p>それは文学も同じことだ。文学にとって、「、」や「。」は、文法上の切れ目や、文章の区切りではない。むしろ、それは、次の音を待っている休符であり、したがって、それもまた、沈黙という音楽である。おそらく、古代において、こうした句読点は、文法とは無縁のものだったにちがいない。「、」は、短い休み、八分休符のようなものであり、「。」は、すこし長めの休み、すなわち四分休符のようなものである。たとえば、江藤が露骨に嫌悪を示した折口信夫の天才的な文章は、あきらかに、こうした意図に貫かれている（こうした用法は、江藤のいう「音楽」とは異なる。江藤にとって、句読点は、「持続」を構成する端と端でなければならなかったはずだ）。</p>
<p>音楽であろうが、文学であろうが、それらが本当にその名に値するものであるならば、内的な、閉じた円環のなかで構成される意味論とはまったく無関係である。なぜなら、すでに、われわれの外で、われわれよりもずっと早くに、歌はもう鳴り響いていたからだ。音楽や文学は、そのはじまりや終わりにあって、自然とつながり、自然の一部をなしているのでなければならない。それが、鳥を愛したオリヴィエ・メシアンやケージ、あるいは蛙を愛した草野心平がわれわれに教えようとしていたことだったと思う。十九世紀の詩人たちの、《自然》への屈託のない賛美を、われわれは忘れてはならない。そこでは、科学でさえも、歌だったのだ。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>太古の地球では、人知れず、雨が降っていたという。そこでは、きっと、今と変わらぬ音楽が鳴り響いていたことだろう。木星の衛星タイタンには、今も雨が降っているという。誰もいない、陽の光の遠い彼方の空の下、そこにも、地球と変わらぬ音楽が鳴り響いていることだろう。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>わたしのなかの少年は、そんな音楽が静かに響いていることを、確信している。だから、わたしは、音楽を感じるたびに、涙が出るようになった。鳥や蛙や虫や少年たちが知っていたことを、わたしも、ようやくにして知った。われわれは、《ケージの外》に、出なければならない、そして歌を歌うのだ。&#8230;&#8230;</p>
<p>&#160;</p>
<h2>【註】</h2>
<ul>
<li class="note"><a href="#p01" name="n01">(1)</a> 若い柄谷行人も、江藤の音楽＝「過程」説に賛同している（「江藤淳論」）。私見によるなら、若い頃のユーモアを失わない最近の柄谷も、文学あるいは芸術を「虚構」とみなしている以上、この考えを変えたとみなすのは困難である（Cf. 『倫理２１』平凡社、2000年）。 </li>
<li class="note"><a href="#p02" name="n02">(2)</a> ゼノンは『人間の自然本性について』のなかで、人生の目的とは「自然と一致和合して生きること」であると言っている。それについて、クリュシッポスはこう言っている。動物たちは「自然に従って」生きている。ところで、人間は、「理性（言葉＝ロゴス）に従って正しく生きること」が、「自然に従う」ということの意味である、と（ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第七巻第一章）。この定義からすれば、自然に従って生きている動物は、その分だけ、すでに音楽の秘密を知っていると考えることは不可能ではない。 </li>
<li class="note"><a href="#p03" name="n03">(3)</a> たとえば、前掲柄谷『倫理２１』。「たとえば、或る人殺しがいるとします。それは、法的・道徳的に非難されますが、同時に、それは趣味判断の対象です。映画や小説では、しばしば犯罪者やヤクザが主人公となります。人々は、日常では嫌悪するはずなのに、映画や小説では、彼らを支持し、自己同一化したりします。これは美的判断です。その根拠を、カントは「無-関心」性に求めました。それは、道徳的・知的関心を括弧に入れることです。人がこのような映画や小説を楽しむというのは、――あるいは時には、現実の事件に関してもそのような見方ができるということは、――実は、そのように文化的に訓練されたからです。…カントは、美的判断を、関心を括弧に入れることにおきました。ある物が芸術であるか否かは、それについての諸関心を括弧に入れることによってのみ決められる。その物が自然物であろうと、機械的複製品であろうと、日常的使用物であろうと、関係がありません。それに対する通常の諸関心を括弧に入れて見るということ、そのような「態度変更」が或る物を芸術たらしめるのです」（65-7頁）。</li>
