<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>ex-signe &#187; Hideo Kobayashi</title>
	<atom:link href="http://www.fragment-group.com/kiotanaka/tag/%e5%b0%8f%e6%9e%97%e7%a7%80%e9%9b%84/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka</link>
	<description>kio tanaka's website</description>
	<lastBuildDate>Sat, 17 Dec 2011 15:59:02 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.3</generator>
		<item>
		<title>文体について――蛇とQ・E・D（ラフ）</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/philosophy/2147.html</link>
		<comments>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/philosophy/2147.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 05 May 2010 17:23:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[philosophy]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[mimesis or mimesis of mimesis]]></category>
		<category><![CDATA[Nietzsche]]></category>
		<category><![CDATA[Spinoza]]></category>
		<category><![CDATA[style]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.fragment-group.com/kiotanaka/?p=2147</guid>
		<description><![CDATA[小林秀雄は、かつて「どんなに正確な論理的表現も、厳密に言へば畢竟文体の問題に過ぎない」（『Xへの手紙』）と語り、文学の本質を文体に求めていた。当然、芸術の本質は「フォーム（姿）」（「美を求める心」）にあると考えられた。文 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>小林秀雄は、かつて「どんなに正確な論理的表現も、厳密に言へば畢竟文体の問題に過ぎない」（『Xへの手紙』）と語り、文学の本質を文体に求めていた。当然、芸術の本質は「フォーム（姿）」（「美を求める心」）にあると考えられた。文体とは、もちろん言語芸術のまとう「姿」を意味する。</p>
<p>ところで、「意味する」とは、どういう状況を指して言われるのか。「意味する」は、主語と述語、ここでは「文体」と「姿」の共通性を指摘する語である。したがって、こう言い換えることは自然である。すなわち、《文体と姿とは似ている》。</p>
<p>スピノザは言っている。</p>
<blockquote><p><b>定理三</b>　相互に共通点を有しない物は、その一が他の原因たることができない。<br /><b>証明</b>　もしそれらの物が相互に共通点を有しないなら、それはまた（公理五により）相互に他から認識されることができない、したがって（公理四により）その一が他の原因たることができない。Q・E・D・</p>
<p class="post-r">スピノザ『エチカ』（上）、畠中尚志訳、岩波文庫</p>
</blockquote>
<p>ここで言及されている公理四、および五は以下の通りである。「四　結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む」、「五　たがいに共通点を持たないものはまたたがいに他から認識されることができない。すなわち一方の概念は他方の概念を含まない」。したがって、「意味する」という語を「似ている」という語に置き換えることは正当性をもつように思われる。というのも、似ている、という語は、一方に原因を、そして他方に結果をもつことが確実だからである。スピノザは定理一で「実体は本性上その変状に先立つ」とも言っていたが、「意味する」あるいは「似ている」という語には、一方から他方への「変状」をも認めることができるだろう。小林は「言葉の姿と言つても、眼に見える活字の恰好ではない。諸君の心に直かに映ずる姿です」（「美を求める心」）と言った。にもかかわらず、「意味する」という言葉は表面から表面への移行、あるいは変状を意味するものであることに、小林は同意するだろう。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>しかし、「意味する」という語が語と語の変状ではなく屈折や格納として機能するなら、この話は極端に異なった様相を呈する。屈折も格納も、ここでは同じように機能する。すなわち、述語が主語の内部に隠されてしまい、「似ている」という観点は維持できなくなる。述語はここでは隠れており、表象をもたない。述語が内面に隠されている以上、表面から表面への移行という観点は取りようがなく（模倣論はとれない）、異なる二つの語がつくる構造が問題となる。ここでは、主語は述語によって暗黙かつ適度に限界づけられており（それでも、というよりはそれゆえに「解釈」の余地は残されているが）、一方が他方の概念を含むというよりは、一方は他方によって否定されている。つまり「似ている」というよりは「偽」という観点が必要となる。</p>
<p>芸術家にとって、「似せる（模倣する）」ということと「偽物をつくる（虚構を作る）」ということは、日本語の音が示すとおり同じ実践を指している。だが、その他のひとびとにとって、とりわけ学問にかかわる人間には、両者は峻烈に対立していると考えられるだろう。というのも、一方にはリアリティが、他方には虚構性が賭けられているからである。とくにベンヤミンの指摘するような複製技術の時代には、《同じ物を作ることが可能である》という偽の同意が受け容れられている以上、両者の差異は大きくなろう。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>スピノザの定理三およびその証明を疑うことは簡単である。たとえば現実のスピノザに対して「スピノザ」と呼びかけたときのことを想起すればよい。現実のスピノザは「スピノザ」という呼びかけに対する原因を含んでいるだろうか。スピノザと「スピノザ」は相互に共通点を有しているのだろうか。そうではない、たんにスピノザと呼ばれうるユダヤ人が、「スピノザ」という名前に同意したというにすぎず、べつに彼はデカルトともマルクスとも呼ばれてもよかったはずである。あるいはスピノザという人物が二人いて、その二人がまったく共通点をもたなかったとしても、二人ともが振り返る可能性をもつだろう。つまり、スピノザと「スピノザ」の関係はあくまで偶然であって、そこに原因から結果へと至る必然性を見つけ出すのはむずかしい。スピノザと「スピノザ」は結びついていない。そこにあるのは「認識」というよりは暗黙の同意である。だからどうしてもスピノザと「スピノザ」を結びつけるラングのような別の媒介項や入れ子構造を想定したくなる。現実と結びついていない「スピノザ」は真ではない、偽であり虚構である。……かくして、因果律は、特殊な契約によって成立するものとなる。すなわち、「わたしが『スピノザ』であること」に同意を与えるもうひとりの私が可能にするものである。「スピノザ」とスピノザ、そしてもうひとりの名指されざるわたし、あるいはX。</p>
<p>しかし、にもかかわらずスピノザは決然とこう述べる。「これが証明されるべきことであったQuod Erat Demonstrandum」。換言すれば、“これ以上この問いにかかわる必要はない、スピノザとは「スピノザ」の原因である、あるいは「スピノザ」はスピノザを意味する、さあ、次へ行こう”、というわけだ。超越論的統覚Xを破砕するかにみえるこの不思議な言明は、いったいなにを意味しているのだろうか。あるいは、なんの比喩なのだろうか。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>同じことを、ニーチェは次のように表現している。</p>
