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		<title>星座の貌をした歴史学</title>
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		<pubDate>Thu, 25 Aug 2011 12:42:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<description><![CDATA[歴史が《星座》の貌をしていることを発見したのはヴァルター・ベンヤミンである。イマニュエル・カント以来、言葉と言葉とをつなげることのうちに、多くの近代の歴史学者は因果律を見いだしていた。だが、それを因果律と呼ぶのはすこし行 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>歴史が《星座》の貌をしていることを発見したのはヴァルター・ベンヤミンである。イマニュエル・カント以来、言葉と言葉とをつなげることのうちに、多くの近代の歴史学者は因果律を見いだしていた。だが、それを因果律と呼ぶのはすこし行き過ぎだったのではないか。むしろ、星と星とをつなぐことで星座が生まれるようにして、歴史は生まれているのではないか。学芸の神アポロンのもとに集う九人の女神ムーサたちのうちに、歴史を司るクレイオと天文学を司るウラニアとがいたが、それは、現代人が忘れた、人文学のもっていた不思議な血縁関係である。</p>
<p>《星座》は、広大という言葉が陳腐に聞こえる大宇宙のなかの極微の一点、すなわち地球という星からみた天空に描かれた絵画であり、刹那の真理である。天空の星々には明るいものもあり暗いものもある。遠いものもあり近いものもある。大きなものも小さなものもある。同じ星が別の星座を構成するかと思えば、別の星が同じ星座のなかに組み入れられることもある。天空を平面に見立て、星々が表現している輝きと奥行きを、まるで山や谷を地図に書き起こすように、ひとは《星座》を描いている。暗いものが暗いとはかぎらず、明るいものが明るいとはかぎらない。ただわれわれは、永久の宇宙の時間からすれば刹那にすぎぬ天空が表現している星の見かけの明るさにしたがって、おのおのの立ち位置から星座を描いている。星の見かけの明るさは、いわば人間の抱く《価値》と同義である。《価値》はただの主観ではない。星々の見かけの明るさもまた、ひとつの真理である。科学的にいってアルデバランがデネブに比べれば暗いと知ったところで、ゼウスの化けた雄牛の右目として、この星がわれわれに果たしてきた歴史が変わるわけではない。しかし、月明かりに消え入るあの小さく暗い星は、本当は明るいのかもしれず、夜空に煌煌と輝くあの星は明日には死を迎えるかもしれない。そういう可能性は、星座が隠し持っている厚みであり奥行きであり高さである。星座の、ひとから隠されている不思議な垂直性は、ひとをして、天空の外側にひろがる「崇高」（ロンギノス）な世界をさえ思考させる。そんな途方もない力を、この概念はもっている。</p>
<p>ひとの《言葉》もまた同じように、木を削り石に刻まれ紙に書かれて、星座を形作っている。同じ星が別の国では別の星座に組み込まれるように、同じ言葉は別の時に置かれて別の価値を表現する。ヘーゲルのいう民族中心主義的な世界史は、２０世紀、戦車の号砲と無差別爆撃の爆音と民衆の悲鳴のなかに置かれて、光を吸収する悪魔のような不吉な闇になった。詩人を排斥した哲学者の王プラトンは２０世紀の終わりには、西欧中心主義者の列に加えられて別の忌まわしい星座を形成するようになった。彗星のごときニーチェはいまだに星座をなすに至らず孤独なままであり、いまではカントはひとの思考を天空のこちら側に厳格に縛める北極星のようである。テクスト中心主義者は、星がテクストの外部で別の星座を形作ることを認めず、ただ解釈のうちにテクストを補強し肥大化させる以外のことを自らに許さない。だが、同じテクストがまったく異なる価値を体現しうることがある。同じ言葉が真逆の価値をもつことさえある。それは、本当は明るい星が、まったく真逆の暗い星とみなされ、ひとつの星座のうちに描かれることによく似ている。</p>
<p>しかしにもかかわらず、星は星座を自らの運命として、それ以外の姿をわれわれに見せることはない。北斗七星は運命のようにわれわれの天空に輝き、それ以外の姿を見せることはなかった。オリオンは人類にずっとオリオンの姿を見せていたし、昴はずっと仲のよい姉妹だった。これからもずっとそうでありつづけるだろう。もちろん、万に一つの可能性に賭けて、この運命に抗うことができるのを、われわれは知っている。声が宙空に消え去るように、星もまたいつかは死ぬ。しかし、偶然を掛け合わせて生まれたこの刹那の星座たちが、運命として地球と人類の前にあらわれていることも、われわれは知っている。われわれの《言葉》もまた、そのようなものであるだろう。同じ《言葉》が別の星座を体現することがあるとしても、にもかかわらずそれは運命として、われわれの前に、ひとつの星座なのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>《星座》とは、星と地上のあいだの距離と時の深さとが奏でる歌である。《言葉》もまた、現代という地上のあいだに、距離と時の深さとをもって、歌を奏でている。天空の奥深さのなかにある夜空の星々が、目に心地よいリズムをもっているように、時の深さのなかにある《言葉》もまた、耳に心地よいリズムをもっている。それは歴史と呼ばれる。夜空にさまざまな絵画を描いたギリシア人のように、現代の歴史学者もまた、時のうちにさまざまな絵画を描き、歴史家たらんとしている。しかし、この絵画がギリシア人たちの描いた星座ほどに、運命であるか。運命にまで高められているか。すなわち、《言葉》がもっとも美しく輝くだろう配置を、歴史のうちに描くことができているだろうか。</p>
<p>わたしが歴史家として、そして歴史の教育者としてつねに心がけているのは、そのことである。歴史のうちに星座を描くことであり、またそれを教えることである。星々のあいだに可能なもっとも美しい配置をつくり出すように、言葉を時のなかでもっとも美しい貌に配置することである。ドゥルーズとガタリは《アレンジメント》という概念を主張していたが、誤解されぬよう、それに付け加えねばならないのは、この概念がもたらす配置は《運命》にまで高められねばならないということである。天文学がひとの運命を星座のうちに描くように、歴史はひとの言葉を紡がねばならない。</p>
<p>歴史家を育てるとは、自分の言葉の見方、自分だけのものの見方を、運命にまで高める仕方を教えることである。右や左の政治的なものの見方を子どもたちに強制するのではなく、星々の配置においてもっとも美しく、内包する星の数（網羅性）と明るさからいってもっとも崇高な星座を描くことである。もっとも高いところ、もっとも深いところにある星々をも見通す知性と、そこまで昇ろうとする勇気と、そしてそれらを最高の調和のうちに描こうとする優しさを鍛えることである。</p>
<p>史料に対する偏った見方を禁じるのではない。そうした見方は、なにものからも中立であろうとする不可能な立場を強制することであり、したがってもっとも隠微な政治的見方を強制することである。そうした空虚な立場は、客観性と当事者性との不毛な対立を招き、偽の問題構成に子どもを追いやることになる。おのれの所属と立ち位置あるがゆえにはじめて可能となる《星座》を描くことは、それではできない。価値中立でも、形骸化した右や左の政治的立場を選ばせることでもなく（やはりそれも不毛な二項対立である）、おのれの判断にしたがって、おのれが美しいと思う言葉の配置を追究することである。</p>
<p>しかしもちろん、どれほど美しい星座であろうと、というかむしろ美しければ美しいだけ、星座は一部の星の輝きを奪ってしまうことがある。美はたえず背景をもつものだからである。星と星とをつなげるとき、同時につなげられなかった別の星が影のように生まれている。現代の歴史学者が組み込めなかった星の輝きを取り上げるのは、子どもたちである。だからいかに星座が運命にまで高められていようと、それによって歴史の営みに終止符が打たれることはない。捨てられる星があることも、星座の運命であり、そして捨てられる星があるからこそ、拾うべき星を見つけられるのである。</p>
<p>いずれにしても、歴史家の仕事は、人間が一番美しく輝くように、数多の出来事をつなぐ星座を考え出すことである。暗い星も明るい星も、清も濁も併せ呑みながら、それでも人間の美しく輝く星座を見つけ出すことができたなら、それはほとんど運命と同じ貌をしているだろう。人間の醜さを歴史に示すのは、相対的に簡単なことである。しかし、その場合、人間が醜いのか、それともその歴史学者の拵えた星座が醜いだけなのかには、注意を払わねばならない。おそらく、ほとんどの場合は後者で、人間をただ批判するだけの仕事は、人間の醜さと星座の醜さの区別のぼやけた場所で行なわれるものと断言してもいい。</p>
<p>ひとつひとつの星をみることも、もちろん大切なことである。だが、やはり歴史家の本当の仕事は、それらの星を美しい貌につなげることであり、そうするために、ひとつひとつの星をみるのでなければならない。星をみているうちに星座を見失っていないか。歴史は混雑したものという常識をおのれの星座の醜さと無意識のうちに混同していないか。言葉尻をとらえてそこから全体の批判に結びつけていくよりも、まずはその言葉が、あるひとつの星座のなかで、どのような位置を占めているのかを考えること。どのような運命によって、星座はその批判に値するような醜い星をとらえたのか。その星の醜さのおかげで、よけいに美しく輝く別の星はありはしないか。</p>
<p>必要なすべてのテクストが燃え尽きたとき、それでもひとびとの記憶を集めてふたたび星座を描くことができる。歴史という星座は、いつもそのようにして描かれてきた。だが、星をみるだけで満足していた歴史学者には、星座を描くことはできない。民衆が持ち寄った小さなそれよりずっと肥大化してはいても、星座に必要かどうかはわからぬ星をひとつ持ち寄るだけである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>近代日本で一番巨大で一番醜い星、ブラックホールのように光を吸い込んであたりに闇をもたらす星、すなわち《大東亜戦争》という侵略戦争を組み込みながら、なお日本人の美しさを示す星座は可能だろうか。それができたなら、日本の歴史は本当の意味で前に進むことができる。むろん、それは相当に困難な事業で、成功した歴史家は存在しない。挑戦しても、ふつうは戦争賛美か侵略戦争であったことの否定に墜ちるしかない。だから、美しい星座のためにこの醜い侵略戦争を黙殺するか、さもなければこれを受け容れつつ、当時の日本の歴史＝星座ごと批判する道がもっとも無難であり、それが今日まで行なわれてきたことである。だが、このやり方はいつまでも禍根を残す。この星は不吉な遊星のように漂いつづけ、おさまる場所（座＝運命）をもつことができない。</p>
<p>《世界大戦》という、史上もっとも醜悪な戦いによって反照的に生まれた《世界平和》の概念は、たしかに、前者の星を批判によって陰らせれば陰らせるほど、明るく輝く。しかし、それによって《世界平和》の星はいつも暗い星に付きまとわれることになるのだとしたら。《世界大戦》という星を葬り去るために、この星をとらえた《近代》という星座ごと葬り去るのか。それともこの星を《近代の未熟さ》という星座のうちに描き、より正しい近代を追い求めるのか。しかし重要なことは、どれほど醜い貌に星座を描こうと、人間の力で星を消すことはできないということである。不吉な星は天空で輝きつづける。《近代》という星座をいかに描くにせよ、それが《世界大戦》という星を葬り去るために作られた批判的な座であるかぎり、なんどそれを描いても、消えるのは醜く描かれた星座だけである。星はいつまでも残ってしまう。むしろ運命に等しい美しい星座のうちに、この不気味な星をとらえさせることができるなら。</p>
