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	<title>ex-signe &#187; review</title>
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		<title>犬島銅製錬所跡</title>
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		<pubDate>Fri, 12 Aug 2011 10:09:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>

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		<description><![CDATA[瀬戸内を旅した。抜けるような青空。空と同じ色の海面。日差しの焦がした肌を波の飛沫が濡らす。空にせよ海にせよ、両者の境界を時折横切っている島々の緑にせよ、恐ろしく単純な色彩が刹那の感を漂わせてかえって切なくさせる夏の一日。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>瀬戸内を旅した。抜けるような青空。空と同じ色の海面。日差しの焦がした肌を波の飛沫が濡らす。空にせよ海にせよ、両者の境界を時折横切っている島々の緑にせよ、恐ろしく単純な色彩が刹那の感を漂わせてかえって切なくさせる夏の一日。対岸の港から犬島へ行くか、西へ回って直島へ行くか迷っていたら、みな犬島に行きたいといった。犬島に本物があることはわかりきっていたから、よい結果である。むろん直島も有数の場所である。だが、いま若者の勉強になるのは犬島である。日本人の経験した歴史的大災害のひとつに数えられる大津波と未曾有の原発事故、数十年前には原爆が落ち、戦争が終結をみせたこの時期に、孤島に浮かぶ本物の廃墟に目をくぐらせることはけっして無駄にはならない。</p>
<p class="post-c"><img src="http://www.fragment-group.com/kiotanaka/blog/wp-content/uploads/2011/08/IMG_03141.jpg" width="240" height="240" /></p>
<p>犬島の銅製錬所が稼働していたのは１９０９年から１９１９年までのわずか十年。銅の価格下落により採算のとれなくなった施設は打ち捨てられ、今日に至るまで、廃墟としておのれを磨き、飾りつづけてきた。島外の人間が再発見したとき、それは完成途上の芸術品になっていた。</p>
<p>むろん、これを芸術品と呼ぶことを躊躇うのは自然な態度である。あらゆる廃墟がそうであるように、この廃墟に特定の作者はいない。しいていえば、この廃墟の作者は歴史であって、人間は歴史という媒介を通じてしか、この廃墟の建造に手を貸す術をもたなかった。しかし、これを芸術と見ない態度は、芸術に対して偏狭な態度とはいえまいか。そもそもわれわれは、いつも自然を歴史に変えることで、作品を作りつづけていたのではなかったか。この廃墟はもはや本来の用途では価値をもたない。もっているのは、あらゆる芸術がそうであるように、ひとの感覚を楽しませることだけである。海からの風にまじって鉄、ガラス、銅の粉の舞う廃墟の横で百年にわたり生活してきたひとびとの生があるかぎり、そのすべての生を作者とする協同の芸術と考えることに、躊躇のあるはずもない。</p>
<p class="post-c"><img src="http://www.fragment-group.com/kiotanaka/blog/wp-content/uploads/2011/08/IMG_03161.jpg" width="240" height="240" /></p>
<p>実際にわたしを感動させたのは、島の三分の一ほどを埋めるこの廃墟の横で百年にわたってひとが生活してきたということである。打ち捨てられたのではなかった。むしろひとはこの廃墟に寄り添って生きてきたのである。廃墟には草や木が生い茂り、みるひとをどきりとさせる百合の花がところどころで美しく咲き誇っている。いまも実際にひとが住んでいる住居、住居から顔を出す猫やひとの姿は、この百合に似ていた。百合の美しさに芸術を覚えるのであれば、この廃墟もまた芸術品でなくてなんであろう。《人工物のレディメイド》を芸術と取り違える昨今の芸術観念の貧しさを思えば、《本物の人工物》であるほかないこの廃墟のほうが、よほど芸術としての資格を満たしているというものだ。</p>
<p>この自然と歴史の芸術作品のあいまに、《近代概念の解体》と《近代芸術概念の解体》を重ねる思わせぶりなオブジェが配されている。否定はしないが疑問はある。そうしたわかりやすい大文字の歴史性は、芸術とは無関係な政治趣味の結晶ではないのか。むしろこの廃墟と島民の百年の生活にこそ、本当の意味での近代の歴史性があるように思えてならない。</p>
<p class="post-c"><img src="http://www.fragment-group.com/kiotanaka/blog/wp-content/uploads/2011/08/IMG_03181.jpg" width="240" height="240" /></p>
<p>思えば、百年にわたるこの島の歴史を封じ込めたアーカイヴであるこの廃墟は、しかしおのれを自然に侵食されるがままにすることによってこそ、アーカイヴである。芸術作品は現実の時空間に置かれ、歴史による侵食を積極的に受け容れることによってはじめて、宗教的ではない真の芸術として脱皮を遂げる。百年の歴史を重ね、廃墟となってなお、おのれの芸術を主張できる、しなやかでしたたかな芸術作品を見たいという思いはますます強くなる。というかむしろ、人間の作った人工物が、自然のなかに参与するときにはじめて、それは本物となる。自然に参与するとは、歴史のなかに置かれて、侵食を受け容れるということである。自然が長いときをかけて作り上げた《もの》の美しさは、人間にはなかなかまねのできるものではない。老人が頬に作り上げた皺に似た石材のまだら模様の手触りを人工物が実現できるのは、稀なことだ。しかし、この侵食の長い年月に耐えられるものは、次第に芸術品としての資格を有していく。おそらく芸術家は、この時間を一つの作品のなかに圧縮し結晶化しようとしているのだろう。歴史を拒絶するのではない。歴史の流れを早回しにして、刹那に永劫を思わせるほどの時間を注ぎ込むのだろう。</p>
<p>歴史の陰影を拒絶したところに光もない。陰影を欠いたのっぺりしたレディメイドの作品は、時間と日差しを凍結する写真のなかでしか生をまっとうできない。実際に目に触れたときの貧しさは覆いようもなく、実物よりもパンフレットの写真に空想を繰り広げていたときが懐かしくなる。白痴化したレイヤーをいくら重ねようと、厚みは存在せず、その厚みのない白痴性のなかで芸術そのものを堕落させる。おのれの堕落と芸術の堕落との区別がつかなくなり、芸術は堕落したものというとんでもない誤解が世の中を覆う。際限のない堕落のなかで歴史を拒絶し、地理を拒絶し、陰影を拒絶する。現在を永劫のうちに凍結しようとする現代アートの引きこもり体質は救いようがないほど深刻化している。過去もなく未来もない。ただ厳格に現在のうちに封じられる人間。アウグスティヌス主義のリバイバルを見ている気分にさせられる。</p>
<p class="post-c"><img src="http://www.fragment-group.com/kiotanaka/blog/wp-content/uploads/2011/08/IMG_03201.jpg" width="240" height="240" /></p>
<p>百年の歴史の孤独を作品のなかに込められるか否か。犬島の廃墟は美をまとうに百年かかった。ひとひとりの生はこの時間に耐えられない。だとすれば、芸術家は歴史のなかで掘り起こされるのを待っている隠された背面に頼ることなく、表面のうちにも高さや深さを見いだす歴史家たらねばならない。廃墟に寄り添う百年を超えるひとびとの生と同じ強さを表現することがなければ、芸術は緩慢な消滅を受け容れることができない。毒々しい不気味な廃墟が、にもかかわらず芸術としての強度をもっているということは、今日にあって、人間の希望のひとつに数えてよいものだ。ひとびとの記憶は、緩慢な崩壊をもたらす時間の侵食のなかで、たえず作り直されている。急激な破壊を憎むのと同じ強さで、わたしは破壊の拒絶、すなわち時間の否定を憎んでいる。緩慢な破壊のなかに煌めくひとびとの生の営みが歴史を形作っているということを、この廃墟は、廃墟としての生のつづくかぎり、われわれに教えつづけてくれるにちがいない。</p>
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		<title>長谷川等伯</title>
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		<pubDate>Sun, 09 May 2010 18:42:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>