<blockquote><p>そしてまことに、そこに見いだしたのは、いまだかつてわたしが見たことのないものだった。一人の若い牧人、それがのたうち、あえぎ、痙攣し、顔をひきつらせているのを、わたしは見た。その口からは黒い蛇が重たげに垂れている。<br />これほど吐気と蒼白の恐怖とが一つの顔に現われているのを、わたしはかつて見たことがなかった。かれはおそらく眠っていたのだろう。そこへ蛇が来て、かれの喉に這いこみ――しっかりとそこに噛みついたのだ。<br />わたしの手はその蛇をつかんで引いた――また引いた。――むだだった。わたしの手は蛇を喉から引きずり出すことができなかった。と、わたしのなかから絶叫がほとばしった。「噛め、噛め。<br />蛇の頭を噛み切れ。噛め！」――そうわたしのなかからほとばしる絶叫があった。わたしの恐怖、憎しみ、吐気、憐憫、わたしの善心、悪心の一切が、一つの絶叫となって、わたしのなかからほとばしった。――<br />君たち、敢為な探求者、探検者よ、またおよそ狡猾な帆をあげて恐ろしい海に乗り出したことのある者たちよ。君たち、謎を喜びとする者たちよ。<br />さあ、わたしがそのとき見たものは何の比喩か。いつの日か来るに相違ないこの者は何びとなのか。<br />このように蛇に喉を犯された牧人はだれなのか。このように最も重いもの、最も黒いものの一切が喉に這いこむであろう人間はだれなのか。</p>
<p class="post-r">『ツァラトゥストゥラ』手塚富雄訳、中公文庫</p>
</blockquote>
<p>牧人に噛みついていた蛇は、牧人の精神である。重く黒いこの精神は、こう考えている、「ほんとうは、わたしは『牧人』などではない」……。ただただXとして振る舞うもうひとりの名指されざるわたしがいる。呼びかけのなかでいつもそれを拒絶しているもうひとりの暗いわたしがいる。それはわたしが隠しもっている「意味」である。だが、ニーチェはその蛇を「噛み切れ」という、あるいはスピノザは謎めいた言葉でいう、「Q．E．D．」と。……</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>小林秀雄は言っている。</p>
<blockquote><p>美しいと思ふことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。絵だけが姿を見せるのではない。音楽は音の姿を耳に伝へます。文学の姿は、心が感じます。だから、姿とは、さういふ意味合ひの言葉で、ただ普通に言ふ物の形とか、恰好とかいふことではない。あの人は、姿のいい人だ、とか、様子のいい人だとか言ひますが、それは、ただ、その人の姿勢が正しいとか、恰好のいい体附をしてゐるとかいふ意味ではないでせう。その人の優しい心や、人柄も含めて、姿がいいといふのでせう。絵や音楽や詩の姿とは、さういふ意味の姿です。姿がそのまま、これを創り出した人の心を語つてゐるのです。</p>
<p class="post-r">「美を求める心」1957年</p>
</blockquote>
<p>若い頃、Xへの絶縁状を書いた小林は、戦後に至り、「心」こそが「姿」（＝フォーム）だと言っている。つまり、ニーチェの言う「蛇」とはちがう、フォームとしての心、すなわち表面としての心があることを指摘している。肉体も精神も、あるいは言葉も意味も、すべてが表面上のドラマである。もはや問題は表面＝表現にしかない。とはいえ、なにを表現するべきなのか、という問いもよくない。この問いは重い精神を呼び寄せ、表現の層をレトリックのレベルに偽装してしまう。われわれは、結局、ひとつしか目的をもたない。だから、問題は、なにを表現すべきか、という問いが招くレトリックの水準を離れて《いかに表現するか》、ただそれだけなのである。言葉の「姿」、すなわち文体。逆に言えば、「蛇」としての精神を噛み切ったときにはじめて、われわれは自身の文体に出会う。したがって、文体は、よけいなものを削り取ったときに現われるものであり、希少なものである。たとえば超人。あるいは、Q．E．D．</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/philosophy/2147.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オクシデンタリズム（「精神の歴史」のためのプロレゴメナ２）</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/2065.html</link>
		<comments>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/2065.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 19 Mar 2010 17:01:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[History(s) of Spirits]]></category>
		<category><![CDATA[Occidentalism]]></category>
		<category><![CDATA[representation]]></category>
		<category><![CDATA[平行線公理]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.fragment-group.com/kiotanaka/?p=2065</guid>
		<description><![CDATA[ユークリッド（エウクレイデス）の第五公準、いわゆる平行線の公準は破られて久しい。この事態を文学的に翻訳するなら、それは、〈平行線は交わる〉ということである。第五公準とは次のようなものであった。 二つの直線が第三の直線と相 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ユークリッド（エウクレイデス）の第五公準、いわゆる平行線の公準は破られて久しい。この事態を文学的に翻訳するなら、それは、〈平行線は交わる〉ということである。第五公準とは次のようなものであった。</p>
<blockquote>
<p>二つの直線が第三の直線と相交わって、その同じ側に、その和が二直線よりも小さい内角をつくるならば、それらの二直線は、それらを限りなく延長するとき、その内角のある側において必ず相交わる。<br />Κα? ??ν ε?ς δ?ο ε?θε?ας ε?θε?α ?μπ?πτουσα τ?ς ?ντ?ς κα? ?π? τ? α?τ? μ?ρη γων?ας δ?ο ?ρθ?ν ?λ?σσονας ποι?, ?κβαλλομ?νας τ?ς δ?ο ε?θε?ας ?π? ?πειρον συμπ?πτειν, ?φ? ? μ?ρη ε?σ?ν α? τ?ν δ?ο ?ρθ?ν ?λ?σσονες.</p>
<p class="post-r">ユークリッド『原論』</p>
</blockquote>
<p>ややこしい書き方になっているが、要は、平行線は交わらない、という意味である。ほかの四つの公準（二点を結ぶ直線を引くことができる／線分は延長することができる／あたえられた点を中心とし、あたえられた半径をもって円を描くことができる／直角はすべて相等しい）をみればわかるとおり、第五公準は異様に複雑である。五世紀のプロクロスをはじめとして、公準の証明はたびたび行なわれてきたが、この第五公準だけは、ついに証明することができなかった。証明に成功したと信じたひともなかにはいたが、奇妙なことに、それらはすべてどこかでまちがっていた。イスラムからルネッサンスを経て、この公準は《一直線の外にある一点を通って、もとの直線に平行な直線を一本しか引くことができない》という形に洗練されたが、だからといってこれで証明されるわけでもない。ユークリッドの第五公準は、誕生以来二千年にわたって、それに関わろうとするひとびとを苦しめることになった。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>結局、この第五公準が《証明》の対象ではないことがはっきりしたのは、一九世紀のことである。ロバチェフスキーは、洗練された第五公準、すなわち《一直線の外にある一点を通って、もとの直線に平行な直線を一本しか引くことができない》を、《何本でも引ける》という風にアレンジしてもなんら問題が発生しないことに気づいた。誤解が生じる可能性があるが、話を簡単にするために、二つの開口をもつ漏斗状の世界を考えてみよう。この世界において引かれたいくつかの線は、交わる寸前で世界の外に飛び出してしまうだろう。〈世界の外〉に線分を逃がしてしまえば、平行線は、いくらでも引ける。あるいはリーマンのように考えてみてもいい。彼は第五公準を次のようにアレンジした。《一直線の外にある一点を通って、もとの直線に平行な直線を一本も引くことができない》。球面状に広がった世界を考えてみよう。ここでは地球を例にとるのがいいだろう。地球に引かれた経線は、一見平行であるにもかかわらず、北極と南極で必ず交わってしまう。つまり平行線を引くことはできない――あるいは、〈平行線は交わってしまう〉。</p>
