diary
KIO TANAKA WAS BORN IN 1976 IN KYOTO-CITY. HE RECIEVED M.A. IN WESTERN ANCIENT HISTORY AND Ph.D. IN JAPANESE MODERN HISTORY, BOTH FROM KYOTO PREFECTURAL UNIVERSITY. HE CAME IN SECOND OF THE SHINCHO NEW WRITERS PRIZE FOR AN ESSAY ON THE JAPANESE LITERATURE IN 2007.

2010.03.08

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志賀直哉の墓

最近は本当に忙しい。定職があるわけでもなく、ただただ時間を労働に浪費する。これでは本当の仕事はなかなかできない。われわれのような貧しい立場の人間は、この社会で生きていくのは難しいに違いない。「違いない」と人ごとのようにいうのは、わたしの希望が、ただただ哲学ができることだからだろう。それさえあれば、わたしは生きていくことができる。だが、その一方で、読者を信用して率直にいえば、不安もある。愚痴のひとつも言いたくなる。この道は、真理か、それとも美かに、ちゃんとつながっているのだろうか。この国――国民国家は、文学を、歴史学を、哲学を、いったいどこに追い込むつもりなのか……。否、こうやって文芸ができるということ、それを善しとしなければならない。

ようやくできた暇をみつけて、志賀直哉の墓を訪れた。別にそういう趣味があるわけではない。が、作家の墓を巡ることが多くなった。ひとが、石に銘を刻むことを覚えたのは、一体、いつのことだろう? はるか昔、おそらくは歴史以前から、ひとは、そして多くの生命が、そうやって、自身の痕跡を――望むと望まざるとにかかわらず――遺してきた。動物としてのひとは、《音節明瞭なる者》であるにすぎない。痕跡は、あくまで、自然の偶然がときおり見せる消し忘れにすぎなかった。だが、文字が生まれ、そして必然的にそれが永遠を夢想させる石と結びついたとき、歴史は誕生した。石盤に描かれているのは、無限に続く現在である。瞼を閉じる。瞼をまた開いたとき、そこに変わらず痕跡が残っていれば、それだけで、歴史はもう生まれかかっている。歴史は、その名とは裏腹に、現在に、あるいは眼球に焼きついて消えなかった過去であって、〈歴史の見せる過去とは、本質的に現在なのだ〉。歴史家がそのことを知った時、彼は愕然とする。過去を求めていたはずのわたしはいったい、なにをやっていたのだろうか、と。

わたしは痕跡の概念を好まない。この人間的な概念は、生を蝕むほどに、強力である。痕跡がもたらす過去とは、あくまで現在の影である。これを過去とみなしてしまえば、現在は、その領域を半分失ってしまう。本当の過去は彼岸にあるのに、無数の痕跡が、現在を蝕んでしまう。現在に焼きついた痕跡は、こうしてひとの生を蝕んでいく。われわれは、消え去る権利を失ってしまう。だが、わたしは過去に汚染されていない現在というものがどこかにあることを希求しているし、またそのことを確信してもいる。

しかし、その一方で、生はあまりに儚い。死を前にして、ひとが痕跡を残そうとすることも、もっともな話だ。こうしてひとは、流転し流れ去る記憶の片隅に小さな、しかし不動の石柱(コラム)を立てる。どんどん立てる。かくして、墓が、死が生という狭き領土を埋め尽くし、生はますます痩せ細っていく。

作家はいつも、死と隣り合わせである。死が、作家の仕事の主要な動機であることは、おそらく実証できるテーマだろう。しかし、彼らは、流転する生の孤独の中で、不動の石柱を立てようとするのだろうか?