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		<description><![CDATA[没後四百年を記念して京都国立博物館（および東京国立博物館）で長谷川等伯展が開催されている。なんとか最終日に足を運ぶことができた。京都にはあちこちに等伯があるが、一カ所でこれだけまとめて作品をみると、さすがに圧巻というか目 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>没後四百年を記念して京都国立博物館（および東京国立博物館）で長谷川等伯展が開催されている。なんとか最終日に足を運ぶことができた。京都にはあちこちに等伯があるが、一カ所でこれだけまとめて作品をみると、さすがに圧巻というか目眩というか、幾度も作品の前で息を飲んだ。雪舟よりも繊細、応挙よりも奔放。緻密にして闊達、しばし言葉を失う。中国の呪縛もなく、浮世絵の氾濫が実証主義を強いた悲哀もない。権力と芸術が手を取り合っていた幸福な時代の日本画の極北。光と影のおりなす色彩のパノラマは、久しくわたしが日本の絵画に忘れていたものだ。彼は、桃山時代という日本でもまれな時代がもっていた光と影のはざまから生まれたひとつの奇跡とさえ感じさせられる。「天下一」という奇妙な論理にしたがうかぎり、そこではすべてが許されていたように思われる。ひとが頂点に君臨できるとすれば、ひとえに、彼がもっとも優れていたからだ。大義名分など許さない、このシンプルな論理を追い求めるなら、芸道と政道は齟齬しない。秀吉は自ら果敢に芸術に手を染めたし、利休は権力をふるうことをためらわなかった。等伯は長谷川派を打ち立てるべく、狩野派と真正面から戦った。絵画の世界で権力を握るのは、一番絵のうまい人間なのだ。芸術が反権力でなければならない時代など、ほんとうは不幸だ。もちろん、芸術は、どうみても国家には反対する。しかし権力にはおそらく反対しない。無知な輩が美を破壊するくらいなら、権力＝知によって美を守るほうが、大衆から煙たがられたとしても、よっぽどましだからだ。逆にいえば、国家は元来、芸術を嫌うものである。</p>
<p>等伯は、利休によって企図され、１５８９年に落慶をみた大徳寺増築にかかわり、三門壁画を担当したことにより、大絵師としての一歩を踏み出す。ここに描かれた肉感あふれる「天人像」や「迦陵頻伽像（かりょうびんがぞう）」は、もはや宗教施設であることをみじんも感じさせないという点で、この時代にこそふさわしいものである。さらに等伯は、秀吉の愛児鶴松の菩提寺祥雲寺（家康が「日本一番之寺」と絶賛した大伽藍があったことで知られる）の障壁画の画事に抜擢されたことで、その名声を不動のものにする。なかでももっとも評価の高いものが「楓図壁貼付（かえでずかべはりつけ）」である。画面の中央を斜めに分割する巨木の周囲に散りばめられた青葉と紅葉と花々が生み出す彩りが、依頼者の明朗さと愛児の死の崇高さとを高次にバランスさせていて見事というほかない。こうした色彩の不思議な調和は、量感によって見るものを圧倒する雄大な巨木を表現した狩野永徳にはなかった清潔さであるように思う。</p>
<p>そしてもちろん、「松林図屏風」をあげないわけにはいかない（ただしわたしの好みはどちらかというと桧原図屏風である）。この絵画が水墨画の極北に位置することは、誰もが知っていよう。「自雪舟五代」と名乗った等伯のこの水墨画は、突き詰められた陰影だけで光や質感・空間を表現しようとした点で、もはや通例の水墨画の範疇を超え出るものだ（あえて水墨画の範疇で比較するなら、雪舟が岩なら、等伯は波である）。この絵画がさきの「楓図」と同じ時期に制作されたものと推測されていることを鑑みれば、光彩と陰影の極にあるこの二幅の絵画が、等伯のなかで一体の欲望をなしていたと考えるのは、あながち的外れではないだろう。</p>
<p>利休と秀吉、二人の権力者によって生み出された時代の雰囲気は、それまでの時代にはなかったものだ。芸術的な嗜好でいえば完全に両極の二人が君臨していた。一方は光を、他方は影を。一方は死と隣り合わせの戦場で朗らかに生の論理を追究し、他方は商いという生活のさなかにあって静かに死の論理を追究する。一方は政治でさえ戦争にしてしまったが、他方は芸術でさえ戦争にかえた。つまりそこにはドゥルーズ＝ガタリ的な意味での「戦争」がある。たとえば秀吉が信長的イデオロギーを超えて兵糧攻め＝「無刀」を実現したように、彼らは、戦争するためには、戦争さえ必要としなかったのである（石田三成は主人の思考を理解せず、政治を戦争にするのではなく、戦争のほうを政治に変えてしまったように思われる。そうした状況は、むしろ家康の独壇場だったのであり、この二人は国家の思想家という点で、じつはよく似ているのだ――あるいはこう言ってもいい、秀吉は家康より先に三成に敗北していた、と）。ともあれ、秀吉と利休の結合、これは弁証法的なものではなくて、両極のもののアナーキーな結合である。アルトー風にいえば「戴冠せるアナーキスト」たち、それが彼らであった。彼らは完全に対立するにもかかわらず、同じものを感じている。というか、生も死も、光も影も、結局は同じものの両面なのだ。むろん、秀吉は利休に死の論理を軽々しく用いすぎると感じていたし、利休は秀吉の生の論理を馬鹿にしていた。共闘といっても、対立していたことはあきらかだ。しかし、時の権力者たちがこうした抽象的な水準で争ったことは、芸術のレベルを飛躍的にあげた。雪舟には、結局本場中国の山水画を礼賛する日本古来の呪縛が残っていた。町人たちのあいだで浮世絵が氾濫したとしても、全体として為政者が芸術に無頓着だった江戸時代にあって、応挙は、その才能にもかかわらず、実証主義（リアリズム）の枠を自らに課さなければならない悲哀があった。こうした重しや悲哀から、等伯は自由である。アナーキーな時の権力者にとって、国家の行く末などさほど問題ではなかったように（たとえば秀吉は秀頼のいく末について、普通の父親がやる以上のことはほとんど行っていない）、等伯にとっては、絵画がもっている力がすべてだった。絵画のなかにこそ政治や大衆がいたのであり、その逆ではなかったのである。</p>
<p>さて、こういうことを言いすぎると歴史学者からは嫌われるのでこのあたりにしておこう。いずれにしても、その強力さにもかかわらず、芸術はナイーヴなものだ。時の権力によって、あまりにも影響されてしまう儚いものである。そうした影響関係を脱するためには、結局、芸術そのものが権力となる瞬間を期待するしかない。秀吉と利休の対立は後者の死によって購われたが、この勝負はどちらもが敗者であり（というか秀吉がやはり敗者である――利休には国家がある）、両者の決裂は結局、光の側に政治を、影の側に芸術を、という紋切り型の枠に押し込める結果になってしまった。影としての芸術は、光としての政治を補完するようになる。つまり、両者は弁証法的なものになった。その後、日本画は、近代に至るまで、光のモメントを失ってしまったように思われる。</p>
<p>桃山時代から遠く四百年がすぎた。われわれの時代は、思った以上に江戸時代に似ているということを、芸術が示しているのかもしれない。応挙の悲哀を背負うか、あるいは浮世絵の諦めに流されるのか、われわれはこの二者択一しか持っていない、というのは、いささか絶望的にすぎるだろうか。等伯の絵画をみて、そのあまりに自由な筆致に、勇気と同時に絶望的な距離を感じてしまったのも、事実である……。</p>
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		<title>コロー讃</title>
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		<pubDate>Tue, 30 Dec 2008 05:25:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>
		<category><![CDATA[Corot]]></category>
		<category><![CDATA[fairy/nymph]]></category>
		<category><![CDATA[farbenlehre]]></category>
		<category><![CDATA[naturalism/Zo-ka]]></category>
		<category><![CDATA[Zola]]></category>
		<category><![CDATA[ルノワール]]></category>

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		<description><![CDATA[春に東京、秋に神戸で行なわれていたコロー展のカタログを手に入れた。それを読むと、彼を評価する過去の芸術家のさまざまな言葉を見つけることができる。それを紹介する文章を適当に引用してみよう。たとえば、エミール・ゾラ。 もし彼 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="post">春に東京、秋に神戸で行なわれていたコロー展のカタログを手に入れた。それを読むと、彼を評価する過去の芸術家のさまざまな言葉を見つけることができる。それを紹介する文章を適当に引用してみよう。たとえば、エミール・ゾラ。 </p>
<p class="post">
<blockquote>もし彼がよく使う霞がかった色調によって、夢想者や理想主義者のなかに分類されているようなら、その筆触の堅固さや厚み、自然から受け取った真の感情、大づかみな全体把握、とりわけヴァルールの調和の正確さによって、彼は現代の自然主義の巨匠たちの一人に数えられる。（15ページ）</p></blockquote>
<p class="post">そのゾラに対しては、ポール・セザンヌがこう言っている。</p>
<p class="post">