<p>これらユークリッドから離れた幾何学を、わたしたちはたんに非ユークリッド幾何学と総称しているが、どれかが特権的に正しい、というわけではない。証明の観点からいえば、依然として、ユークリッドが正しい可能性も残っている。世界に歪がなく、完全に均質な平面的空間だったとしたら、彼が正しかったことになる。世界＝神は球体であると考えたのは、大きなスパンでみればユークリッドとほぼ同時代のプラトンだったが、いずれにしても、彼らは各々自らの世界観（一本だけ平行線が引ける世界、何本も引ける世界、一本も引けない世界）で幾何学を語っているわけである。いってみれば――文学的に翻訳すれば――、幾何学中の第五公準とは、真理＝ロゴスのなかに混じった、神話＝ミュートスだったのである（歴史学の用語法に従えば、第五公準は、真理を扱う《歴史》のなかに入り混じった、《物語》である）。世界には、さまざまな世界創生の神話があるように、幾何学の世界にも、さまざまな世界創生の神話がありうる。このミュートスのなかで、ロゴスは成立している。わたしたちは、特段ロゴスを放棄することなく、というかむしろロゴスの審級を捨て去らないかぎりで、思い思いのミュートス＝世界論を描くことができる。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>さて、わたしが蛮勇を奮って、しかも時間の都合で急ぎ足に幾何学の話をしたのは、自著『精神の歴史』で述べたオクシデンタリズムを直観的に説明するためである。この書物の第一章は近世の蘭学、とりわけ解剖学をあつかう。わたしのみたところ、この奇妙なオクシデンタリズムが切り拓いたのは、特異な表象論であったように思われる。それは、エドワード・サイードが批判的にとりあげたオリエンタリズムを、二重に逆転させる試みでもある（つまりわたしはサイードを反批判している）。サイードにとって、西洋と東洋の非対称的な視線がつくりあげた「どこにもない場所」としてのオリエントが非難の対象だったとするなら、東洋の一島国にすぎない日本人が勝手に作り上げたオクシデンタリズムもまた、どこにもない場所――エレフォンerewhon（nowhereを逆転させたサミュエル・バトラーの概念）についての学問である。やや品のない例を出せば、動物園の動物は、やってきた人間を奇妙な動物のように眺めているものだが、それとある程度は同じことで、同時代の東洋人が一方的に西洋から〈見られていた〉と考えるのも穏やかではない。彼らは彼らで、したたかに、西洋を眺めていたし、その視線が作り出した《オクシデント》は、どこにもない場所であったがゆえに、真の創造性を――つまり《文学》を生み出す可能性をもったのではないか。</p>
<p>といっても、同書では、本論からはずれるため、サイードの議論そのものの批判は若干匂わせたにすぎない（サイードはあまり批判したくなかった、というのも大きな理由のひとつである）。重要なことは、オクシデンタリズムがもたらす特異な表象論／言語論のほうである。《表象》という思考は、今日ではかならずリプレゼンテーションRepresentationとかかわりをもち、したがってカントとかかわりをもつ。つまり、物自体とその表象という一組の概念を考え、表象を存在（Presence）の再‐現前化（Re-present）として把握する思考法である。カントにおいて、物自体は不可知である。というか、考えることしかできない。感覚できるのは表象だけであって、感性的自然において、物と表象は、ついに完全には一致しない。</p>
<p>この思考法のポイントは、物自体の存在が証明できるか否かである。しかし、そのためにわたしたちに与えられた材料は表象だけである。表象と物自体が交わることがない以上、証明はどうやっても不可能である。というのも、存在として証明された（≒感覚的に明らかになった）物自体は、原理上、すでに表象にすぎないからだ。だから誰もカントの物自体の存在を証明しようとするひとはいない。〈不可知の〉物自体の存在を証明できた時点で背理だからである。物自体と表象は、ついに交わらない――つまり、これは一種の《平行線公理》である。すなわち、〈カントの作り出したミュートスである〉。</p>
<p>カントの表象論は、証明不能の第五公理とでもいうべき、《不可知の物自体》というミュートスのうえに成立している。この神話なくして、彼の理性（ロゴス）――超越論的統覚はありえない。したがって、ロバチェフスキーやリーマンがやったように、わたしたちには、カントの構想した（想像／創造した）世界とは別種の世界を構想する（想像／創造する）権利がある。たとえばロバチェフスキーのように、ある表象に対して、ただひとつの物自体ではなく、無数の物自体が想定できるとすればどうか。そうすれば、物自体を特権視することはできなくなる。最初の表象でさえ、もうひとつの物自体かもしれず、かえって物自体を立てる必要がなくなる。あるいはリーマンのように、すべての表象がどこかで物自体と交わってしまうとすればどうか。そうなると、物自体はのっけから存在できなくなるだろう。物自体だと考えていたものも、結局はまた別種の表象なのだ。証明不能の物自体を仮定する世界がありうるのだとすれば、また逆にすべてが表象であると仮定する世界――つまりわたしたちはいたずらに感覚的な世界を疑う必要はない――もまた許されるのではないだろうか。いまでは、リプレゼンテーションの論理は、あまりにも強く一般に流布してしまった。だが、わたしたちには、この論理が暗黙のうちに想定している平行線公理を疑う権利がある。この暗黙の平行線公理とは別の場所に、「精神の歴史」は軸足を置いて展開される。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>これまで、近世の思想といえば、儒学から発展した国学が扱われるのが主流であった。というのも、この思想は、「大東亜戦争」に結実するナショナリズムの原形と考えられたからである。近世の蘭学――つまりオクシデンタリズムは、依然として実学的に意義付けられているにすぎないし、日本の地理的条件においてはよく起こる外来思想とその享受の一事例と考えられるのが主である。だが、オクシデンタリズムの批判対象は当時支配的だった儒学や国学である。そして当時の蘭学から文明論への流れを普通に読み解く限り、この思想こそが、明治維新を内から準備した、という風に考えることは不可能ではないはずである。だとするなら、オクシデンタリズムは、たんなる実学ではなく、もっとラディカルな意義をもったものとして、再把握されねばならない。そうしてはじめて、わたしたちは幕末から明治へのエポック――すなわち激動を、それ自体として把握する権利を得るのではないか。</p>
<p>繰り返すが、オクシデンタリズムの批判対象は儒学である。江戸時代の儒学は、本場中国と同様、基本的に理気二元論である。いずれを重視するかによって違いはあるにせよ、人間あるいは世界を、形而上的な「理」と、形而下的な「気」にわけて説明する考え方である。こうした二重構造は、原理的に、儒学そのものがもっている学問上のスタイルと切り離し難い。というのも、儒学は、原則的に孔子のテクストの読解がその中心である。つまり文献学である。この種の学は、かならず次のような問題に直面する。テクストから遡って孔子像を復原することは許されるのか、それともテクストそのものを重視すべきなのか。「理」と「気」の概念をここに適用すれば、前者が「理」であり、後者が「気」である。後者を重視した陽明学はすでに実証主義の可能性を胚胎しているが、カントほどの厳密性はないため、曖昧であるがゆえの別種の可能性を有すと同時に、実証主義のさらなる進展を阻む傾向もあって、議論が無闇に錯綜する。だが、いずれを重視するにしても、ひとつの共通点がある。それは、「理」や「気」は目に見える表象とは異なるという観点である。「理」は目に見えない原理的な孔子像を重視し、「気」はテクストのなかに隠された意味を重視する。ここからきわめて儒学的な主題である名分論と徳治主義が生まれる。君主が世界を統治する権利をもっているのは、彼が徳をもっているからである。しかし、現実の政治的行為をもって君主の徳を云々することはできない。というのも、原理的に君主はただひとりであるが、君主でない人間は君主が徳をもっているかどうかを判断する力をもたないからである。君主以外の人間は、その徳性を判断できない、そのことをもって、原理上ただひとりの君主は自動的に徳をもつと判断される……。ここでは名分論のトリックを非難することが目的ではない。むしろ、このトリックを秩序だてている知の基準（公準）はなにかと問わねばならない。名分論が可能であるためには、最低限、次の点に同意が必要である――すなわち、孔子のテクストの読解が真の孔子の考えに近似はしてもたどりつくことがないように、表象（現実の君主の見かけ）と真理（君主が内面にもっている《心／理／性／徳》）とは別々の場所をもっている……。</p>