<p>星座を因果律と取り違えている。だから悲惨な歴史を生み出したネガティヴな原因をたどっていくことで、星そのものを葬ることができると考えてしまうのだろう。だが、ひとは歴史を星座として描く。どれほど醜い星座を描こうと、それによって星が葬られてしまうことはない。同じ種族同士で殺し合い、あまつさえおのれのたったひとつの住処である星をさえ破壊しようとするあまりにも醜い人間の姿を、歴史家はいかにして美しく描こうというのか。それは答えることの不可能な難問だろうか。星座を諦めて視界からあの暗い星を取り除け、ただ明るい星を愛でることしかできないのだろうか。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>若い歴史学者たちよ、それでも君たちは歴史家たらんとするかぎり、星座を描くのだ。君たちはこの困難な問いに対する答えをずっと求めつづけるのだ、運命と、そして自由とを求めて。君たちが星を磨くとき、どのような星座を描くためにそうしているのか。永劫に等しい時間のなか、たえず変転する星々の配置のなかに、君たちはどのような刹那の星座を描こうとしているのか。君たちの歴史は、星座の貌をしているか。君たちの星座は人間の貌をしているか。</p>
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		<title>運命としての歴史学</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Aug 2011 08:37:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[History(s) of Spirits]]></category>
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		<description><![CDATA[ものや出来事の起源を、あるいはそこにそれがありまたそれが起きることの必然性を、ひとはたどりたがる。このようなひとびとの思考は、かならずどこかで択一を強いる二つの選択肢にたどりつくだろう。すなわち、起源や必然性を可能にして [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ものや出来事の起源を、あるいはそこにそれがありまたそれが起きることの必然性を、ひとはたどりたがる。このようなひとびとの思考は、かならずどこかで択一を強いる二つの選択肢にたどりつくだろう。すなわち、起源や必然性を可能にしているのは、言語的な《論理性》だろうか。それとも言語外の《因果性》だろうか。</p>
<p>たとえば、「塔の頂上から鉄球を落とせば、それは地面に落下する」という記述。それは言語外の事実と認定されている重力によって、そうなるべくしてなるのであって、ここに因果的必然性を見出すのが一般的な見解である。しかし、「フランスにおける全国三部会の紛糾がフランス革命を招いた」という記述の場合、そこに因果連鎖を見出す見解は、先の記述ほど一般的にはなりえない。「フランス」、「全国三部会」、「紛糾」、「フランス革命」などといった用語にひとびとが認めている《意味》にしたがって、論理的必然性をもつ場合もあれば、もたない場合もある。因果連鎖を見出せる場合もあれば、そうできない場合もある。さらに「１６掛ける１６は２５６である」という記述は、言語外の対象とは無関係な論理的記述であって、「１６」、「掛ける」などの用語に与えている意味にしたがって、論理的必然性を持つ場合もあれば、もたない場合もある。ここに言語外の因果連鎖を排他的に認める見解は一般的ではない。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>誤解も生じるため、あまりこなれた言い方とは思えないが、わかりやすくいえば、ここには物理学と数学という二つの極がある。因果律という考えが、社会的に形成された約束事に強く寄生していることを発見したデイヴィッド・ヒュームの考察以来、論理と因果をめぐる議論はこの二つの極に分裂したままである。オースティンやクリプキのような言語学者、あるいはラッセルやデリダのような哲学者が論理的必然性の側でこの議論に答えを出したようにみえたが、この見解自体が社会的に形成された約束事に寄生してしまう以上、社会の変転にともないたえず曖昧化し、ふたたび論点が浮遊するのを禁じることはできない。両極のはざまで、歴史記述は、書き手の意図とはほぼ無関係に、此岸から彼岸へ、行ったり来たりを繰り返すばかりである。</p>
<p>ヒュームの重要性はあきらかである。しかし、われわれは、回答を論理的必然性（数学的記述からなる）と因果的必然性（物理学的記述からなる）の二つの極のいずれかに、あるいはよくいって両者の弁証法的曖昧さ（歴史学的記述からなる）のなかに強制する言語学者や哲学者の議論にはあまり興味をもたない。むしろこれらの極は開いたままにしておき、もっぱら中心軸にある歴史的・社会的必然性に興味を抱く。われわれはいかにして、言語の意味からなる論理的必然性と、言語外の事実の連鎖によって生じる因果的必然性とが描く螺旋のなかで、歴史を《運命》として受け取るのか。しょせんは人間の拵えたルールにすぎぬ論理的必然性のなかで言葉を気ままに弄びながら、当の論理に自然の因果律と同じほどに強い力を認め、人間はおのれを束縛する歴史や社会を形成しているのである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>いうなれば、ひとは、おのれの自由にとって最大の敵である歴史に、言葉という最強の武器を供与しつづけているかのようだ。文学にせよ、哲学にせよ、歴史学にせよ、われわれが人文学と認めるのは、たまたま鳥のように音節明瞭だったにすぎない猿が拵えた《言葉》という気ままな遊戯を、具体的かつ肉体的に運用すること、すなわち《運命》にまで高めようとする試みだけである。論理、あるいは歴史の必然性は、自然の因果律と同じほどに、強力でなければならないし、実際に強力なのである。抵抗するにせよ、受け容れるにせよ、この運命の絶対的な力強さを知ることがないなら、われわれは《人間》を高めることができない。</p>
<p>論理や歴史は、われわれ人間から出発しているにもかかわらず、世界から自由に切ったり貼ったりできるものではないことはあきらかである。だが逆に、運命にまで高められなかった論理や歴史が、人間に言語外の生がありうるのではないかという錯覚を抱かせることになる。その意味では、論理や歴史は、そうした幻想（パンタズマ）を抱かせる元凶でもある。</p>
<p>むしろわれわれにできるのは、本当は、論理や歴史を捨て去ることではなく、これらを《運命》に高めることだけである。そうした論理や歴史は、これらが人間を超越しているにもかかわらず、これらと戦い、そして寄り添うことができる。つまりひとの生を超越し、従わせる運命との戦いや共存を通じて、ひとは超越と交わる自由をついに謳歌することができるのである。まったく不思議なことであるのだが。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>創作という概念を勘違いしている連中は、歴史上のifを探しまわる。そしてドゥルーズとガタリの《アレンジメント》の概念を誤用し、クリプキの可能世界論をみだりに拡張して、たとえばカエサルが殺害されなかった歴史がありうると考えることが、創造と思っている。だが、そうではない。奇妙にも、カエサルが殺害される以外の運命がありえないことを示すことが、本当の創作なのである。歴史上のifなど、意識的かそうでないかは別として、歴史学者はたえず大量生産している（ifを許す点で、ポパーのいう反証可能性をたえず有しているゆえ科学といえるのだろうが、この定義は科学的歴史学をけっして救いはしない）。ならば彼らもまた創造を司る芸術家なのか？　否であろう。そしてまたその程度のものが芸術なのか？　否であろう。仮にひとが過去を覗くことができたとすれば、現実の過去が歴史と違っているよりも、むしろ歴史どおりに事が運ぶことのほうに、神秘的な悦びを見出すだろうと、わたしには思われる。カエサルがブルータスの真横を何事もなく通り過ぎるよりも、ブルータスによって殺害されるカエサルが《息子よ》と叫んだとき、ひとは得も言われぬ芸術的な興奮を覚えるにちがいないのである。</p>
<p>試みに、人類史上最初の文学のひとつであるホメロスの『イリアス』をみてみよう。アキレウスは神に授けられたおのれの運命に抗う典型的な英雄である。そして運命に抗いながら、この運命を覆すことができない。そのことを、ホメロスは逆説的にもアキレウスが宿敵ヘクトルに勝利するシーンによって描き出す。アキレウスは運命に抗い、そうすることでますます運命に合流していく。アキレウスが戦死するシーンはいっさい描かれず、ただ彼の死は《運命》としてのみ描かれる。トロイとギリシアとのあいだで繰り広げられた十年にわたる戦争を、彼は《運命》に高めた。論理的必然性と因果的必然性という極端で陳腐な問いを、この作品はまったく受け付けない。世界の文学史は、こうして人文学のすべての可能性を孕む神のごとき作品を、のっけから有することになった。起源にすべてが含まれるというよく知られた逆説は、人類の自由な創造性の極みにある人文学には、よく当てはまっているようである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>何気なくそこに置かれているオブジェ。そこにそれがあるという論理的必然性があるだろうか。歴史的因果律が感じられるだろうか。この世のすべてのものが、そうした超越的原理によって、そこに存在している。これらの原理を神に明け渡す前に、ひとは運命という名の糸をたぐり寄せるべきである。</p>
<p>自覚するにせよしないにせよ、もし歴史が言説・テクスト・史料のなかに収まってしまうものだとすれば、そういった歴史を対象にするのは科学であろう。それはひとの歴史が論理・言語のなかに収まってしまうことを意味する。まれにあらわれる言語外の因果性や《もの》がそれを疑うとすれば、そのことが、反証可能性として、歴史が科学たることを保証する。そうした反証可能性を、人文学は受け付けない。反証可能性をもつことが科学の定義というポパーが正しいなら、人文学は科学とはなんらかかわりをもたない。人文学は運命だけをあつかう。それ以外にはありえないという、かけがえのない運命を愛する。反証可能性のような緩んだ概念など問題にしない。歴史が運命に高められるときにだけ、あるいはそうした意志をもって取り組まれる場合にだけ、歴史はようやく人文学の対象となる。</p>
<p>ひとはどうしても、歴史や論理なしに生きていけると錯覚しがちである。歴史や論理が、言葉を伴ってしか現われないからである。言葉は、それが道具として磨かれていくプロセスのなかで、どうしても想定以外の結果を導くことがある。それはたんに書き換えられるべき想定にすぎないのだが、ひとはそれを《嘘》とみなす。言葉の失敗のほうを言葉の本質と捉えてしまうのである。こうして因果律はあやしいものとなる。論理はたかだか人間の拵えたルールにすぎないと考えられるようになる。そこから、言葉なしの世界こそ、真の世界という夢想が可能になるのだろう。しかしこれらの言葉が、《運命》として振る舞うならどうか。抗いえぬ《予言》としてわれわれの前に現われるならどうか。カント的な当為（義務）を越えて、《運命》としてわれわれの前にあらわれる言葉がありはしないか。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>言葉の響きを、虚構を可能にする精神の深みには至らぬ、身体のもっとも深いところ、皮膚のもっとも内側で聞くことができるかどうか。そうしてはじめて、人間は、歴史や論理を《運命》として感じ取ることができるようになる。英雄のように抗うのか。それとも帝王のように寄り添うのか。これらの問いがあらわれるのは、ずっと先のことである。論理や歴史が本来の姿であらわれるなら、それらは、われわれにとってもっとも深く激越な怒濤となる。幼児はそれを、自然と、そして自然にまで高められた芸術を通じて学ぶ。子どものころは把握するのが容易だった、論理的必然性と因果的必然性の描く螺旋の中心を見失うことがないなら、運命は、自由と同じほど深く愛することのできる姿で、われわれの前にも現れるはずである。わたしはそれを固く信じているのである。</p>
<div class="post-rl">
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</div>
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		<title>誰が歴史家になるのか</title>
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		<pubDate>Wed, 06 Jul 2011 16:44:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[history]]></category>