<blockquote>セザンヌは笑いに喉を詰まらせながら、こういった。「もしニンフたちの代わりに農婦たちが森に集っているなら、コローの絵を存分に満喫するのだ、とエミール[・ゾラ]はいっていたよ」。そして立ち上がり、そこにいるかのごとくゾラに拳を振り上げていった、「バカな奴だ！」（26ページ）</p></blockquote>
<p class="post">つまり、ゾラからすれば、ニンフが農婦であれば、もっと社会主義的な観点からも評価し得た、ということなのだろう。ゾラの正確な発言は次のとおりである。「もし彼の森に集まるニンフたちを、これを限りに殺してしまい、その代わりに農婦を置くことに、コロー氏が同意するならば、私は彼の作品をどこまでも愛するだろう」。だが、セザンヌからすれば、貧しい農婦たちこそ、ニンフとして描かれねばならないのだ。ゾラはなにもわかっちゃいないのだ。セザンヌは、マネに対しても、「君のコローだが、ちょっと個性を欠いていると思わないか」、などといって批判しているが、実際、十九世紀後半のフランスの画家たちにとって、コローはアイドルの一人だった。</p>
<p class="post">たとえば、モーリス・ドニは、一九二三年に行なわれた「最も偉大なフランス画家」についてのアンケートにおいて、こう言ったという。</p>
<p class="post">
<blockquote>ドニは、ほとんどすべての長所を併せもつドラクロワに投票しようと考える。「画家としてドラクロワに欠けているのは…コローの長所だけだ。ドラクロワはフランス絵画の知性だ。しかしコローはフランス絵画の本能だ。簡潔なるコロー、正確なるコロー、フランシスコ会士で敬虔なコロー。最終的に私はコローに投票することになるのだろうか。</p></blockquote>
<p class="post">ドニはまた、次のようにも言ったという。</p>
<p class="post">
<blockquote>ローマから、何度も描いたフランス・アカデミーの噴水を前にして、ドニはアンドレ・ジッドにこう書き送っている。「このすばらしい噴水の周辺は、いつも柔らかな影に包まれている。ヴィラ・メディチの前のコロー泉！　ああ！　そこでわれわれの印象派理論と古典的方法とが対面している。何という高揚感か！」（27ページ）</p></blockquote>
<p class="post">また、コローとその父親との関係が自分とよく似ていると感じていたゴッホは、北国の景色を眺めながら、コローの精神に気づいたといい、弟のテオにこう書き送っている。</p>
<p class="post">
<blockquote>僕たちが通りがかった寂しい小屋、痩せ細ったポプラに囲まれ、黄色い葉の落ちる音が聞こえる。ブナ垣と土壁に囲まれた小さな墓地には、ひしゃげた古い鐘楼。平らな風景、荒れ地、麦畑、何もかもがコローの最も美しい作品のモティーフそのものを目の当たりにさせる。ただコローのみが描いたかのような、沈黙、神秘、平穏……。（24ページ）</p></blockquote>
<p class="post">コローの影響を自らのうちに認めていた画家たちをあげれば、きりがないほどである。ゴーギャン、ピカソ、マティスやカンディンスキー、はてはピエト・モンドリアンまで、つまり印象派から絵画的抽象に到達した二十世紀の芸術家まで、彼らはコローから、思い思いに自分なりのコローを読みとっている。だが、ここは、印象的なルノワールの言葉を引用しておこう。</p>
<p class="post">
<blockquote>ある日、幸せなことに、私はコローの前にいました。戸外制作の難しさを彼に話すと、彼はこう答えました。「外では、自分がすることに決して確信などもてないということです。常にアトリエでやり直す必要があります」。それにもかかわらず、コローは「印象派」の誰もが到達できない現実性によって自然を表現したのです！　私は、シャルトル大聖堂の石の色調や、ラ・ロシェルの家の赤煉瓦を彼のように表そうと苦労しました！</p>
<p>コローは世紀の偉大な天才であり、これまでで最も偉大な風景画家です。彼を詩人と呼ぶ人もいますが、何という誤りでしょう！　彼は自然主義者です。私は彼を研究しましたが、彼の芸術には決して到達できませんでした。…私は彼を真似しようとしました。ラ・ロシェルの塔に、彼は石の色を与えましたが、私には決してできませんでした…。(26ページ)</p></blockquote>
<p class="post">ルノワールは、映画監督となった息子のジャン・ルノワールにこう言っている。</p>
<p class="post">
<blockquote>私はすぐさま、偉い男というのはコローのことだとわかった。彼は決して消え去ることはないだろう。デルフトのフェルメールのように、流行とは別のところにいるのだ。（15ページ）</p></blockquote>
<p class="post">塔の石に色彩を与えたというコロー。ジャン・ルノワールがモノクロームのフィルムに与えた色彩は、おそらくは、コローの色彩なのである。親愛なる読者たち、みなさんは、コローの色彩を見る機会に預かることができただろうか。最近のわたしの心配事といえば、これに尽きる。わたしたちは、色彩を実現せねばならない……。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>コローの偉大</title>
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		<pubDate>Sun, 30 Nov 2008 16:38:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[fairy/nymph]]></category>
		<category><![CDATA[farbenlehre]]></category>
		<category><![CDATA[naturalism/Zo-ka]]></category>
		<category><![CDATA[私小説]]></category>

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		<description><![CDATA[いま、神戸市立博物館でコロー展が開催されている。十九世紀フランスを代表する画家であるジャン＝バティスト・カミーユ・コローといっても、知っているのは名前くらい、かの「真珠の女」でさえ、かつて教科書で見たかどうか、あるかなき [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>いま、神戸市立博物館でコロー展が開催されている。十九世紀フランスを代表する画家であるジャン＝バティスト・カミーユ・コローといっても、知っているのは名前くらい、かの「真珠の女」でさえ、かつて教科書で見たかどうか、あるかなきかのおぼろげな記憶がある程度である。彼がどういった系譜に位置するのか、また彼がどういった動機で絵画を制作していたのか、美術史の知識も端から乏しい。要するに完全な素人であることを承知で、それでも、彼の絵画をみて感じたこと、考えたことをここに記しておく。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>まず、正直に告白しておくと、わたしは「真珠の女」をみて泣いてしまった。別に悲しかったわけではない。たんに衝撃から涙が出たのである。これはちょっとすごい。展示は六章構成。イタリアの風景をモチーフとした初期の作品を中心とした第一章から、二章から四章にかけては風景画のコロー、そして五章では人物画のコローをまとめ、最後の六章で彼の「想い出（スヴニール）」を題材としたやや虚構的な風景画を中心とした晩年の作品で幕を閉じる、といったもので、非常に手際よくまとまっていたと思う。</p>
<p>まずは彼の光の表現に注目しよう。習作時代のそれは、いわば、光のイデアリズムというべきもの、ほとんどプラトニックな、理想主義的な光の表現が画面全体に広がるのを見てとることができる――かにみえる。だが、それは、あまりに皮相的な見方だろう。それは、コローの影響のもとに描かれた&#8220;コロー風&#8221;の絵画が、あまりに明るすぎる感じを与えることからもあきらかだ。コローの絵は、もっと暗い、というか、明るすぎない。影は光に従属していないし、光が影によって補完されるのでもない。光のみならず、影もまた、光のコントラストと言い切るにはあまりに深く、そして淡い。光は影であり、影は光であるといった弁証法はそこにはなく、むしろ、光から影へのグラデーションは、おたがいを差異化しながらミルフィーユ状に重なってゆく。それでいて、光は光としての、影は影としてのイデアを失わない。グラデーションといっても、科学的に単純化された光量の調節の問題に還元されていないのだ。なぜか？ なぜそれが可能なのか。それは、彼が、まさに《見るという経験》をキャンパスに描いているからだ。見るという行為が、さまざまな光の粒子に陰と陽の名と統一とを与えるのだ。</p>
<p>つまり、彼は、古い科学のように、自己をたんに否定していない。彼の目は手とひとつであり、したがって、見るという経験は即座にキャンパスに描かれる手の速度となって実現する。《自然》をことのほか愛好したという彼は、だからといって、《見るという経験》をそれに対立させなかった。そのことがその他のバルビゾン派などはるかに超えて彼を偉大にしたと思う。彼はオペラを愛したともいうが、そのことと彼の自然への深い愛情もまた、対立しない。むしろ彼は、自然のなかに、すでにオペラ的虚構の世界は織り込まれていると、そう考えている。ふつう、ひとが虚構を自然や物自体に対立させるのだとすれば、コローは虚構を自然のなかに認めたのだ。つまり、《虚構は実在する》。</p>