<p>この時期の儒学的身体論もまた、同様の傾向をもつ。よく知られているように、漢方医学は目に見えない気とそれが通る経絡を重視する。こうした漢方医学的な傾向に反対して、西洋の流れとは別に独自に解剖も行なわれたが、それに対する反論をみておくことが、当時の身体論の傾向を理解するには手っ取り早いだろう。</p>
<blockquote>
<p>夫れ蔵の蔵たる、形象の謂に非ず。神気を蔵するを以つてなり。神去り気散じて、蔵ただ虚器、何を以つて視聴言動の其の所に随ふことを知らん。又何を以つて栄衛参焦の統紀を見ん。是の故に昭々の視は冥々の察に若かず。赫々の攻は惛々の弁に成る。之を視て理に求むること無くんば、則ち童子をして視せしむ、何ぞ異ならん。</p>
<p class="post-r">佐野安貞『非蔵志』1760年</p>
</blockquote>
<p>これは、日本ではじめて官許のもとで行なわれた解剖を記した山脇東洋の『蔵志』に反論したものである。佐野がいうには、解剖身体はあくまで「死体」であり、生きている臓器とは根本的に異なっている、実際の〈知見〉より「気」や「理」のほうが重要だ、というわけである。解剖で得られた知見など、童子の観察と変わらない代物にすぎない……。こうした状況下で、解剖と翻訳を〈同時に〉行わざるをえなかったオクシデンタリズムの可能性を考えてみよう。翻訳は、原理的にいって、上記の文献学的な二重構造は問題にしない。というのも、言葉（オランダ語）の意味とはもうひとつの別の言葉（日本語）だからである。目に見えない意味を見えないままに読み解こうとするようなことは必要がないし、無数の解釈などそもそもあってはならない。ここでは単純に、身体というただひとつの答えが用意されているからである。シニフィアンはシニフィエと組み合わされて構造をなすのではなく、別のシニフィアンと組み合わされて、横に連なるセリーを構成する。解剖もこれと同様である。人間が身体の内側に隠していたのは、目に見えない心や気などではなくて、もうひとつの身体である心臓や《神経》である。つまり、肉のなかには、もうひとつの肉があったのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>わたしたちは、もはやオクシデンタリズムがもたらした衝撃を理解できないほど遠い場所にいる。ひとは蘭学に実学的な意味しか見出せなくなっているし、ましてやこれが儒学のような体系的な学問に対抗しうる表象論や言語論を含んでいるなど想像もできなくなっている。精神は心臓や神経のような目に見える表象とは異なる、という、カント‐ヘーゲル的な二元論を再度受け容れてしまったからである。だが、心臓はともかく、神経の概念などそもそも存在していなかった東洋における蘭学者の衝撃は、察するにあまりある（「神経」の語は杉田玄白たちの造語である）。儒学的な「心」の概念は、蘭学によって大幅に変更を余儀なくされた。精神とは、《神経》であった――つまり、《肉》だった。言葉が隠していたのは、意味ではなかった――もうひとつの言葉だった。</p>
<blockquote>
<p>「フルヘーヘンド」は堆(うずたかし)といふ事なるへし。しかれは此語は堆と訳してハ如何といひけれは、各これを聞て、甚尤なり、堆と釈(やく)さは正当すへしと決定せり。其時の嬉しさハ、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。</p>
<p class="post-r">杉田玄白『蘭学事始』</p>
</blockquote>
<p>「フルヘッヘンド」の訳語を言い当てることが、なぜこれほどの喜び（玄白の言葉でいえば、無数の城と交換してもいいほどの玉を得た心地）をもたらすのか。それは、通例の文献学においてはありえない事態であることを想起すれば、少しは共感できるかもしれない。オクシデンタリズムは、近づくことはできても、いつまでたってもたどりつけない真理を追いかける文献学的読解とは、根本的に異なる思考法にもとづいている。「フルヘッヘンド」と「堆し」は、字面をみてもわかるとおり、完全に異なる単語である。この絶対的な差異にもかかわらず、これらの語は〈同じ言葉〉であることが確実である。翻訳において、同語反復にはなんの意味もない。差異は完全に肯定される。</p>
<p>肉のなかには肉があり、言葉のなかには言葉があった。すなわち、〈すべては表象なのだ〉。まったくの偶然の産物かもしれないが、彼ら蘭学者の天才が同時に行なった翻訳と解剖は、かくも有機的に絡みあっていたのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>たしかに、それでも佐野の批判が通用する余地は残っているかもしれない。死体解剖で生身の肉体がわかるのか？　しかし、この批判が通用するためには、ひとつ条件がある。生と死とがまったく相反する、ということである。しかし、生と死が違うというなら、どこに本当の死の意味を語れる生者がいるだろうか。漢方医学が内包している論理を原理的につきつめていけば、生と死もまた、対立的な区別を設けることはできなくなる。死は別種の生であり、また生は別種の死であるかもしれず、両者を泰然と分かつ理由もじつはあやふやなのだ。だとするなら、死体解剖によって生身の肉体を語るのを禁ずる理由もないのである。</p>
<p>むろん、蘭学者がこうした思考法を明晰に自覚していたかどうかは確かではない。しかし、蘭学の洗礼を浴びた多くの幕末・明治期の知識人には、こうした思考法の痕が顕著に見られるように思われる。いずれにしてもいえることは、蘭学は、そもそも翻訳が問題となっている以上、現実の西洋と実態的な関係をもたないということ、むしろ西洋と東洋のあいだの境界線上で繰り広げられたドラマだということである。正常な近代化（西欧化）などという戦後の問題とは、まったく無関係なのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>小林秀雄は言っている。</p>
<blockquote>
<p>近代の日本文化が翻訳文化であるといふ事と、僕等の喜びも悲しみもその中にしかあり得なかつたし、現在も未だないといふ事とは違ふのである。</p>
<p class="post-r">『ゴッホの手紙』</p>
</blockquote>
<p>小林のこの謎めいた言葉から、戦後の知識人は軽薄な欧化を非難するという非生産的な問題構成を作りあげてしまったように見える（とはいえ戦前の日本主義を批判せねばならない都合から、正しく近代化し、これと同一化すること――かつてのオクシデンタリズムに反する同語反復を実現すること――が使命となってゆく）。サイードをもっと深いところで読もう。そうすれば、《正しい近代化（西欧化）》という議論がいかに浅墓かが見えてくるはずだ。なぜなら、わたしたちの視線がつくる西洋など、オリエントがそうであったように、どこにも存在しないからだ。そしてさらに、サイードの議論をひっくり返そう。どこにもない場所は、そうであるがゆえにこそ、可能性をもつ。小林がいうように、日本の近代文学は、翻訳抜きにしては語ることができない。だが、そのことに対して、小林はポジティヴなのである。オクシデンタリズムがもたらした奇妙な言語論を受けついだのは、医学や実証主義などではなく、アカデミズムから離れた《文学》である。小林が指摘しているのは、そのことであるように思われる。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/2065.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>宣長の墓</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/1202.html</link>