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		<description><![CDATA[孤塁を守る高貴な人たちがいる。国際的にも国内的にも、孤塁を守る人たちが、大群をなしているひとたちに閉鎖的といわれ、無防備なまま開放させられる。そんな社会になりつつあるようにみえる。辺土で大切に守られてきた、あるいはなんら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>孤塁を守る高貴な人たちがいる。国際的にも国内的にも、孤塁を守る人たちが、大群をなしているひとたちに閉鎖的といわれ、無防備なまま開放させられる。そんな社会になりつつあるようにみえる。辺土で大切に守られてきた、あるいはなんらかの偶然でひとの手に触れられず、かろうじて残されてきた熱が食いあらされる。情報がネゲントロピーだとするなら、なんという逆説だろうか。情報という言葉がますますエントロピーの増大に手を貸すような、そういう事態。</p>
<p>史料の向こう側、あるかなきかの明滅をつづける人の生を追い求める者たちは、現代の偶像崇拝と罵られる。この悪態はなるほどいくらか正当なものだが、一方で、この罵倒の主は、史料の痕跡を痕跡のまま、たえず読解可能な状態に留めおくフェティシストたちに足をとられることになる。テクストの起源をたどらず、ただテクストにこだわることが、フェティシズムではないとしたらなんであろう。偶像崇拝でもフェティシズムでもない。そんな生を、ふたたび歴史が捉えるのはいつのことか。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>偶像崇拝とフェティシズムのあいだに、あえて足を滑り込ませ、テクストのなかで戯れ、どちらをも選ばぬ態度を取りつづける。脱構築やトランスクリティークといわれるこのような批判的態度は、わたしには哲学にはみえない。哲学は、本来的にそのような問題構成を選ばない。二者択一の手前で進退窮まったら、哲学者は問いを立て直すことを選ぶ。なにものかの背後にある起源なき起源、物自体に括りつけられて均衡する二者択一の前で、あとは運命を当事者の天分に任せるような理論は、理論とはいえない。</p>
<p>韜晦しつつ、あるがままの世界の《かわりに》提示される地図。ひとの世界を疑うことで見いだされる、高等批評家向けの歴史。こんなものは捨てねばならない。われわれの生は、地図の存在しない、歴史ならざる未踏の地を歩くときに、はじめてその名でいわれる。なぜなら、生は、たえず一番新しいからである。生を歩む者はおのれとともに矢に似た徴を感じている。彼はそれを《言葉》と呼ぶ。</p>
<p>重要なことは史料でもテクストでもドキュメントでもない。《言葉》であり、生である。われわれが歴史になにがしかの可能性を見いだすのは、原理的にいって、ひとがもう死んでしまったと思いなしている歴史に、生の息吹を感じているからである。けっしてそれはテクストとして凍結されるのではない。過去の《言葉》が、変転する現在の作用に参入し、おのれの姿を変身させるだけの力を、いまだ保持している。だからこそわれわれは史料を読む。過去の書物を読む。けっして、固定し凍結しようとすることでは、史料の真の姿はどうしても現われない。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>彼もまた地図に触れ歴史とかかわる。ただし、たどるのでも紐解くのでもない。子どもたちが捨て去るための地図を描き、子どもたちが乗り越えるための歴史を作る。破り捨てられるための美しい地図や歴史もあるのだ。彼は子どもに未来を強制しはしないが、子ども任せにもしない。進むべき方向を示しさえする。暗示であったり、比喩であったり。いわば矢に似た徴をまき散らす、たとえ子どもが反発したり、気づかなかったりすることがあったとしても、彼は倦むことがない。彼は孤独である。地図と歴史の破壊者として、すくなくともそこになんの貢献もしない余計者として、誹りを受ける。</p>
<p>ひとはますます、孤独でいるひとを社会という言葉で集団のなかに巻き込み、孤塁を守るという言葉の意味を理解しない。それでもなお孤塁を守る者は精神異常者とさえいわれる。今日風にいえば、失業者だろうか、似非心理学者からすると、彼らは精神異常の予備軍である。彼は孤独を願い、ひとは彼を集団に招き入れようとする。ひとは理念を、たどりつけぬ彼方に打ち立てておいて、そうした弱い理念のために組織論が必要だと考えるようになる。そしてそれをときに社会とさえ呼んでいる。孤塁を守る者はますます孤独を希うようになる。自分の孤独のために連帯すべきは、ずっと古い世代と、自分の次の次の世代だと考えるようになる。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>歴史家とアーキヴィストの仕事は異なる。高等批評家の懐疑によって作り出されるものでもなく、過去の遺物を墨守することでもない、真の歴史に携わる歴史家は、歴史を語るというまさにそのことによって、歴史を残す。古い歴史を知らず、それゆえかえって身動きのための余白をもち、その余白において歴史を作ろうとする者によって生み出される人の生こそが、真の歴史である。アーキヴィストの仕事に感謝しつつも、しかしときには史料さえ超えて語ることを恐れてはならない。歴史を自分なりにアレンジして語ることが、かえってテクストをばらばらの断片にしてしまうのだとしても、かえってそのことゆえに、よりいっそう、それは歴史的なのである。そういう歴史はどこにあるか。偶像崇拝でもフェティシズムでもない微妙な領域、いうなれば想像と博学のあわいに、否、むしろその彼方に、歴史の領域がある。そこは余白といわれる。この余白は、またの名《超越》である。</p>
<p>（われわれは、もっと《超越》について、真摯に思考する必要がある。真の正義の世界の実現のために、勝手気ままな、しかし逼迫した思考が捧げられねばならない。偶像崇拝は別に《超越論》を遠ざけていないし、フェティシズムも《超越論》は歓迎するだろう。彼らが知らないのは、本当の意味での《超越》である。）</p>
<p>人間が地図や歴史といった史料を《超え出る》とき、彼はもはや人間ではなくなっている。偶像崇拝とフェティシズムのあいだで、観念論と経験論のあいだで、ロマン主義と自然主義のあいだで思考することを強いられている《人間》は、もうそこにはいない。そこにいるのは来るべき人間、すなわち《子ども》である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>経済的にも社会的にも追いつめられた若者たちが、アーキヴィストたることを強いられている。わたしはその状況を苦々しく見つめている。歴史を語るとは、ときには史料を改変してさえ、語る勇気である。史料がなにをおいても貴いものであるからこそ、それらは語り改変する勇気を要求している。そのことが彼を孤独にしても、それによって彼は歴史を作るひとになる。偶像崇拝とフェティシズムを乗り越えるために、若者は史料を変え歴史を変えなければならない。</p>
<p>歴史のテクストをばらばらの《言葉》に改変する勇気を、社会が若者たちに認めている。それがおそらくはよい社会の条件だったはずだ。真に自由な社会において、大人たちが作り上げた不動のテクスト、しかしそれは未来永劫同じ姿のまま凍結され守られるべき痕跡というよりも、さらなる自由な社会のために、子どもたちが自由に改変可能な素材である。あえて煽動的な言い方するなら、なぜ歴史家たらんとしていた若者が、アーキヴィストが用意してくれた古いテクストを自由に読む権利を保持しながら、ほとんど不動のまま守りつづけるという、老いぼれた仕事に従事しているのか。それは若者が担うべき仕事だろうか。</p>
<p>歴史家の卵たちが、史料を自由に読み解く勇気をもつことができないでいる。四方からの非難を恐れない勇気を、誠実と自ら任じる者こそ持たねばならないのに。テクストを守ればフェティシストと呼ばれる。テクストの向こうに歴史を描けば偶像崇拝と呼ばれる。テクストから足を踏み外せば修正主義者と呼ばれる。この袋小路のなかで、若者は歴史を変えるための亀裂を、新しい空気の入ってくる隙間をみつけることができない。歴史は解釈するのではない。変えなければならない。それがマルクスの一番美しい言葉のひとつである。歴史を作る者は、子どもたちのために仕事をしない。むしろ、大人の遺物をやすやすと咀嚼し変形する子どもとは、自分自身であると心得ている者が、歴史を作る。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>大衆に迎合することなく、真の人文学のために先人が残した孤塁を守るものこそ、一歩前へ足を踏み出してほしい。テクストがもっている亀裂を押し広げてほしい。先人たちは、じつはそうして孤塁を守ってきた。つまり、テクストを《言葉》に分解することで、不思議に孤塁は守られてきたのである。一番美しいと思える生のために、過去を活用することができるかどうか。わたしは前に進むと称して同じところを回る、迎合する者を愛さない。むしろわたしは孤塁を守る者を愛する。しかしその高貴な者たちこそ、前に進む選択肢を選び取ってほしい。</p>
<p>痕跡を解釈するのでもなく、痕跡をひたすら守るのでもなく。痕跡を捨てること、すなわち歴史を変えること。過去に対して真摯で誠実な者たちこそもたねばならないこの勇気を、わたしは若者たちに与えたい。すなわち歴史を語ることによって歴史を残すことを、どうか選びとってほしい。</p>
<p>老いぼれた子どもたちよ、いったい誰が歴史を作るのか。未来の子どもたちとは、自分自身であるという悟りが、われわれには必要なのだ。</p>
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		<title>時について、若干の考察</title>
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		<pubDate>Sat, 12 Dec 2009 14:24:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<description><![CDATA[天から降りてくる無数の雫。漏斗としてのわれわれ(1)は、そのいくつかはあふれさせながらも、いくつかを受けとめることに成功した。受け止められた雫は滞留しながら中心に向かってゆっくりと流れ、次第に速度を増して大地に落ちるだろ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>天から降りてくる無数の雫。漏斗としてのわれわれ<sup><a name="p01" href="#n01">(1)</a></sup>は、そのいくつかはあふれさせながらも、いくつかを受けとめることに成功した。受け止められた雫は滞留しながら中心に向かってゆっくりと流れ、次第に速度を増して大地に落ちるだろう。その雫は、もうかつての雫ではなかった。しかし、大地に落ちた無数の雫と混じり合い、ふたたび上空へと舞い上がるのだ。このプロセスは、おそらく無限に繰り返される。否、無限という言葉は正確ではないかもしれない。有限を超えたところに無限が、無限を超えたところにまた有限が。そしてまた有限を超えたところに……。</p>
<p>有機体は、こうした循環のシステムをある程度自分のなかに実現する（たとえば生殖機能として）。しかし、有機体が有機体であるのは、有機体自身がもっと高次の循環システムに所属するかぎりにおいてである。そのことを知らなければ、有機体は未然の有機体、すなわちドラコーン・ウロボロス（自らの尾を飲み込む蛇）かサトゥルヌス（クロノス、子を食べる親）となるほかない。そして、結局のところ、あらゆる有機体のイメージは、すべてこのドラコーン・ウロボロスに終わる。たとえば、論理実証主義者を当惑させた嘘つきのパラドックスは、この刹那の怪物と重なりあうだろう。ニーチェの「噛み切れ！」の声は、ここにおいて聞こえてくる。超人は、高次の有機体を自らのうちに特別な形で――すなわち、《精神》において／として実現する者である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<blockquote>
<p>彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹き付けていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。</p>