そうではない。真の作家は、不動の概念など、うちたてようなどと思っていない。真の作家とは、むしろ消え去ることを知っているひとのことをいう。〈ゆっくりと〉消え去ることを知っているのだ。死は、生よりももっと儚い。死は、生よりも猛スピードである。生きるとは、遅さを実現することなのである。

厳密に考えれば、すぐにわかることがある。文字は消え去らないのではない。ゆっくりと消え去るのだ。《声》との違いはそこにある。そのことを知っているひとたちだけが、真の作家なのであり、死と隣り合わせである彼らは、生きているときよりももっと遅い言葉を必要としている。だから、彼らは書く。死に対する遅延、これが生であるなら、死の言葉である文字もまた、死の遅延を実現する。つまり、文学は遅延に、したがって生に奉仕する。

豪壮な墓が多く並ぶ霊園の片隅で、祖父母や父たちと並んで、彼らの墓よりは頭一つ低い位置に立つ志賀直哉の墓は、消え去ることを知っているひとの墓であった。わたしはそんな風に思った。わたしは思わず聞いた、「芸術とは、一体なんなのでしょうか?」

彼はなにも答えなかった。答えてくれるはずもなかった。わたしはむずかしく考えすぎている。世界はいたってシンプルだ。彼はひとこと、「今日は寒いねえ」と言っただけだった。

2010.02.14

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権力への意志

文学は批評的なものであるという言葉は、戦後によく聞かれるようになった。それは間違いではないが、正しくもない。たとえば、ハイフェッツの

“Criticism does not disturb me, for I am my own severest critic. Always in my playing I strive to surpass myself, and it is this constant struggle that makes music fascinating to me.”
(批評がわたしを煩わせることはない、というのもわたしが自身に対するもっとも厳しい批評家だからだ。…)

という言葉は、芸術が批評というものと切り離せないことを、よく物語っている。だが、芸術の本質は、批評にはない。芸術がその真の力を発揮するのは、ひとを思いとどまらせる《ブレーキ》ではなく、ひとを鼓舞する《アクセル》としてである(ハイフェッツがいうように、芸術は両方とも有している)。彼にとっての批評とは、高みとは逆に引き絞られる弓弦と同じで、さらなる高みのためのアクセルであるし、芸術そのものが、そういうものなのである。文学も例外ではない。

文学と批評が結び付けられるとき、そこにはたいてい、「無力」な思想があり、暗黙にか無自覚にか、典型的な「力」である《政治》との対比がある。だが、こうした芸術思想に意味があるとしたら、政治がアクセルを吹かしているときだけだろう。もはや惰性でしか進まなくなった政治に対して、「無力」な芸術が意味をもつことはなくなるのはもっともな話だ。

文学が批評であると語るのは、主に批評家である。だが、それならはじめから芸術など必要ない。批評家だけが存在していればよいのだし、戦後の批評家の空しい勝利は、きっとそのことを意味しているのだろう。だが、わたしは、そんな芸術思想は誤っていると感じる。芸術はブレーキしかもたない片輪の車ではない。政治の補完物ではない。政治からは独立している芸術は、当然、それ自身が、もっと別種のアクセルを有している。政治が迷走をはじめたとしよう。エンジンが空回りをはじめ、ついには最期の惰性がはじまったとき、いったいわたしたちはなにに賭ければよいのか。政治にか。経済にか。ちがう。すでにそれらは迷走を始めているのだ。そんな思想はまちがっている。こうなったとき、われわれのうちのどこに、《意志》を探せばよいのか。

芸術とは、アクセルだと思う。それも、政治とは異なる類のアクセルなのだ。芸術は、わたしたちを、「政治」とはちがうもうひとつの政治へと導く。芸術は、本当になにものかを変えようとして行なわれる。つまり、《権力への意志》を有する。

《権力への意志》は、このうえなく健康なもので、そして稀有なものである。権力を維持している(ストックしている)者のことを考えてみればよい。読者を驚かせることになるかもしれないが、権力を維持したい者たちにとって、権力への意志を手放すことこそが、そうするためのもっとも確実なやり方なのである。そのことは、戦前の日本の政治家や戦後の自民党の政治家をみればよくわかる。彼らは、権力を維持するためなら、喜んでその意志を天皇やアメリカに預けてきた(そして共産党の政治家は自民党に)。彼らは、権力への意志を手放すことこそが、権力を維持するためのもっともうまいやり方であることを知っているのである。「わたしは権力など望んではいない」というわけだ。