		<comments>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/1202.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 18 Sep 2009 13:49:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[diary]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[Shinobu Origuchi]]></category>
		<category><![CDATA[古事記のダイアグラム]]></category>
		<category><![CDATA[常世]]></category>
		<category><![CDATA[本居宣長]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.fragment-group.com/kiotanaka/?p=1202</guid>
		<description><![CDATA[夏の盛りに、本居宣長の墓を訪れた。 伊勢神宮を詣でた後、三重県の岬の突端、熊野灘と遠州灘の境目のところで東を望む。折口信夫は、南面すれば左側で、なだらかに曲線を描く東海の地平線に、《常世》をみた。大和からみて、大和ならざ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>夏の盛りに、本居宣長の墓を訪れた。</p>
<p>伊勢神宮を詣でた後、三重県の岬の突端、熊野灘と遠州灘の境目のところで東を望む。折口信夫は、南面すれば左側で、なだらかに曲線を描く東海の地平線に、《常世》をみた。大和からみて、大和ならざる世界、そこに大阪出身の折口は親しき常世をみたわけである。</p>
<p>「詣でる」といった。慣用句だから使うだけで、手を叩いたとしても、願い事は一切しない。少なくとも、自分に関する願いはない。だから結局、感謝の言葉も出てこない。どうも、そういうことが性に合わない。神を信じていないからではないように思う。たぶん、神のほうで、その手の願い事にうんざりしているのではないか、と思うからだ。伊勢神宮クラスになれば、年毎に、あるいは二十年に一回リセットされる（？）、ということが仮にあったとしても、何百万・何千万というひとの「願い事」が、渦巻いているにちがいない。その願いをすべて聞いているとしたら、相当な労働である。額に汗して、泥まみれになってひとの願いを聞き届ける神を想像する。それで申し訳なくなる。だから、自分くらいは願い事をやめよう、と思う。願い事をしないのだから、感謝の言葉はかえって嫌味であろう。</p>
<p>まあ、今考えた理由である。神に願い事をしない、という自分の年来の非‐行為の理由がずっとそうだったかと言われると、そうでもない気がする。とにかく、手を叩いても、願う内容を思いつかない。というか、普段から欲望に忠実な自分は、手を叩くとかえってそれが出てこなくなる。</p>
<p>小林秀雄は、宣長について書いた。だが、宣長本人が書いた文書や墓をみても、わたしは彼について書こうという気にならなかった。彼の作った古事記のダイアグラムはなかなかのものだったが、松坂の山の中腹の無数の石段を登った先にある、前方後円墳を模したと思しい彼の墓は、どうも趣味ではなかった。</p>
<p>文献学者としてこれ以上の存在は見当たらない宣長よりも、文献の彼岸にある歌を聴こうとする折口のほうが、わたしにはずっと楽しい。折口は小林に、宣長とは源氏である、と言ったそうである。この謎めいた言葉の意味はよくわからない。宣長に親しく触れていたわけでもない。これは、初対面の彼、というか墓に抱いた第一近似でしかない。小林がそうしたからには、宣長はもっと興味深い存在なのかもしれない。だがわたしなら、宣長を書くくらいなら、折口を書く。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>おそらくは宣長も立ったことがあるだろう岬の突端で、折口は東を望み、そこに常世をみた。だが宣長は、江戸幕府という当時の体制に反対し、松坂の地にあって、西に近しい大和を眺め、幕府の目をかいくぐって作られた前方後円墳のなかに納まっている。両者の墓の違いについて考えてみても、不思議なのは、むしろ海に向かい、彼岸を見つめる折口である。賢明な読者ならご存知のとおり、文献と墓とは、まったく同じものである。出来事は、その向こう側にあるのだし、出来事の秘密を知りたい人間にとっては、文献や墓は壁である。彼の壮大な墓の前で、わたしは彼とほとんど喋ることができなかった。</p>
<div class="post-rl"><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E7%A7%80%E9%9B%84/dp/4101007063%3FSubscriptionId%3DAKIAJTU5FBML3HWXOESQ%26tag%3Dkiotanaka-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4101007063"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ZVM0SZ3SL._SL160_.jpg" style="float: left; margin-right: 10px;" /></a>
<span style="text-indent: 0em;">小林 秀雄『本居宣長〈上〉 (新潮文庫)』<br />Powered by <a href="http://blog.yoshitomo.org/amazonlink">AmazonLink</a> 2.0.0 beta4.<br style="clear: both;" /></span></div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/1202.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>高見と小林の墓参り</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/890.html</link>
		<comments>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/890.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 31 Dec 2008 06:52:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[diary]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[Jun Takami]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.fragment-group.com/kiotanaka/?p=890</guid>
		<description><![CDATA[一昨日、鎌倉は東慶寺を訪れたときの出来事。 まずは高見順の墓参り。相手が作家であると思うと、それも死人であればなおさら、こちらも裸にならざるを得ない。とりわけ彼の前では、隠し事はできない。自分でも思いもよらなかった言葉が [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>一昨日、鎌倉は東慶寺を訪れたときの出来事。</p>
<p>まずは高見順の墓参り。相手が作家であると思うと、それも死人であればなおさら、こちらも裸にならざるを得ない。とりわけ彼の前では、隠し事はできない。自分でも思いもよらなかった言葉が口をつく。「迷っている……」。ぼくは、歴史について思考し、そして哲学について思考し、巡り巡って文学にたどりついた。文学、この言葉は、ぼくにとって、もっとも《現実》的なものだ。本当の意味での思考、本当の意味での出来事、つまり現実は、ここにしかないということに、最近になってようやく気づくことができた。それは幸運なことだった。</p>
<p>文学が虚構であることを笑うひとびとがいる。多くは、批評家であったり、研究者であったりするひとたちだ。だが、じつは歴史が虚構であることをついに否定できないように、どのような批評も研究も、虚構なのである。大学の外にいる「実業家」たちからみれば、大学そのものが、充分に「虚業」である。だが、歴史がついに虚構を超えないということ、そのことは、突き詰めれば、大学の外でさえ、虚構の可能性を払拭できないということでもある。「実業家」と呼ばれるひとたちのことを考えてみればいい。彼らは、作家たちが虚を実にせんと欲望するその強さに引き換え、なんと虚に塗れていることか。要するに、資本主義という虚構を盲目的に信じることにおいて、実業ほど虚構的なものはないのである。</p>
