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KIO TANAKA WAS BORN IN 1976 IN KYOTO-CITY. HE RECIEVED M.A. IN WESTERN ANCIENT HISTORY AND Ph.D. IN JAPANESE MODERN HISTORY, BOTH FROM KYOTO PREFECTURAL UNIVERSITY. HE CAME IN SECOND OF THE SHINCHO NEW WRITERS PRIZE FOR AN ESSAY ON THE JAPANESE LITERATURE IN 2007.

2011.09.30

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史創研究会機関誌創刊

昨年はじまった史創研究会の機関誌『史創』が2011年8月25日をもって創刊されました。創刊号執筆陣は小路田泰直、住友陽文、布川弘、西谷地晴美で、錚々たるメンバーのなかに田中希生も混じってなにか書いています。どこかで見かけたら手に取ってごらんください。

【創刊号目次】
 特集:「想定外」と日本の統治―ヒロシマからフクシマへ―
 小路田泰直(奈良女大)「ヒロシマからフクシマへ」
 住友陽文(大阪府大)「戦後民主主義の想定領域―原子力開発と55年体制―」
 布川弘(広島大)「「冥王」プルトニウムの誘惑―ヒロシマからフクシマへ―」
 西谷地晴美(奈良女大)「災害史と現代」

田中希生(京府大)「《特殊な》知識人―湯川秀樹と小林秀雄―」

田中論文は特集と関わりはなかったつもりのようですが、湯川秀樹は原子物理学者の日本の象徴的存在ですから、現在の状況においても別の意味で注目すべき存在といえるでしょう。あまり部数は残っていないそうですが、たぶん、奈良女子大学の小路田氏か、立命館大学の小関素明氏に連絡すれば、おそらくまだ手にすることができるかと思われます。

2011.09.15

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第8回「人文学の正午」研究会のお知らせ

来たる9月25日(日曜日)、14:30より京都大学にて第8回人文学の正午研究会が開催されます。今回は小路田泰直さんが「思惟の歴史としての日本史試論」について報告されます。どなたでもお越しいただけます。ふるってご参加ください。

詳細はこちらの公式ウェブサイトに掲載されています。http://www.fragment-group.com/shogo

2011.05.30

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第6回「人文学の正午」研究会のお知らせ

来たる6月18日(土曜日)、15:00より京都大学にて第6回人文学の正午研究会が開催されます。今回は田中希生が「歴史とはなにか」について報告しようと考えていますが、現段階ではテーマは仮のものとなります。どなたでもお越しいただけます。ふるってご参加ください。

詳細はこちらの公式ウェブサイトに掲載されています。http://www.fragment-group.com/shogo

2011.05.30

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史創研究会第2回例会のお知らせ

6月17日(金曜日)、17:30より20:30まで、奈良女子大学にて行なわれる史創研究会第二回例会に、田中希生が話題提供者として参加します。以下、告知より文章を転載いたします。

「超越」の起源
――もしくは国家の起源――

東日本大震災は、多分後世時代の大きな転換を画した事件として記憶されるだろうと思いますが、その被災地の真只中にいて歴史の転換を日々直観されている佐藤弘夫さんが、この度奈良に来られます。そこで、折角の機会ですので、佐藤さんを交えた討論の機会をもとうということになり、以下のような例会を企画しました。テーマは「超越」です。主権もしくは主権者の超越性は、国家を支える基礎です。では人はいかにして「超越」を生み出すのか。それを考えてみるのが、今回の課題です。会場は普段と違い、大方の人にとっては遠隔の地ということになりますが、奮ってご参集くだされば幸いです。

場所 奈良女子大学文学部南棟S327(正門を入って左側の建物の3階の西北の隅の教室)

2011.01.25

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敵に抱く特別な親愛の情について

いつしか自分の頭に住みついた片頭痛が日曜日の深夜に勢いを増す。発作的に激烈な痛みと嘔吐に襲われる。ミシュレやニーチェのかかった病と同じなら少しは気は休まるが、肉体的にはこれまで感じたことのないほどの痛み。