<p>彼の人物画もまた、そうした観点から見られねばならない。彼の描く人物は、ニンフ（妖精）であると同時に現実の人間であり、かぎりなく虚構的でありながら、現実に存在する市井のひとたちとなる。幾重にも積み重なった光のカーテンの狭間で、ふいにキャンパスに捉えられたモデルたちの色彩は、彼の《見るという経験》によってついに可能になる。潜在的な差異化を繰り広げていたモデルたちの放つ光の粒子が、コローの視線によって、色彩となる。要するに、モデルたちは、コローの色彩を得てはじめて真に実在する力を得るのだ。絵画とは、コローにとって、言葉の真の意味できわめて《実践的な》リアリズムである。かの「青い服の婦人」の奇跡のような美しさは、光と影の交錯するわずかな隙間にコローが切り開いた色彩の実在を物語っている。というか、実在とは、色彩である、そういうことを彼の絵画は感じさせる。</p>
<p>そして、五章のクライマックスが「真珠の女」である。《見るという経験》が、すでにして自然のなかに属するのであれば、もはや対象（オブジェ＝物自体）という思考は存在しなくてもよいはずだ。というのも、自己と対象を分かつ分水嶺は、もはやそこにはないからである。したがって、見る／見られるという一対の概念にも変更が加えられなければならない。それらは、結局、別々の行為ではなく、ひとつの行為だからである。見る／見られるという一対、作者と対象という思考は、あまりにも主体中心の思考なのである。だから、コローは「真珠の女」に、こちらを見させることを躊躇わなかった。彼女の視線は、自身を描くコローか、さもなければコローの手を見ている。《見るという経験》は、《見られるという経験》とひとつであり、いうなれば相互扶助的な関係なのだ。彼の言葉でいえば、それが「感情」である。彼は言う。</p>
<blockquote><p><font color="#888888">芸術における美とは、われわれが自然の外観から受けとった印象のなかに浸された真実である。どうということもない場所を見ていて私は胸を衝かれる。模倣を追及しているにもかかわらず、私は自分を捉えた感動を片時でも失うことがない。現実は芸術の一部であり、感情は芸術を完全なものとする。</font></p>
</blockquote>
<p>「感情」はすでに自然に属す。したがって同時に美は自然の真理であり、現実とは芸術の一部である。美や芸術、理想や真理、そして感情、それらすべてが自然の名のもとに混在する世界。ここには、カント的な区分はいっさい必要がない。むしろ端的に、《私小説的なもの》がある。つまり、フローベールが「ボヴァリー婦人は私だ」、と言ったのと同じ意味で、「真珠の女」はカミーユ・コローなのである。われわれが「真珠の女」をみていると思っているとき、じつは、コローがわれわれを見ている。この視線の異常な強さは、イングマール・ベルイマンの『不良少女モニカ』か、あるいはゴダールの『勝手にしやがれ』のヒロインたちのカメラ目線に匹敵しよう。というよりは、美術史的にいえば、映画のヒロインたちの視線は、コローの「真珠の女」の遺伝子の遅れた開花であると考えるのが正しいにちがいない。</p>
<p>六章、すなわちコローが晩年にとりかかったのが、「想い出（スヴニール）」と称される一群の諸作品である。彼は記憶の重要性を語る。だが、それをもって、対象なき虚構の世界の知的な構築などとは考えないことだ。やはり、ここにもカント的な区分はすこしも必要がない。彼が必要としているのは、もちろん対象ではないが、かといって対象とは切り離された虚構の世界でもない。彼は、ただ次のことだけを行なえばいいことに気づいたのだ――すなわち、自然に等しい彼の感情＝経験が積み重ねてきた記憶の湖の底から湧き上がる、尽きせぬイメージを汲み上げること。なぜなら、記憶は、それが経験によって得られたものであるかぎり、すでにして芸術であり、現実であり、そして自然だからである。見るという瞬間的な経験をキャンパスに封じ込めてきた彼の絵画が、記憶に向かうのは必然的だったろう。《見る目》と《描く手》をひとつのものと考えたように、今度は《想起》と《描く手》をひとつのものと考えるのだ。記憶とは、ひとつの絵画なのである。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>あまりに急ぎすぎて、いつにもまして文章がよくまとまっていないのはよく承知している。というか、彼の絵画を語るには、わたしの文章はいかにも貧しい。いずれにせよ、近代絵画の近代的ではなかった真の出発点のひとつがここにあったことは、よくわかった。だが、そんな美術史的な観点などどうでもよくなるくらいの感動を得ることができた。どうしてこんなひとがいたのに今まで気づかなかったのだろう！</p>
<p>会期はあとわずかである。どうか、できるだけ多くのひとが、コロー展の感動に浴さんことを。&#8230;&#8230;</p>
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		<title>川端康成と東山魁夷</title>
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		<pubDate>Wed, 13 Feb 2008 15:28:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[Jun Takami]]></category>
		<category><![CDATA[Yasunari Kawabata]]></category>
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			<content:encoded><![CDATA[<p>京都文化博物館で、「川端康成と東山魁夷」と題する展覧会が催されている。わたしは、絵を描くのはきらいではないが、音楽に比しても余計に素人である。とりわけ日本画についてはほとんど知識に乏しいし、美術史的な観点ももっていない。だが、この展覧会を訪れて、東山魁夷について、そして川端康成について、感じたところを、すこし書いておくことにする。すでに専門家が言っていることと同じことを言っている可能性もあるし、印象批評にならざるをえないところもあるが、そこははじめに断っておく。</p>
<p>率直にいえば、よかったということにつきる。とても真面目な気持ちにさせられた。平山郁夫のおかげで、戦後の日本画というだけで、食わず嫌いを起こし、それほど興味がもてなかったのだが、戦後にも、こういう本物がいたと思うと、すこしほっとさせられる（といっても、彼は戦前から描いているが）。ある種の時間を、キャンパスのなかに封じ込めたような、こうした絵画は、たしかに、川端の小説に似ていると思った。川端の小説は、わたしの好みからはすこしはずれるが、それでも、わたしの観点からいえば、小説における、王道中の王道である。「定点観測」という魅力のない表現を用いるのは、すこし憚られるが、「三人称客観」という、今日では、いくらか特異な意味を有した文学批評用語よりは、いくらかましかもしれない。川端の小説は、一種の「定点観測」である。といっても、安易なそれではない。誰の手も届かないような、そうした反り返る絶巓こそが、彼の定点であり――それを「末期の眼」という――、そのような高みにいたる、孤独を恐れない勇気への賛辞が、このつまらない「定点観測」という用語には込められている。すべてを見渡す孤立した絶巓を作りあげたからこそ、この作家は、駄作の少ない真のアヴェレージ・ヒッターでありえたのであり、また、通り一遍のそれではもちろんないにせよ、わたしには、彼の小説こそが、王道的リアリズムであると感じられるのである。</p>
<p>川端は、足場が、動くものだということを知っている。それに対する彼の解決方法は、にもかかわらず、そこに、どのような強風にも倒れないような、強固な足場を組み上げることであったと思う。それはもちろん、個人的なものにならざるをえないし、また、当然、それは同じように孤立したものである。だが、そのことが、ひとが普段曖昧に受け容れている遠近法を、人を貫きかねない、彼だけの鋭利な刃物に変えてしまう。こうした鋭鋒こそが、川端の遠近法であり、この遠近法の切れ味を感じることが、彼の小説を読むということでもある。川端の神経質で清潔な抽象性は、具体性からはいかにも遠い。だが、にもかかわらず、この抽象性は、リアリティを含んでいる。べつに彼の小説にかぎった話ではないが、文学は、具体的なものを追究するというそのことにおいて、抽象的な地点に到達することがある。それは、ひとがふだん、やすく用いている抽象性や具体性とは、まったく意味がちがう。</p>
<p>ところで、遠近法ということで言えば、足場が動くというそのことにおいて、小説を書こうとした高見順は、川端とは正反対である。つまり、描写のための足場が成立しない、いいかえれば、遠近法がそもそも成立しないような、そうした世界こそが、高見の小説空間である。当然、その分、駄作が多くなるのは仕方がない。だが、彼のホームランは、それこそ奇跡的な飛距離をもっていると思うし、また、彼の小説は、遠近法から遠ざかるというそのことにおいて、逆説的な具体性を帯びて輝いている。</p>
<p>ともあれ、川端の小説は、ゆるぎない、強固な美学によって貫かれており、その真摯な、そしてひとを寄せ付けない態度が、こちらに、彼の場を乱さないようにする、息の詰まるような集中力を要求する。東山魁夷の絵画もまた、そうした美学に貫かれている。むしろ、彼の絵画が、川端の美学を再認識させてくれた。こういう真面目な気分を味わうのも、ふだん不真面目な自分からすれば、なかなか得難い経験であると思う。まだやっているようなので、興味がおありなら、訪れてみてはいかがか。</p>
