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あまざかる https://amazakaru.retartatni.com/

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『純文学という思想』を出版します。

花鳥社より、単著『純文学という思想』を出版します。2019年10月15日発売予定です。内容詳細についてはこちら

純文学という思想 小林 敦子(著) - 花鳥社
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現代文学批判

 怒るべきことに怒れない。怒るべき時に怒れない。気がつけば互いが互いの怒りを実に軽く扱うようになった。危機は目前に迫っているのに、我々はお互いの繊細な感情ばかりを思いやって、少しも筋を通す言葉が言えない。言わせない。結局、相手のことを考えていないのも同然である。今の日本人のことだ。

 現代文学への怒りというのが深く自分にはある。自分は文学に人生を捧げているので、率直に現代日本の問題の中心を現代文学に見る。ある種の人は文学への極大な評価と笑うかも知れないが、そういう事態を招いている現代文学に怒りをおぼえるのである。本来文学は人間の精神の中心であらねばならない。

 もちろん現在文学に携わっている自分自身の生ぬるさへの憤りも深い。だからこそ、しっかり声をあげようと思うのだが、今、日本ではどこに文学があるのだろうか? 本当の文学が。大衆文学とされるものにか? 文壇か? あるいは文学研究の学会か? どこにもないと私は感じる。皆そうではないか?
 この問いをさし向ければ、誰もが「「本当の文学」という定義がわからない」「それこそが「文学」を仮構する偽の問題構成ではないか」「絶えざる「文学」概念への批判こそが……」ともっともらしく答える。もう聞き飽きたのだ。それらの批評的言説が文学を魅力的にしなかったのは明らかではないか。

 これから社会的地位はかつての戯作者の如く地に落ちていくと思うが、現在の作家は辛うじて不思議に高い社会的地位にいる。それはなぜか。現在の自分たちの実力だと言うのは錯誤も甚だしい。誰がそこまで作家の地位を高めたか。戦前の文学者である。自分たちが散々否定する日本の近代文学者である。
 戦前の作家たちは決して文学をそんな知的玩弄物のように見なさなかった。事実上生命を賭けて文学を信じたのである。本当に文学のために野垂死に、獄死した。「文学を疑ってかかるのが文学」、そんなあやふやなもののために、生命は賭けられないのである。自分の人生を軽く扱ってるから言えることだ。

 当時の文士たちは批評家にも怒りは苛烈だった。大学に籍をおいて「研究」する批評家には特に厳しかった。研究として涼しく作家の命がけの作品を分析して飯を食い、家に帰れば小市民的生活に戻る。怒りは当然だ。私はこのことも大学にいる人間として絶えず自分の胸にとめている。文学は趣味ではない。

 現在、文学研究の学会に文学がないのは明らかだろう。文学への好意はあるのかも知れないが、「研究」に徹する姿勢から新しい文学は生まれるはずがない。事実、研究対象となる作品は何でもよいということになっている。材料は何でもいい、解釈できればいい、という世界に何の文学の未来があろうか。
 近代文学、その時は「現代文学」だったが、それを古典文学の如く気高いものとして研究する道をひらいたのも戦前の文学者である。安穏とした大学での職業のためではない。現代文学を歴史的視点の下に問い、少しでも進めてほしいという作家たちの切願があった。近代文学研究は歴史認識と不可分だった。

 文学のために死んだ、累々たる作家たちの過酷な生涯。それがあって、我々の文学への敬意も、文学者への敬意もあるのである。もちろんその文学は「純文学」と呼ばれたものだ。純文学という誇りがなければ、文学者はそこまで戦えないのだ。それをいかに現代の日本人は身の程をわきまえず嘲笑しているか。
「純文学」を「私小説」と早わかりで片付け、特にその哲学も真剣に追究せず、大衆社会に翻弄された作家の既得権益のように侮蔑し、「西欧文学の注釈に過ぎない」と嘆息してみせる。何度でも言うが、その純文学作家たちの生死があって、我々は文学をまともに語れる立場にいるのだ。
 文学を書いても、語っても馬鹿にされない。一応の敬意を払われる。そう、現在文学には権威がある。戦前の文学ではない。現在の文学にこそ根拠の無い権威があるのである。そう、制度化された権威が。戦前の作家たちが純文学のために行った努力を悪用しているのは現代の人間の方である。

 私は現在、「純文学」という言葉が文壇に残存して用いられていることが非常に不愉快である。「純文学とは何か」ということをまともに考えることのない文壇。文壇が何のために生まれ、何を目指してきたか、その根源を少しも考えない文壇。今こそ滅んだ方が文学のためになるだろう。まさしく制度だけだ。

「高見さん、うちのおやじは放送に出ることを嫌いましてねえ、芸人みたいな真似ができるかって言ってましたよ」芥川也寸志が高見順に言った言葉である。昨年の芥川賞受賞者はこの言葉を恐らく知らない。与えた方も恐らく知らないのだろう。そして文壇からは何も怒りの声はなかった。象徴的だった。

(2016.5.17)

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文学は制度ではない

 現在の文学研究は、やはりある種の「制度論」が主流と見える。「純文学」という制度、「近代文学」という制度、「私」という制度……社会が作り出す奇妙な相関の構造。無意識の権力。あるいはよくできた作品装置。大方の「文学」にまつわる概念は、同様の方法で暴くことができるらしい。

 私は制度論的に文学を読むことに全面的に批判がある。そうした姿勢で文学を読むことは、少しも文学を高める糧にならないと思う。なぜそう思うか? 最初に我々が文学に感動した時、そんなことは少しも考えなかったはずだからである。我々は文学そのものに感動したのであって制度に感動したのではない。
 制度論者は、その錯覚こそが制度の術中にある……と言うのだろう。それはしかし生きてきた自分自身の実感をどんなにか軽くみることだろう。少なくとも文学研究者は文学を一生の仕事にしようとしている、その最初の動機を 錯覚の如く扱ってよいのか。死にゆく我々の経験は一度きりだ。
 彼らに言わせれば、「私」も制度かも知れない。だがならばちゃんと自らを制度の内に消し去る実践がいるだろう。少しも「私」を残さず。名も残さず。しかしそうした勇気をもった文学研究者に出会ったことはない。皆、結局「私」を残している。それゆえ私は制度論を言う人間を信じることができない。