<p>つまり、虚や実という区別は、ついに意味をなさない。物自体の世界と現象の世界という区別は、ついに意味をなさなくなる。世界そのものが、劇場なのだ。重要なことは、虚や実といった区別ではなく、虚を実にせんとするその実践、その意志のみである。そして、「劇場」という言葉が、もしその外部を想定した言葉であるなら、この語も不十分である。フランスの天才哲学者が言ったように、だから「工場」というべきなのかもしれない。なにかが生み出されるという、そのことを思考できるのは、もっと正確に言えば、思考そのものがなにかを生み出すような、そうした空間とは、劇場―工場のシリーズにおいてのみあらわれる。それを日本人は文学といった。ここにいたるまでにぼくはずいぶん回り道をした。それはもしかしたら、苦悩の軌跡といってよいかもしれない。</p>
<p>だが、戦前の作家たちは、さらに先を歩んでいた。彼らは、現実と文学の断絶に苦悩するようなナイーヴさはとっくの昔に克服していたし（むろんその問いにはたえず向き合わされていたとしても）、虚構にこそ深い現実が現れることを、とっくの昔に知っていた。高見順はぼくに言った。「よろしい、君は文学を発見したのだな？　文学にこそ、君が求めていた真理があること、それを発見したのだな？　なら次は、《君の》文学を発見することだ。そうしてはじめて、君は本当の意味で文学を発見したことになるのだ。そこに至らぬかぎり、文学を発見したなどとは言えぬのだ。」</p>
<p>そうかもしれない。ぼくの文学？　それはいったいなんだろうか。戦前の作家たちは、みな、自分のスタイルを見つけ出していた。文学という空間のなかで、さらにそこに驚異的な飛躍を可能にする斜線を引いて回っていたのだ。ぼくは全然甘いのだ。どうすればよいのだろう。ぼくの問いに、高見は答えた。「いいからなにか書きなさい。」</p>
<p>さて、このお寺には、たくさんの著名人の墓がある。高見順をはじめ、西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙、阿部能成、岩波茂雄、そして小林秀雄。小林秀雄の墓か。ぼくは墓の前で、こんなことを思わず考えた。「志賀直哉について、なにか書けたらと思っている……」。すると、墓のなかから顔を出して、小林はこう言った。「お前が？」　不服そうな彼の口調に、思わず立ち上がった。どうしてこんな自問自答が浮かぶのか。ぼくが喋っているのは、小林ではなく、自分なのだ。動揺と不満とがないまぜになって、ぼくは墓に尻を向けた。同行者がぼくを不審そうに見ているのを知っていたが、とりあえず小林の墓の前を去ることにした。ぼくは小林以外の批評家をまったく認めていない。つまり、小林は認めている。たが、こうした物言いは、小林には傲慢に映ったのだろう。当然だ。彼の墓の前で、まったくいい気になっている若造以外のなにものでもなかった。</p>
<p>小林の墓を後にすると、石段の底で、カメラを持った六、七人の集団がぼくの横を通り過ぎた。ひとりは、かつて小林秀雄賞を受賞された方だと記憶するが、間違っているかもしれない。彼らも、小林の墓参りらしい。同行者は彼らより先に小林の墓参りができてよかったと言った。ぼくはなんの感想もなかったが、小林とはもっと長く喋っておけばよかったかもしれないと思った。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/890.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>城之崎にて</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/584.html</link>
		<comments>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/584.html#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 24 Aug 2008 15:32:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[diary]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.fragment-group.com/kiotanaka/?p=584</guid>
		<description><![CDATA[この夏、一番の思い出といえば、城之崎に行ったことである。家賃を納める際、毎月２０００円余分に預ける、ということを続けていたら、それなりにお金が貯まっていたから、それで行った。城之崎行きを、印象深いものに変えたのは、やはり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この夏、一番の思い出といえば、城之崎に行ったことである。家賃を納める際、毎月２０００円余分に預ける、ということを続けていたら、それなりにお金が貯まっていたから、それで行った。城之崎行きを、印象深いものに変えたのは、やはり、当地で読んだ、「城の崎にて」である。</p>
<p>三木屋という旅館で、当然のように志賀直哉の同作を読みふけった。そして、志賀の天才に打たれた。若い頃には気づかなかった彼の天才が、わたしの心を打った。数々の優れた小品のなかでは、わたしが最も評価する部類には入っていなかったそれが、たちまち、姿を変えてわたしの前に現れた。</p>
<p>この作品について、ここで論じる気はない。が、もし文学史に興味があるなら、漱石に薦められた新聞小説の執筆を断ったあと、四年の沈黙を経て書かれたのがこの作品であるということ、それは、すこし念頭に置いておいてよいかもしれない。新聞に連載する小説である以上、「豆腐のぶつ切りでは困る」と漱石に言われ（要するに、連載のたびに、いちいち盛り上がりを付けろ、という意味だ）、それならと、志賀はただちに執筆を断っている。わたしは、志賀のこの態度に、きわめて清々しいものを感じていたのだが、「城の崎にて」にあったのは、むしろ、意外なほどの《痛み》だった。小説とはなにか、そうした問いについての、きわめて深い、そして痛切な哲学的考察を含んだこの作品は、同時に、漱石への静かな批判に溢れている。</p>
<p>以後、志賀は、この《痛み》を抱えたまま、小説を書くだろう。以前にもまして、志賀は、ありふれたテーマばかりを選んでものを書くようになる。しかし、そのことは、彼が、つねに危機に一歩足を踏み入れながら小説を書いたということを意味する。彼の静かで孤独な戦いは、少なくとも小林秀雄を感動させた。あの気障でおしゃべりな彼が、志賀の前では、凡庸な言葉しか吐けなかった。小林は言った。「おれにはこの感動の内容を説明することができない」……。</p>
<p>さて、わたしは、なんと言ったものか？</p>
<div class="post-rl">
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%83%A7%E3%81%AE%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%83%BB%E5%9F%8E%E3%81%AE%E5%B4%8E%E3%81%AB%E3%81%A6-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BF%97%E8%B3%80-%E7%9B%B4%E5%93%89/dp/4101030057%3FSubscriptionId%3DAKIAJTU5FBML3HWXOESQ%26tag%3Dkiotanaka-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4101030057"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51QyHkY%2BlNL._SL160_.jpg" style="float: left; margin-right: 10px;" /></a>
<span style="text-indent: 0em;">志賀 直哉『小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)』<br />Powered by <a href="http://blog.yoshitomo.org/amazonlink">AmazonLink</a> 2.0.0 beta4.<br style="clear: both;" /></span>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/description/diary/584.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>小林秀雄の孤独</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/15.html</link>