<p class="post-r">ヴァルター・ベンヤミン「歴史哲学テーゼ 第９テーゼ」<br />（浅井健二郎・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション１ 近代の意味』所収）</p>
</blockquote>
<p>われわれは、高次の有機体におけると、有機体であるわれわれ自身におけるとで、異なる時間を有する。驚くべきことであるが、未来から到来して束の間の現在をなし、そして過去に流れ去ると思われる時間は、われわれ（＝現存在）のなかでは、奇妙に反転している。惜しくも、ハイデガーはこれを見落としたが、実際にこれはきわめて重要な点である。外からやってきて、われわれに受け止められた《未来》は、われわれの体内で《現在》となる。その後、まもなく時間は体内で《過去》となる。そうした時間が表出されるときになって、その《過去》は《未来》となる。しかし、その《未来》は、われわれの外では《過去》として振舞う。つまり、順を追っていけば、未来⇒現在［現在→過去→未来］⇒過去という時間の流れがある。ヴァルター・ベンヤミンは、「歴史の天使」を過去だけを見つめて後ろ向きに未来に飛ばされる姿として描いた。歴史の天使とは、いわばわれわれの体内を通り抜ける時間である。われわれの内部で、天使は未来に背を向け、瓦礫としての過去を遺していく。楽園からの風、あるいは時の雫の流れは、やむことがない。歴史の天使は漏斗としてのわれわれをすりぬけ、じきにわれわれの目の前を過ぎ去っていくだろう。そのときには、おそらく彼はこちらに背を向けているにちがいない。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>カントの《先験性／アプリオリテート》や、フロイトの《トラウマ》は、事実上、事後的に構成された過去である。しかし、これらの概念は、時間的に異なる順序で現れるものを不当に逆立させている点で、彼らがいかに自覚的であったとしても、いささかトリッキーである（それはヘーゲルの「精神」においても同様である）。通念的には考えることが困難でも、現存在としてのわれわれにおいて、過去は、現在より後にやってくると考えたほうがよいのである。つまり、歴史は、現在が現在から構成する過去であり、それらの過去は、構成されるということによって、不可避的に過去とは異なるもの、すなわち未来となる。現存在であり漏斗であるわれわれが摂取した「歴史の天使」は、われわれに過去の残像を見せながら、未来として排泄される。</p>
<p>われわれは、ここでオヴィディウスが伝えた神話を思い出す。パンドラの箱がすべての災厄を吐き出したあと、大地を狂乱が覆い尽くす。ゼウスは大洪水を起こして人類を死滅させようとする。しかし、そこに一組の男女が残った。記憶の神プロメテウスの子デウカリオンと、忘却の神エピメテウスの娘ピュラである。荒廃した大地だけを残して仲間を失い、涙に濡れ、悲しみに打ちひしがれる彼らに、ひとつの神託が降りた。「神殿を出でよ。頭をおおって、帯で結んだ衣を解くように。そして大いなる母の骨を背後に投げよ」。忘却の神の娘、美しく誠実な女、ピュラはいう。母親の魂を傷つけるなどできない。デウカリオン。「大いなる母」とは「大地」のこと、「骨」は大地の「石」のこと……。彼らは神託を実践する。彼らは大地の石を拾う。しかし、それはやはり母の骨であった。背後にうち捨てられた母の骨は、次第に肉や血管をまとい始め、ついには人間の姿となり、かくして、彼らはそれ以後生まれた人間の父母になった。つまり人間は、記憶と忘却の子。……</p>
<p>瓦礫を見つめる歴史の天使は、その背後に未来があることを知っている。デウカリオンとピュラの二人に訪れたのは、ベンヤミンも発見した「歴史の天使」であると考えて、おそらく間違いない。彼らは、荒廃した大地、すなわち過去をみつめ、そしてその背後に未来を作り上げる。骨であり大地の石ころでもある母の記憶を捨て去ることによってである。彼らが棄てた過去は、子供に、すなわち未来へと生まれ変わるのだ。この神話は、先に述べた時間の流れとまったく矛盾しない。漏斗であるわれわれは、現在が蓄えた過去を吐き出すことによって、それを未来に変えるからである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>ここにひとりの風変わりな古文書学者がいる。古文書学者である彼は、かつて、砂浜に書かれた「人間」という文字が、波にさらわれ、いつしか消え去ってしまうことを善しとしていた（彼はあのハイデガーに似ていたが、その点ではハイデガーより優れた哲学者であった）。砂浜にコンクリートを流したり、文字を深く刻み直したり、写真を撮ったりして、手を変え品を変え「人間」という文字を保存しようとする本来の古文書学者とは、まるで異なっていた。彼は、大笑いの準備でもするように、「人間」という文字が消え去ってしまうことを、いまかいまかと待ち構えていたのだ。彼は、肯定的な忘却があるということを知っている。……</p>
<p>この古文書学者の行為として、もう一度上で述べた複雑な時間の流れを追っていこう。数十年間眠ってたったいま目覚めた彼は、「人間」と書かれた古文書を探している。いまではもう、「人間」はいなくなってしまったからだ。はたして「人間」が存在していたのかどうかさえ定かではなく、多くのひとは、「人間」は昔のひとが拵えたなにか架空の存在なのではないかと疑いさえしていた。だが、彼は「人間」がいたことを信じきっている。今日はありつけなかったが、明日にはそんな古文書が出てくることを期待してやまない。翌朝、父親が残した古い書庫をあさっていると、あやしげな文書を見つけ出した。彼はそれをみてこみ上げてくる笑いを抑えきれない。もしかすると「人間」と書かれているかもしれない！　狂喜乱舞したのも束の間、ただちに文書の読解に没頭した。あまりに断片的で、彼はそれを試行錯誤して纏め直さなければならなかった。彼は注意深く、自分のなかから「人間」のイメージを取り除き、その文書から読みとれるイメージを、できるだけ素直に、そしていろいろに思い描いた。そして文書は、彼の手の中で、ついに「人間」の形に纏め直された。《人間はいた！》　彼は我慢していた狂喜を爆発させる。そして語る、《それはわれわれの可能性だ！》……。</p>
<p>彼は、いまも書庫をあさっているが、もう「人間」は探していない。別の存在を探している。たとえば、「超人」とか……。彼にとって、「人間」はもう、過去の産物である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>風変わりな古文書学者が探していたテクストに今日はありつけず、明日出くわしたからには、あきらかにそれは《未来》からやってきたのだろう。彼は彼の《現在》のなかで、そのテクストに没頭しながら、《過去》を作り出した。そしてそれをついに完成させたとき、それを「可能性」として、つまり《未来》として論じたのである。しかし、その彼は、いまはもう、別のテクストを探している。彼が論じたテクストは、もう《過去》のものである。</p>
<p>つまり、時間は、どう考えても、未来⇒現在［現在→過去→未来］⇒過去として流れたのである。そしてこの時の推移は、どのような古文書学者／文献学者／歴史学者であろうと、本質的に同じである。彼らの視線が、「過去」を現在のあとに作り上げるのだ。漏斗によって遅延させられた時間は、その速度の変化によって、外界に対して反転した時間を実現する。前方で同じ方向を向いて走っている車を追い越した時、その車輪が反対方向に回っているように見えるのと同じことである（付記しておくと、真空中を最高速度で飛び交う光の粒子がなんらかの仕方で《遅延》を実現するとき、一種の時間的逆行を実現する。質量や色彩が生じるのはそのときである）。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>過去とはなにか。それは程度の差はあれ、本質的に忘却である。というのも、想起によって現在に再現（represent）することでしか、現れないからである。つまり、《記憶》は、それが体内に蓄積されているとしても（あるいは紙や石版に定着した人為的な蓄積であろうと）、それが表皮を超えて入ってくる瞬間（つまり体験の瞬間）と、表皮を超えて外へ出て行く瞬間（想起の瞬間）にしか、意識されないのである。フロイトは、この忘却を「精神」と呼んだが、歴史家もまた、この忘却を「精神」と呼ぶ。「精神分析」は、その名と裏腹に、忘却を「精神」として総合するものである。同様に、歴史家は、複数形の人間を対象に、忘却を歴史として総合する。</p>
<p>想起によってかつての体験が再現される、とひとがいうとき、それは暗黙に過去の体験と現在の想起とのつながりを想定している（カント風にいえば、忘却は想像力を悟性に従属させることによって取り除かれ、像は概念と総合される）。しかし、この想定は、どうしても保証されえない。というのも、それらをつないでいるのは、実際には《忘却》だからである。ニーチェは言っていた。「忘却。――忘却が存在するということは、まだ証明されていない」。また忘却を、「われわれの力の割れ目」と呼んでいた（『曙光』第二書）。</p>
<p>したがって、それを「再現」（あるいはフロイト的にいえば「回想」）と呼ぶことは、現実に即しているとはいえない。むしろ、想起によって再現されるのは、もとのものとは致命的に異なるものなのである。すなわち、われわれは、《過去》を再現するのではなく、《過去》を《未来》として到来させるのである。それだから、むしろ再現させようとすることが、神経症者の「反復強迫」かえって強めてしまう結果を生む場合があるはずである。ドゥルーズとガタリがフロイトを批判し、「分裂病分析」を提唱したのは、おそらくこの観点からであろう。</p>
<p>同じことが、歴史についてもいえる。歴史家の意識がどうあろうと、現実には、テクストから過去を再現するのではない。むしろ、テクストから「過去（についての現在）」を「未来の可能性（＝未来についての現在）」として到来させるのである。というのは、真の過去とは、徹底的な（高次の、より完全な）忘却だからである。この観点からみるかぎり、「テクストの外部はない」と指摘することはあまり意味をもたない。意味をもつとすれば、テクストが現在に対して過去を開示するという常識的で暗黙の（アプリオリな）了解を批判する場合だけである。だが、元来、テクストは過去ではなく、現在に所属している。テクストは媒体の酸化速度に応じてたえず現在にあり、そのかぎりでテクストはわれわれとともに世界を構成する一部分だからである。したがって、われわれはこう言わねばならない、「テクストはわれわれとともに外部にある」。テクストの外部はない、という言い方は、結果的にはテクストから得た思考を内面化する――というか内面を作り出す傾向しか生まない。むしろ、過去を現在に再現すると確信している実証主義者のほうが、（実証主義者の思ったとおりにではないとしても、またこの無自覚さが別種の問題を引き起こすことは確かであるとしても）結果的には実践的な意味を有するのである。</p>
<p>いずれにしても、こうした観点によるなら、歴史家もまた、その立ち位置を変えざるをえない。ミシェル・フーコーは、「砂浜に書かれた人間」という概念を提唱していた（「人間の死」よりもこちらのほうがよほど重要な概念である）。このテーマは、『言葉と物』以降、あまり取り上げられることはなかったが、フーコーの描く社会は、つねに、こうした高次の忘却、ドゥルーズ風にいえば「水漏れ」<sup><a name="p02" href="#n02">(2)</a></sup>を可能性として有していた。</p>
<p>いかにして、生産的に記憶を捨て去るか。未来の人文学者の課題はまさにこの点にこそある。記憶は蓄積されるのではない。滞留している（蓄積という考えには国家主義的な屈折がある）。たとえば、いまも消滅のプロセスを歩んでいるパルテノン神殿は、《永遠》の死であり、墓標である。しかし、だからといって、ロマン主義的な死は、自らの肉体のことを省みていない点で、もっとも醜いものだ。むしろ、たえず死を死んでいる、かの神殿は、そのことによって現にいまも生きているのである（死は生の否定ではない）。それは、この神殿の存在に不朽の価値を与える。ウィリアム・バトラー・イェーツが周の大公にうたわせた詩のとおり、われわれは、これを過ぎ去るままに過ぎ去らせねばならない。かけがえのない（差異としての）瞬間はつねに純粋な差異としての瞬間である。……</p>
<p><a name="n01"></a></p>
<h2>【註】</h2>
<ul>