 こうした制度論は、文学の道に入る時、随分と自分を苦しめた。当時第一線の批評家の言説と、自分の文学への感動が少しも一致しなかったからである。自分は文学を批評から入ったのではなかった。時代や解説など見ず、良いと思った作品を読んでいた。それは不思議なほど皆、戦前の日本文学だった。
 当時、最も忌むべき制度として批判されていた「純文学」である。さすがに若い私は自分が無学なのかと悩んだりもしたが、当時の批評家と戦前の作家とを比べた時、どうあっても戦前の作家の方が優れているという実感はくつがえせなかった。孤独な実感だった。
 今なら「それこそ制度論という典型的な制度だ」と言うところだが、20代の、文学の道に入る頃には、ほとんど先の無い世界に思えた。それでも私は戦前の作家の文学観にこだわり続けた。ノスタルジアではなくて、現在の自分の文学の経験だったから。尊敬すべきものはやはり、作家本人だった。
 今に至るまでには、様々な研究者から、あるいは作家志望の人から、そういう文学観はやめた方がいい、文学の世界でやっていけないよ、と何度も何度も忠告を受けた。現在もやっていけていないのかも知れない。しかし、自分の実感を否定するような文学なら、私はしない方がよかった。これからもできない。

 話を戻して、近代文学に優れた作品が多いのは、結局のところ、制度論を言う人間も実感として認めていることだろう。そうでなければそもそも文学の道に入ろうとは思わなかったはずだ。優れた作品と思えば思うほど、一人の「個人」の作品と思えない、という不安があるのだろうか。
 それでも近代文学は個人の作品である。古典をみれば、個を超えたもので書かれる文学も多いが、近代文学は明確に個人の顔がやどる作品である。そのことが他の文学にはない力なのだ。歴史の無数の凝縮の力を得た文学と匹敵する文学を、個人が挑もうとしたことに力があるのだ。

 個人として作者を見る。それは「神の如く」作者を祀り上げるということではない。ただ、我々と同じ死にゆく個人が、あれほどの文学に挑めた、そこに素直に感動すればいいということだ。本当に個人を超えたものは、その先に生まれてくるはずだ。

(2016.5.11)

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なぜ文学を書くのか

 さて、戦後七十年を経た現在、「純文学」も人文学系の学問も日に日に窮迫していく観がある。文壇や学会の「衰退」現象のことではない。(それらは別に衰退はしていないかも知れない。)純文学や人 文学自体がどんどん弱くなってきていることは、自然、どの人間も認めざるを得ない。
社会で堂々と不要論が語られ、多くの人間は別に反感も持たないというのは、放っておけば「消滅」するのも、現実的な段階のようである。にもかかわらず、文学の人間の姿勢は随分生ぬるいものがあるかも知れない。もちろん反対は沢山表明されている、しかしその主張に本当に理論的な強さがあるかどうか。

 時期が時期なので、あらためて、自分なりの文学に対する態度は明確に表明しておきたい。自分の主張に理論的な弱さがないかをただす意味もある。なぜ自分は文学をするのか? なぜ小説を書き、なぜ文学を論じ、なぜ作家を研究するのか? 何のためか? 「好きなだけで意味はない」では決してない。

 自分が文学をするのは、第一義には自己表現のためである。大杉栄や武者小路実篤流に言えば自己の充実と生長のためだ。書くことで自分を高める、生きている実感をつかむと言ってよい。だから正直、他人に「読まれる」こととの期待とは直結しない。自分一人、書いている時が一番幸福である。

 綺麗事のようだが本当で、他人の反応と自分の文学は本質において切れている。自分の行為で他人が喜ぶ、ということへの喜びは自分にはもちろんある。他人を喜ばせたいという欲望はあるし、色々なこともする。しかし文学でそれをしたいとは思わなかった。今後も他人を感動させようとは恐らく思わない。

 人文学とは本来そういうものであろう。一人一人が自分を見つめ、人間を見つめ、精神を拡張していくような仕事である。私にとって小説を書くことと学びはほとんど同義である。自分がどこまで精神を高められるか。各々の個我の生長が人類の生長だと武者小路は言うが、そう言ってもいい。

 だが一方で、私は文学の作品や論文を発表したり、教師として教壇に立っている。ここには他人のため、という性格は確かにある。他人に自己を表明したいのではない。これまた綺麗事のようだが、正直に言えば、他人の精神の拡充のため、人間の生長のためにわずかでも力になりたいという気持ちである。
 他人というか、子どもというのが一番近い。人間の精神はもっと大きくなって欲しいし、文学はもっと高まって欲しい。自分が外に向けて書くものは、そのために有意味だと思われる思考についてである。自分の内的な仕事から得た最良のものをこれからの人には示しておきたい。専門職としての責務だと思う。

 私は過去の文学を研究することが多く、過去の文学ばかり語っているようだが、自分の動機は徹頭徹尾現代の文学の向上にある。現代必要と思われる文学の考えを、過去の人から見出すことが多いだけである。現代の自分の文学を、そしてこれからの文学を高めるために自分の文学の研究はある。

 文学作品をあたかも「素材」として、分析することだけを目的に分析するような研究も見かけるが、私はそうした姿勢は好まない。折口信夫のように、現代文学をすすめるために、かつての文学は研究されるべきである。文学にとって、研究のための研究は本来ありえない。
 研究のための研究、という批判を許すような学問はやはり衰弱の源となるだろう。これは文学研究だけではなく、歴史学や社会学、哲学にも当然ある。学問はすべて、現代、すすむべき思想を示してこそ、意義がある。学者は普通、思想家でなければならない。解説者で終わってはいけない。

 現代の学者の多くが、思想家であることを避ける。「客観的な解説者」であることを学者だと勘違いしている節がある(ジャーナリズムと接近しすぎた弊害だろう)。それは意気地がないということだ。思想は個人的なものに精華がある、思想を言うには賭がある、賭があるから存在意義があるのだ。

 創造と子どもの誕生はよく重ねられる。実際同じものなのだろう。安易な進歩主義はとらないが、すすんでいくということ、高みをめざしていくこと、自分のあとに、誰かがあるということ、その姿勢に立って、最良の思想を示していくのが、文学の、人文学の責務であろう。

(2016.1.13)

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生活者と文学

 高見順は、芸術とは自分で自分の主になることだ、という言い方をする。自分は何者にも仕えない、それは同時にすべてを自分で引き受けるということである。主はすべての責任者である。誰のせいにもできない。その孤高の自我が芸術の自我である。人文学の自我である。真から自立して生きるということだ。