<li class="note"><a href="#p04" name="n04">(4)</a> たとえば、柄谷「再論日本精神分析」（『批評空間』第3期第3号、2002年）。「カントは、対象を形成する主観的な（隠された）形式をとりだした。しかし、そのことがあかたも世界を主観が構成するかのような観念論を引き起こしたとき、彼は急遽、それを批判したのである。すなわち、彼は、主観の外に物が存在することを疑ったことはないといったのだ。…われわれが主観的な「形式」によって外的な対象を構成するということは、外的なもの自体がわれわれの構成と無関係に存するという厳たる事実を斥けるものではない」（44-5頁）。</li>
<li class="note"><a href="#p05" name="n05">(5)</a> Louis Hjelmslev, <i>Prol&#233;gom&#233;nes &#225; une th&#233;orie du langage</i>. 「不必要な仮説を避ける科学において、時間的にせよ、階層的にせよ、内容の実質〔substance〕（思考）や表現の実質〔substance〕（音列）が言語に先行すると考える根拠はない。ソシュールの用語を保持し、ソシュールが提供する材料に従うならば、われわれがとるべき説は、実質は形式に完全に依存しており、それに独立した存在を認めることはできないということだ」(p.68)。 </li>
<li class="note"><a href="#p06" name="n06">(6)</a> 小林秀雄「Ｘへの手紙」。「おれはこの世界の存在をあるいは価値をいささかも疑ってはいない、というのはこの世界を信じたほうがいいのか、疑ったほうがいいのか、そんな場所にはてしなく重ね上げられる人間認識上の論議になんの興味もわかないからだ」。 </li>
</ul>
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		<title>プラトニズムを追求すれば、ひとは外へ出てしまう</title>
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		<pubDate>Thu, 21 Aug 2008 13:13:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[philosophy]]></category>
		<category><![CDATA[Critique of Phonocentrism]]></category>
		<category><![CDATA[Derridianism]]></category>
		<category><![CDATA[Homeros]]></category>
		<category><![CDATA[narrative]]></category>
		<category><![CDATA[naturalism/Zo-ka]]></category>
		<category><![CDATA[Platon]]></category>
		<category><![CDATA[実態]]></category>

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		<description><![CDATA[いつしか、わたしは不思議な感覚に囚われるようになった。それは、歴史よりも、文学のほうが、大きな概念なのではないか、ということだ。なぜ、ホメロスは、歴史家ではなく、文学者と呼ばれるのだろうか。『イリアス』は、なぜ、歴史書で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>いつしか、わたしは不思議な感覚に囚われるようになった。それは、歴史よりも、文学のほうが、大きな概念なのではないか、ということだ。なぜ、ホメロスは、歴史家ではなく、文学者と呼ばれるのだろうか。『イリアス』は、なぜ、歴史書ではなく、文学なのだろうか。また、歴史家と呼ばれるヘロドトスやトゥキュディデスは、ドキュメンタリー作家と同じことをやったと考えてよいのだが、だとするなら、史料＝テクストから《実態》を構成しようとする近代の歴史家とも同じことをやったと考えてよいのだろうか。</p>