たとえば、小沢一郎という政治家は、そうした意味でもっとも健康な政治家である。彼はまさに、権力を意志している。意志しているがゆえに、批判にさらされる人間であるが、同時に健全である。手放すことでそれを維持してきた自民党の政治家やマスコミには、運動失調症か神経硬化か血迷い以外のものを感じない。彼らは国民から受けとった権力を片っ端から他人に譲渡し続けた。天皇に、アメリカに、そして官僚に(そして共産党は自民党に)。というか、二〇世紀における「官僚」とは、誰も受けとろうとしない権力の流れの行き着く先の名であった。サブカルもまた然り。彼らは自分たちが権力をもたないと言う。下に立つものだと言う。それも、そもそも芸術とはエンターテイメントである、という結論を用意しながら、だ。しかし、どこの世界に、彼ら以上に権力を握っているものがあるか。古い政治家にせよ、古い権力にせよ、昨今の「民主的」芸術思想にせよ、彼らが欲しているのは、権力を預ける者であって、権力を意志する者ではない。あのヘーゲルでさえ、こう言ったのだ、「哲学は灰色に灰色を塗り重ねるだけで、ミネルヴァのふくろうは、黄昏時に飛び立つ」と。彼は、そうすることで、権力への意志を手放しているのである。

芸術もまた、政治とは違う形で、権力を意志する。政治の欲する権力が、光やその影であるとすれば、芸術が欲するのは、色彩である。ひとは、本当は権力を意志せねばならないのに、そのことを知らないのだ。

『ラヴェル:P三重奏曲』
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『ワーグナー:名演集』
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2009.12.03

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音楽と教育と歴史

なんとなく、病気をすると、バッハを聴きたくなったりする。昔から音楽にすがってきた自分にとって、死ぬ時に聴く曲くらいは選びたいと思う。もちろん、死ぬというのは大げさだが、病気で肉体的に衰弱すると、ベタに「マタイ受難曲」などがよく胸に響く。崇高の概念は、こういうとき――つまり肉体的衰弱が理性を増大化させているいまでないと、《感じる》のは困難だ。

今週の講義では、鼻声で申し訳ないと思いつつ、最後に、石川啄木の「ココアのひと匙」と佐藤春夫の「愚者の死」を朗読する。詩としてはナイーヴなものだが、これらのもつ歴史的な感覚は、やはり大事にしなければならない。いや、リズムというべきか。生徒たちには、歴史を音楽として学んでほしい。言葉には、《意味》が隠されているのではなく、リズムがある。それは、声に出して歌うことで、ようやく見えてくるものであって、紙と文字とが織りなすコントラスト――それはカントの理性‐悟性の外在化なのだが――にはない、《色彩》である。歴史はなにも隠していない。歴史と音楽の関係は、思いのほか深い。

教育もまた、音楽に近いものなのかもしれない。というのも、学生とは、楽器だろうからだ。桃色のオーボエ、瑠璃色のバイオリン、緑の歌手たち。自分が楽器であると自覚している学生こそ、よき生徒だ(演奏家だと自覚している教師こそ、よき先生だ)。演奏するのがわたしだとして、実際によき音色を奏でるのは、楽器である生徒だろう。むろん、その観点からすると、自分ひとり歌を口ずさんでいるかぎり、まだまだ未熟。妖精たちに響く歌声のありかは、誰も知らない。そんな歌声を探している。