 自分で本当に自分を引き受けるということ、かえりみればそれはひどく峻厳な道である。しかし私はその峻厳な生き方をしている人たちに沢山出会う。自立して生きている人というのは驚くほど沢山いるのだ。自分の人生を自分で引き受けて、自分を大事にし、他人を大事にし、ちゃんと歩んでいる。

 こういう実感というのは、教員をすることで自然と深まるようになった。芸術や学問ということを殊更に言わない、沢山の人生がある。芸術を願う人間からは、どんなにかそれは沈潜した生に見えるだろう。だがその意識こそ「芸術」志望の醜い傲慢である。一人の人間が一人で生きていく、その静かな高潔さ。

 沢山の他者の人生に触れるにつれ、逆に芸術や学問を言う人間の、自分の生への覚悟の低さが気になることも多くなってきた。これは自戒をこめてでもある。高見順が言うよう、本来、芸術や学問に携わる人間は、最も厳しく自分で自分を引き受けなければならないのだ。それが、多くの人生に負けている。

 芸術と実生活、という文学論争がある。文学者は、あの苦しい「実生活」を持たねばならないのか否か、という論争だ。これは文学者には「文学的生活 」があって、それが真の生活である、という決着で正しいと思う。しかしだからといって、文学者が実生活を侮ることは決して許されない。
 一人の人間が食べていくということは、本当に大変なことである。明けても暮れても食べ続けて生きていくのだ。そういう生の根源を軽く見る文学者は真の文学者ではない。武者小路はそこに誰よりも純粋に向き合ったから「新しい村」をやるのである。志賀含め、白樺派は生活への意識が恐ろしく高いのだ。

 高見順は「いやな感じ」において、最高に文学的存在と言えるアナーキストを描く。その彼が自己の生の絶頂の瞬間に呼びかけるのは、「平凡な生活者」である。静かに、ひたむきに、自分で自分の人生を生きている生活者。それは同じ頂点なのである。芸術や学問を求める人間は決して間違えてはならない。

 自分で自分を引き受けている人間、他人に依存せず、他人の人生を当たり前のように大切にしながら、自分の人生をきちんと整えて生きていく人間、そうした人間を心から敬慕する。でもそれは言わば「大人」ということだ。教員は「大人」だが、まだ自分は足りない。けれどとにかく「大人」として生きる。

(2015.12.9)

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高見順没後五十年

 東京・駒場の日本近代文学館では、高見順没後五十年展が開催されている。日本近代文学館は高見順のリードで設立されたものだ。高見の没年に開館した日本近代文学館も半世紀、現在、我々が近代文学研究を自然にできるのは、高見順の意志がとても大きい。

 高見順がなぜ近代文学館を作ったのか? ということについては、私たちは真摯に考える必要がある。当時高見には、「文学の仕事に飽き足らず、社会的名誉が欲しいのか」という類いの批判も向けられた。もちろん、高見はそんなものに関心はなかった。むしろ文士としての使命感だった。

 高見は歴史意識の高い作家である(だからこそ自我を守ることができた)。高見は、日本の近代文学が、日本の歴史において、極めて大きな意味を持つということをよく理解していた。近代文学者の精神に、極めて大きな達成があったことをよく理解していた。その達成を後世の人間のために遺そうとした。
 1960年代の高見には、ある種の危機意識もあったと思う。あの精神の到達点が、やがて理解できなくなるのでは、という危機意識だ。あの苛烈な文学者の戦いの意味が、やがてわからなくなる時代が来る、そういう予感があったようにも思える。思い出せるところが、どうしても必要だと感じたのだろう。

 現在の我々は、ある意味安易に文化財と言い、資料保存と言う。けれど高見の感じている切迫感はそうした文化事業の感覚とは全く違う。もっともっと鋭く、文学とは何か、を歴史的に問いかける意志なのだ。それは純文学を守ろうとした高見の姿勢と一つである。五十年、我々は何を受け取り、何を忘れたか。
 あの頃、文学者は「社会事業」を嫌った。文学者は官や財界と何かをやるのをひどく嫌がったし、社会的肩書きや大衆的人気などを特に嫌った。しかし特に嫌うような文学者たちが、高見順がやるなら、と進んで協力した。高見は最後まで文士だと理解されていた。

 古風な文士気質というのは、別に破産的な生活をするとか、そういうことでは全くなくて、決然と文学のためにすべきことをする、ということだ。どんな立場でも仕事でもかまわない。ただ、自分の文学への意志に従うということだ。生活は乱れようが何でもいいが、文学ができていなければ間違いなのである。

(2015.11.26)

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文学は強者のもの

 現代日本では、文学は「弱者のもの」と言うような言説に出会うことが少なくない。弱者に寄り添うように、あるいは自分自身が弱者であるからこそ、その弱さの苦悩をひっそりと訴えるように。しかし私は文学は強者のものであると思う。文学は強者のものでなければならない。自ずからの強さということだ。

 人間の強さや充足ということは、どうやら現代の文学では求められていない。何かに打ち克つ、真に満たされるという人間像は「現代的」ではないようだ。苦悩する人間が多いから? 一緒に苦悩すべきだから? だが私は、だからこそ、真に充足した人間像を文学は書いて欲しいと思う。そこに文学のがある。
 そう、現代、充足した人間を書くということは極めて難しい。我々はどうやったら、己を満たすことができるかほとんど知らない。言葉をかえせば、満たされない人間を書くのは楽だと言うことだ。充足を描くことを目指すより、安易だと言うことだ。現代作家としてこの自覚は持つべきであろう。

 現代、大人と子どもを描くのは、どちらが難しいか。これも同じことだ。大人を描くことの方が難しい。本当の意味で成熟した人間を描くより、未熟な子ども描く方が楽である。つまり自分が未熟なままで書けるからである。成熟は自分が成熟しないと書けない。
私は未熟な「大人」が、それを隠すように子どもを主人公に立てる作品は特に良くないと思う。優れた「子ども向けの作品」とは、完全な大人が、大人でありながら、子どもの目線になるから偉大なのである。子どものままの大人の作品は、己れの未熟と向き合わない分、子どもの作品よりはるかに悪い。