<li class="note"><a href="#p01">(1)</a> 有機体の漏斗イメージについての考察は<a href="http://www.fragment-group.com/kiotanaka/history/1387.html">「彼岸の快感原則（フロイトに寄せて）」（2009年12月10日）</a>を参照のこと。この漏斗イメージは、フロイトが「快感原則の彼岸」で考察した小胞イメージを批判的に継承したものである。</li>
<li class="note"><a href="#p02" name="n02">(2)</a> ドゥルーズはフーコーについてこう論じている。「ここに私たち〔ドゥルーズとガタリ〕とフーコーをへだてる違いのひとつを見ることもできるでしょう。つまりフーコーにとって、戦略でがんじがらめになった閉域が社会であるとしたら、私たちが見た社会の領域はいたるところで逃走の水漏れをおこしていたのです」（宮林寛『記号と事件』310頁）。この観点は、より地理学的であったドゥルーズとより歴史学的であったフーコーの差異を考慮しなければ誤解を生む。フーコーが、時間的な概念である「未来」に社会の「水漏れ」の可能性を見ていた時期はたしかにあったのであり、それが《砂浜にあって波間に消え去る人間》のイメージなのである。したがって、フーコーの晩年の時間的な移動（19世紀から古典期へ）は、ドゥルーズにおける分散的な時間移動よりももっと重要な意味を有する。ドゥルーズにおいて、時間は高度に空間化されており、フーコーにおいて空間は高度に時間化されている。</li>
</ul>
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		<title>彼岸の快感原則（フロイトに寄せて）</title>
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		<pubDate>Wed, 09 Dec 2009 15:55:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<description><![CDATA[フロイトは有機体をモデル化する際、刺激受容体としての未分化な小胞のようなものを原有機体として採用した。このモデルにおいて表皮は「刺激保護」＝感覚器官をなし、表皮を透過した刺激は内部に痕跡として蓄えられていくことになる。そ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>フロイトは有機体をモデル化する際、刺激受容体としての未分化な小胞のようなものを原有機体として採用した。このモデルにおいて表皮は「刺激保護」＝感覚器官をなし、表皮を透過した刺激は内部に痕跡として蓄えられていくことになる。そこでは、時間は、蓄積された記憶痕跡（時間性を欠いた）と時間とともに消え去る感覚（傷）との対立的な（質的な）差異として捉えられる。そこにあるのはクロノスの時間である。未来から現在に到来し、現在から過去へと消え去る時間イメージは、広大無辺の無意識の領域に蓄えられてゆく。それもすべてが蓄えられていく。こうして蓄積された原時間とでもいうべき記憶痕跡は、「想起」（再現）によって、定期的に（事後的に）時間的な秩序、すなわち《過去》を与えられる。</p>
<p>この想起に失敗し、反復強迫を促す場合もある。過去が現在にあわれること、それは病である。ここから生の欲動（エロス）と死の欲動（タナトス）という二元論が推定される。エロスにもとづく有機体と、タナトスにもとづく無機物の対立過程として、生命体は把握される。したがって、これは歴史のモデルでもある。われわれは、テクストに蓄積された記憶痕跡をできるかぎりすべて、しかも完全な形で保存しようとするだろう。この無時間的な世界に蓄積された書庫をひっくりかえし、過去を再現representすることで秩序を与えるのが、歴史家の役目である。フロイトの精神分析は、原理的には人類に対して歴史家の行なう仕事と同じである。また、言葉は、内部に蓄えられた意味と外部表象の結合体として理解される。言葉に隠された意味を解釈し、意識化することが、歴史家＝精神分析家の仕事である。この歴史家は、忘却を否定する。というより、忘却は存在できない。忘却はあくまで一時的なもので、記憶と想起を橋渡す媒介であるにすぎない。彼らは忘却という言葉を好まない。むしろ、それを精神と呼ぶことを好む。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>フロイトの勇気ある探究に敬意を払い、それをさらに推し進めてみよう。とはいえ、無機物と己を分かつ有機体の古いイメージに囚われた小胞イメージは採用しない。われわれは、彼と異なり、一種の筒や管、漏斗のようなものを考える（わたしはここでロバチェフスキーのことを考えている）。あらゆる物体がそこを遅延しつつ通り抜けるのだ（この場合、外から自分に向かって飛んでくる刺激を選別することは不可能である）。したがって、そこを通過する物体を遅延させることはあるとしても、通常は蓄積されない。逆に、漏斗を通り抜ける物体がうまく排出されない場合もある。われわれは、それが無意識を構成すると考えるが、いずれにしても、それらの物質は、なんらかの形で変容を被りつつも、最後には排出されざるをえない。時間は、この物体が被った遅延によって構成される。小胞イメージのように、動いているものと動かないものの対立的な差異が時間をもたらすのではない。むしろ、漏斗を通り抜ける物体と外部の物体の速度の（量的な）差異、というか差分商として時間は理解される。そして、有機体と無機物の差異もまた、この速度の差異によって理解される。無機物は止まっているのではない。われわれが有機体とみなしているものの速度に対して、無機物それ自体があまりに早い速度をもっているため、止まっているように見えるだけである（われわれはわれわれと同じような速度をもっているものほど、それを有機体とみなしている）。</p>
<p>ここでの時間は、アイオーンの時間となる。われわれの中を物体が通り過ぎているとき、それが現在をなす。というより、漏斗としてのわれわれの存在そのものが、現在である（ハイデガーの現存在を意味すると考えて差し支えない）。これからそこをいままさに通過しようとする物体は現在についての現在であり、そこを通過している物体は過去についての現在である。そしてまさにそこを通り過ぎようとする物体が未来についての現在である。そして、未だそこを通り過ぎてもいない物体は真の未来をなし、もうそこを通り過ぎてしまった物体は真の過去をなす。それらはわれわれの外にあって、認識不能である（それらがそれとして認識不能なことは重要ではない）。このことからするに、知覚‐認識システムとは、ミクロ化された物体の摂取と排泄のプロセスを指す。高次の現在において、時間は現在から過去へ、過去から未来へと流れる。漏斗上では、「事後性」や「アプリオリ」のようなトリッキーな概念は必要がなくなる。事実上、過去は現在の後に訪れる。ここに、生の欲動と死の欲動の質的な対立は存在しない。生の欲動とは、遅延した死の欲動であり、要するに生は死の遅延や迂回である。いかにして遅延を実現するか、という生にまつわる問いは、死となんら矛盾しない。漏斗であるわれわれのなかで、死に向かう直線は曲がっている。この屈曲が生である。</p>
<p>そしてイデアとは、この漏斗そのもの、すなわち高次の現在を指す（だから超越論的統覚は必要ない、イデアで十分である）。物体が漏斗としてのわれわれを通りぬけるとき、物体は変容をこうむりつつも、この物体の形に応じて、われわれの漏斗そのものも変化する。たとえば四角いものが漏斗を通れば、漏斗は四角くなる。丸いものが通れば、丸くなる。《イデアとしての蝋》がまだ柔らかければ、そこに流し込まれた液体の熱が、蝋の形自体を変えてしまうことは、よくあることだ。しかしわれわれは硬い蝋を実現すべきである。液体はいずれ流れ去る。ただし、入ってきたときとは、別のものになっている。これをわれわれは想起と呼び、そして同時に忘却と呼ぶ。</p>
<p>いたるところで水漏れを起こしている漏斗としてのわれわれは、いわば空虚（ケノン）を内側にもった物体である。この空虚は、世界とつながっている。よって世界そのもののことである。われわれはこのようにして空間と物質を同時に実現している。この空間を通りぬけるのが時間であり、したがってわれわれは空間と時間とを内部に実現する肉である。この漏斗イメージは未来の歴史家／人文学者のイメージでもある。この歴史家は、忘却を肯定するだろうし、プラトンのイデアシステム（記憶‐想起システム）を、忘却にもとづく差分（シムラクラ）の発生装置として理解する（ソクラテスは文字とは忘却装置だと言っていた）。そして、《精神とは、この忘却のことだ》と指摘するだろう。現にわたしはそうしているし、あなたもそうしているのである。よく忘れるひとだけが、よく想い出すことができる……。</p>
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		<title>実証主義と言語論的転回、または不在の《竜》たち</title>
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		<pubDate>Fri, 16 Oct 2009 04:14:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[history]]></category>
		<category><![CDATA[Dragon]]></category>
		<category><![CDATA[Historical Pyrrhonism]]></category>
		<category><![CDATA[Kleist]]></category>
		<category><![CDATA[Linguistic Turn]]></category>
		<category><![CDATA[Nietzsche]]></category>
		<category><![CDATA[positivisme]]></category>
		<category><![CDATA[高貴な精神]]></category>
		<category><![CDATA[軟体動物としての理性]]></category>

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		<description><![CDATA[今日、哲学の世界でも、歴史学の世界でも、そして文学の世界でも、幅を利かせているのは一種のピュロン主義者たち、すなわち判断中止（エポケー）学派の群れである。たとえば、柄谷行人は教える、判断中止こそ、彼のいう「他者」へ至る至 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今日、哲学の世界でも、歴史学の世界でも、そして文学の世界でも、幅を利かせているのは一種のピュロン主義者たち、すなわち判断中止（エポケー）学派の群れである。たとえば、柄谷行人は教える、判断中止こそ、彼のいう「他者」へ至る至高の道のりである、と。人間は、顔と顔を付き合わせてお喋りしているのではない。むしろ、背中合わせになって、お互いについての議論を講じているのである。</p>
<p>こうした議論は、二十世紀後半には、《言語論的転回》と呼ばれてひとに影響を与えた。わたしにとって、この議論は驚異であった。言葉が、ついに出来事にはたどり着けないという、この絶望は、わたしの心底にあった、そしてわたし自身が気づいていなかった重要な部分を揺るがした。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>あらゆる思想家が最初につきあたるのは、真理ではない。真理に対する懐疑である。真理など、本当は、存在しないのではないか？　レネ・デカルトがよい例だろう。真理が「多」の形で現れているかぎり、それはあまりに真理とはかけ離れた醜いものだからである。</p>
<p>それにしても、ひどいものであると思う。真理へと向かおうとする思想家は、のっけから真理への懐疑を実感する。思想家と呼ばれる連中が、いかに努力や辛抱というものから縁遠い存在であるかが、この事実からもよく理解できる。しかし他方で、思想家は、目的地にたどり着くか知れぬあやふやなこの道にしがみついていなければ、生活の手段を失う。自分の歩む道のどこかに、真理は必ず落ちているという信念を抱かざるをえない。そうでなければ、商売のタネを失ってしまう。隣人に、「今日はお出かけですか？」と尋ねられて、「散歩です」、という回答が許されてきたのは、彼が思想家だったからである（逆に言えば、《散歩です》と答えておけば、思想家という人種は不審がられることはないし、またかえって尊敬されさえもした――「それはご苦労様です」という具合に）。</p>
