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criticism
規律・管理・主権――国家権力を超えて
ミシェル・フーコーは、国家、あるいは権力について、「管理」される状態や「規律」化された状態と結びつけて議論した思想家だと考えられている。だが、彼は管理や規律とあわせ、「主権(法)」についても論じていた。むしろこの三つの状 [...]
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第6回「人文学の正午」研究会のお知らせ
来たる6月18日(土曜日)、15:00より京都大学にて第6回人文学の正午研究会が開催されます。今回は田中希生が「歴史とはなにか」について報告しようと考えていますが、現段階ではテーマは仮のものとなります。どなたでもお越しい [...]
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史創研究会第2回例会のお知らせ
6月17日(金曜日)、17:30より20:30まで、奈良女子大学にて行なわれる史創研究会第二回例会に、田中希生が話題提供者として参加します。以下、告知より文章を転載いたします。 「超越」の起源 ――もしくは国家の起源―― [...]
philosophy
差延の哲学を越えて――独白は可能か?
物体をどこまでも分割していく。するといずれは、これ以上は分割できない小さな物体があらわれるだろう。それをデモクリトスは《原子》といった。これは哲学上のひとつの立場であって、無際限に分割できるという立場もありうるが、ともか [...]
philosophy
皮膚としての国家――独白は可能か?(カント・フロイト・デリダ)
独白とはなにか。この奇妙な言葉について考える際に重要なことは、ある観点をこの問いに紛らせないことだ。すなわち、社会である。つまり社会化されない言葉は、すべて独り言である、と考える立場である。たとえ複数の人間のあいだでかわ [...]
criticism
安全から安心へ、あるいは恐怖による統治について
事故とはなにか。 本来、事故は持続的に起こるものではない。点で生じる。仮に持続したとしても、持続をもって事故とは本質的に考えない。しかしその反対の安全は、持続的でなければ意味がない。ある瞬間に安全でも、次の瞬間に死ぬ可能 [...]
philosophy
古典主義について(新しい建築家のために)
黄砂のなか尾道を旅した。志賀直哉に会いに出かけたのだが、それ以上に、いま日本で起きている騒動が重なった。瀬戸内のあのあたりは元来災害の少ないところときいている。だがもし津波がくれば、あの不思議なまちは元通りにならないだろ [...]
philosophy
言葉の肉体(猫は死んでいた)
原子炉のなかに、「安全」という名の猫がいる。原子炉を開けることはできず、開くとすれば、原子炉が事故で爆発するときだけだ。さて、「安全」はこの原子炉のなかで生きているだろうか、それとも死んでいるだろうか。もちろん、中を開け [...]
criticism
フリージャーナリストを讃える
文学はどこへ行ったのか。文学はまったくの無に帰してしまうものなのか、それとも永遠につづいていくのかはわからない。わかっていることは、消えて生まれるもの、ということだ。滅び、そして誕生する、それが文学である。文学は、おのれ [...]
philosophy
正義と文学、高さをいかに実現するか
アナーキストに保守主義や貴族主義を見出すタイプの議論がある。たとえば、芥川龍之介の大杉榮評がそうだった。彼は大杉の死に対して、冷淡なコメントしか述べていない(作家のなかでは、いうなれば貴族である志賀直哉は多大な同情を寄せ [...]