 弱さというのも同じ構造がある。「弱さは社会がもたらすものである」、「この社会にいるかぎり苦悩からは抜け出ることはできない」、「同じ苦悩の人が沢山いる」、なるほどそうか。社会にある「弱さ」や「苦悩」を描けば、沢山の共感が得られる。文学は仕事をしたというわけだ。だがそれでよいのか?
 忘れてはならないのは、ルサンチマンは「共感」の莫大な推進力になり得るということだ。我々が「共感」と呼ぶものの正体がルサンチマンであることは往々にしてある。自分は満たされない、だから満たされた人間なんて見たくない、同じように苦悩に這いずりまわっていて欲しい、そういう欲望だ。
「現代性」や「アクチュアリティ」のためと言って、生真面目に多くの読者の「共感」に応えようとすると、作家はずるずると弱さに引きずり込まれることになる。それは現代性でも何でもなくて、よくある大衆のルサンチマンである。文学は時代の苦悩に打ち克つすべを示してこそ、現代性があるのである。

「通俗小説が多数の読者を狙って書くとは、読者が常日頃抱いている現実の小説的要約を狙うという事だ。だから成功した通俗小説に於いてはそこに描かれた偶然性とか感傷性とかいうものには、必ず読者の常識に対して無礼をはたらかない程度の手加減が加えられている。」(小林秀雄)

 簡潔な大衆小説の説明であるが、弱さの「共感」とはこのような事態と不可分である。大衆小説とは何か? すでに読者が知っていることを書くことである。社会問題も現代的課題も、すでに様々なジャーナリズムであらわされたことを書く。よく知る「苦悩」・よく知る「弱さ」。それをくりかえす。
 だから人は大衆小説を安心して楽しむことができる。劇的でも、自分のよく知ることがくりかえされるので安楽なのだ。そこにあらわされた苦悩も、実は読む前から知っていたし、泣いても笑っても、読んだあとで特に考えが変わりはしない。webでも見た。車内吊りでも見た。そして自分の存在も要約する。

 現代人は、通俗的な「偉大さ」については、すぐ怪訝な目を向けられるのだが、通俗的な「弱さ」については、どうも判断を誤るようである。現代人が文学的に自信がない、ということは間違いないだろう。しかしそれもやはり、文学という巨大な時間を経てきた世界からは、我々の自己責任である。

 小林秀雄は「私小説論」で「社会化された私」ということを言う。一人歩きした感のある言葉だが、小林が言いたいのは、文学をやろうというなら、社会の正体ぐらい見抜いてみせろ、ということだ。文学者なら社会くらいすべて理解し切って見せろ、盲目的に社会の中で震える存在であるな、ということだ。
 社会の正体を見抜いて、社会の中を戦って生き抜いて、その上で社会に絶対に譲り渡せないものがあると気がつくのが、文学の「私」だということだ。かくも我々を拘束する社会というものの全貌を見きわめるところまできても、社会に征服されない「私」がある、そういう感動が文学だということだ。

 話は飛ぶが、私は文学者としてかなり高く曹操を評価するのだが(ある意味曹植よりも)、ああいう世界的に稀な英雄詩人の存在は面白い。英雄が文学を書いた、というより、あれほどの英雄でなければ文学は書けない、という事実にも思えるのだ。歴史と世界を見通す力があって、文学はできる。
 こういう例だと、あまりにも文学者の条件があがってしまうのだが、世界的人物の多くが優れた言葉の使い手であるということは決して偶然ではない。文学というのは本来、それくらいの仕事だと思う。文学をやろうというなら、我々もこの小さな社会の正体ぐらい見抜いて、勝ってみせなければならない。

(2015.10.14)

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純文学と人生

「文学だからできる」という発想は文学への矜持であるが、「文学だから許される」「文学の中だからで許される」という発想はよくない。文学は何の痛みを負わないでよいユートピアではない。現実に生きるのと同じだけ過酷な世界である。文学でも、文学だからこそ、自分自身の生き方が直接問われる。

 かつても作家たちは純文学を「人生」と言った。古風な文学観のようだが、実際そうなのだろう。文学を通してその人の人生を見る、生き様を見る。何をしてきたのかを見て、何をするのかを見る。作品の「美文」だけを見ない。その文に広がるその人の人生を見る。自分にも相手にも、まなざしは厳しい。

 文学者が見る人生とは、もちろん社会通念としての価値観に従うものではない。だから時に、ユートピアであるかのような期待を生むが、実際は苛烈である。自分自身でどこまで自分の人生に筋道をつけ、鍛え上げようとしているか、そこにおいて容赦はない。生の条件が様々でも向ける厳しさは同じである。

 小説も詩も大切だった自分だが、この頃は、特に小説というものを第一におくようになった。小説の長さ、というものがどうしても重大なものに感じられるのだ。人生は一篇の抒情詩でもあらわせるのだろう、しかしやはり人生は小説の方が近いと私は言いたい。それまであって、これからがある。人生と同じ。

 文学には瞬間的な生に賭ける、という力もある、しかし一方で続いていく、という力もある。そしてやっぱり、私たちの生は続いていくものである。過去の瞬間に高度な達成の成就があっても、現在の私は淋しい。過去の私と今の私がつながっていると言いたい。そしてより高くなっていると思いたい。

 純文学の作家たちは、自分の人生とともにずっと仲間の作家の人生を見つめていく。私の人生は、彼の人生はどんな物語を描くのであろう。振り返れば沢山の誤謬も失敗も感じられるのであろう、それでも「人生の完成」をめざすのである。厳しいが、自分の人生を完成させたい、という願いは自分を強くする。

 私自身が、年齢と引き比べ、これまでしてきたことを考えると、どうにもいたたまれない気持ちになる。人間が三十代まで経験をふまえてなすべき仕事に、一体いくら達することができたのであろうか、このままで大切な四十代、五十代に何ができるのであろうか、そういう苦しさに襲われる。
 なすべきことをしなかった、という痛恨の念は大きい。そういう自分が瞬間的な生ということ考えれば、それこそ逃げになる。大いに人生を生き抜いた存在にしか本当の瞬間は与えられない。ファウストということだ。過去と現在と未来と。やはり私たちは見なければならない。

 人生に、社会から与えられる、かくあるべしという理想の形はない。しかし自分の内から聞こえてくる、かくあるべしという声に耳をそむけてはならない。おそらく誰もが自分の人生の物語の声は聞いている。その理想に他人を巻き込んでいるなら本当の声ではない。自分で変えられる、自分の人生の物語を。

(2015.10.8)

