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《文学》のプログラムII、もうひとつのヒルベルト計画
「無知の知」というソクラテスの言葉がある。この言葉には、人間は有限の生き物である、という認識の重要性と同時に、有限なものを超えた無限なものに対して人間が抱く意志が含まれている。「知る」ということが、本質的に有限であるとこ [...]
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《文学》のプログラム、ゲーデルとヒルベルトのあいだ(メモ)
命題A:「わたしは嘘をついている」。この命題が真なのか偽であるのかを、内在的に証明することはできない。この自己言及的な「嘘つきのパラドックス」を起因として、ゲーデルに導かれ、ある種の数学基礎論―ヨーロッパ的合理主義の極致 [...]
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リプレゼンテーションと民主主義
物自体とその表象、という二重体において世界を思考するやり方、リプレゼンテーションの問題は、もちろん、今日われわれの社会で運営されている議会制民主主義Representative Democracyと呼ばれるものの問題と切 [...]
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実数と虚数、あるいは歴史と文学(メモ)
数学は、自身の中に虚数imaginary numberを組み込むことにすでに成功している(イマジナリーと呼んだのはデカルトだが、この命名は今日ではあまりよくない)。現実にはありえないとされるにもかかわらず、すべての二次方 [...]
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世界を語るということ
平行線の定理が世界を論じる際に必要ないことに勘付いた近代の科学者たちは、そのとき、すでにその手に絵筆を握っていた。世界は、線分でできているのではない。色彩によって実現されているのだ。彼らはそのことに気づいた。だが、今日、 [...]
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模倣か虚構か
芸術は、いったい、なにを行なっているのだろうか。プラトンの言うような、自然の模倣? それとも、アリストテレスの言うような自然に《対して》虚構を作りあげること? どちらも、それほど正しくない。それに、この問いにかかわってい [...]
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哲学者と芸術家III――フーコーとエノンセ
五月革命以降、一九七〇年代を前後するわずかな期間に、フランスには哲学の帝王が君臨していた。ミシェル・フーコーである。もちろん、帝王という用語には注意せねばならない。というのも、後世の歴史家に誤解を与えてはならないからだ。 [...]
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哲学者と芸術家II――カントとドゥルーズの場合
ニーチェというひとりの人物が成長し、文献学者から哲学者へと変貌する姿は、ぼくたちを感動させる。そこには、なにひとつ無駄なものはない。そうした成長の物語――ひとりの独身ドイツ人の伝記作品を、ニーチェの生涯に見ることは、もち [...]
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哲学者と芸術家――ニーチェとドゥルーズの場合
ぼくは、ニーチェほど不器用で、そして真っ直ぐな人間を知らない。端的に、崇拝するアイドルのひとりだ。彼は真っ直ぐであることにナイーヴで、そして勇敢だった。ぼくたちには、彼の書いたものは、ときに、あまりにもひねくれて見える。 [...]
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美、あるいは「質量を持つて居るもの」
前にいったように、最近はずっと湯川秀樹のアルシーヴに塗れている。生々しく殴り書きされた古ぼけた紙に、「β崩壊」であるとか、「相互作用」であるとか、「宇宙線」であるとか、あるいはその他諸々の数式であるとか、そうい [...]