<p>追記――川端のコレクションのなかには、初期の草間彌生も含まれており、それが合わせて展示されていたが、やはり、彼女にも並々ならぬ才能があったことを、ひさびさに再確認させてくれた。というか、これはわたしのような若造がいうことではないが――別に悪くなっているというのではないが、このときから、ちゃんと成長していない気がするのは、わたしのまちがいだろうか――？</p>
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		<title>回転せるプラトン――柄谷行人『隠喩としての建築』</title>
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		<pubDate>Thu, 19 Feb 2004 02:21:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[elliptic dialectic]]></category>
		<category><![CDATA[irrational number]]></category>
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		<description><![CDATA[この、きわめて刺激的な書物について、一言、しておく――もちろん、自らの力量の不足などは省みず。すなわち、柄谷行人による、『隠喩としての建築』（岩波書店『定本柄谷行人集』第二巻収録）である。 この書物は、元来、一九八〇年代 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この、きわめて刺激的な書物について、一言、しておく――もちろん、自らの力量の不足などは省みず。すなわち、柄谷行人による、『隠喩としての建築』（岩波書店『定本柄谷行人集』第二巻収録）である。</p>
<p>この書物は、元来、一九八〇年代の初めに出て（その後作者の意志で絶版、おそらくその原型は『内省と遡行』に見ることができるはずである）、一九九二年にArchitecture as a metaphorとして英訳されたものに大幅に加筆され“定本”として再販されたものである。おおよその構成を記しておくなら、本書は、三部構成をとる。第一部は「制作making」であり、第二部は「生成becoming」、第三部は「教えることと売ることteaching &#038; selling」である。基本的にこの書物は、「制作」の視座を、ゲーデルの不完全性定理によって極限まで形式化し、「生成」の視座を見出すも、それが、「制作」の残余としてしか見出されえないものであることを指摘し、またそれらを、俯瞰的な立場からヘーゲル的な弁証法によって統合する立場を取ることなく揚棄し、一挙に――まさに跳躍的に――、「教えることと売ること」という、きわめてセキュラー（世俗的）な場所に降りることによって、ウィトゲンシュタインの「外国人」あるいは、カントの「物自体」として、「他者」の存在を語る、という流れを描く。この書物において重要な役割を果たすのは、その批判対象となっているプラトンであることは明白である。加筆箇所のうちでおそらくは大部を占めるであろう、プラトンへの言及箇所が、わたしを刺激して止まなかったのである。この書物にあるのは、私見によれば、真のプラトニズム――おそらく、それは、プラトンを真の意味で批判することでしか得られないもの――である。</p>
<p>近代以降、プラトンは、つねに批判の対象であり――その代表者にニーチェをあげることは衆目の一致するところだろう――、その姿勢は柄谷にも引き継がれている。しかし、筆者は、そうしたアンチ・プラトン的な視座を一切とらない。たとえば、柄谷が、“隠喩としての建築”を称揚した者としてプラトンを語るとき、われわれは、すぐさま『国家』におけるアデイマントスのソクラテスに対する言葉を想起するはずだ。《「けだし」と彼は言った、「比喩を通じて語ることには、不馴れなあなたですのにね！」（『国家』（下）藤沢令夫訳、岩波書店、27ページ）》。</p>
<p>プラトンの哲学とはいかなるものか。かいつまんで説明しておこう、ドゥルーズが言ったように、プラトンが重視した《対話（弁証法）》は「問題」的なものであり、他方の《イデア》は、数学的なもの、いわば「問題（問い）」に対する「解（答え）」にあたるものである。プラトンは有名な洞窟の比喩によって《イデア》を語ったが、けっしてそこで終ったわけではない（下の引用の「ぼく」はソクラテスである）。</p>
<blockquote><p>
（ソクラテス）「彼らが上昇して〈善〉［のイデア］をじゅうぶんに見たのちは、彼らに対して、現在許されているようなことをけっして許さないということ」<br />
（グラウコン）「どのようなことを許さないと言われるのですか？」<br />
「そのまま上方に留まることをだ」とぼくは言った、「そして、もう一度前の囚人仲間のところへ降りて来ようとせず、彼らとともにその苦労と名誉を――それがつまらぬものであれ、ましなものであれ――分かち合おうとはしないということをだ」（『国家』（下）、107ページ）
</p></blockquote>
<p>〈善〉の《イデア》に至るために必要な学問として、幾何学や音楽、天文学も含めて諸々の数学（《イデア》）をあげた後、それらすべてを「前奏曲」にすぎないとして、次のように語っている箇所も、ほぼ同じことを語っている部分として引けるだろう。</p>
<blockquote><p>
「それでは、グラウコンよ」とぼくは言った、「いまやようやく、ここに本曲そのものが登場することになるのだ。この本曲を演奏するのは、哲学的な対話・問答にほかならない。それは思惟によって知られるものであるけれども、比喩的にこれを再現しようと思えば、先に述べた視覚の機能に比せられてよいだろう。すなわち、すでにして実物としての動物のほうへ、天空の星々のほうへ、そして最後には太陽そのもののほうへと、目を向けようとつとめるわれわれが語った、あの段階がそれである。ちょうどそれと同じように、ひとが哲学的な対話・問答によって、いかなる感覚にも頼ることなく、ただ言論を用いて、まさにそれぞれであるところのものへと前進しようとつとめ、最後にまさに〈善〉であるところのものそれ自体を、知性的思惟のはたらきだけによって直接把握するまで退転することがないならば、そのときひとは、思惟される世界の究極に至ることになる。それは、先の場合にわれわれの比喩で語られた人が、目に見える世界の究極に至るのと対応するわけだ」<br />
「ええ、まったくそのとおりです」と彼は言った。<br />
「ではどうかね、このような行程を、君は哲学的問答法（ディアレクティケー）と呼ばないだろうか？」（『国家』下、141-2ページ）
</p></blockquote>
<p>こうしてソクラテスは、《イデア》の上位に《対話（弁証法）》を置くことになる。だが、こうした《対話（弁証法）》を、最終的な相互理解が予定された、すなわちヘーゲル的な弁証法的合一と混同することは、大いなる誤りであると言わねばならない。なぜなら、弁証法のはてに理想を置くヘーゲルとは、順路がまったく逆だからである（むしろ、ヘーゲルの弁証法を逆立ちしていると非難したマルクスに対応している）。たしかに、柄谷行人が言うように、プラトンの語る《対話（弁証法）》が、ヘーゲル的な弁証法と同じであるならば、次のように語ることもできただろう。「プラトンの対話は、対話として書かれているだけであって、基本的にモノローグなのである」（150ページ）。だが、少なくとも言えることは、ソクラテスと会話を交わす者たちは、例外なく、“イエス”と肯いて別のことをする者たちでしかないのである。たとえばグラウコンは、「そのとおりです」と語った舌の根の乾かぬうちに、こう言うのだ。</p>
<blockquote><p>
「さあ、それでは話してください。哲学的な対話・問答がはたす機能とは、どのような性格のものなのでしょうか。それはいったい、どのような種類に分かれているのでしょうか。またそれが踏むべき道には、どのようなものがあるのでしょうか。――というのは、どうやらそれらの道こそはすでに、かの目標そのものへと通じる道なのであって、そこへ到着したならば、いわば、歩みを止めてひと息つける旅路の終点となるもののようですからね」（『国家』下、143-4ページ）
</p></blockquote>
<p>はっきり言えば、グラウコンのこの発言は、いままで頷いてきたにもかかわらず、ソクラテスの言うことをなにも理解していないに等しいことを暴露するものである。プラトンの対話篇すべてに言えることだが、ソクラテスの対話相手は、つねに、ソクラテスの発言にそのつど現れる論理に従って、イエスと肯いているだけなのであって、ソクラテスが“言外に――別の言い方をすれば、比喩としてではなく、善きパロールとして――言おうとしていること”については、ほとんどの場合、耳を閉ざしているのである。さらに引用をつづけよう。</p>
<blockquote><p>
「親愛なるグラウコン」とぼくは言った、「これ以上ついてくることは、君にはできないかもしれないね。といって、ぼくのほうにその熱意がないというようなことは、全然ないのだが。それにまた、君に示されるのは、もはやこれまでのように、われわれの言おうとする事柄の似象（比喩）ではなくて、直接真実そのものとなるだろう――少なくとも、ぼくにあらわれたかぎりでのね。ぼくがその真実をほんとうに正しく見ているかどうかということまで、確言することはできないが、しかし何かそのようなものを見なければならぬということだけは、つよく主張してしかるべきだ。そうだろう？」<br />