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「政治と文学」という問いについて

 こういう社会情勢なので、自分の意見を率直に書いておくが、現在の文学者も学者も、デモのような社会運動に参加することにしっかりと問いをもってもらいたい。私は現政権の方針を全く肯定するつもりはない。だが、現在の文学者も学者も、かつて「政治と文学」という主題があったことを忘れすぎている。そのことに一つの危うさを感じる。
「政治と文学」という戦後の文学者を席巻した問いは、文学の理論としては、あまり上等な議論ではなかった。現在第一等の地位にいる評論家たちは、「政治と文学」という主題を過去のものとして批判することから始めた。
 別にそれはいい。だが結果として、その次の世代は、「政治と文学」という問いにまともに組み合うことがなかった。現在の若い文学者も学者も、デモに参加する前に、「政治と文学」の議論はひとまず読んでおいた方がいい。歴史的文脈が違い過ぎるだろうか? 我々はそこまで一つの思想にとらわれていないと思うだろうか? だが昨今の社会運動をめぐる姿勢への問いは共通するものがある。現在よりはもっと真剣な葛藤がある。

 私はその社会運動への参加へ、葛藤がなさ過ぎることが現在極めて不安である。いやもちろん葛藤はあるのだろう。その運動に加わることで、対外的な社会的評価において、不利益を被るのではないか等々。だが「政治と文学」の頃の葛藤はもっと違う層にある。

 文学者は政治的であってよいのか? という本質的な疑問だ。同じ主張を持っていても、政治的発想になることで、文学者性が失われるのではないか、という葛藤だ。

 もともと文学者は実利的な社会評価には興味が無い(最近は知らない)。自分の正義感と一致していても、「政治」的に行動してよいのか、ということである。同じ主張を持っているから、連帯すべきである、という思考は極めて政治的発想である。

 数を勝ち取ることで局面を動かそうとする近代以降の「政治」は、まさしく個々の微細な生の差を塗りつぶす。そうとは限らない、と思うのだろう、が、実際散々塗りつぶされて苦しんだ世代の議論が「政治と文学」である。
 彼らは確実に現在以上に真剣に政治に向き合ったし、その中で個を生かす方法を必死で考え続けた。にもかかわらず、痛みは深くなっていった。我々にも十分同じ道が口をあけている可能性がある。
 同じ痛みを経ても、突破する道はあるのかも知れない。自分自身の正義感の発露として、表現したいと思うことを私は反対しようとは思わない。ただ重い歴史的前例があるのに、無防備すぎるのはまずい。文学史の専門としての意見でもある。

 文学者は反俗的であるべきである。革命的でなければならないということだ。だから社会に対して何も言わないということも不自然である。不正義に超然とすることが文学者の仕事ではない。この世の人間の問題として、自然に思うことを言うべきであり、望ましい生について語るべきである。

 私自身今の社会情勢がいいとは全く思わないし、折りにふれて言おうとつとめる。ただそれこそ大多数の人には同意されないと思うが、現政権の方針も、それに反対する大多数の主張も、そして今夏の芥川賞にあらわれた変化も、全て同一の根から出ていると私は考えている。その共通する根に私は反対したい。
 反対することだけに意味があるとイロニカルに思っているわけではない。変えなければいけないと思う。ほとんどの人にまともに同意されないのにどうやって? でもやっぱり答えは書くだけなのである。文学を本気で仕事にするだけなのである。

(2015.9.26)

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純文学とは何か

 さて最近は、昨今の日本文学の状況について思うところがある人が多いのか、あちこちでよく質問をされる。この頃の文学はどうなんでしょう? という質問だが、どちらかと言うと、批判的な言葉が聞きたいというのが実際のようだ。批判は私の第一の仕事ではない、だが批判はあるので、思うことは言う。
 文学とは何か違うのではないか? そう感じてもその理由を確かな形で言えなくなっているのは、端的に言って「純文学」という指標を喪失しているからである。純文学が本当に達成されていれば、面白かろうが面白くなかろうが、我々は文学にある種の信頼をおく。そこが揺らいでいるから不安なのである。
 
 純文学はどうも、戦前日本の偏狭な文学概念だということなってしまったようだ。しかし日本人に、芸術としての文学を教えたのは純文学である。純文学に対する近代日本人の強烈な誇りというのは、もっと大切に考える必要がある。近代日本の精神の中心とは何だったろうか? それはずっと文学だった。
 世界文学の古典と匹敵するが如くに近代日本の文学全集をいくつも編み、あれほど文学館を建てることができたのは、文学が誇りだったからである。そして「純文学」という言葉を日本人が自ら生み出すことができたことは、日本人にとって何よりも光栄だったのである。

 たとえば高見順は、昭和三十四年に、純文学の危機の中で、『新潮』は未だ「純文芸雑誌の孤塁」を守っていると賞賛して、昭和四年の秋声の言葉を引く。

「徳田秋声氏は「所謂商業主義から行けば『新潮』は新潮社に取ってそう大切な存在ではないだろう。事によると或いは厄介な存在かも知れない。儲かってはいないようであるが。しかし「新潮」は社にとっても実は大事な存在だし、これが万一なくなると「全文壇に遍く輝いていた光りが、遂に失われる寂しさを感ぜしめるものである」と書いている。」(高見順「昭和「新潮」私観」)

「新潮」を純文学そのものにおきかえて見ればいい。純文学の喪失とはそういうことである。純文学はどうやっても商業主義とは相容れない。もちろん、その代表とされた「新潮」のルーツが中村武羅夫の戦いにもあるように、社会意識が高まる時代でも、純文学は安易に「政治」に引きずられてもいけない。

 純文学は芸術である、という定義がある、では芸術としての文学とは何か? この点は正しく考えるべきだろう。芸術とはこの世の「個」につくものである。「美しい花」という具象物であるということであり、だから個我が大切なのである。近代的個我である必要はない、だが「個」から離れてはならない。
 だからその筆頭として私小説が純文学の謂であったのである。もちろん狭義の私小説である必要はない。この世の「私」ということを離れては、芸術は芸術ではない。芸術は概念の仕事ではない。絶えず滅びゆくこの世のものとともにある。虚構を用いても、その「私」から絶対に離れないのが純文学である。

「私」というのは、ベルクソンが言うよう内発的なものでしかない。内発性。私の要求。私の願い。私の意志。そこを貫くのが純文学である。純文学は私の欲望を私が叶えるということである。大衆文学は、他人の欲望を作家が叶えるということである。他人のために書き、他人に書いてもらうということだ。
 大衆文学の仕事はそれはそれで大切な仕事である。だが決して純文学と大衆文学を混交してはならない。目的が全く違うのである。不幸な混交にしかならない。かつては純文学と大衆文学は、明確に読者が分かれていた。両方読むという人はいなかった。極端なようだが、それでいいと私は思う。