<p>われわれは、歴史や文学を、十把一絡げに《物語》と呼ぶことがある。だが、歴史と文学は、まったく異なる概念である。それは、一方が事実を、他方が虚構を扱うからではない。むしろ、そのちがいは、両者が生成される瞬間にある。一方の歴史は――とりわけ近代の歴史学は、一般的には、残されたテクストから、《実態》を生成させようとするものである。逆に文学は、一般的にいって、出来事を言葉に封じ込めようとするものである。つまり、端的に、逆の運動である。かつてジャック・デリダがいったように、テクストに外部はない。これは正しい。だが、外部を言葉によって表現しようとすることは、まったく別の問題である。問題構成がそもそも異なっている。したがって、「音声中心主義」批判を文学に拡張することは、じつは許されないはずである。自分の声を聞くことが、差異（差延）を実現し、言葉（声）を実現するとして、それが、意味とシニフィアンの（悪）循環を構成する、という理論は、文献学の批判としてはつねに正しい。つまり、文献学的な歴史は、結局は、「音声中心主義」的な閉じた円環がつくる物語に過ぎない、そして言葉は、ついに「比喩」であることを越えることができない。</p>
<p>だが、「物語」と言ってしまった瞬間に、歴史が文学と混同されてしまう。文学は、はじめから「物語」だったからだ。歴史は、期待しているほど真実に似てはいなくて、「物語」にすぎなかった。それを認めるとして、ならばはじめから「物語」だった文学も、同じように真実ではないものとして非難することは許されるのだろうか。もちろん、そうではない。むしろ、デリダの観点を忠実に踏襲するなら、じつは、文学の方が、真実にもっと似てくるはずなのである。なぜなら、文学は、どう考えても、音声を文字に変換する実践的な運動（すなわち言文一致運動）だからだ。端的に、文学の実践は、音声中心主義批判の実践なのである。つまり、デリダがただ理論的に口にしたにすぎない音声中心主義批判を、実際に行なってみせていたのは、しかもデリダが言い出すよりももっとはやくに行なっていたのは、文学なのである。</p>
<p>しかし、多くのデリダ主義者たちは、誤りを犯した。言葉は比喩にすぎない、というデリダのテーゼを、文学にも拡張するという、怠慢をやってのけたのである。それを聞いたら、本当の文学者はきっと腹を抱えて大笑いしたことだろう。「アーハッハッハ、イーヒッヒッヒ……。そりァそうですよ、言葉は比喩に決まってるじゃないですか。なにをそんな大そうに言ってるんです？」</p>
<p>デリダ主義者の批判以後、文学者は、ついに笑い死にしてしまった。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>われわれは、なにはなくとも、自然を目ざす。しかし、歴史の運動は、そうした自然に対する欲望をブロックする。なぜなら、テクストの外部はない――「ない」という言い方がまずければ、《物自体》と言ってもいい――からだ。テクストから出来事＝自然を目ざそうとしても、われわれは、テクストから出ることはできないのだ。テクストの探求は、むしろかえって、自己認識――歴史認識を構成する。学校の教師が教えるような歴史学をひとたび忠実に実践すれば、出会うのは、客観的な真実ではなくて自意識ばかりであり、またそれで正しいのである。歴史学者がいう客観的な事実など、通例の手続きに則ったものというだけにすぎないし、また、歴史学者は、自身の結論が、客観的な事実ではありえないことを、実際には重々承知しているものなのである。実証主義者がいう《実態》とは、結局は歴史認識のことであり、そして、「あなたの言う《実態》とは、歴史認識のことではありませんか」という人間が、思想史家と呼ばれるひとたちである。つまり、よく考えてみると、《実態》と歴史認識は、同じものなのだ。そして、だとするなら、実証主義者と思想史家も、同じ人種でいがみ合っているだけ、ということになる。</p>
<p>ここから、歴史とは、イロニーの運動である、というテーゼが成立する。すなわち、自然を目ざしながらそこを迂回する、否定の運動である。つまり、歴史とは、徹頭徹尾、《批評》的なものなのである。ここでは、どうしても、理論は現実ではない、という考えに食指が動いてしまいがちになる。言葉は現実ではなく、理論も現実ではない、したがって、歴史とは歴史認識のことである……。こうした思考は、ヘーゲルにそっくりである。そして、出口なき道を進みながら、それを自壊させることで脱構築する、という考えも、ヘーゲルにそっくりである（とわたしは思う）。なぜなら、出口なき道を自壊させたあとも、痕跡だけになった道から出ることを、デリダは許していないからだ。そこから出てしまえるのなら、そもそも、出口なき道は自壊してくれるくれない以前に、成立もしない。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>文学者はいう。言葉は比喩だとして、ならば、自然はなんなのか、と。人間は、猿にそっくりだ、と文学者はいう。文学者にとって、人間は、猿の比喩なのだ。わたしは何が言いたいのか――要するに、自然は、すべて比喩でできている、ということだ。自然科学者と同じように、文学者もまた、人間が猿の比喩であることを認める。自然そのものが、つねに-すでに、なにものかの比喩なのだ。マルクスが、「人間の解剖は、猿の解剖に役立つ」と言ったとき、これがきわめて優れた文学的な比喩であることを、誰が理解しただろうか。だから、言葉は比喩にすぎない、という指摘をしたって、とりたてて意味がない。自然もなにものかの比喩だからである。マルクスをもじっていえば、文学の探求は、自然の探求に、役立つのである。あるいはこうもいっていい。つねになにものかのイデアを思考し続けるプラトニズム、永久にとどまることのない連鎖をつづける、この《プラトニズムを、本気で追求すれば、ひとは、外に出てしまう。》不思議なことに、プラトニズムは、プレソクラティクスに合流してしまうのだ。</p>