さて、ここに書かれた諸々の文章の表題となっている“イクシーニュ(Ex-Signe)”という言葉は、造語である。記号そのものが、観念ではなく、世界そのものにおいて/として露呈しているような、そういうやや淫猥な意味を込めた。記号であると《同時に》、出来事である、そういうような言葉である。今にして思えば、かつて浅田彰が「記号論を超えて」というサブタイトルのついた本を書いたが、それに対する下手な諧謔を込めた応答とも取れるだろう。しかし、完全な造語か、というと、そういうわけでもなかった。ラテン語にexsignoという語がある。「記録する」とか「書き付ける」とかいう単純な、リテラルな意味の動詞である。それのアレンジ、という風にも取れる。いずれにしても、この言葉には、実体をもったイデア、すなわち、音楽が感じられる。その点が気に入っている。

『バッハ:マタイ受難曲』
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『バッハ:マタイ受難曲 ハイライツ』
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『バッハ:音楽の捧げもの』
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『バッハ:ロ短調ミサ曲』
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2009.09.18

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宣長の墓

夏の盛りに、本居宣長の墓を訪れた。

伊勢神宮を詣でた後、三重県の岬の突端、熊野灘と遠州灘の境目のところで東を望む。折口信夫は、南面すれば左側で、なだらかに曲線を描く東海の地平線に、《常世》をみた。大和からみて、大和ならざる世界、そこに大阪出身の折口は親しき常世をみたわけである。

「詣でる」といった。慣用句だから使うだけで、手を叩いたとしても、願い事は一切しない。少なくとも、自分に関する願いはない。だから結局、感謝の言葉も出てこない。どうも、そういうことが性に合わない。神を信じていないからではないように思う。たぶん、神のほうで、その手の願い事にうんざりしているのではないか、と思うからだ。伊勢神宮クラスになれば、年毎に、あるいは二十年に一回リセットされる(?)、ということが仮にあったとしても、何百万・何千万というひとの「願い事」が、渦巻いているにちがいない。その願いをすべて聞いているとしたら、相当な労働である。額に汗して、泥まみれになってひとの願いを聞き届ける神を想像する。それで申し訳なくなる。だから、自分くらいは願い事をやめよう、と思う。願い事をしないのだから、感謝の言葉はかえって嫌味であろう。

まあ、今考えた理由である。神に願い事をしない、という自分の年来の非‐行為の理由がずっとそうだったかと言われると、そうでもない気がする。とにかく、手を叩いても、願う内容を思いつかない。というか、普段から欲望に忠実な自分は、手を叩くとかえってそれが出てこなくなる。

小林秀雄は、宣長について書いた。だが、宣長本人が書いた文書や墓をみても、わたしは彼について書こうという気にならなかった。彼の作った古事記のダイアグラムはなかなかのものだったが、松坂の山の中腹の無数の石段を登った先にある、前方後円墳を模したと思しい彼の墓は、どうも趣味ではなかった。

文献学者としてこれ以上の存在は見当たらない宣長よりも、文献の彼岸にある歌を聴こうとする折口のほうが、わたしにはずっと楽しい。折口は小林に、宣長とは源氏である、と言ったそうである。この謎めいた言葉の意味はよくわからない。宣長に親しく触れていたわけでもない。これは、初対面の彼、というか墓に抱いた第一近似でしかない。小林がそうしたからには、宣長はもっと興味深い存在なのかもしれない。だがわたしなら、宣長を書くくらいなら、折口を書く。

おそらくは宣長も立ったことがあるだろう岬の突端で、折口は東を望み、そこに常世をみた。だが宣長は、江戸幕府という当時の体制に反対し、松坂の地にあって、西に近しい大和を眺め、幕府の目をかいくぐって作られた前方後円墳のなかに納まっている。両者の墓の違いについて考えてみても、不思議なのは、むしろ海に向かい、彼岸を見つめる折口である。賢明な読者ならご存知のとおり、文献と墓とは、まったく同じものである。出来事は、その向こう側にあるのだし、出来事の秘密を知りたい人間にとっては、文献や墓は壁である。彼の壮大な墓の前で、わたしは彼とほとんど喋ることができなかった。

小林 秀雄『本居宣長〈上〉 (新潮文庫)』
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2009.08.17