 純文学の読者はでは、何のために読むのか? 簡単に言えば、自身の内発的な生を高める刺激として読むのである。楽しむものでも、愛好するものではない。はるかに自分をおいていった姿をみるかもしれない。それでも、人間はそこまで行けるのだな、と思って読むのである。孤高の軌跡だけがある。

 いくら古風と言われても、主張としてこの線は譲りたくない。自分以外のための仕事はいつの時代でも人間はしているからである。純文学が「食べられる」道は全く見えないが、もともと自費出版をリヤカーで売っていた世界である。その原点を思い返すだけだ。
「純文学を守る」という言い方も、今はしたいとは思わない。もう一度、純文学を勝ち取りたい。そういう段階に来ている。日本には歴史的に優れた理念が幾つもあるが、生きたものとしてわからなくなったのなら、形骸化させて守っても仕方あるまい。痛みを経ても、守るのではなく、勝ち取るのである。

(2015.9.24)

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物語を書くのだ

 全部コンテクストだ、という議論は本当に多い。断ち切る努力は何処へいったのか。「私の言葉はコンテクストが喋らせたものです、私が喋ったものはまたコンテクストに入っていくのです。」全く面白くない。責任を取るも取らないもコンテクスト次第ということか。では、何で自分の名で仕事をする?

「コンテクストが不意に裂ける偶然の瞬間を待て」ということが結局創作家へのエールというわけだ。それなら相も変わらない「霊感」で事足りる。スタニスラフスキーは、その「霊感」をできる限り引きつける土壌を作れるよう懸命に理論化したのだが。俳優は必ず舞台でそこに到達しなければならないから。

 物語には良い物語と悪い物語がある。我々は一緒くたに物語と言って片付ければいいのではなく、良い物語を書かねばならないのである。良い物語とは何か? どうすれば良い物語が書けるのか? 小説家の願いはそこにしかない。物語の分析は散々なされても、この問いに答えるのは随分昔の理論家ばかりだ。

「物語」はとっくに批判し尽くされたか? 「物語」は否定されるべきものか? いや物語は絶対に捨てられるべきものではない。出来事が生まれるということ、出来事がつらなるということ、しかもそこに「私」がかかわるということ、凄絶な面白さだ。物語と「書く私」が不可分となる、あの歓喜。

(2015.7.29)

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道化と文学

 道化と真面目さというのは両立しない。他人を笑わせるために自己の「本当」を隠す道化と、自己の「本当」に従おうとする真面目さは相反するものである。もちろん本当に自分が笑っている笑いは真面目さだし、自己と切れた社会通念の「真面目さ」に従うだけならそれは道化である。

 道化が仮面を取る。彼の「本当」の苦悩があらわれる。それは純文学だろう。しかし一度仮面を取った彼は、仮面をかぶり直すことは許されない。道化に戻ることは許されないのだ。もし戻ろうというなら、先ほどの素顔の表情を徹底して嘘にしなければならない。観客に彼の「本当」を想像させてはならない。
 道化には「本当の苦悩」などあってはならないのだ。真面目に考えていたりしてはならないのだ。それはそれは大変な道だろう。けれど同じくらい真面目さを貫くということも大変なのだ。道化の真の悲しみは芸術家が知っているし、芸術家の真の悲しみは道化が知っている。

 一番悪いのは、道化と真面目さを行ったり来たりするということである。道化が仮面からちらちらと苦悩の表情をのぞかせ、またかぶる。やがて観る者は、彼の苦悩を想像しなければならなくなる。けれど道化は正面から「本当のこと」は言わない。道化をやめる気配もない。なのに想像だけさせようとする。

 道化の悲しみを思いやれ、と言外に主張するのは、芸術ではない。自分が傷つかないよう何かを得ようとする卑怯な姿勢だ。仮面をかなぐり捨てるならば芸術になろう。しかし仮面を捨てられないなら、芸術の世界に入るべきではない。両方を取りたいというのは自身の未熟さを露呈することを意味する。

 知識人も文学者も自ら道化をやりたがった時期が長くあるように思える。道化の方が賢そうに見えたから。笑わせて、さらに自分の苦悩をほの見せられるなら万能だったから。皆が道化をやりたがった。そして王がいなくなった。王のいない世界の道化というのは道化ではない。

(2015.7.23)

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少数者として戦う

 文学者の敵というのは、つねに多数者である。文学者はつねに少数者として戦わねばならない。そこを自覚できるかどうかが重要である。文学者は多数者に参入してはならない。多数者に対し、多数者として戦ってはならない。文学の力とはそういうところにはないのだ。学問の力も同様である。

 私たちが直面しているのは、少数の人間の独裁ではなくて、多数者の無自覚な欲望である。ゲーテが言う、「きわめて暴力的にして抗いがたい、大衆全体による独裁」である。経済は多数者のものであり、政治も多数者のものである。それと真の意味で戦いたいならば、決して数で競ってはならない。

 高見順は、平和への思いは、ひとり作品で表現するとした。文芸家協会が「平和宣言を決議する」ことに反対をした。大正期のアナーキズムに育まれた精神は、単独の力を強く守ろうとした。我々が本当に必要なのは、その意志ではないのか。

 ついに多くの人間の支持を得られなくても、自分は戦い抜けるのかどうか。共同というのは人間にはつねに魔術的な魅力がある。多数者との連帯は心強い。しかし相手もまた多数者であったら? 気がつけば戦いは、あるいは「大義」は、数の大小になっていく。そういうことでは決してあるまい。

 アナーキズム性とは酷薄な道で、単なる無秩序な自由の謳歌なわけがなく、並の人間にはできないものだと考える必要がある。一人でも真理は真理として守らなければならない。芸術家はそれができるから芸術家なのである。学者もまた同様である。

 真理がつねに多数者との共同で作りあげることができるなら、芸術家も学者も非常に安寧を得るであろう。人間の本性としてはそうあってほしいと欲望するものだ。だが多数者が作りあげた「真理」が、どうしても真理と違うと感じられたら? そこで多数者の主張に折れるなら、彼は芸術家でも学者でもない。