日々の頭痛の種、つまり自分が不快感を催しているものに対する親愛の情を、ニーチェはよく感じていた。わたしの場合はカントやデリダがそれだった。ディスプレイから離れ、気づけば自分で自分に頭痛の種を撒くかのように、ソファでデリダのベンヤミン論を読んでいる。これがかの散種Disséminationと思うと、笑いがこみ上げてくる。

解説を読んでいると腹が立ってくる。昔は納得づくで読んでいたはずだったが、理論的な水漏れがあるような気がして仕方がない。しかも漏れた水がまた戻ってきて、それでなんとか前に進んでいる。というか、せっかく吐き出した異物をまた飲み込んでいるような気分になる。

しかし、これほどカントやデリダが気になるところをみると、ニーチェやフーコーへの愛情とは別の意味で、奇妙な親愛の情を覚えるいるのではなかろうか? カントやデリダは、わたしにとって、アカデミズムの象徴なのだ。

とはいえむろん、わたしがずっとかかわってきたのは実証主義である。カントやデリダよりもずっと近しい、親愛なるわたしの敵である。その牙城ともいえる場所で、「実証主義とはなにか」について、報告しようとしている。要は、自分で自分の頭痛の種を増やしているわけだ。

いまでは、実証主義にはずいぶん親愛の情を覚えている。それは、なにかこう、もはや帰ってこないものに対するいとおしさによく似ている。実証主義に対するカント的批判は、必要なかったのだと、いまは感じている。もっと別のなにか。特別な頭痛の種を欲している。

目が覚めた。が、まだ痛む。正直に告白すれば、自分が歴史学者である、ということも頭痛の種だ。いまの日本に、わたしほど歴史学者に敵意を抱いている人間がいるだろうか。今日のアカデミズムには、もうかつてのような歴史学者への敵意などありはしないというのに。わたしの親愛なる、孤独な敵意よ。

しかし、この峻烈な敵意によってわたしは成長し、そしていまでは愚かな青春時代の追憶に似た居心地の悪さと愛情とを同時に感じていて、かつての敵意はずいぶん鈍っている。好意だろうと敵意だろうと、鈍ったものは振り払わねばならない。かように歴史学に対するわたしの愛情は複雑なものだ。

医者の家に生まれ医者たる将来を方向づけられていたフーコーは、すでに幼少期に歴史家になることを夢見ていた。ニーチェと同様に、彼も歴史に夢を抱いた。くだらぬ現実からの逃避というより、永遠に対するあこがれから、おそらくそうしたのだ。しかし、自分が愛していたのは、このような歴史ではなかった、彼らはそう感じ、そしておのれの哲学が生まれる。哲学を強いられる。

ヘーゲルのようにあらかじめ屈折していた人間が歴史を愛するのとは異なる。屈託なく歴史を愛したニーチェが、当の歴史によって屈折を強いられるとき、彼は折れ曲がるよりも、歴史を振り捨てて真っすぐであることを選択した。だが今では、ひとに屈折を強いるほどの力を、歴史の方が失ってしまった。

いまではおのれを励まし奮い立たせるどころか、立ち向かうべき敵をさえ、鼓舞しなければならない。倒すべき敵に自分が磨いた剣と盾とをくれてやり、わたしなど取るに足らぬ者だということさえ、教えてやらねばならない。わたしを恐れず、試みに一戦まじえてみようではないか……。別にいい気になっているつもりはない。おそらく今ではどの分野でも起こっていることだ。

敵に吐く呪いの言葉を、若者は失っている。敵がいないのだ。不在において他者を意義づけるこの空虚な定義がはびこるかぎり、呪詛はおのれに向かう。実際、言葉に、おのれを傷づける以外のなにができるというのか。おのれを傷つけることによって万が一他人の同情をひくことを願う以外のなにができる?