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リニューアル? 2

遅々として進まぬ更新作業だが、問題はIEのバージョン6である。このサイトの訪問者のうち20パーセント強がブラウザにIE6を使用しているようなのだが、このブラウザのCSS回りがカス(?)なため、かなり難航している。ということで、決断。ひとつは、IE6を使用している上記のみなさまにできるだけ先進的なブラウザであるFirefoxだとかSafariだとかOperaだとかを使用してもらうこと(IE7以降でもよいが、メモリを喰うので古いパソコンならお薦めしない)。もうひとつは、先進的なブラウザにあわせて楽にリニューアルしてしまい、あとからIE6に対応する方向で調整していくこと、である。

このサイトに限っても、じつはIE6は一番利用者率の高いブラウザである。しかし、どうも覇権主義的な傾向の強いマイクロソフトが毎度独自の解釈を入れてくるおかげで(float指定すると勝手にmarginを倍にするような仕様になっていたらしい)、IEの、しかも6のCSS回りはヘンテコである。もっとも普及しているブラウザがもっとも変なことをやっている、というわけで、世間のサイト開発者は難儀していることが推測される。ここはべつに商売でやっているわけではなく、自分の思考を先に進めるためにやっているのだから、たんに作りやすいもので作る、と割り切ることにした。といって、割り切られたのは、マイクロソフトではなくて、結局は20パーセントの読者であるから、こちらも釈然としないと同時に申し訳ない気持ちになる。

2009.08.13

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リニューアル?

このウェブをリニューアルしようと思っているが、なかなか思うようにいかない。ささやかなこの場所で、ささやかに知的活動をつづけているが、やはり、ささやかなものではあっても、自分なりによい場所にしたいとは思う。人生を振り返ってみても、生活は別にして、知的にも、芸術(?)的にも、ぼくはあまりパートナーに恵まれた経験がない。結局、頼りになるのは自分である。

いったい、こうした活動が世間にどれほどの価値があるのか、意味があるのか、そしてついには事件でありうるのか、まったくわからないし、たぶん、なにごとも起こっていない。それだけは確かだが、とまれ、自分はもっと成長したい、まだまだ知的に先に進めるはずだと、そう思って、日々の精進を惜しまないでいるつもりである。

貧しくとも、精神的には、貴族でありたいし、もっと正確を期していえば、ギリシア時代の自由人でありたい。日々の労働に肉体は費やしたとしても、精神だけは、高貴であり、そして自由でありたい。社会に対して卑屈になるのは肉体だけにとどめ、その一方の精神は、《社交》のために用いたい。そして来たるべき革命の《手前》を実現したい。

自分にとって、理論とは、たとえばジダンのスルーパスのようなものでなければならない。それを受けた人間が、どうしてもゴールを達成せざるをえないような、そんなパス、それが理論だ。だから、たとえばカント的な問題構成、理論と実践は一致するのか、しないのか、そんなことは本当にどうでもいいことである。

ニーチェは、どこかでひそかに、精神とは肉体である、と言っていた。まったくそのとおりだと思う。だが、この同じ言葉は、吐き気を催すようなロマン主義にも化けるときがあるし、悪しき弁証法の臭気すら漂わせることがある。

なにが言いたかったのか? そう、ウェブのリニューアルをぼちぼちやっているという話。

2009.07.20

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大雨の三条通

今日は白樺関連の展覧会があったので京都文化博物館へ。曇天のさなか、岸田劉生の美術・装丁をおおいに堪能した。自分は彫刻に関してはどうも古典礼賛から抜け出せなくていけないのだが、ロダンのよさも、すこしわかった気がする。途中、見つけたカフェで足止め。大雨になったから。

雨中、帰り際に寄った書店で、『表象』という雑誌を手に取る。3号のシンポジウムに腹が立った。いつまで世間は東とかいうひとをのさばらせておくつもりなのだろうか。お付き合いする方もする方で、暢気なことだと思ってしまう。バルトが言ったような「制度としての文学」など、それが終わろうが始まろうがどうでもいいことだし、そんなものは、本当はあったためしなどないのだ。そんなあったかどうかも定かではない、あったとしてもどう考えても水準の低いパンタズマに関わるかぎり、なにも生まれないのは、わかりきったことじゃないか。