「ええ、たしかに」（『国家』下、144ページ）
</p></blockquote>
<p>この「ええ、たしかに」も、流れから言って、ソクラテスが言うことを真に理解したうえでの言葉とは到底思えない。ソクラテスは、「ぼくにあらわれたかぎりでの」という言葉で、謙遜しているわけでもなければ、「ぼくにあらわれたかぎりで」しかない真実を、真実としてしまう、矛盾に満ちた答え方をしているのでもない。むしろ、逆に、きわめて厳密に語っている、というほかない。すなわち、《対話（弁証法）》とは、いま、ソクラテスとグラウコンのあいだで《作られている》、自分の会話が正確には理解されない現実の対話そのものだからである。だから、ソクラテスの言葉であるかぎりにおいて、それは、ソクラテスの言葉でしかないとしても、《対話（弁証法）》の上で交わされた言葉という、比喩ではない、真実なのである。</p>
<p>柄谷行人が規則を共有しない他者の例としてなにをあげているかを見てみよう。たとえば、グレゴリー・ベイトソンが分裂病の症例としてあげる患者や、ポール・ド・マンがあげる夫婦は、言葉を受け取りながら、別の行為で（応答も含めて）それに応えるものであり、ウィトゲンシュタインのあげる外国人の例もまた、「石版をもってこい！」に対して、「自分の言語では何か「建材」といった語に相当するらしい、と考えるかもしれない」外国人なのであって、けっして、“ＮＯ”や“わからない”で応える者ではない。つまり、暗黙に、彼らは相手の言葉を少なくとも成立した命題として受け取っているのである。要するに、“イエス”や、“わかりました”で応える者こそが、他者なのである（教師や生徒をやったことがあるひとならわかるだろうが、たいてい、生徒はわからなくても“わかりました”、と言うものだ）。</p>
<p>さらに言えば、柄谷が数学的な形式化の彼岸に見出した「他者」は、教えることによってはじめて生じる「他者」であるが、プラトンの著作が、まさに、歴史的に言って、彼が《哲学者＝王》としてシラクサで失敗した後に創設したアカデメイアのテクストとして作られたものであり、そして全編が、結局のところ、教えることについて書かれたものなのである。数学によって極限まで形式化され、磨き上げられた《イデア》は、しかし、仮設に過ぎない。プラトンは言う。《哲学的問答法の探求の行程だけが、そうした仮設をつぎつぎと破棄しながら、始原（第一原理）そのものに至り、それによって自分を完全に確実なものとする、という行き方をするのだ（146ページ）》。したがって、たしかに対話の相手であるグラウコンが「ついてくること」ができなかったとしても、――というよりも、プラトンの著作中、だれひとりとして、ソクラテスについてきた相手はいないのだ――そのこと自体がひとつの真実であり、そして始原なのだ。《イデア》は、《対話（弁証法）》のうちに含まれているとしても、けっして始原ではないし、言ってみれば、「答え」にすぎない。重要なことは、「問い」としての《対話（弁証法）》なのであり、その「探求の行程」だからである。柄谷も引いているように、プラトンは、別のところでソクラテスにこうも言わせている。《メノン、いいかね。私は――何一つ教えてはいない。私のしていることは問うことだけだ》。「教えること」や「学ぶ」ことが本来的にありえず、そこには「想起」のみがある、とソクラテスが言うとしても、それは、カントが「構想力」によって、物自体と感性をつなげざるをえなかったのと同じ困難な問題がある。柄谷の用語に即して言えば、プラトンは、こう言っているのだ。教えることや学ぶこと、それは、「命がけの飛躍」（マルクス）、「暗黒の中における跳躍」（ウィトゲンシュタイン）でしかありえない、と。</p>
<p>おそらく、歴史的に近代に入って、それもフッサールが述べた「数学の危機」の時代に、プラトンは、再発見されたのである。カントが非ユークリッド幾何学について知っていた可能性を語るならば、プラトンが、ピュタゴラス学派によって、すでにユークリッドの（という言い方は歴史的には転倒しているが、「第五公理」自体はユークリッドの以前からあったものである）「第五公理」が疑われていたことを知っていたと語ることはできないだろうか。その意味で言えば、われわれは次のような物語を描くことができるはずである。つまり、《真》ではなく、《無矛盾》でありさえすればよい、とするヒルベルトの形式主義が、プラトンの公理主義の直系の延長線上にあり、そして、少なくともシラクサで《哲学者＝王》として惨めな失敗をした後のプラトンが《イデア》の上位に《対話（弁証法）》を置いたことは、まさに、ウィトゲンシュタインが、『哲学探究』における転回の後に、ラッセルの論理学を外側から攻撃しようとしたことに対応しているのである。言うなれば、プラトンは、一九世紀以降に（正確にはカント以降）、まさに同時代人として、復活したのである。</p>
<p>柄谷は、『探求I』において、プラトンの《対話（弁証法）》を批判し、ソクラテスのイロニーを評価するという、転倒した解釈を示したが、このこと自体が、じつはプラトンの可能性の中心を語っていたのではないか。あるいは、柄谷が、無理数（たとえば、Ｘの二乗＝２、つまりＸ＝ルート２）を、自己言及的なもの（Ｘ＝２／Ｘ、すなわち、Ｘを知るために、Ｘが必要となる）として正当にも読み替え（84ページ）、たとえばピュタゴラス学派が、無理数を語ること（＝自己言及）を禁止したこと、その禁止によって「建築」が可能になることを述べるとき、われわれは、プラトンの『テアイテトス』を思い出すはずだ。この奇怪な書物においてプラトンは、テオドロスとテアイテトスに無理数を証明させた後、ソクラテスに、自身が知を出産させる産婆であると語らせる。これは、ソクラテスの《対話（弁証法）》が、まさに無理数そのものとしてあることを示している。すなわち、ソクラテスの産婆術とは、Ｘ＝２／Ｘであるような（対話者Ｘから、対話者の分身（差異）としての知２／Ｘを産ませるような）、自己言及によって知へと至る、きわめて刺激的な試みなのである。そこでは、柄谷の言うような「大団円」、弁証法的合一などはありえない。ただ、知とは、それとしては語りえぬもの――しかし、《隠喩》としてではなく、いまここでまさに交わされている対話そのものとして、開かれたまま提示されるばかりである（これについてはまたどこかで述べねばなるまい）。もはや、われわれには、ここで、このように語ることが許されるだろう。すなわち、デカルトやカントやマルクスに対して、あれだけの読みを披瀝する著者が、なぜ、プラトンに対してはそうしないのか、と。</p>
<p>プラトンにかんして、長々と語ってきた。通俗的プラトンの転倒、あるいは《イデア》と《対話（弁証法）》のあいだで回転せるプラトン、それは、おそらく、われわれの世代に残された課題である。プラトンの転倒は、たんに哲学史上の功績（ワードプレイ）を意味しない。それは、おそらくは柄谷行人の後にも生きねばならない、われわれの課題として残されている、弁証法的なものの、真の転倒――それはすなわち、語りえぬ者との対話を実現する技術（「建築術」）にほかならない――を含むのである。</p>
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<span style="text-indent: 0em;">柄谷 行人『定本 柄谷行人集〈2〉隠喩としての建築』<br />Powered by <a href="http://blog.yoshitomo.org/amazonlink">AmazonLink</a> 2.0.0 beta4.<br style="clear: both;" /></span><br />
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		<title>円山応挙展</title>
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		<pubDate>Fri, 10 Oct 2003 01:11:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>
		<category><![CDATA[mimesis or mimesis of mimesis]]></category>
		<category><![CDATA[realism]]></category>

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		<description><![CDATA[先日、大阪市立美術館で開催中の円山応挙展を訪れる機会を得た。 わたしには、とくに日本画の知識はない。しかし、画聖といえば、普通は応挙を指したはずだし、また、同時代――つまり化政文化時代の代表的作家である歌麿や写楽、北斎ら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先日、大阪市立美術館で開催中の円山応挙展を訪れる機会を得た。</p>
