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政治と文学、国家の安全保障
文学と政治の関係はどのようなものだろうか。かつて、文学を政治的なものから切り離そうとする運動があった。というよりもむしろ、そのことだけが、文学という運動だったといってもいい。 こうした運動は、元来は文学と政治とが、いずれ [...]
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再びフリージャーナリストを讃える
ジャーナリズムが《文学》の堕落した形態のひとつなのはたしかである。《文学》は虚構をあつかうのではない。むしろ嘘を吐いているときでさえ、真実を語ろうとすることが《文学》である。しかし、真実を語ろうとするあまり、実際に起こっ [...]
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規律・管理・主権――国家権力を超えて
ミシェル・フーコーは、国家、あるいは権力について、「管理」される状態や「規律」化された状態と結びつけて議論した思想家だと考えられている。だが、彼は管理や規律とあわせ、「主権(法)」についても論じていた。むしろこの三つの状 [...]
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安全から安心へ、あるいは恐怖による統治について
事故とはなにか。 本来、事故は持続的に起こるものではない。点で生じる。仮に持続したとしても、持続をもって事故とは本質的に考えない。しかしその反対の安全は、持続的でなければ意味がない。ある瞬間に安全でも、次の瞬間に死ぬ可能 [...]
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フリージャーナリストを讃える
文学はどこへ行ったのか。文学はまったくの無に帰してしまうものなのか、それとも永遠につづいていくのかはわからない。わかっていることは、消えて生まれるもの、ということだ。滅び、そして誕生する、それが文学である。文学は、おのれ [...]
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盗みと贈与――世界史にとって、交換の視座は有効か?
柄谷行人は世界史を《交換》の視座から考察する(たとえば、近著『世界史の構造』を参照せよ)。彼があげる交換様式は三つ。ひとつは贈与とその互酬。二つ目は、略取と再分配、三つ目は商品交換である。「贈与とその互酬」は共同体に、「 [...]
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政治と文学――ある文学的政治家についてのメモ
ここ数日ある政治家をみていて、ひさしぶりになんともいえぬ感興を覚えた。同時代人として、こういう政治家に出会えたことに対するそれ。政治家に一流などいないと思っていた自分の浅墓さを詫びたい気持ちになる。ある程度権力をもった政 [...]
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顔と他者、あるいはマイケル・ジャクソンについて
マイケル・ジャクソンが死んだとき、書こうと思っていたことがある。それをずっと書かないでいた。なぜだろう? たぶん、世間が大騒ぎして書く気が失せたのだ。そして忘れていた。だが、ふと思い出した。アメリカ合衆国とは《何だった》 [...]
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基地はいらない!
ニューヨーク・タイムズは、5月23日付けの記事、“Japan Relents on U.S. Base on Okinawa”のなかで、「オバマ米政権の勝利であり、鳩山首相にとっては屈辱的な後退a victory for [...]
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芸術のエチカ――欲望中心の表象の強さについて
欲望中心の表象には、強さがある。街を歩く群衆は、己の考え事に耽っていて、他人の顔など見向きもしないし視界に入っても覚えていない。なのに、この欲望中心の表象ときたら、そんなひとびとの無関心などおかまいなしに、暴力的に視線を [...]