なんにせよ、文学を制度としてみるという視線そのものが、アカデミズムという権力によって拵えられたものだということを、ぼくらは早く知るべきなのだ。国家と同じような権力として芸術まで一緒くたに非難したって、そんなの国家の思う壺にしかならないじゃないか。表象なんて名のる以上、『表象』という雑誌は、自分たちをもうすこし高く見積もるべきじゃないか。そりゃなんだって表象なんだけど、なんだっていいってわけじゃないでしょう。いい気なもんだ。

2009.07.16

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一周年

ブログを立ち上げてちょうど1年になった。カウンターはほぼ30000を数えているし、ユニーク数も6000を超えている。驚くべきことだと思う。

もともと自分は本をあまり読まないし、読んでも基本的につまみ食いしかしない。本を読むよりも、考えている時間のほうがずっと長いし、なにも考えていない時間はもっと多い。そういう自分が文章を書くとしたら、それはひとに読んでもらうというよりも、自分の思考をとにかく先に進めたいと思うからだ。

最近、ドゥルーズの『意味の論理学』を読んで、愕然とした。というのも、彼がストア派についてこれだけ言及しているとは知らなかったからである。ニーチェを読み、ストア哲学に触れていた自分の思考が、彼に似ているのはもっともなことなのだが、次に書こうと考えていたのがストア派関連のことだったので、オリジナリティの点でいうと、やや方向を修正しないといけないかもしれない……。

ドゥルーズやフーコーが、ぼくは好きだ。彼らの文章のあいだで響いている苦悩やその克服としての歓びが、ぼくを快活にする。さすがに三十をすぎると、わかりたくもなかったそういうことがわかるようになってくる。だが、といって、彼らの文章は、じつはそれほど読んでいない。むしろ、彼らが読んだであろう本を読むことのほうを、結果的にはずっと熱心にやってきた。――たとえば、レオナルドの絵画に痛棒を食らったような感銘を受けて、それで画家になることを決意した青年は、おそらくレオナルドの絵画もたくさん見るだろうが、それよりも、レオナルドが見たであろう風景や女性たちのほうを、余計にたくさん見なければならない。つまり、レオナルド(画家)の目を獲得しなければならない。レオナルドの絵だけをみていても、ぜったいにレオナルドのような画家にはなれないし、それどころか、画家にさえなれないだろう。彼は、レオナルド研究者以外のものになることはできない。

最近見かける絵画はといえば、ほとんど絵画の絵画だけだし、世界そのものがまったく不在であるような絵画ばかりが転がっている。そしてそのことが推奨されさえしているが、それは絵画ではない。そこにはコンセプトという名の《不在》だけがある。それと同じように、ドゥルーズやフーコーの議論はさかんだが、結局、哲学者はどこにもいない。ドゥルーズ研究者やフーコー研究者は、いわば絵画の絵画のようなものしか書けないし、要するにそこに《哲学》は不在なのであるし、また不在であることが推奨されさえする。《哲学》は、研究者にとっては、余計なものなのだ。

ともあれ、ドゥルーズやフーコーの文章を読んでいると、ニーチェが読みたくなるし、ニーチェを読んでいると、世界そのものを読んでみたいと思うようになる(そして読むという行為がとても淫らだと思うことがある)。彼らの文章には、すでに世界が広がっているし、そうだとすると、彼らの文章のなかに、ぼくも存在しているに違いない。ニーチェの文章のなかに登場している自分を探そうと思えば、たとえば、本なんて読まずに、《思考》してみるといい。あるいは、なにか《書いて》みるといい。そうすると、そこにすでにニーチェがいて、ニーチェの本を読むよりも、よほどニーチェを読むことができる。だから《書物》という概念は、それほど重要だとは思われない。