<p>わたしには、とくに日本画の知識はない。しかし、画聖といえば、普通は応挙を指したはずだし、また、同時代――つまり化政文化時代の代表的作家である歌麿や写楽、北斎らの浮世絵と比較しても、日本画のメインストリームのひとつが応挙（あるいは彼を師とした呉春の立てた四条派）にあることくらいは、その作品を一見すればすぐにわかる。むろん、ここでいうメインストリームの意味には注意が必要であろう。もしそれが、今日の日本の美術における漫画やデザイン画の地位を指すのであれば、当然、メインストリームを担っていたのは浮世絵ということになる。紛れもなく、今日の絵画のメインストリームは、画家ではなく、漫画家やデザイナーが担っているのであって、そうした意味では、浮世絵が、当時のメインストリームであった可能性を少しも否定しない。わたしが言っているのは、あえていえば大文字の絵画芸術におけるメインストリームのことである。絵画の絵画性などといった形而上学に背を向けてキッチュに徹した浮世絵の価値は、あくまで、批判的なもの、言い換えれば、二次的なもの（本当は、あらゆる芸術が《模倣[ミメーシス]》なのだとすれば、三次的だと言うべきだろう）でしかないことは言うまでもない。その意味で、あくまで、一次的（ミメーシスの観点から言えば二次的）なものとしての日本の絵画芸術のコアのひとつを円山応挙に確認しておくことは、最低限の前提だし、また今日の文脈においてはとりわけ重要な（といってもけっして不可欠なわけではないが）作業であるように思われる。</p>
<p>前置きが長くなったが、そのような意味で言えば、応挙の写生画が、西洋のそれも含めて多様な遠近法が取り入れられた圧倒的な写実性を備えていたとしても、それは画家として当然のことである。だから、たとえば、彼の微に入り細を穿つ、実証的でまったく隙のない『牡丹孔雀図』を観たとしても、そこには何の感動もない。われわれがそこで感じるのは、恐らく、彼の絵画というよりも、孔雀という奇怪な生物そのものへの驚きである。あるいは同じことだが、彼のきわめて統計的で実証的な『人物正写惣本』にあるのは、当時の人々の人物を見る視点の異質さについての驚きであって（統計的な資料の重要性は、つねに、統計された対象ではなくて、統計を行う基準そのもの――あるいは、それを統計的なものとみなす同時代の認識論的布置――にこそある）、けっして、応挙の絵画そのものへの驚きではない。（個々の人物を対象として描かれた『神州和尚図』などに見られるリアリズムと、統計を駆使した『人物正写惣本』を見比べて思うのは、いかに、科学的と称される統計が当てにならないか、また統計の真の価値が、統計を行う当の本人の無意識的な偏見、あるいはその政治性を垣間見られることにこそある、ということだろう。）</p>
<p>もし、フッサール的な言い方が許されるなら、そうした絵画は、つねにポジティヴなもの、すなわち現象的なものでしかないし、あくまで、応挙にとってはビジネスの域を超えないものだ。彼の真骨頂は、誰もが承知しているように、『雪松図』や『雨竹風竹図』、『保津川図』や『雲龍図』、あるいはトリックであふれた大常寺の襖絵の数々にこそある。言うなれば、応挙は、ここにおいて、ネガ、すなわちけっして見えないもの（あるいは、本当はよく見えているはずのもの）を描いたのである。たとえば『保津川図』に見られる流水の表現は、カメラのシャッタースピードを限りなく遅くしたときに見える流水に非常に近い。応挙が紙にたき付けたのは、流水の力学的な運動そのものである。あるいは、ただ竹だけを描き、にもかかわらず、そこに雨や暴風を観る者にありありと想像させる『雨竹風竹図』の手法（これは、凍った水面を、その亀裂のみを描くことによって表現した『氷図』や、滝を数本の縦の水墨で表現して滝を昇る鯉を描いた『龍門鯉魚図』にも共通する）。最初から第三者としての観者の存在を前提し、なおかつ、彼らの想像力にその完成（ポジ）を委ねるという手法は、おそらく、近代日本画が目指した、（たんなる実証ではない）高次のリアリズム＝客観性の先駆的表現と言っていいだろう。</p>
<p>さらにわれわれは、『雲龍図』を観ることになる。架空の神獣である二匹の巨大な龍が織り成す微細かつ雄大なリアリティに、思わず絶句する。画面狭しと舞い踊る龍の狭間をちぎれ舞う雲、岩に砕け散る大波、走り抜ける稲妻。</p>
<p>そして応挙は、自分の妻をモデルにしたと言われる美しい幽霊を描いた（周知のように、彼はリアリズムの巨匠であると同時に、日本絵画史上はじめて足のない幽霊を描いた画家でもある）。ポジティヴなものへの飽くなき追求が、彼をして、幽霊という、もっともネガティヴなものを描かしめたのである。彼の絵画にあるのは、ひとつの巨大な絵画史＝モダニズムである。彼の絵画が、隙もそつも備えていないがゆえに逆説的に生じるある種の凡庸な効果については、ひとまず置こう（応挙はけっして吃ったりしない）。まずは、ここからはじめるべきなのだ。</p>
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		<title>チャップリン</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Sep 2003 01:14:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[cinema]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[<p>おそらく、名前くらいならほとんどの日本人が知っているだろう、チャップリンであるが、しかし、彼が残した傑作の数々を実際に観たことがある人間は、ずいぶん、少なくなっているのではないだろうか。かくいうわたしも、『独裁者』をレンタル・ヴィデオで観たくらいで、それ以外は断片的にしか知らないという程度である。そんなわたしがここでチャップリンについて語る資格があるなどとはとうてい思えない。だが、他方で、チャップリンの映画を鑑賞した誰もが、彼について語ることができるし、また語るべきだという気もする。彼は、おそらく、そうした存在なのだ。換言すれば、それは、彼が、映画史上の特異点をなす絶対的に傑出した人物だということである。いや、そうしたもったいぶった言い方をしなくてもいい。彼は、どうみたって天才なのだ。</p>
<p>では、いま、チャップリン映画祭が日本で開催されていることを知っている人はどれくらいいるだろうか。わたしも、そこで、『サーカス』や『犬の生活』、『ライムライト』など、都合六本の作品を鑑賞する幸運にあずかった。たしかに、映画館を埋め尽くした涙や笑いは、それがたしかに記号の問題にすぎないとはいえ、しかし、あまりにも純粋な記号であるからこそ、なんの躊躇もなく、涙や笑いを身体に任せてしまうことができる。スクリーンいっぱいにうつるチャップリンの天才に、身をゆだねてしまおう。そうすれば、そこは文字通りの幸福の空間となってくれるだろう。おそらく、これは本当のことだが、チャップリンの映画を語る資格は誰もが持っている。だが、もっと本当なことは、もはや、チャップリンの映画を語る必要など、ほとんどないということである。事実、チャップリンはかたくなにトーキーを拒み続けたではないか。そう、少なくともわたしにできることは、ただ、鸚鵡のように、映画と同じＣで始まるその固有名を連呼しつつ、次のように語ることのみである。</p>
<p>チャップリンを観よ、と。</p>
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		<title>ミホ・ミュージアム</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Aug 2003 17:48:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>

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		<description><![CDATA[世界救世経から分離した神慈秀明会の本拠に隣接するＭＩＨＯミュージアム（滋賀県信楽）を訪れる機会を得た。わたしは基本的にローマ人と同じで、「わたしは無宗教である」と語る必要を感じないほどに無宗教の人間であり、ましてや新興宗 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>世界救世経から分離した神慈秀明会の本拠に隣接するＭＩＨＯミュージアム（滋賀県信楽）を訪れる機会を得た。わたしは基本的にローマ人と同じで、「わたしは無宗教である」と語る必要を感じないほどに無宗教の人間であり、ましてや新興宗教にはほとんど興味のない人間である。ただ、そのコレクションがあまりにも振るっているというのを聞いたのと、たまたま持ち回りで小林秀雄（の骨董）展を開催していたため、その展覧会の終日に、重い腰をあげたというわけだ。</p>
<p>それにしても、この金の使いようは尋常ではない。ついついその出所を詮索する気持ちになってしまうが、それにしたってＩ．Ｍ．ペイの設計した建築はすばらしいものだ。信楽の山間にあって、深い谷底を両手に眺めながら、巨大な、そしてきわめて洗練された造形美を誇る橋とトンネルを抜けると、そこには、オリエンタリズム（あるいはペイの皮肉？）を融合させた少々いびつな、そして意外なほどこじんまりした（しかし、その内装と内容物のゴージャスさには度肝を抜かれることになるだろう）エントランスをもつ美術館が現われるといった仕掛けである。</p>
<p>エントランスをくぐると、ガラス越しに映る峰の向こうに見えるのは、ワールド・トレード・センターの建築家であるミノル・ヤマザキの設計した神殿である。もちろん、そこには用はない。常設展にあるユーラシア美術の数々と、そしておそらく、そこにあっては、まるで冗談かなにかのように貧困にみえるであろう、小林秀雄の骨董である。</p>