<p>しかし、《言語論的転回》は、わたしの眼前に広がっていた世界を一変させた。わたしの「散歩」が隣人に許されていたのは、その道のりが惑星の軌道のように出鱈目なものであろうと、とにかく、いずれは真理へとたどりつける、ということが担保されていたからにほかならない。貧しいわたしにとって、真理への意志だけが、わたしの資本だったのだ。だが、これからはもっと後ろめたいものとなるだろう。「散歩です」と答えながら、内心に浮かぶ、《といっても、目的なんてないんですがね》という言葉をぐっと飲み込まねばならない。わたしはこのとき、精神的な失業者となり、その代わりに、本来ならもっとも縁遠かったはずの皮肉屋になった。道のりの出発点ででくわした、あの冷酷な《懐疑》のほうが、正しかったのだ。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>ハインリヒ・フォン・クライストという作家がいる。彼には、きわめてカント的な、犯人が当の犯罪の裁判官を演じる羽目に陥るという主題をもった傑作、「こわれ甕」という作品が存在している。わたしはこの作品が好きだった。彼は言っている。</p>
<blockquote>
<p>少し前に私はカントの哲学を知りました――私はあなたに今そこから一つの思想をお伝えします、これが私同様にあなたを深く、痛々しく揺り動かしはしないかと気遣わずに、お伝えしなくてはなりません。――私たちが真理と呼んでいるものが真実に真理であるのか、それとも私たちにただそう見えるだけなのか、私たちはこれを決めることができません。後者ならば、私たちがここに集めた真理は死後にはもうありません。そして、私たちに墓場のなかにまでつき随ってくる所有物を獲得しようとするすべての努力はむなしいものです。――この思想の先端があなたの心臓に当たらなくても、それによって最も神聖な内なるものにおいて深く傷つけられたと感じている他人を笑わないでください。私の唯一の、私の最高の目標は沈んでしまいました、私はもうなに一つ目標をもっていません。</p>
<p class="post-r">ニーチェ『反時代的考察』から再引用</p>
</blockquote>
<p>ニーチェは、クライストのこの告白を愛した。クライストのような「高貴な精神の持ち主」にもたらされた《絶望》の反対に、カントの通俗的影響が、ひとに懐疑主義と相対主義をしかもたらさなかったことを憎んだ。懐疑主義とは、さきのピュロン主義者たちを意味する。そして相対主義は、またの名、公共的真実などと呼ばれる。たしかに「多」は醜い。しかし、人間どもは、そもそも醜いものではないか、というわけである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>クライストの時代におけるカントの役割を果たしたのが、わが《言語論的転回》である。このとき、わが《実証主義》は、つまり、わたしの宝石は、粉々に砕け散った。しかし、砕け散るほどの硬さを持たなかった、《われら》の実証主義は、たんに腐食し、醗酵しながら間延びした生を謳歌しているのだから、世の中は不思議である。実際、実証主義がこれほどの軟体動物性を示すとは、思ってもみなかった。驚くべき実証主義は、言語論的転回論者の非難に対して、こう答えるのを憚らなかった。《なにも、われわれの示す真理が恒久の真理などというつもりはない、われわれは、なによりも公共的な同意こそが必要だと思っているのだ……》。</p>
<p>ご存知のとおり、「公共性」とは、カントに淵源する概念である。実証主義とカントの癒着？　――結局、この事実は、次のことを示しているように思われる。言語論的転回論者が敵だと思っていた実証主義者は、そもそも存在しなかったということである。わがデリダ、われらの騎士である《言語論的転回論者》は、諦念の洞窟の奥深くにわけ入り、《実証主義》というドラゴンを倒して英雄となった。だが、そもそも、ドラゴンなど、どこにいるというのか。実証主義がドラゴンだった試しなど一度もないし、そもそもドラゴンなどいなかったのだ（実証主義よりも、まだ《神》のほうがよほど確かな概念である……）。</p>
<p>構築主義にしても、脱構築にしても、これほど空虚なものはない。そもそも対象が存在していないのだから。だが、それと同じくらいに、実証主義ほど空虚なものもない。実証主義者など、いないのだから。実証主義者とは、暗黙の構築主義者を意味する。そして、実証主義の看板に隠れながら構築主義を脱臼させ続けているのも、実証主義者である。真の実証主義とは、稀有なものであって、それは、デカルトやヒルベルト、ニーチェやフーコー、ドゥルーズのような人物にこそふさわしい。だが、こうして使い古され、そればかりか腐蝕してさえいる用語を、彼らのような例外的人物に適用するのはあまりにも不用意であろう。おそらく、われわれは、彼らのことを、ただ《竜》と呼ぶべきなのだ。力よりも、なによりその高貴さにおいてひとを圧倒する《竜》、それでいて虚構の生き物である《竜》、またの名、思想家たち……。</p>
<p>われわれが、この悪夢のような循環を抜け出すのは、いったいいつのことになるのか。ひとはいつ、自分が空転しかしていないことに気づくのだろうか。この世にもっとも欠けているのは、あまりにナイーヴで、そして高貴な、クライストの絶望なのだ。</p>
<div class="post-rl">
<p>
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</p>
</div>
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		<title>歴史のエチカ</title>
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		<pubDate>Mon, 07 Sep 2009 01:23:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[history]]></category>
		<category><![CDATA[Carr]]></category>
		<category><![CDATA[Ginzburg]]></category>
		<category><![CDATA[Historical Pyrrhonism]]></category>
		<category><![CDATA[Kyoto-school]]></category>
		<category><![CDATA[Naoya Shiga]]></category>
		<category><![CDATA[text]]></category>
		<category><![CDATA[白樺派]]></category>
		<category><![CDATA[批判]]></category>

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		<description><![CDATA[歴史を生業にする者にとり、過去は偉大である。ときに圧倒的な尊敬の対象である。だから、史料を読むとき、批判から始めることはない。歴史家の前に、過去は問答無用の確信を迫って現れる。《常識》が遠ざけたがる奇妙な記載は、本当に不 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>歴史を生業にする者にとり、過去は偉大である。ときに圧倒的な尊敬の対象である。だから、史料を読むとき、批判から始めることはない。歴史家の前に、過去は問答無用の確信を迫って現れる。《常識》が遠ざけたがる奇妙な記載は、本当に不思議なことだが、かえってそうであればあるほど、事実であることを強く主張する。たとえば、箸墓古墳は卑弥呼の墓であるし、秀吉の一夜城はどう考えても事実である。こうした記載を現在の歴史家が非難しているのをみると、軽い眩暈を覚える。やや強い表現を許してもらえるなら、「君は歴史家としてのセンスを欠いている」、と言いたくなる。厳密に考えれば、歴史家の仕事とは、ありそうもなかったことを証明することである。ありそうもない奇想天外なことを、暗黙のうちに現在の常識に照らして「なかった」などということは、間違っても歴史家の仕事ではない。しかし、多くの場合に当てはまることだが、学者と名の付く連中とは、まずもって疑う種族である。彼らは、若きデカルトよろしく、懐疑という、行為なき行為しか知らない。</p>
<p>どうしても歴史上の登場人物や事件を非難したいなら、自己批判を含む形に限定されなければならない。なぜなら、われわれは、非難すべき記載に結実した他人の事情を、本来的に知りえないからである。また、テクストから実態を引き出すことが許されるとしても、そうして構成された実態は、因果律の原則からいって、テクストに結実した事情を《やむをえないもの》としてしか提示しないからである。そして、歴史とは、その総体が《やむをえないもの》、つまり運命である。ひとはこの運命から逃れることができないし、過去の非難は無意味である。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>自己批判ならざる批判は、多くの場合、世代論に収束する。歴史の対象を非難するにせよ、あるいは先行研究を非難するにせよ、いずれもが世代論である。自己批判を含まない、歴史（学）の対象への非難は、多くの場合、子の親に対する非難（あるいは賞賛）と変わらない代物であって、いっときの慰めにはなったとしても、社会的な価値はほとんどない。世代論は、子の親に対する甘え以外のものではない。その点では、わたしはギンズブルクやカーに反対する。歴史は裁判ではない。歴史は過去を断罪できないし、対話を実現するような異議申し立てもしない。《批判》が密輸入されないかぎり、そこには弁証法の余地はない。歴史が行なうのは、事実上、賞賛と沈黙だけである（しかし、ひとはその状態に満足できないし、歴史は必ず《批判》を密輸入する……）。</p>
<p>批判の対象がたえず自己であるとは、どういうことか。こうだ。戦争中毒からなかなか抜け出せない人類の一員として自らを認め、そのうえで過去の戦争を非難する、ということである。これは、当然推奨される。しかし、このことから、次のことが帰結する。すなわち、その対象は、過去にではなく、現在に所属している、ということである（ここから次の命題が成立する――現在の常識に照らして容認できる記載ほど疑うべきである）。そのため、対象が現在にあるのか、過去にあるのか、という分類にたえず気を配っていなければならない。多くの場合、われわれが過去だと思っているものは、現在である。また、そこから、現在と過去の分岐がどのように行なわれるのか、という哲学的な要素にも、意を注ぐべきだ。現在はどのような時代なのか、というジャーナリスティックな問いにも敏感たらざるをえない。そうした配慮は、結局、われわれを歴史学から遠ざける。批判は、本物の歴史家（たとえばニーチェやフーコーのような）の行為リストのなかに、入っていない。</p>
<p>（ところで、哲学は、歴史と違ってなにを行なうのか、と問われれば、ひとつには、批判を行為に変えること――別の言い方をすると、批判を臨界に立つことにかえること、と答えよう。歴史は、本質的に実験＝実践不能の概念である。自然科学と異なり、対象を実験によって証明することはできない。したがって、歴史を現実に適用するためには、どうしても歴史から離れた哲学が必要である。）</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>そして、政権交代があった。この事件には、多くのひとが、《戦後》の終わりを強く感じているはずである。もはや戦争は、歴史となった。かくて、戦後の終焉とは、歴史学としては、次のことを意味する。戦争協力の名の下に、即座に対象を非難し、断罪することは、もはや許されない。そうした行為が、まがりなりにも自己批判でありえた時代は終わった。逆にいえば、戦争に協力した知識人を非難することが価値をもった時代、それが戦後であった。</p>
<p>たとえば丸山真男や吉本隆明、江藤淳は、そうした時代の中心に位置する人物である。このような時代において、戦争協力を行なった、という事実（その内容がいかなるものであれ）をもとに、対象を規定していく三段論法（循環論法）が容認された。すなわち、こうだ。彼は戦争に協力した。それゆえに彼の思想には戦争に協力してしまうような悪しき要素があったことが仮定できる。したがって、彼のような思想は、ひとが選択すべきではない、悪しきものと判断すべきである（ましてや、彼は高い地位にあった）。そうした思想を抱いていたからこそ、潜在的にも顕在的にも彼が戦争に協力していたことが認定できる。……</p>