<p>言葉は出来事である、言葉は自然である――嘘でもいいから、そう口にしてみよう。後のことは、わたしが責任をもつ。もはや、こうした思考は、弁証法とも、脱構築とも、まったく関係がない。なぜなら、はじめから、《外》に出ているからである。つまり、《自然》なのだ。だから、ヘーゲルのように、外に出ようとすることは問題ではないし、デリダのように、内側にとどまり続けることも、問題ではない。弁証法や脱構築が、いかに優れた手法であろうと、わたしのいう言葉＝出来事という奇妙な思考は、それとは無縁なのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>歴史よりも、自然の方が大きな概念である。そして、このテーゼが成立するのなら、同時に、歴史よりも、文学の方が大きな概念である、ということも成立する。歴史＝批評＜自然＝文学、というわけである。</p>
<p>しかし、こんなことをいっても、ひとは信用しないだろう。文学に対する過剰な偏愛だというだろう。そのとおりだ。中上健次は、かつて、折口信夫を「偏愛」していると言った。そのとき、わたしは、彼がわたしと同じ道を歩んでいることを確信したが、たしかに、「偏愛」にはちがいない。だが、そんなことはどうでもいいことだ。わたしは、なによりも、《出来事》になりたいと思っているからだ。それは、歴史に残るということではないし、歴史家になることでもない。たんに、《自然》とひとつでいたいと思っていただけだ。文学のことなど、それほど強く考えていたわけではなかった。ただ、気づけば、こんなところにいた、というだけのことだ。</p>
<p>それにしても、本当に不思議で、奇妙な思考である。文学のほうが、歴史よりも大きな概念なのだ。……</p>
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		<title>怪物か、それとも人間か</title>
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		<pubDate>Fri, 12 Nov 2004 11:02:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[naturalism/Zo-ka]]></category>
		<category><![CDATA[Nietzsche]]></category>
		<category><![CDATA[Romanticism]]></category>
		<category><![CDATA[Soseki Natsume]]></category>
		<category><![CDATA[怪物]]></category>

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		<description><![CDATA[ところで、夏目漱石がなにより戦い、敵としていたのが同時代の自然主義者たちであった。彼ら自然主義者は言うのだ、徹底した自己批判を行い、主体と客体とを分離することで、客観的な観察者となり、そうした《目》で物事をみることで、あ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ところで、夏目漱石がなにより戦い、敵としていたのが同時代の自然主義者たちであった。彼ら自然主義者は言うのだ、徹底した自己批判を行い、主体と客体とを分離することで、客観的な観察者となり、そうした《目》で物事をみることで、ありのままの《自然》を洞察し、またそれを再現することができる……と。</p>
<p>しかし、いくら自己批判を行おうが、自分はいなくなってはくれないわけで、自然主義者は、そうした消去しえない自己をみつけて、突如、自我の肯定＝ロマン主義へと奔ったりする。ところが、ある意味で、このロマン主義もまた、窮極の自己批判と言えて、つまりロマン主義者は、自殺を美学的に肯定したりしてしまうのである。彼らは「吾等数人の犠牲によつて…」などと言う。</p>