<p>古代エジプト帝国に始まり、ペルシア帝国、ローマ帝国、そしてアフガニスタンからインドを抜け、中華帝国にいたるそのコレクションの豪奢かつ雄大な、そしてときに繊細な動きをみせるコレクションの数々には、思わずため息をもらしてしまう。エジプトの神殿の最奥部に安置されていたという宝石をちりばめた純銀のホルス像。知人によると、アラブの石油王とのオークションに競り勝ったというのだから恐れ入る。また、ペルシアの帝王が使用したであろう、きわめて微細な紋様を描く――おそらくスキタイの技術を輸入して作られた純金の巨大な杯や馬具の数々。現代のアメリカ帝国があまりに貧しく見えてしまうのはけっしてわたしだけではあるまい。床や壁にはローマのポンペイ等々から持ち出されただろうフレスコ画やモザイクが埋め込まれ、快活な表情をみせる美しい大理石が見るものを晴れやかにする。そして中華帝国のパートでの圧巻は、巨大な、おそらく北魏様式の菩薩立像である。この石灰石の菩薩が浮かべるアルカイック・スマイルの迫力に圧倒されない者は少ないだろう。</p>
<p>もちろん、この一連の美術品がもつ豪奢に眼を奪われるのもよいだろう。あるいは、こうした雄大なコレクションに一貫して底流する――強大な帝国とそのあいだを行き来する遊牧民との潜在的交流が可能にしている――ユーラシア文明的美学に思いをはせるのもよいだろう（“文明”と名指されるものは、きまって、帝国的なものだ）。わたしはそのとき、何を感じていたか？　おそらく、わたしがずっと心に抱いていたのは、貧しさだったと思う。</p>
<p>はたして、この言い方が正しいのかはわからない。帝国中心部に集積された莫大な富や財宝が、あるいは大量に投下される技術や資本が、周辺部を圧倒する。こうした図式は昔も今も、ほとんど変わりがない。そうした財力を逆説的に貧しいと語ることも、こうした図式自体に貧しさを指摘するのも、それはきわめて平凡な身振りでしかない。そしておそらく、帝国の周縁部にあった都市国家や遊牧民たちは、本当に貧しかったのだ。そこでは、テロや略奪が、必然的な構造として認められていた。エジプトやペルシアの帝国の周縁に位置するギリシアのさらに周縁にあった、共和政時代のローマをみれば、それはすぐにわかるはずだ。彼らは年中戦争し、そして富や女を略奪して回っていたのだ。われわれは、この展示品がそうであるように、ギリシアと言えばアッティカ帝国をなしたアテネしか見ない。ユーラシア文明といえば、帝国のそれをしか見ない。アテネの民主制を可能にした、あるいはユーラシア文明を可能にした下部構造を見ないのである。それは、今日の民主制がいかにして可能であるかを見ないことと同じである。それが可能になっているのは、どう考えても、自由教の教祖である、アメリカ帝国のおかげなのである。</p>
<p>小林秀雄が、貧しく、そして畸形的なものを愛したことは、同時期の保田輿重郎や亀井勝一郎が、ローマ帝国の堅牢で構造化された石橋ではなく、貧弱な日本の橋を愛し、そして戦場の焼け野原に屹立する石灯籠を愛して敗北への戦争を賛美したのと、紙一重の態度であることは言うまでもない。われわれはしかし、アッティカ帝国をなす以前のアテネが、あるいはローマ帝国をなす以前の共和政時代のローマが、きわめて貧しく、きわめて貧弱な灌漑農耕技術しかもたなかったという事実を、そして帝国にも増して戦争ばかりしていたという事実を、どれくらい認識しているだろうか？</p>
<p>見る者の目を奪う豪華絢爛たる常設展のコレクションと、貧しく畸形的な小林秀雄の書画骨董の数々を共に眺めながら、わたしは思いをめぐらさずにはおれなかった。つまり、おそらく、今も昔も、そして未来も、変わることなくわれわれを捉えて離さないものでありつづけるだろう、豊かさと貧しさの、あまりに凡庸な一対の概念について、である。</p>
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		<title>ベルナルド・ベルトルッチ『ラスト・エンペラー』</title>
		<link>http://www.fragment-group.com/kiotanaka/review/cinema/144.html</link>
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		<pubDate>Sun, 06 Jul 2003 17:56:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[cinema]]></category>

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		<description><![CDATA[言わずと知れた超大作。この映画をもって、鬼才ベルトルッチは巨匠となり、坂本龍一は名実ともに“世界のサカモト”となった。 個人的な述懐になるが、わたしがこの映画に触れたのは小学校のとき、それも音楽においてである。母親がテー [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>言わずと知れた超大作。この映画をもって、鬼才ベルトルッチは巨匠となり、坂本龍一は名実ともに“世界のサカモト”となった。</p>
<p>個人的な述懐になるが、わたしがこの映画に触れたのは小学校のとき、それも音楽においてである。母親がテープでこの映画のサウンドトラックをかけていたのがきっかけだった。それ以来、わたしは坂本龍一のファンになった。子供心に、こんな音楽を作ることのできる日本人はいない――なにが根拠になっているのかはまったく定かではないが――、などとはしゃいでいたのを覚えている。久々にこの映画を見返してみて、いまわたしがやっていることがなにも変わっていないことに気づいた。二度目の修士論文で大杉栄を扱ったのだが（最初の修士論文はリヴィウスとキケロである）、この大杉栄を殺したのが、憲兵を率いた甘粕正彦大尉、すなわち、坂本龍一が演じた甘粕満州映画理事長なのである（ちなみに、どう考えても坂本龍一は甘粕というよりは大杉に似ている）。この偶然の符合には失笑したが、もちろん、無意識がそういう選択にわたしを導いた可能性までは否定しないでおこう。けっきょく、同じところをぐるぐる廻るという選択を行っているのは自分なのである。そしてこんなことを言ってみたくもなる。「Open the door!」</p>
<p>さて、映画のほうはいまさら言うまでもないだろう。たしかに、ベルトルッチの映画作品のなかでは前期に当たる『暗殺のオペラ』や『暗殺の森』あるいは『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を好む向きがあるのはもっともであり、そうした評価をわたしも否定しない。だが、本作も、それらとは趣は異なるにせよ、傑作であることにはかわりない。三拍子の雄大なメインテーマとともにたゆたうパンニングは、まさに、ベルトルッチがみせる類まれな舞踏感覚の延長上にある。安易な抗いを許さない三拍子のうねりは、彼の研ぎ澄まされた舞踏感覚であると同時に、時代に翻弄された溥儀の人生そのものでもある。幼稚なオリエンタリズムなどとは無縁に、そしてもちろん扉の向こうを夢見た溥儀のささやかな意思などともまったく無関係に、抗いがたいとうとうたる大河のうねりを巨大な舞踏として描いたのであれば、それはたしかに、鬼才ベルトルッチの作品に違いない。</p>
<div class="post-rl">
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%BC-DVD-%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%81/dp/B00005L97O%3FSubscriptionId%3DAKIAJTU5FBML3HWXOESQ%26tag%3Dkiotanaka-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB00005L97O"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/512W26YSBVL._SL160_.jpg" style="float: left; margin-right: 10px;" /></a>
<span style="text-indent: 0em;">『ラストエンペラー [DVD]』<br />Powered by <a href="http://blog.yoshitomo.org/amazonlink">AmazonLink</a> 2.0.0 beta4.<br style="clear: both;" /></span></p>
<p>監督：ベルナルド・ベルトルッチ<br />
制作：ジェレミー・トーマス<br />
脚本：マーク・ペプロー、ベルナルド・ベルトルッチ<br />
撮影：ヴィットリオ・ストラーロ<br />
美術：フェルディナンド・スカルフィオッティ<br />
衣装：ジェイムズ・アシュソン<br />
編集：ガブリエラ・クリスティアーニ<br />
音楽：坂本龍一、デイヴィッド・バーン、コン・ス<br />
出演：ジョン・ローン（溥儀）、ジョアン・チェン（婉容）、ペーター・オトゥール（レジナルド・ジョンストン）、坂本龍一（甘粕正彦）、リチャード・ヴゥ（溥儀（３歳））、タイジャ・ツゥウ（溥儀（８歳））、ワン・タオ（溥儀（１５歳））<br />
1987年／イタリア・英・中国／163分／カラー／シネマスコープ
</p></div>
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