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コーラー
わたしはプラトンの『パイドン』を、若い頃から愛していた。この感動的なテクストは、次のように始まる。処刑が決まったものの、ちょうどデロス島で行なわれる祭礼と重なったために、執行が延期になり、ソクラテスは牢獄でいくらか余命を [...]
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忘却の系譜学
ニーチェは、『楽しい科学』のなかで、「忘却の音楽」について語っていた。たしか、彼はそこで、芸術を二つに分類していたはずだ(不確かな書きかたをするのは、いま手許にこの本がないから。今月二度目の満月の光を浴びながら、これを書 [...]
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時の結晶―パーン・ホ・メガス・テトウネーケIV
アレゴリーから小説へ。文学の歩みにおけるその日付を明示したのは鬼才ホルヘ・ルイス・ボルヘスである。彼は言う。
アレゴリーから小説へ、種から個へ、実在論から唯名論へ――この推移は数世紀を要した。しかも、わたしはあえてその理 [...]
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パーン・ホ・メガス・テトウネーケIII―《観念》の舞踏
人類史上最初の観念であるように思われる、《神》。それは、言い換えれば、無を超えて不在を思考することである。観念がなんらかの実在と結びついているかぎり、それはけっして最初の観念とはなりえない。《実在という外部からの刺激》に [...]
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神に肉を与える―パーン・ホ・メガス・テトウネーケII
パウロの弟子ディオニュシオス・アレオパギタ、あるいはネオ・プラトニズムを信奉する人たちによって、神は肯定の世界から取り除かれ、否定の祭壇へと祭り上げられた。《神はいない》。存在の影としての神。この影が世界を覆い尽くしたと [...]
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パーン・ホ・メガス・テトウネーケ
ひとが作り出したもっとも古い観念のひとつに《神》がある。《神》は実在するのか、しないのか。それとも、《実在》という語がそぐわない、ある種の超越それ自体を指すのか。実在や経験、あるいは精神や観念、そしてそれらすべての超越者 [...]
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《文学》のプログラムIV、荘子とヒルベルト
荘子の言葉をもう一度引用する。
荘子が恵子といっしょに濠水の渡り場のあたりで遊んだことがある。そのとき荘子はいった、「はや(魚)がのびのびと自由に泳ぎまわっている、これこそ魚の楽しみだよ。」ところが、恵子はこういった [...]
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《文学》のプログラムIII、否定と虚構
嘘とはなにか。そしてまた否定とはなにか。嘘と否定とは、よく似ている。実際、区別するのはむずかしい。したがって、ありきたりの仕方で両者を区別しようとは思わない。たとえば、次のような文章があるとしよう。
《私は犯人ではな [...]
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《文学》のプログラムII、もうひとつのヒルベルト計画
「無知の知」というソクラテスの言葉がある。この言葉には、人間は有限の生き物である、という認識の重要性と同時に、有限なものを超えた無限なものに対して人間が抱く意志が含まれている。「知る」ということが、本質的に有限であると [...]
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《文学》のプログラム、ゲーデルとヒルベルトのあいだ(メモ)
命題A:「わたしは嘘をついている」。この命題が真なのか偽であるのかを、内在的に証明することはできない。この自己言及的な「嘘つきのパラドックス」を起因として、ゲーデルに導かれ、ある種の数学基礎論―ヨーロッパ的合理主義の極 [...]