 昨今、学者の「共同」が強く求められる。交流し合い、協力し合うことで大きく進む研究はあるだろう。しかしあえて言えば、学者にとって本来大切なのは、「共同する力」よりも「袂を分かつ力」である。学問には真理のために、決然と「仲間」と袂を分かたねばならない時がある。その覚悟があるかどうか。我々は何よりも真理が衆愚的になることを恐れねばならないのである。

(2015.7.18)

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社会を退ける

 現代文学は、国家を退け、歴史を退け、個人を退け、物語を退けた。しかし一つだけ全く退けなかったものがある。社会である。

 全体主義を仇敵とし、マルクスを幻影に送りこみ、個我を嗤い、完成を放棄し、自分も相手も傷だらけにしながら、社会だけは驚くほど無傷で保全されている。誰も社会を否定しない。目標もなく理想もなく、ただ存在する社会。誰も主体的に変革することのできない社会。それが文学者の肯定するべきものか。

 国家権力とは戦ってみせるポーズは知識人にはどうやらまだ残っている。しかし社会と戦おうとはしない。なぜ国家を否定して社会は否定しないか。この敵らしい姿をしていないものの方が文学者にとっては戦うべき相手のはずである。

 人は社会なしには生きていけない、人はは一人では生きていけない、要はそういうことを言って、あっさりと社会への帰順をすすめる。人間が一人では生きていけないのは当たり前のことだ。誰でも言える分かり切った前提であって、知識人の口から聞くようなものではない。

 その前提の上でどう戦うか、が我々の生のはずである。私はヘーゲル的な歴史については、最終的には同意しないが、現今の無批判な社会の肯定よりはよほど良いと思う。個を超えたものを描くのなら、せめてどうか歴史と言ってくれ、社会ではあまりに貧しい。

 現代の社会には誰がいるか? 民衆がいる? 健気な庶民がいる? いやそこには人間は誰もいない。大量消費の経済があるだけだ。社会をそのまま肯定すれば、大量消費の経済だけを肯定することになる。人間が権力さえもてない経済。

 純文学の作品なのにこれだけ多く売れた! と吹聴される。惨めなことである。純文学が部数の勝負にのったら、最初から存在意義など無くなる。作家は社会を退ける理論をしっかりと内に持たねばならぬ。いつまで「社会に食わせてもらう」つもりなのだろう。今の社会に作家を食わせる余裕など元より無い。

 純文学の作家が食べていけた、奇跡的な時代がかつてあった。それは作家が社会と上手くやったのではなく、作家が本気で社会に戦いを挑んでだからである。その姿勢が社会の内の多くの人間を人間にしたのである。経済ではなく、人間が人間を読んだのである。我々が欲しいのはそのあり方のはずだ。

(2015.7.6)

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すべてがまだ「戦後」の内に

 芸術や学問は本質においては反時代的であるべきである。しかし反時代的であるために、時代の問題と組み合う時もある。我々の精神は、端的に言って逼塞している。正直人間の歴史の中で、今が目覚ましい精神の拡大の時期だと思っている人間はいないだろう。少なくとも日本は停滞期である。嘆息ばかりだ。

 何かしら我々は特殊な時期にいる。特殊な時期、つまり「現代日本」とは何か? いつからか? 近年は随分細切れに捉えられているようだが、冷静に見ればやはり敗戦後である。まだ我々は「戦後」の内にある。「戦後」などとっくに終わったのではないか? いややはり我々はまだ完全に戦後の内にある。

 90年代以降、すっかり「戦後」という言説は古びた感がある、新しい世紀が来たかのように言われる、しかしどうだろう? 現今の政治的な右派と左派の言説は何も変わっていない。現今の右派と左派の主張は極めて戦後的である。左派だけではない。右派も極めて戦後的である。
 現今の左派は右派を「戦前」への回帰だと批判する。しかし戦前を専門にしている自分からは、現今の右派はどうあっても戦後的である。戦前の右派とは根本的に違う。左派もまた違う。右派か左派かというより、戦前的か戦後的かという溝の方が巨大である。

 何をもって「戦後的」とするかは、もちろん相当な議論がいるところで、ここで俄に定義をしようとは思わない。ただこの「戦後的」思考というのが随分我々の主張の方向性を吸い上げているのは事実である。「理想」は、我々の世代の率直な実感に合わない構図に絡めとられて終わっていく。
 もちろんこれまで、「戦後的」右派・左派に組すまいとする主張は並行してあった、しかしそれが本当の意味で「戦後」を乗り越えられていたのなら、現在、こんな戦後的政治言説は生きてはいまい。まったくもって「戦後」は終えられていないのである。知識人は深刻に受け止めねばならない。

 たとえば、「ポストモダン」と呼ばれる思潮の多くが「戦後的」でなかったと言えるであろうか? そこに強烈な「戦前」を否定するという執着がありはしなかったか。モダンというよりも「あの戦争」につらなるものとして、戦前すべてを否定することに病的に執着していなかったか。
 あえて病的と書いたが、そう、我々の世代にとっては本来、その執着が理解出来ない方が自然なのだ。我々は上の世代の情念に実は引きずられている。直後の世代には直後の世代の情念がある、課題がある、しかしそれをそのまま下の世代におろして拘束すれば、下の世代は異常な苦しみを負う事にことになる。

「あの戦争」の悲劇性を私は全く軽く見るものではない。30代の私は「あの戦争」を直接的な経験として持たない。だからと言ってその本質がわからないとは決して言わない。そう言えばすべての芸術と学問が否定される。直接経験しない世代になってからが出来事は本当は重要なのである。

 我々の世代は、実は我々の世代の思想と言うものを持ち得ていない。実際我々は、我々の世代の政治を持たない。我々の世代の理想を持たない。我々の言葉を持たない。そのことに気づかない。これはどれほど不幸なことであろうか。我々はある時代をこれから正しく終わらせねばならぬ。そこからが始まりだ。

(2015.6.22)

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強い芸術、強い学問

 今の時代、芸術や学問が強いかと言えば、強くない。社会によって蹂躙されているという意味ではない。むしろ温室の中で育てられた感がある。芸術や学問は内側から弱い。19世紀から20世紀の世紀転換期をみていると、特にそう思う。我々からすると芸術と学問が異常な強さを誇っている時代。憧れる。