孤独にものを考えていても、うまくいけば、ただそれだけで、ドゥルーズに会えたり、フーコーに会えたり、あるいはプラトンやホメロスにだって、出会うことができる。そして、ああ、似たようなことを考えているひとたちがたくさんいるんだな、と思って、すこし気落ちしたりすることもあるが、ともあれ、本を読むよりはよほど身近に感じられるし、そうやって出会ってから本を読めば、彼らの言っていることも、もっと簡単に理解できるようになる。

いつだって、ニーチェやフーコーたちは、先回りしてぼくを待っている。一度くらいは、ぼくの方が、彼らを待ちうけてみたいものだ。

ぼくの文章も、おそらくは、友人にだけ向けられたものだ。不特定多数の読者など、考えたこともない。ぼくは見たままの男だし、思ったことだけを書こうとしている。ぼくのことをよく知っているひとは、それだけ、ぼくの文章をも、よく読むことができるだろう。

2009.06.11

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装幀が出てますね

装幀がアマゾンにアップされています。前にもすこし触れましたが、奥定泰之さんのお仕事です。送られてきたPDFファイルを開けたときの感動が思い出されます。すごく綺麗な装幀で、本当、プロは違うなあと思ったものです。フォントの配置からなにから、いろいろと細かい部分の配慮がすごく伝わってきました。指の先の先まで神経が行き届いている、というか。帯の文字色もいい感じです。永滝さんに考えていただいたキャッチがすごく映えていると思います。二案つくっていただいて、どちらかを選ぶ、という感じだったのですが、どちらも本当にすばらしかった。みた瞬間に、これは悩むな、ということがわかったから、あまり深く考えないようにぱっと選んじゃったのですが、案の定、決めたあとでいろいろベッドのなかでもんどりうっておりました。お礼をいう機会がなかなかないのですが、ここをご覧になっているという噂も聞きましたので、本当にありがとうございました。

ところで、最近は教育現場で、円周率が3から3.14に戻っているそうですね。それは本当によかった。小さい頃、円の面積をこういう風にイメージしたことを覚えています。つまり、円がすっぽり納まる正方形をイメージすると、だいたい、半径×半径の正方形を四つ並べた状態に等しい。で、たしかに、四つよりは、円の面積は小さい。でも、三つよりは大きそうだな、だからだいたい3.14なんだな、と。逆にいえば、ゆとり教育時代、円の面積は、半径×半径の正方形三つ分と等しい、という驚異的に単純な計算をやらせていたことになります。つまり、円周率の「3.14」という言葉の意味をまったく理解せずに、たんに3.14という数値と考えて、これを省略したわけですね。これで円の面積が表現できるわけがない。「半径×半径×3」では、たんに半径と同じ長さの辺をもった正方形が三つできるだけなのです。要するに、この表現だと、円が四角いのです!

本来のゆとり教育の趣旨からいえば、3.14をただ覚えこませるのではなく、なんで3.14…になるのかを考えさせることが重要だったはずです。しかし、「ゆとり教育」の意味を理解せずに、たんに「ゆとり」を時間的な数値を意味していると考えて、教育時間を減らすことにしたわけです。要するに、円周率が3になるのは、そもそもゆとり教育の意味を履き違えていた時点で、決まっていたことだったのでしょう。

ちなみに、それが数学的に正しいのかどうかは知りませんが、とにかく勝手に上のように円周率の意味を考えていたから、円周率をたくさん口ずさむと、円がどんどん綺麗になっていく気がして、それがすごく好きでした。一桁進むたびに、たんなる三つの正方形が、丸っこくなっていく。というわけで、いまだに小学二年生のときに覚えた50桁ほど円周率を口ずさむことができるのです(覚えた最大の理由はクラスの男子で授業そっちのけで競争になったからだと思いますが)。3.14159265358979323846264338327950288419716939937510……。こんなことをやっていたから数学ができなかったんでしょうけれど。