<p>もっとひどいものでは、思想のなかから、どのような形であれ戦争協力（あるいは帝国主義やロマン主義）の痕跡を探し当てさえすれば、充分に批判として許容された。そしてあろうことか、近代の歴史は、すべてこうした戦争協力の下準備として解釈される傾向さえ、有した。いずれにしても、当の思想や行為がどれほど謎めいていたとしても、その背後に植民地であるとか戦況であるとか、ともかく実態を持ち出しさえすれば、ひとは胸をなでおろしたものである。ああ、やはり彼も戦争に協力していたのだ、これはそうした狂気に属するのだから、われわれの選ぶべき思想・行為のコーパスから取り除いておけばよい、と。戦前の思想には、異常に複雑な強度があるが、これを神秘主義の名の下に片付け、神秘主義だから狂気であり戦争協力の一端を担ったとする規定は、あまりにたやすく受け容れられた。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>今日では急速に意義を失いつつあるこうした論法は、どのような時代であろうと、本来は許されないはずである。やや物騒な言い方になるが、わかりやすくいえば、こうだ。彼はひとを殴った。つまり彼は悪人であると仮定できる。したがって彼は悪人である（ましてや、彼は高い地位にあった）……。繰り返すが、もし、こうした論法に価値を認めるとするなら、自己批判が含まれていなければならない。その点では、兵士として戦争に参加した丸山真男らは微妙な世代であるが、それよりも重大なことは、当時が、そうした世代論を容認する状況だったことである。というのも、たとえば志賀直哉が公用語をフランス語に変えようとしていたように、上の世代の多くが、新しい世代が日本を根本的に作り変えてくれることを願ったからである。公平な目で多くの事例を紐解くと、少々浅い批判だろうが、戦前の世代はそれを許したようにみえる。</p>
<p>京都学派や白樺派のひとびと、あるいは小林秀雄らを、戦争協力の名の下に一刀両断にした戦中派や戦後派には、今日からみると、どうしても理論的な浅さを感じざるをえない。たとえば、作家としての死を賭けて志賀直哉を批判したような、戦前デビュー組（相当に大雑把な分類だが）である織田作之助や太宰治、あるいは川端康成のような覚悟は、戦後デビュー組にはまったく感じられない。</p>
<p>ここには、思考の空洞というべきものが広がっている。この空洞こそ、戦後である。だが、それは、戦後がもった悲劇でもある。わたしはその意味では、彼らを批判しない。ただし、こうした古い思考が無条件に賞賛される《現在》があるとしたなら、それは強く非難されねばならない。というのも、そうした賞賛（裏返しの、安易な戦争協力批判）は、世代論に回収されるような、より遠い過去を見る際の怠慢しか生まないからである。しかし、あろうことか、今日では、こうした空洞になんらかの意味を見つけて空洞を広げ続けるような、滑稽な悲劇が瀰漫しているのを見るばかりである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>P.S. ありうべき誤解を避けるために一言しておく。わたしはアナキストであって、左翼ではない。しかし、左翼に同情的である。だからこれを書いている。どうか、彼らが、こうした時代感覚を持たんことを……。</p>
</p>
<div class="post-rl">
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		<title>唯物論的な歴史学</title>
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		<pubDate>Sun, 31 May 2009 12:08:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<category><![CDATA[ファントム]]></category>

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		<description><![CDATA[文献学者が日々量産しているカント主義観念、すなわち原因―結果の観念は過去をどんどん遠い彼方へと送り返している。なぜなら、原因とは、結果ではないからだ。原因と結果の両者は手をつないで、交わることなく、弁証法という名の楕円を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="post">
文献学者が日々量産しているカント主義観念、すなわち原因―結果の観念は過去をどんどん遠い彼方へと送り返している。なぜなら、原因とは、結果ではないからだ。原因と結果の両者は手をつないで、交わることなく、弁証法という名の楕円を描く。天才ヒュームが一度はほどいたこの原因と結果の紐帯をカントが結び直した時、かくして過去はもうわれわれの前には姿をあらわさなくなってしまった。過去は地中奥深くに沈みゆき、つねに諸原因の結果であるところの現在がふたたび原因を規定するという悪夢のような循環のなかで、世界は日々閉塞の度合いを強めてゆく。しかし思えば子供時代、わたしはいつも、地中で集くこおろぎを聴いた。闇を集めて集くこおろぎの集きが、闇を掴むことのできるものにした。こおろぎの鳴く声は姿とひとつであった。
</p>
<p class="post">
われわれは、いまもこおろぎの集きを聴く。だが、その姿はみかけない。たまに見かけても、その姿が声の主だとは信じない。形を失ったファントムのように、声だけが当たりに散乱しているのをいつも聞き流している。子供時代には知っていた声の物質性をわれわれは信じられなくなってしまったのだ。
</p>
<p class="post">
だが、子供は知っている。その鳴き声のある《ところ》に姿があるのではないことを。そうではなくて、その鳴き声こそが、姿なのだ。だから彼らは容易にこおろぎをその手に捕らえることができる。文献もまた、同じことだ。文献は、過去の《原因》を伝える《結果》ではない。文献を紐解く、とは、まさに、ヒュームがそうしたように、原因と結果の観念から自由になることだ。つまり、われわれが文献を紐解くとき、そこにまた新たな歴史が生起するのだ。歴史は何度も繰り返す。といっても、抽象化されてしまった出来事の残滓が現在に再現されるのではない。たったいま、またカエサルがブルータスに討たれ、仏さえ斬って捨てる関羽の大刀が大将の頸を刎ね、馬上のチンギス＝ハーンが敵の返り血を浴びて笑う。過去は地中奥深くに伏流し、その出来事の乱舞を繰り返している。過去は地中にその根をめぐらせ、いったい自分がどの層にいるべきなのか、わからなくなっているのだ。文献学者が苦労して過去を順序付けたとしても、本人のほうで、そんなことはおかまいなしなのである。
</p>
<p class="post">
妖精はかならずいる。神もまたかならずいる。読むひとを驚嘆させるあのスピノザがそうだったように、そのことをほんとうに信じているひとは、べつに宗教など必要ないし、神秘主義とも無縁である。この肉体が、わたしの精神だ。自意識などとは、さっさとおさらばしよう。過去は妖精のように、不意に姿をあらわす。毎度遅ればせながら、わたしは妖精たちに出会うために、今日もまた歴史を紐解く。</p>
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		<title>国家の起源（メモ）</title>
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		<pubDate>Sun, 30 Mar 2008 04:28:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
				<category><![CDATA[history]]></category>
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		<category><![CDATA[世界史]]></category>
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		<description><![CDATA[国家の起源をいかに語るか、について、すこし考えておこう。その場合、重要なのは、純理論的な意味での、歴史と世界史のちがいである。「歴史」（国史）の条件には、ヴィルヘルム・ディルタイが言っているように、歴史を語ろうとする主体 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>国家の起源をいかに語るか、について、すこし考えておこう。その場合、重要なのは、純理論的な意味での、歴史と世界史のちがいである。「歴史」（国史）の条件には、ヴィルヘルム・ディルタイが言っているように、歴史を語ろうとする主体が、同じ国家の住人であるという大前提がある。そうでなければ、それは外国史や人類史となるからである。</p>
<p>さて、国家の起源について語る場合の方法として、歴史的な手法以外には、神話があげられる。アリストテレス的な動物発生論に近い考えかただと思えばいい。エビやウナギが泥のなかから自然に発生するように、国家もまた、泥に似たある種の混沌のなかから、自然に発生する。そうした自然の作用の主語として、国家の場合には、《神》を仮構するわけである。こうした神話は、今日では「歴史」（国史）と呼ばれているが、神話を否定し、それとは距離を取ろうとする近代の「歴史」は、その起源を語ることができない。というのも、起源を語る主体（歴史家）が、その時期には存在できないからである。たとえば、日本の起源を神話なしに語ろうと思えば、朝鮮半島や中国大陸の人間の視点が、かならず必要になる。つまり、その瞬間だけは、一種の外国史として語らざるをえず、「歴史」（国史）であることができなくなってしまう。国家の内部から純粋に起源を構築しようとする場合、どうしても、神話が要請されざるをえないのである（じつは、滅亡も同じであり、国家が滅亡した瞬間に、歴史の主体は存在できなくなる。歴史は、その滅亡を、王朝や政権の「交代」として説明するのであり、国家の「滅亡」を語るのではない）。したがって、歴史は、起源や終末について語ろうとする欲望を強く持ち合わせているにもかかわらず、これを神話としてしか説明できない。つまり、沈黙せざるをえない。歴史において、王や皇帝の死は、歴史そのものの終末であり、歴史には、じつは、始まりも終わりも存在できないのである。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>世界史は、その起源を語ろうとする欲望を、そもそももっていない。国家の始まりや終わりは、むしろ、たえず生じているのであり、発生しては消え去り、消え去ってはまた発生したりしている。それは、神話というよりは、一種の出来事そのものとしてある。国家の誕生や滅亡について語るのは、じつは、歴史ほどむずかしくはないし、もっとありふれている。その点では、むしろ世界史は、物語というよりは、地図として存在する。そもそも世界史を語る主体は存在できないし、たんに世界が存在しているということ、そのことが世界史である。チンギス＝ハーンが死んでも、別に世界はなくなりはしない。この単純きわまる論理こそが、世界史のもっている固有の意味である。人間以前の歴史も、人間以後の歴史も、簡単に考えることができる。ニーチェは、超人について思考したが、彼の視座は、もちろん、世界史的なものであり、歴史的なもの、ナショナルなものではない。</p>