<p>こうして、自己批判（他人本位）なのか、自己肯定（自己本位）なのか、自然主義なのかロマン主義なのか、まったくわけがわからなくなり、いわゆる石川啄木の《時代閉塞の現状》が語られたりするわけだが、彼はロマン主義を他方に生み出してしまうような広義の自然主義者たちを《スフィンクス》と呼んだ。つまり、いろんなものが交じり合った混合の怪物だと言うわけである。</p>
<p>（これは、ドゥルーズが『差異と反復』で怪物について述べていたことと、ほとんど同義だと考えてよい。『オイディプス王』で語られているとおり、エジプト帝国の神であるスフィンクスは、ギリシアの都市国家世界では、単なる混合の怪物となった。このことが意味しているのは、自然主義が《怪物》的であるように、帝国主義が、きわめて《怪物》的なものだ、ということである。明治期のアナーキスト、幸徳秋水が帝国主義を「怪物」と呼んで憚らなかったことも想起しておいてよいだろう。それらのことは、ギリシアが、エジプトあるいはペルシアに対して、まさにアンチ帝国として存在したということと符合している。したがってギリシア人は《怪物》ではなく、《人間》を標榜する。それは、たとえばギリシア人とエジプト人の髪型、あるいは彼らが崇拝する神の姿の違いを見れば分るだろう。ペルシア人やエジプト人は、髪を加工し、染め上げ、本来の人間の姿とはかけ離れた大仰なモニュメントを作った。また、神を、人間と異なる怪物として描き出した。だが、ギリシア人は、髪を人間のものとして表現し、また、神を人間と同じに扱った。）</p>
<p>ギリシアとエジプト／ペルシアの関係の話はさておき、話をもとに戻すと、問題なのは、自然主義（自己否定）とロマン主義（自己肯定）とを生み出してしまう広義の《自然主義》は、その内容物がお互い相容れないものであるにもかかわらず、相容れないままでお互いを要請してしまうことである。たとえば、今日もまだ、依然として多数の歴史学者が、科学的《実証主義》なるものを標榜し、客観的な事実なるものの究明に気炎をあげているが、そうした努力が、他方に、ロマンとして描かれる歴史小説を大量に生み出していることとよく似ている――というか同じものである。一般の人は、どちらがほんとうの歴史なのか、判断がつかないだろう。　どちらもが、多面的な真実がもつ一面であるにすぎないのであり、結局のところ、広義の《自然主義》者たちの努力は、ひとつの、あるいは複数の真実を、ただひとつの多面の《怪物》にしていくだけである。こうした事態が、人を《人間》ではなく《怪物》にしてしまう。《怪物》は、国粋主義を訴えながら、なおかつ、帝国主義的な海外進出をもくろむ。少々卑近な例で言えば、ある《怪物》にとって、「靖国」＝日本と、「自衛隊の海外派兵」＝アメリカというのはセットなのであり、また、別の《怪物》にとって、「世界平和」と「イラク戦争」はセットなのである。それらは、志向として、空間的にも時間的にもまったく別々の方向を向いているにもかかわらず、同時にお互いを要求している。つまり、それらは過去と未来、此方と彼方との雑色の混ぜ物なのであり、多面で異形の渾然の《怪物》なのである。こうした事態は、内戦的なもの――しかしきわめて外戦的な内戦を要請する。明治期の日本では、そのことは西南戦争や自由民権運動、そして大逆事件を生んでいる。啄木は、それで袋小路に入った。啄木には、自然主義（他者）も、ロマン主義（自己）も、どちらも選ぶことができなかったが、また、そのどちらか以外の選択肢も見つけられなかった。彼は若死にしたが、その原因のひとつは、この《怪物》的なものから脱却できなかったことにある。</p>
<p>さて、啄木よりも漱石が優れており、そして漱石の偉大さを後世にまで伝えているのは、この怪物的なものを、《無意識》として／において取り出したことである。</p>
<p>といっても、漱石がフロイトを読んでいたかどうかは関係なく、要するに、彼は、消去しえない自己を、自己として肯定してしまうのではなくて、自己が見出す自己とは無関係に存在してしまう潜勢的な非―自己のようなものを抽出し、ある意味で、非―自己と自己との相克として、人を描き出したのである。漱石の描き出したそれは、《怪物》ではなく、《人間》の姿をしている。自己否定と自己主張という、相容れない対立の折衷であるような（対立しながら存在する）怪物的《自然主義》とは異なり、漱石のそれは、いわば《人間主義》（ヒューマニズム）である。つまり、自己否定と自己主張は、お互いを意識的には全く知らないのであり――しかし無意識的にはよく知っており――、だから、両者は、対立することなく共存しうる。それらは、自己と他者、男と女の対立の線ではなく、自己と他者、男と女の進化の螺旋――といっても、スペンサー的進歩主義のような単純的なものよりももっと深い意味での――を描く。「ローマンチシズムと自然主義とは、世の中で考へてるやうに相反してるものぢやない。相対して一所になれんといふものぢやなくて、却て一つの筋がズート進行してるやうなものだ」（「「坑夫」の作意と自然派伝奇派の交渉」1908年）というわけだ。</p>