 社会がどう学問と芸術を扱おうと、問題なのは内なる弱さの方で、何でここまで弱いのかは我々は深刻に悩まなければならない。食い扶持の確保や権力者の顔色をうかがう苦悩が、今や学問と芸術の苦悩の中心になっている。だがそれは別の問題だ。強い学問とは何か、芸術とは何か、それを悩まねばならない。

 芸術と学問が、次の時代をきりひらいた。そういうことを我々は真面目に信じなければならない。明治維新は、貧しいが、極めて優れた若い知識人たちが精神の変革によって主導した。我々は彼らよりよほど易々と知識を得られるが、我々は彼らのような力を持つことができない。我々は何をしているのか。

 人間には戦いたいという欲望もある。命がけでやってみたいという欲望もある。最高の意志の表現でもあるから。現代の我々にもあるはずなのだ。ただ一人でも、一つの意志に賭けるということを。それを引き出すのが強い学問であり芸術である。

 我々には与えられた主体なんてものはなく、冷静に見ればほとんど見えないふよふよした何かである。それを内なる意志で収斂させて、目に見える明るい流れにするのである。だから文学も歴史も意志に殉じた人間を愛する。我々もそろそろ迷いの淵から抜けねばならぬ。各々の強い意志を。

(2015.6.18)

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社会はいくらでも滅ぶ

 これから社会で何が起ころうと、変わらず役に立つのは人文学の学びだ、と私は教えている。人間について学ぶのだからどこで何をするにも力になる、全く卑下することはないと。経済、社会というが、第一次大戦後みたいな根底からの崩壊は歴史にはよくあり得る。何でそんなに今の社会を信じられるのか。

 歴史を見ていると、それまで盤石だった産業がちょっとした技術革新で消滅するということがよくある。ちょっとした事件で無くなる流行というのがある。無論未曾有の事件も起きる。そのつど沢山の人が苦境に陥る。だが我々はそんな事件のすべてを必死で予想しても仕方がない。人間を持っていればいい。

 人間が人間の偉大さと愚劣さを考えることは、どの時代からも無くならなかったし、人間が人間を教えることも、どの時代からも無くならなかった。少しも金にならない学問が、ずっと学問としてあったのはなぜか。社会はいくらでも滅ぶが、それを超えて人間は生き続けなければならない。そういうことだ。

 その意味では、ひとたびは人文学もひどい仕打ちを受けるかもしれないが、日本でも百年くらいすれば、普通に人文学は復活するだろう。ただこの時代の愚劣さは我々が引き受けるとしても、この時代にうち続く子どもたちに分り切った無益な苦闘はさせたくない。後生に引き渡せるものは引き渡してやりたい。

(2015.6.8)

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思想は博愛できない

 思想書を読んだから自分の内に思想が生まれるのか、それとも自分の内にもともと思想があったから思想書が読めるのか、という問いについては、完全に後者だと私は思っている。もともと自分の内にない思想は、本当の意味で理解できない。単なる知識になるだけだ。

 だから一人の人間が深く他の人間の思想に惹かれるというのは、ほとんど珍しい。ごく稀に、自分の内にあったものを見事に言い表してくれていると感じた時、そしてさらに高いところに導いてくれるのがわかった時、人はある思想家に影響される。思想書を濫読するのは、それを探し求めている頃だろう。

 濫読しても多くのものは知識になって終わっていく。自分の内なる思想と呼応しなかった思想は生きた思想にならず、つきつめて言えば自分の思想には意味をなさない。(ただし敵対する思想は糧にはなる。)思想や哲学を博愛することは本来できないはずだ。文学についても同様のことが言える。狭量でいい。

 文学者も思想家も、少数の先人から影響を受ける。著作を読んでいるから影響を受けているとは限らない。自然、影響を受けた人にはちゃんと言及する。言及しないということは、単に知識になったということである。知識は解説には役に立つが、自身の文学や哲学を進めることには役に立たない。

 何だか作家も研究者も、さかんな「交流」を要求される時代のようである。沢山の人間と交流するということは、博愛的にいかなければならない。しかし皆で仲良く共有出来る「思想」など残りかすのようなもので、思想の精髄は失われている。ならば孤独でいいではないか。友人が欲しくて書くわけではない。

(2015.6.15)

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この世の文学・持続としての叙事

 半年ほど活動はしていたが、精神的には沈潜していた。いまようやく、洞窟を抜けたような清新な思考に。それは博士論文で出した結論と同じで、思えば原点に帰ってきたのだが、かつてよりもっとたしかに言えるようだ。生としての文学。そして自分はこの世の子だということも。

 思想には色や形が必要なのだ。比喩ではなく文字通り。思想にはどうやってもこの世のものが必要なのである。六月を待つ夕暮れ。紫陽花の蕾。うつろいゆくこの世の私とこの世のものたち。その具象をもって思想を書くのが文学者なのだ。宮沢賢治は言う、ここから見えるあの林が私の思想だと。

 芸術としては当たり前のことなのだが、我々はすぐ忘れてしまう。あの一期一会の具象、それを通して描けなければ文学は負けなのだ。この世は個物であふれている。個物に賭けてよいだろうか、芸術が弱まる時代はそういう不安が瀰漫する。しかしすべての個物ではない、運命の個物に賭けるのが芸術なのだ。
 ポストモダン的発想に疑義があるのは、個物のすべてを拾い上げようとするところで、それは結局モダンの延長になりうるからである。多くはモダンの個からずれるものを個として無際限に拾い上げているにすぎない。それでは具象と出会う緊張感が喪失される。芸術にはなれないのだ。

 現在の文学は、よそから持ってきた思想で書かれる作品と、ごく散発的な感性の動きで書かれる作品とに二極化している。後者の方がやや文学の本質には近い。しかしそれは悪い意味での抒情化であって、端的に言って弱い感性である。生はいくらでも散発さを発揮するが、そこを長く保たねばならない。

 長いということは大切なのだ。やがて消えてゆくものにせよ。抒情詩は叙事詩を目指さなければならない、というのは一つの真理で、叙事にはベルクソンの言う、持続の強さがある。消えてゆく私と、消えてゆく目の前の個物と、どれほどそれを長く持続できるか、それが文学というものだろう。叙事の芸術。

 恐らくこれから、時代は理念の復活へと逆行していくだろう。理念というものとどう付き合うか、散々悩んだ。しかしやはり、逆行であってはならない。我々は遠い理念に担保されている存在ではなくて、消えゆくこの存在として、その強さを発揮できなければならない。「歴史」に頼るのでもなく。

(2015.5.31)

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