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声と文字について(デリダとの和解にむけて?)
声と文字、このありふれた二つのツールについて、少しだけ考えをめぐらせてみよう。
声と文字は、ともに他者とのコミュニケーションのツールだが、その違いはなんだろうか。コミュニケーションのツールという点でこれらを比較すれば、伝 [...]
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不在なものの現前
人間には、不在のものを現前させる《力》が二つある。それは、想像力と記憶力である。もちろん、これらは、内在的には区別できない。記憶力のまったく介在していない想像力は成立しえないし、またその逆も成立しえない。両者は混在してい [...]
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二つの理性
古代ローマのストア派哲学者であり、劇作家であり、また皇帝の家庭教師でもあったセネカは、学問についての二つの大きな区分に注意を促している。《文献学》と、《哲学》とである。ギリシア語でいえば、前者はフィロ‐ロゴスであり、後者 [...]
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記憶・忘却・想像力
わたしたちが普段何気なく、そして区別しつつ用いている言葉に「想像力」と「記憶力」とがある。いずれにしても、不在のものの現前という意味では同じものであろう。いまここにないものを現前させる、そうした力こそが、この二つに割り当 [...]
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意味と出来事
言葉は、それが言葉であるかぎり、きっとなんらかの対象を持っているはずである。対象というのは、要するに、出来事であるとか、物であるとか、そういうもののことである。たとえば、「海」という言葉は、現実の《海》を指示しているはず [...]
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カント読解……
わたしはいまのところ歴史学者のはしくれであって、別に哲学研究者ではなく、最新の研究動向も知らなければ、そうした能力も時間も欠いているのだが、それでもやはり、最低限カントくらいは読むし、無責任な、かつ自分なりの読解がある。 [...]
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記憶と忘却は対立する概念なのか?
わたしたちは、簡単に「記憶する」、とか「忘却する」とかいう用語を使う。これらの用語を並べて用いるとき、当然、「善」と「悪」同様、両者は概念としては対立しているように思われる。したがって、ジャック・デリダやハンナ・アーレン [...]
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暴力についてII
暴力について、もう少し考えてみよう。
暴力は、権力や重力などと同様、その名の通り《力》の一種である。《力》とは、複数の項を結びつける(あるいは遠ざける)《関係》の、作用的側面を指していわれる言葉である。逆に言うと、《関 [...]
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暴力について
ベンヤミンは、その著書『暴力批判論』において、対立する二つの概念として、「神話的暴力」と「神的暴力」を挙げている。前者は法を措定し、維持する暴力だとすれば、後者は法を破壊する暴力である。ベンヤミンは、もちろん、後者につい [...]
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ニヒリズムについて(メモ)
さて、少々込み入った哲学的レッスンを、私自身に課してみよう。
「自己嫌悪」というものがある。たとえばこうだ。「どうして私はこれほど駄目なのだろう!」 こうした嘆きには、誰しもが囚われるものであり、かくいう私ほど、この嘆き [...]