		<comments>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/15.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 07 Feb 2008 14:36:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[Jun Takami]]></category>
		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>
		<category><![CDATA[phonogram]]></category>
		<category><![CDATA[Whitehead]]></category>
		<category><![CDATA[Yasunari Kawabata]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.fragment-group.com/kiotanaka/?p=15</guid>
		<description><![CDATA[小林秀雄について、なにか書いておこう。彼は、一九八三年まで生きた。その意味では、彼は孤独だっただろう。自分より若かった高見順も早世し、川端康成も自殺し、そして志賀直哉も死に、そのなかで、戦前のひとたちがもっていた、ある種 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>小林秀雄について、なにか書いておこう。彼は、一九八三年まで生きた。その意味では、彼は孤独だっただろう。自分より若かった高見順も早世し、川端康成も自殺し、そして志賀直哉も死に、そのなかで、戦前のひとたちがもっていた、ある種の《文学》への共通理解のようなものは、もう失せていたからだ。彼の孤独がとりたてて不幸だとは思わないが（天才はみな孤独なものだ）、ともあれ、戦後の多くのひとたちは、文学――というか文壇に、一種の権力を感じていたし、それを攻撃することが、また戦後独特の一種の共通理解を築いていたようである。日本は、哲学する国ではない。文学の国である。近代以降、これほど、文学が、権力の中枢に食い込んでいた国も、そうはないだろう（前近代とは議論の中心が異なる）。戦前、多くの優秀な知識人が、むしろ在野にあって、官僚的な学問よりも、文学を選び、身も細る思いで文学作品を作りあげたのである。そしてそのことは、戦前の日本の社会のあらゆる美点をつくりあげた。その一方で、戦後は、それを消費した時代である。文学者を批判し、ときに非難し、文学者が作りあげた、アカデミズムのでっぷりとよく肥えた象牙の塔とは異なる、奇怪な文壇という玲瓏たる尖塔をその土台から破壊したのである（結果として、競争の対象を失って形骸化したアカデミズムだけが、荒野に醜い札束の塔を拵えている）。</p>
<p>高見順は、批評には、文学への愛がなければならないといった（高見は、サルトルやメルロ・ポンティよりもホワイトヘッドの方に賛意を表明した作家である）。それは、けっして間違いではない――というか、全面的に正しいと思う。この言葉は、感情的にではなく、理論的に読まれなければならない。偏愛はどうしようもないが、それはそもそも論外なのであって、文学批評が、文学を破壊してしまっては、なんの意味もないのである。知識人と大衆との関係を、アメリカのような形にしたいひとたちがそこらじゅうにいるが、それは誤りである。日本ほど、文学が政治権力の中枢に楔を打っていた国はないといった。それは、とくに戦前はそうである。だが、また同時に、戦後の日本ほど、文学者そのものを圧殺するような批評言語を好んだ国もないだろう。彼らは、かつての文学者が、やや自虐的に自身の生業を語る言葉を嬉々として、そしてやすやすと聞いた。そうだ、文学などつまらないものだ。もっと、現実を、もっと現実を……。彼ら戦後の批評家は、そうすることで、言葉と現実とを分割し、逆説的に、言葉のために、あらゆる現実から疎外すると同時に保護する、なにか奇怪な領域を作りあげたのである。文学は無力なのだ――そう主張することで、戦後の文学者は権力を放棄したが、同時に知であることも放棄し、その結果、一番得をしたのは、既存の政治家たちなのである。</p>
<p>そんななまぬるい「無力な」言葉の領域をつくるくらいなら、文壇のほうがずいぶんましだったと思う。文学は、およそあらゆる権力に反対せねばならない。したがって、力でなければならない（わたしがここでいう力とは、たとえば重力や電磁気力のように、現実になにか《具体的な》作用を及ぼすもののことだ）。また、言葉が現実の頂に登りつめるまで、それこそ玲瓏レンズのように磨き上げねばならない。だからこそ、おいそれとそう簡単には文学者の列にひとを加えるわけにはいかないし、また逆に、文学者を育てねばならない。したがって、文壇のような特異な領域が生じてしまうのは仕方がないのである。ことばは力であるし、反権力という権力もまた存在する以上、力が権力になってしまうことも、完全に避けることはできない。だが、そんなものを恐れていてはなにもできない。権力など、かつての可能性の残滓にすぎない。反権力に向けてことばを磨けばいいだけのことだ。戦後、降って沸いたように、権力の玉座が大衆の元に忽然と姿をあらわしたとき、当然のような顔で大衆が権力の中枢に座ったが、そのとき、真の文学者だけが、大衆から離れた。吉本隆明や、花田清輝（もう彼については自分からは語ることはないだろう）のような議論の中心とは、完全に縁を切ったのである。当然、文壇は、大衆からさえ攻撃を受けたが、文学者とは、権力に反対するためなら、むしろかえって天皇のために死ぬことさえ厭わないひとたちである（わたしのいっていることが正確に理解されるだろうか）。</p>
<p>誤解のないようにいっておくと、わたしはだいたいにおいて天皇制に反対だが、それは別として、話を小林に戻そう。彼はこういっている。</p>
<blockquote><p>整理することと解決することとは違う。整理された世界とは現実の世界にうまく対応するように作り上げられたもう一つの世界にすぎぬ。おれはこの世界の存在をあるいは価値をいささかも疑ってはいない、というのはこの世界を信じたほうがいいのか、疑ったほうがいいのか、そんな場所にはてしなく重ね上げられる人間認識上の論議になんの興味もわかないからだ。…</p>
<p>ニイチェだけにかぎらない、おれはすべての強力な思想家の表現のうちに、しばしば、人の思索はもうこれ以上登ることができまいと思われるような頂をみつける。この頂を持っていない思想家はおれには読むに堪えない。頂まで登りつめたことばは、そこでほとんど意味を失うかと思われるほど慄えている。絶望の表現ではないが絶望的に緊迫している。無意味ではないが絶えず動揺して意味を固定し難い。おれはこういう極限をさまようていのことばに出会うごとに、たとえようのない感動を受けるのだが、おれにはこの感動の内容を説明することができない。だがこの感動がおれのかってな夢だとはまたどうしても思えない。</p>
<p>正確を目ざしてついに言語表現の危機に面接するとは、あらゆる執拗な理論家の歩む道ではないのか。どうやらおれにはこれは動かしがたいことのように思われる。…この世に思想というものはない。人々がこれに食い入る度合いだけがあるのだ。だからこそ、ことばと結婚しなければこの世に出ることのできない思想というものには、危機をはらんだその精髄というものが存するのだ。<br />（「Ｘへの手紙」『様々なる意匠・Ｘへの手紙』角川文庫、195-7頁）</p>
</blockquote>
<p>言葉は、力である――彼は、そういっている。小林は、もはや完全に認識論とは手を切っているのだ。先日の丸山真男と好対照をなしているので、ここを引いたが、有名な「２×２＝４」と「文体」について論じた箇所を引いてもよかったかもしれない（江藤淳や、柄谷行人が、どう考えても誤解して読んだとしか思えない箇所でもある）。ともあれ、小林の強い確信によれば、言葉は、意味を失うか失わないか、その臨界において、ついに現実の世界に接するのである。「おれにはこの感動の内容を説明することができない」。もちろん、わたしにおいてもそうだ。彼はつづけてこういっている。</p>
<blockquote>