<p>世界史のモデルは、声の歴史であろう。発生しては消え去る声は、まさに世界史にぴったりである（ニーチェはいつも自分の耳を自慢していた）。文字に依存する歴史と異なり、世界史は、その起源としてのテクスト（史料）なしに、たんに存在する。世界史について語るのは簡単だが、テクストに依存し、主語を強固に設定する必要のある学術論文的なスタイルには、そぐわないというだけのことである。わたしたちが、文字（テクスト）以前の歴史というものを想定する場合、それは、かならず世界史的な視座からなされる。したがって、文字の存在と有史とを結びつけることの妥当性について、議論が発生するのは、世界史と歴史のもっている根本的な視点の違いのためである。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>国家とは、他の国家に対して国家である、というヘーゲル的な議論がある。この議論は、もちろん構造論的には間違ってはいないが、じつは、この議論そのものは、結局のところ、歴史の側に属していると考えられる。つまり、その起源――生成――を語ることができない。神話抜きに起源を語ろうとする強い欲望が、他の国家を存在させるのであって、世界史的な理論から出てくるものではない。ましてや、この「他」を、物自体のような不可知のものとして考えるのであれば、それはなおさら歴史的であり、なおかつ、神話へと至る一歩手前まで来ている。もちろん、これは超越的な神話ではなく、超越論的な神話であり、要するに、歴史である。その主語は、《神》ではなく、レヴィナス的な《他者》である。べつに、レヴィナスにその意図はないが、結果的には、この論理は、現実に行なわれる戦争（外戦：ポレモス）の条件であり、なおかつその存在理由を与えてしまうだろう。国家の起源に暴力を設定する議論も、基本的には、こうした論理に端を発していると考えられる。暴力が国家と結びつけて否定されるのは、それが、犯すべからざる「他」の侵犯だからである。この論理は、国家を存立させると同時に批判するための根拠を与える（与えてしまう）。もし、国家を非難するとして、わたしなら、国家とは他の国家に対して国家であるという論理そのものを、国家の論理として非難するだろうし、また、国家の起源とは、暴力であるという論理そのものを、あまりにも国家中心な論理として非難するだろう。</p>
<p>その意味では、外国史と世界史は区別されねばならない。外国史を実践する人間は、自身が所属する国家との関係性を考えざるをえないし、したがって、「《我が国》にとって、どのような意味があるのか」、という問いに対する説明を、たえず強いられることになる。つまり、外国史は、徹頭徹尾、歴史のネガとして存在させられるのである（わたしは、外国史に可能性がないと言っているのではない、ただ、歴史に絡め取られないような、歴史に依存することなく存立可能な世界史的な論理にもっと近づいていくべきだと主張している）。</p>
<p class="post-c">◇</p>
<p>しかし、わたしたちは、国家というものを、他の国家なしに、ふだんから、もっと別の形で感じることができる。たとえば、何らかの手続きのために役所に行き、そこで、ここは部署がちがうので、二階に行ってください、などといわれるときである。こうした事態を、わたしは「屈折」と呼んでいるのだが、この屈折こそが、国家の主体に生成するのではないだろうか。わたしは、ここでは示唆することしかできないが、こうした屈折としての国家は、歴史的というよりは、世界史的である。世界史は、おそらく、国家を、こうした身近なところでの屈折として、説明するはずである。こうして抽出された国家は、他の国家に対して国家であるという構造主義的な論理とは、無関係であり、もっと実践的かつ具体的である。他の侵犯（暴力）がたえず起こっている世界史においては、むしろ侵犯こそが常態であり、したがって、そこに国家の起源を求めることはできない。ヒントになるのは、やはり、戦争についての、歴史・世界史的観点からの区別である。歴史的な観点からいって、戦争が、ある主体（主権国家）から犯すべからざる他の主体への侵犯であるとしても、世界史的には、どう考えても、戦争という暴力は、それを担う両陣営をまるごと危機に陥れてしまっている。つまり、戦争は、むしろ国家を危機にさらすのである。それゆえ、たんに暴力こそ国家の起源である、という論法は、世界史的には限界がある。むしろ、そうした暴力が「屈折」され、溜め込まれることのほうが、国家を可能にすると考えられる。世界史は、国家の起源を、他の国家にではなく、「屈折」に求めるだろう。</p>
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		<title>日本の実証主義の特異な構造について</title>
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		<pubDate>Sat, 16 Jun 2007 18:36:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kio TANAKA said</dc:creator>
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		<description><![CDATA[いくらか専門的な話になるが、眠気と酔いにまかせて今日はつまらない話をしよう。この現象は、日本の特異な言説空間をよく示しているといっていい――日本の実証主義の構造についてである。構造――構造というのは正確ではない。もっと、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>いくらか専門的な話になるが、眠気と酔いにまかせて今日はつまらない話をしよう。この現象は、日本の特異な言説空間をよく示しているといっていい――日本の実証主義の構造についてである。構造――構造というのは正確ではない。もっと、模糊とした混淆物といったほうがいいのかもしれない。わたしはいくらか怒りを覚えているのでこれを書いているが、他方でどこか醒めている自分がいて、もはや彼らを説得する気はなくなっているし、議論する気もない。わたしはわたしの信じた道を行くのみである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>さて、デリダや、あるいはヘイドン・ホワイトのような言語論的転回（linguistic turn）論者の議論はご存知だろうか。もうずいぶん昔に流行ったもので、いいかげん次のステージに進んだ方がいいと思うが、暴力的に簡略化してしまえば、テクストの向こう側になにか実態があるというような、そうした議論についての根本的な疑義のことである。つまり、歴史学者（や社会学者）を批判していると考えればいい。歴史学は、資料の向こう側に過去のなんらかの事実があったという前提（ア・プリオリ）によって成立している。だが、それがいかに客観的事実と称して提示されようと、ついに歴史学者の解釈を超えることはなく、主観の産物を超え得ない、という批判である。要するに、過去はカントの言う“物自体”であって、“物自体”が不可知であるように、テクストという表象から過去を再現することはついに不可能だ、という議論である。つまり、歴史学とは、科学的な課題というよりは、認識論的な課題なのだ。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>わたしは原則的にこの議論を受け容れる。正しいからである。とはいえ、この批判をそのまま日本の実証主義に敷衍できるとは思われないし、たんにこの批判は上滑りするだけだろう。なぜなら、日本の実証主義者は、そもそも自身の議論が恒久の真理だとは考えていないからである。《実証》という言葉が統整的理念にすぎないことを彼らは最初から知っているのである（こういう彼らの目ざとさは、おそらく、日本の地理的な条件から来ているのだろう）。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>昨今の日本の実証主義者の多くが、《言語論的転回》論者の批判に次のように答えるだろう。「自ら提示する記述を永久不滅の真なるものと考える実証史家は存在しない」。つまり、実証主義者にせよ、それが客観的真理などという大仰なご宣託を述べられるわけではないことを知っている、というわけだ。また、彼らは次のようにいう。実証主義とは、理想論なのであって、たとえ目的にたどりつけないとしても、そこに向かって努力せねばならない統整的理念を受け容れることである、と。つまり、《言語論的転回》論者はなんとひどい虚無主義者であることか、というわけである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>こうして彼らの多くがハーバーマスの議論を導入する。つまり、市民相互のコミュニケーションを通じて、独断的ではない合意にもとづく真理あるいは客観性を構築しよう、というわけである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>この時点で、おかしいと感じたひとは、わたしは正しいと思う。つまり、彼らの言っていることは、結局《言語論的転回》以後のいわゆる構築主義者と同じことになっているからである。自分で何を言っているかわかっているのだろうか？</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>「わたしの論文は真理とはいえないのです」というわけだ。最初から自分の議論が討論にかけられるという前提で結論を出すような実証主義はありえない。それは実証主義とは呼ばない。しかし、もしそういう言葉で実証主義を擁護しているつもりなのだとしたら、おせっかいもいいところである。自分で仲間の息の根を止めているだけだからである。実証主義（＝ポジティヴィズム）が理想主義的言明なのだとしたら、理想という“ポジ”に対して、個々の議論はつねに理想に対する“ネガ”にしかならないわけで、ネガをポジと言い張っているのであり、はっきりいって詐欺みたいなものである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>少なくとも、実証主義であるかぎり、自分の結論が客観的かつ恒久の真理であるということを、少なくとも結論を提示した本人くらいは主張しなければなんの意味もない。そうでなければ、期待すべき討論すら始らないだろう。教科書という形で国家の歴史が客観的真理として与えられなければならないというのは事実だし、そのことに個々の歴史学者はもっと敏感であるべきだが、そればかりでなく、自身の議論の責任を公共性に委ねるような責任転嫁は、仮にも構築主義者を反批判している実証主義者の言葉とはとうてい思われない。ハーバーマスの議論が受け容れられなくもない部分があるのは、あくまで、真理が《結果として》、よかれ悪しかれ公共性に委ねられざるを得ない、という場合である。たとえば、ニュートンにせよ、アインシュタインにせよ、彼らはそれを恒久の真理として主張した。だが、《結果的には》それらは合意にもとづく客観性を構築するにとどまった、という風には考えられる。とはいえ、彼らは最初から自分の言っていることが真理とはいえない、などとはけっして言わない。そんなものは詐欺なのであって、まともな学者ならそんな意識で学問的なモチベーションを保つのは困難である。そもそも、あるかどうかも定かではない“公共性”に判断を委ねることにしても、言語論的転回風にいえば、十分に形而上学的なのだ（晩年にハーバーマスと結託したデリダは一体なにがやりたかったのだろうか？――まあ、気持ちはよくわかるのだが）。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>日本の実証主義者の問題は、要するに、彼らの多くが、一度も本気で実証しようなどとは考えていなかったことなのである。自分が実証主義だと思うのなら、せめて一度くらいは自分の議論が《客観的な真実である》、と言うべきなのだ。統整的理念という言葉に逃げ込んでいるかぎり、実証《主義》にすらなりはしないのだ。だが、もはや空しい期待はすまい。西欧の合理主義が《言語論的転回》に感じた衝撃を、日本の実証主義はほとんど感じていないのだろう。なぜなら、日本の実証主義者は、暗黙の構築主義者だからである。</p>
<p class="post-c">◆</p>
<p>とはいえ、わたしは、《言語論的転回》でとどまっているような、そういう議論を好んでいない。《言語論的転回》は、実証主義の努力が招く最初の挫折であるにすぎない。わたしは実証主義者を愛している。セザンヌが、すべてを「遠近法」に入れようとしたように、歴史学者は、かまわずすべてを「実証」のふるいにかけてみるべきである。遠近法を疑うことは、実証主義を疑うのと同じくらいに簡単なことだが、遠近法や実証主義が摩滅して、しまいには壊れるまで使い尽くしてみるのも悪いことではない。そうして本気で実証すれば、必ず、想像もしなかったような奇妙な出来事を書かされる破目になるはずだ。そうでないなら、おそらく、あなたは、どこかでデリダ主義的なごまかしをやったのである（しかし、こうしてみると、いつかは、《わたしはデリダ主義者である》などと言わねばならない日が来るのだろうか）。歴史は、もっと奇妙なものなのだ。</p>
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