言葉は本当に肉体を傷つけるのだと教えてやったところで、敵はほとんど信用しない。だがそれは、弱点であるわたしの心臓を外気に晒すことなのだ。もっとも非力な呪文によってさえ傷つくほどに、無防備に弱点を晒しているのだ。さあ、歴史よ、言葉を発してみよ、さすればわたしの心臓は傷つくであろう。言葉が出来事であることを歴史に教えた時、わたしは歴史に、おのれを破砕する最強の武器を与えたのだ。

だが、当の敵ときたら、それが武器であることさえ、思い出せないでいる。わたしが仕掛けたからくりに気付いているのか? いや、そうではない。本当に忘れているのだ、自分に力としての言葉があることを。若者たちと「不在の敵」とのあいだの奇妙な均衡を打ち破るためには、もっと巨大な非対称が必要なのだ。たったひとり分の心臓を晒すだけでは、この奇妙な均衡は崩れないのだ……。

2011.01.20

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日本史研究会

日本史研究会という学会の近現代史部会で研究報告することになりました。こういうところと縁があるとは思っていなかったので、すこし驚いていますが、呼ばれたからには気合いを入れて行ってきます。当日お暇な方はぜひどうぞ。

日時:2011年2月17日(木)18:30〜
場所:機関紙会館3階会議室
報告:田中希生氏「実証主義とはなにか? ―19世紀の国家と実証精神―」

《参考文献》
 ロラン・バルト(藤本治訳)『ミシュレ』(みすず書房、1974年)
 『世界の名著36 コント スペンサー』(中央公論社、1970年)
 家永三郎『植木枝盛研究』(岩波書店、1960年)

http://www.nihonshiken.jp/sig/sig-modern.html

2011.01.13

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人文学の正午研究会ウェブサイト・リニューアル

人文学の正午研究会のウェブサイトがリニューアルされたそうです。田中希生は雑誌『人文学の正午』創刊号に論文「近代人文学とはなにか 二つの世紀の記憶と忘却」を寄稿しています。ウェブサイトでPDF版が閲覧できます。

http://www.fragment-group.com/shogo

2010.12.31

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『人文学の正午』第一号が出版されました

諸般の事情で伝えるのが遅れてしまいましたが、学術誌『人文学の正午』が12月24日に出版されました。三つの論文、翻訳、エッセイが掲載されています(田中希生の論文は「近代人文学とはなにか 二つの世紀の記憶と忘却」)。表紙の画像等はもうしばらくお待ちを。論文等も、可能なかぎりウェブで公開する予定です。

目次
創刊の辞
田中希生 近代人文学とはなにか――二つの世紀の記憶と忘却――
井上治 花道思想における出生と花矩に関する試論
古川雄嗣 九鬼周造の唯美主義哲学――時間論と芸術・文芸論――
小林敦子 イェーツ訳詩選
山下航佑 アイルランドとヨットの恋人――アドルノ、ニーチェ、そして岡本太郎
人文学の正午研究会記録
執筆者紹介/投稿規定
編集後記

2010.10.09

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史創研究会第1回大会が開催されます

10月30日(土)、京都府立大学(合同講義棟)にて史創研究会第1回大会が開催されます。午前の部(午前9時〜12時)は研究報告、午後の部(午後1時〜5時)は「近代の起源と構造」をテーマに樋口陽一氏を迎えてシンポジウムが行われます。

田中希生は9時から12時のあいだに1時間ほど(たぶん1番手ではありませんので10時以降でしょう)「近代日本における言語使用と国家の問題」という漠然とした主題で研究報告を行なう予定です。もちろん資格は問いませんので(ただし資料代に500円)、ふるってご参加ください。

2010.09.07

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第4回「人文学の正午」研究会のお知らせ

来たる9月25日(土曜日)、14:00より京都大学にて第4回人文学の正午研究会が開催されます。第1回は「人文学とはなにか?」、第2回は「色彩論」、第3回は「ベンヤミンの言語論と歴史」でしたが、第4回は「1960年代前半における被爆者の表象〜大江健三郎の小説とルポルタージュの比較を通して〜」の予定です。人類が生み出した第三の火もまた、文明の最先端を照らしつつ、自らを焼き滅ぼす狂熱そのものとして現われました。大江の小説は、人類のもつ矛盾のちょうど中央に屹立するモニュメントです。刺激的な討論になることが期待されます。多数の参加者をお待ちしております。

詳細はこちらの公式ウェブサイトに掲載されています。http://www.fragment-group.com/shogo