<p>…われわれの伝統は、西洋の伝統に較べて、この言語上の危機に面接してただこの危機だけを表現して他を顧みない思索家を、なんと豊富に持っているかとおれはいまさらのように驚くのだ。卓抜な思想ほど消えやすい、この不幸な逆説は真実である。消えやすい部分だけが、思想が幾度となく生まれ変わるゆえんを秘めている。おれはしばしば思想の精髄というものを考えざるをえない。（同前、197ページ）</p>
</blockquote>
<p>本当の思想は、書かれていない。それは、《声》なのだ。だから、たちどころに消える。もちろん、この小林の「手紙」にも、それは《書かれていない》。戦前のひとびとがもっている音声中心主義を、わたしも共有する。痕跡も残さず消え去ってしまった声、歴史家に求められているのは、この徹頭徹尾認識論上の問題である「痕跡」――世界を信じたほうがいいのか、疑ったほうがいいのかという、くだらない問いと同じものである――を残さない声を、わたしたちのもとに手繰り寄せることなのだ。小林は、歴史に向かう。しかしそれは、認識論的な思想家が、歴史に向かったのとは、およそ反対の方向を向いてである。</p>
<div class="post-lr">
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88-%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E4%BA%94%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E5%85%A8%E9%9B%86-%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E5%9B%A3/dp/B0030AHBIG%3FSubscriptionId%3DAKIAJTU5FBML3HWXOESQ%26tag%3Dkiotanaka-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB0030AHBIG"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/612gqozzRZL._SL160_.jpg" style="float: left; margin-right: 10px;" /></a>
<span style="text-indent: 0em;">『モーツァルト:弦楽五重奏曲全集』<br />Powered by <a href="http://blog.yoshitomo.org/amazonlink">AmazonLink</a> 2.0.0 beta4.<br style="clear: both;" /></span><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E9%9B%86-II-%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89-%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3/dp/B00005G8GI%3FSubscriptionId%3DAKIAJTU5FBML3HWXOESQ%26tag%3Dkiotanaka-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB00005G8GI"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51dpCuvFYFL._SL160_.jpg" style="float: left; margin-right: 10px;" /></a>
<span style="text-indent: 0em;">『ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ集 II』<br />Powered by <a href="http://blog.yoshitomo.org/amazonlink">AmazonLink</a> 2.0.0 beta4.<br style="clear: both;" /></span>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/15.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>歴史と小林秀雄</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/142.html</link>
		<comments>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/142.html#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 14 Sep 2003 17:51:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[criticism]]></category>
		<category><![CDATA[Frankfurter Schule]]></category>
		<category><![CDATA[Hideo Kobayashi]]></category>
		<category><![CDATA[Polybios]]></category>
		<category><![CDATA[スキピオ・アフリカヌス]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.fragment-group.com/kiotanaka/?p=142</guid>
		<description><![CDATA[さいきん、小林秀雄のことを考えることが多くなっている。歴史とは、たしかに抗いがたいものである。“世界史”や、あるいは大文字の歴史が、あくまで、思考のメタ・レヴェルに立つときに可能なものだとすれば、小林秀雄の言う《歴史》は [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>さいきん、小林秀雄のことを考えることが多くなっている。歴史とは、たしかに抗いがたいものである。“世界史”や、あるいは大文字の歴史が、あくまで、思考のメタ・レヴェルに立つときに可能なものだとすれば、小林秀雄の言う《歴史》は、むしろ、そのようなものの否定としてある。つまり、《物自体》である。それはもちろん、善も悪も、真も偽も超えて、唯一、美的にのみ語りうるような、崇高なものである。投げられた小石にとって、自らが落ちていくことも、あるいは昇っていくことも、善や悪、あるいは真や偽とは無関係である。ただ、美的にのみ、それは語りうる。</p>
<p>だが、おそらく、口で言うよりも、もっと、二つの歴史の境界は曖昧であり、またもっと、きわどいものである。ひとが、「歴史」を語るたびに陥る、あるロジカル・タイピングの混同を批判して、たとえば戦前／戦中／戦後を代表する作家である高見順のように、「生活」の水準を強固に貫き通す意思は、それがいかに潔癖で美しい生であったとしても、「歴史」の前では、あまりにもはかない。ひとが「歴史」を語るたびに陥るロジカル・タイピングの混同をあえて肯定し、アクロバティックに用いることを他方で可能性と呼ぶことはできるだろうか？　おそらく、それは無理だ。お望みなら、数十億の人間の前で語ってみるがいい。もし、「歴史」という言葉を、厳密にある限界のなかで用いてみたところで、それでもまだ、一億の人間を前に語らねばならないのだ。少なくとも、わたしにはもはや手に負えない。「歴史」は、おそらく、最後には否定されるべきものとしてある。たとえば、アドルノのように。それが、おそらく、《わたし》に可能なすべてだ。高見順は相対的に、しかも圧倒的にただしい。しかし、なぜ、ひとは、飽きもせず「歴史」を思考するのだろうか？　Ceterum censeo Carthaginem esse delendam. 文字通り消滅してしまったカルタゴをみて、滅せぬものの不在を、将軍スキピオ・アフリカヌスの口を借りて語ったポリュビオスなら、その答えを知っているかもしれない。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>希望を語るべきだ。そのことは十分に承知している。だが、そうするにはあまりに絶望が足りないのだ。もっと深い絶望が。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/142.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