<p>《それ》（＝人の意識）が潜勢的なものと、顕在的なものに分けられたとき、《それ》は、人を《怪物》から《人間》に変える。そして、顕在的なものは、狭義の《人間》として、そして、潜勢的なものが、《社会》として取り出される。このとき、立ち現れるのが、《歴史》である。意識と無意識をつなぐもの、《人間》と《社会》、《物》と《場所》を取り持つもの、これがすなわち、《歴史》（＝時間）である。歴史＝物語において、自己否定と自己主張のかつての対立は、同じひとつの線上で重なり合い、まるでわれわれは、ひとつの物語を作り出すために、勝者と敗者を演じ、協働しているのだと言わんばかりに交じり合う。かつては、実証主義的歴史と、ロマン（小説）的歴史に分かたれていた歴史は、そこでひとつになる。この“ひとつ”の歴史において、彼らは言う。われわれはじつは対立していないし、また雑多なもの（無価値なもの）の集まりでもない。したがって、怪物ではなく、人間である。違って見えるわれわれは、しかし、歴史において、“雑多”というより“多様”な意味＝価値を持ち、歴史が進歩し続けるというそのことにおいて、われわれはさまざまに異なる怪物ではなく、さまざまだが同じ人間となる。</p>
<p>歴史において重要なのは、物を物として取り出す実証リアリズム（自然主義）でもなければ、物を自己の主観においてのみ取り出すロマンティシズムでもない。そのどちらでもなく、かつどちらでもあるような、サンボリズム（象徴主義）である。《象徴》は、物そのものではないが、けっして、主観的美学に彩られたロマン的に美しいものでもない。カント的に言えば、サブライム（崇高：美しくない、不気味なもの、霊的なものに感じる非-美学のようなもの）に相当するものであり、われわれは、そうした象徴的なものを、にもかかわらず、かえってリアルだと感じるだろう。われわれが触れえない《物自体》であると感じるだろう。それは、顕在的な記号と、潜勢的な意味の関係の学であるところの、精神分析の誕生であり、現象学の誕生であり、ソシュール流の言語学の誕生であり、そして、文学の真の誕生である。そこでは、かつて隆盛を誇った自然諸科学は後退し――というよりは、自然諸科学と人文諸科学の対立そのものが後退し、自然諸科学を飲み込んだ人文諸科学が日の目を見るだろう。そこでは、病は、自然科学によって解明されるのではなく、精神分析によってこそ――科学を内包した人文学によってこそ取り扱われるべきとされるだろう。</p>
<p>ここには、ある隠された分水嶺がある。サンボリズムは、それが生気を失ったものになれば、即座にかつてのロマン主義と同じものと化す。漱石の危険は、ここにある。漱石は、人を、《人間》として、すなわち、意味するものと意味されるものとの相克に塗れた苦悩する《人間》として描き出したが、それが人の全てだと読者に誤解され、また、漱石自身によってそう誤解されたとき、何かが潜勢化する。それは、《怪物》的なものである。《人間》の名の下に覆い隠され、潜勢化してしまった《怪物》は、そのことによって、ある対立を、しかも爆発的な対立的共存を準備する。――すなわち、全体化された戦争である。火と水と、生と死と、労働者と兵士とが一体化し、それらは全体化された戦争をもたらす。漱石から出発する教養主義者の系譜の末端にいた誰かが、思わず、“苦悩する《人間》の顔をしたマルクス”と言ったとき――それは、本来、人がもっている、笑いに満ちた《怪物》の隠蔽であり、ただの抑圧よりももっと深い、そしてその意味ではもはや抑圧と言うべきですらない、真の抑圧だったと思われる。わたしには、その分水嶺を、漱石に見出すべきであり、それも『それから』以後において見出すべきであると思われる。わたしには、苦悩する人間を描いた漱石は危険に見える。わたしなら、漱石よりも、苦悩する人間である自分に驚き、そして笑う志賀直哉を押すし、また、泉鏡花や室生犀星を押す。</p>
<p>若きニーチェは、当時のスペンサー的風潮に後押しされた周囲の実証主義者（自然主義者）を批判し、科学的歴史学から逃げ去ってしまったが、しかし、晩年において、カントをも批判していることを考慮しなければならない。なぜなら、彼の晩年のドイツは、まさに、スペンサーに取って代わった新カント派隆盛の時代だったからである。ニーチェは、実証主義者の前では《人間》であり、かつ、カント主義者の前では《怪物》として振舞った。この反時代性――二重の意味での反時代性に注目しなければならず、しかも、そのことを指摘しているのは、おそらく、わたしの知るかぎり、ドゥルーズとガタリ、そしてある意味でのフーコーだけである。</p>
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