さて、なんで円周率の話になったのかはわかりません。が、たぶん、奥定さんの「神経の行き届いた」装幀をみていて、なんとなく円周率のことを思い出したのだと思います。

2009.04.02

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政治が……

政治が滅茶苦茶なことになっていると感じる。

法学的な観点やジャーナリスティックなセンスを持ち合わせていない素人であることを承知で、無責任にいえば、また概念の定義を広く見積もっていえば、小沢一郎の件は100パーセント国策捜査だろう。佐藤優は国策捜査ではないといっていたようだが、定義の仕方に注意しつつも、国策捜査であるといってよいと思う。佐藤によれば、あれは青年将校の蛮勇ということになるらしい。だが、それを国策捜査と言わずになにを国策捜査と言うのか。自ら進んで国策捜査を行なうことのほうが、国家の命令に従って国策捜査を行なうよりもなお悪いのだ。要するに、小沢が《認識せずに》受けた違法献金と、国家が《認識せずに》行なった国策捜査があるのであって、小沢が違法献金なら、国家の今回の行動も国策捜査にならないとおかしいという論理は成立しうるのだ。国策捜査ではない、という意見のうち、相当の割合を占める論拠となっているのが、「まさか国家(自民党)はそこまではしないだろう」という根拠のない臆断だという点を、もうすこし意識していい。わたしの考えでは、むしろ、そういうことを平気で行なうのが、国家という生き物である。

そのあいだに、某A首相はやりたい放題。北朝鮮の件もまったく不穏なことこのうえなく、某A首相と某北朝鮮のわけのわからない人たち同士で大騒ぎを繰り広げる始末。民主党しかブレーキになる存在がないいまの日本の状況を考えれば、また首相の驚異的な危なっかしさを考慮すれば、知識人は、もうすこしなにか発言すべきなのではないかと感じる。わたしは、今回の件では、完全に民主党を支持する。すくなくとも共産党は、違法献金の糾弾はひとまずペンディングにして、まずは某A…というか麻生を止めるという点で、野党同士で共闘すべきなのだ。麻生は馬鹿正直に挑発に乗るだろう、しかもあえて乗ろうとさえするかもしれない。要するに、戦争が起こりかねないということなのだ。

下野寸前まで追い込まれた与党があり、追い詰めていた野党の党首が突然検察によって半ば失脚状態に追い込まれる。追い詰められていた与党は金をばら撒きつつ、ただちに大衆の目を国外の勢力に向け、軍隊の派遣をちらつかせる。こういう状況は、歴史を学んだ者としては、黙っていろといわれても、黙るほうが難しい。

別に小沢一郎の肩を持つ気はさらさらない。が、少々義憤を覚えてしまう。二大政党制を選択した小沢には、民主党をまともな政党に育てる義務がある。そのことを彼は承知しているだろうし、また、今回の件で辞任することが正しいかどうかも、たしかに微妙なところだろう。その点では、政治のプロである小沢に口出しする気はない。わたしが二大政党制に完全に反対であることをひとまず措くとするなら、彼の仕事は、政治という枠内で勝負の基盤を整備することだ。つまり、二大政党制の政治的慣習を作りあげることだ。だから、民主党の勝ちすぎが自民党を破壊してしまったとしたら、それは彼の本望ではないのだろう。かたや麻生は、首相の座にしがみつくためなら政治的慣習などおかまいなしに、なりふりかまわず、といったところだが、もとよりこの勝負はレベルはおろか目的もかみ合っていない(要するに、麻生には、深い意味での歴史感覚が驚くほど欠落している)、というのが結果的には小沢のハンデか。二大政党制を行なうには、国家官僚(今回の場合は警察官僚)があまりにも未成熟だったともいえるのかもしれない。

ともあれ、今回の一件がわたしに異様な閉塞感を与えたのは、国策捜査と違法献金という犯罪があったとして、またそれを天秤にかけるとして、前者は大衆には徹底して不可視であることだ。つまり、われわれ一般市民には、それを糾弾する権利はおろか、天秤にかける権利さえないように思えることだ……。